旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

太山寺の院

2014-05-08 19:50:19 | 神戸市西区
2014年5月8日
太山寺の各院です。
A歓喜院 B仁王門 C龍象院 D成就院、安養院 E太山寺中門

太山寺歓喜院庭園、神戸市指定記念物(名勝)



























太山寺龍象院の十三重塔

門の前の結界石
「不許葷酒入山門」の文字、「禅学大辞典」によると葷酒とは、「葷はネギやニラのような臭い野菜と酒で、葷は広くは肉類もいう。修行の道場である寺院にの門内に葷酒の入るのを禁ずるの意」とあります。

太山寺龍象院







龍象院の横

水子供養と地蔵さん









慈悲の水



太山寺成就院庭園、兵庫県指定記念物(名勝)
閉めていますので入館はできません。







太山寺安養院庭園、国指定記念物(名勝)
閉めていますので入館はできません。



五輪塔
仁王門の道路挟んで少し北西の角にあります。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太山寺

2014-05-08 17:48:50 | 神戸市西区
2014年5月8日
 説明書によれば、『当寺は、天台宗で、天延元年(973)12月8火の年紀をもつ「播州太山寺縁起」には藤原鎌足公の子、定恵和尚の開山、霊亀2年(716)公の孫である宇合(不比等の子)の建立と伝える。宇合が明石浦耶谷の温泉で療養中、夢の中に薬師如来が出現した。薬師如来は、ここより東北の地に定恵和尚結縁の地があり定恵和尚は願望を果たせず寂したと示現したところ、宇合はその教示に従い七堂伽藍を整備し薬師如来の尊像を安置したという。天正天皇(715~723在位)の勅願寺として、歴代天皇をはじめ一般民衆にいたるまで広く信仰を集めた。
 建武中興(1334)の時は、朝敵北条勢を討つため大塔宮護良親王の令旨を受けて、当寺衆徒のめざましい活躍があった。この地方の一大法城として南北朝時代には支院四十一ケ坊・末寺八ケ寺・末社六ケ社を持ち僧兵も養っていたが、世相の有為転変や戦火によって、現在は龍象院・成就院・遍照院・安養院・歓喜院の五ケ坊となっている。』

神戸市西区伊川谷町前開224
map


太山寺仁王門
室町中期のもので、国指定重要文化財(建造物)です。
他の場所にあったものを現在の場所に移築したと伝えられています。もとは三間一戸二層の門でしたが、上層部を撤去、軒回りも小さくして現在の形に なったのが、解体修理工事で明らかになっています。木鼻などから、移築されたのは室町時代後期と考えられ、創建年代は不詳ながら、組物などから鎌倉時代末 期まで遡るとされています。







太山寺本堂は、神戸市内で唯一の国宝の建造物です。平面は密教本堂式と呼ばれる形態で、入母屋造、銅板葺きの造りになっています。桁行7間、梁間6間の大堂で、技法は和 様を主としており、正面はすべて蔀戸を用いるなど、古い手法が守られています。ただ、唐様の木鼻をつけ、肘木の西側半分が唐様で、折衷形式を少し加えてい るのが特徴です。

太山寺三重塔
貞享5年(1688年)江戸中期のもので、兵庫県指定重要文化財(建造物)です。
棟札の記載によると、貞享5年4月に再建されたものですが、江戸中期のものとしては、中世以来の古い様式を保った塔です。特に初層の仏壇及び高欄は室町時代の形式に類似しますが、前身の塔の再利用か、貞享時に旧形式を模して新造したものかは、現状では判断できません。







中門

灯篭

手洗舎

太子堂



阿弥陀堂



羅漢堂

護摩堂

香炉



境内にて





























延命地蔵菩薩

息遊軒遺跡

境内の兵庫稲荷大明神

奥の院





途中に地蔵さまがあります。





稲荷舎



地蔵堂
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木津の六地蔵磨崖仏

2014-05-08 17:00:15 | 神戸市西区
2014年5月8日
神戸市指定記念物(史跡)になっています。

神戸電鉄木津駅から東(藍那側)に徒歩10分くらい、線路沿いにある「川池」の北側にあります。

説明文より「この道は、平清盛が神戸の福原に都を置いた頃(1168年)、都から鵯越を経て、三木方面や姫路方面への主要街道になっていました。1184年には源義経がこの道をとおって鵯越に出、一の谷で平家を討ったのは平家物語で有名になっています。この街道を行き交う人の旅の安全を祈って刻んだのがこの磨崖仏です。木津フレクシャーと呼ばれる断層の一部の礫岩壁に、縦32㎝、横2.2mのくぼみを彫り、中央に阿弥陀如来座像、左右に三体ずつの地蔵菩薩を浮き彫りにしています。「丁亥 石大工兵衛 文正2年(1467、室町期)」と刻銘が残っています。」

崖の上部にくぼみ

阿弥陀如来座像と地蔵菩薩

街道
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

顕宗仁賢神社と忍海部造の細目家屋敷跡

2014-05-08 15:56:30 | 神戸市西区
2014年5月8日
顕宗仁賢神社は、顕宗天皇と仁賢天皇を祭神とする神社です。
説明文より、「日本書紀」と「播磨風土記」によると、弘計(おけ)、億計(おけ)の兄弟王子の父(履中天皇の皇子)が、雄略天皇に殺され、2人の兄弟は押部谷の忍海部造の細目家に丹波の小子といつわって使用人となった。雄略天皇の次の清寧(せいねい)天皇には御子がなかったので、弟の弘計が即位して顕宗天皇(484年)、兄の億計が次の仁賢天皇(488年)になったという。この二人の天皇は実在がはっきりしていませんが、この二人の天皇をお祀りしているのがこの神社であるといわれています。

神戸電鉄木津駅下車200mのところです。
神戸市西区押部谷町木津569 
map



鳥居


参道

手水舎

本殿



狛犬



皇太子御成婚記念碑

市民の木、ヒノキ


二人は身分が明らかになるのを恐れ、啞のまねをして、火たき水くみ鉞りなど炎暑寒冷をいとわず働いた。この絵は二王子が細めに仕えて、牛を飼い穂を刈るさまを画いたものである。
本殿にかけられている絵



由来書


境内の杵ノ宮神社



境内の稲荷神社

手水舎

本殿裏にある大山祇神社、三木八社大明神、大歳神社、若宮八幡神社、愛宕神社、権現神社


農村歌舞伎舞台は、本殿の右にあります。昭和43年に倒壊し、建て直されたものですが、以前の建物(明治初めの建築)には、回り舞台、ぶどう棚、花道などがあり、当時の垂水区内に残っていた最も豪華な歌舞伎舞台でした。


忍海部造の細目家屋敷跡
神戸電鉄木幡駅から西へ300mのところです。同じ場所に若宮神社と稲荷神社があります。
map

若宮神社

稲荷神社

説明書


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太山寺の採燈大護摩

2014-05-08 15:19:55 | 神戸市西区
2014年5月8日、太山寺で採燈大護摩がありました。
採燈大護摩は世界平和と万民幸福を祈念して、11時より護摩の修法を行い、参詣客の願意満足の添護摩も行います。
太山寺は、天台宗の寺院で、山号は三身山です。元正天皇の勅願寺として、霊亀2年(716年)、藤原鎌足の孫、藤原宇合の発願・建立、開山は藤原鎌足の長男・定恵(じょうえ)と「播州太山寺縁起」に伝えますが、実際の創建は平安時代に降るとみられます。

南北朝期には支院四十一ヶ坊・末寺八ヶ寺・末社六ヶ社を有し隆盛を誇った太山寺も、現在は龍象院・成就院・遍照院・安養院・歓喜院の五ヶ坊のみとなっています。

創建時の建物は弘安8年(1285年)の火災で焼失、現存する建物はそれ以降の再建です。しかし最盛期の南北朝時代の繁栄をしのばせる大堂である国宝の本堂 を始め、国指定重要文化財は仁王門、阿弥陀如来坐像など18件、さらに安土桃山時代の枯山水名園、安養院庭園が国の名勝に指定されている名刹です。

採燈大護摩の準備をしています。



ホラ貝を吹きながら採燈大護摩の始まりです。


採燈大護摩のそれぞれの場面を動画にしています。
太山寺採燈大護摩・読経1

太山寺採燈大護摩・読経2

太山寺採燈大護摩・問答

太山寺採燈大護摩・法弓

太山寺採燈大護摩・法弓2

太山寺採燈大護摩・法剣

太山寺採燈大護摩・法斧

太山寺採燈大護摩・願文

太山寺採燈大護摩・点火


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする