旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

證誠神社

2014-05-31 22:30:15 | 神戸市須磨区
2014年5月30日、證誠神社(しょうせいじんじゃ)、通称権現さんにお参りしました。
妙法寺からテクテクと回りやっと辿り着きました。
由緒書より『永延元年(987)第66代一条天皇の御代・須磨の浦の真南にあたる紀伊熊野の大神を勧請し、妙法寺川沿岸の大手、板宿、東須磨、野田駒ヶ林の五ケ村の氏神として創祀された。寿永元年(1182)須磨の地に御遷都せられ徳川の代「須磨聖霊大権現」と称せられた。明治初年證誠神社と改め明治6年に村社、同14年7月に郷社(須磨区内唯一の神社)になり、大正5年神饌幣帛供進神社に指定せられ須磨区一円の守護神として、その神徳を崇敬せられ現在に至ります。』
現在境内に宝永五年聖霊大権現奉献と刻された石灯篭が安置されています。
神戸市須磨区権現町一丁目3番2号
板宿駅の南西へ徒歩5分くらいのところです。
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看板

鳥居

灯篭

神馬の跡

参道

手水舎

灯篭

拝殿



由緒書

末広稲荷

末社


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勝福寺と平知章

2014-05-31 22:14:46 | 神戸市須磨区
2014年5月30日、お参りしました。
説明書より「勝福寺(経ケ島協力寺)は、永延2年(988)、太政大臣藤原伊尹(ふじわらこれただ)の三男藤原英雄丸(えいゆうまる)が勅命により、証楽上人と名を改め、高取山麓に庵を建て、鹿松峠に出没していた鬼人を仏教の力で退散させた後に開基した寺と言われています。平清盛が経ケ島築造の際、この寺の衆徒達が大いに協力したので、重要文化財となつている金銅製の密教法具のほか築島供養式の際の幡などが寄進されています。また、平知章の甲冑も所蔵していると言われています。」
神戸市須磨区大手町9-1-1
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参道

説明書

山門

本堂



手水処

鐘楼







境内


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板宿八幡神社

2014-05-31 20:57:36 | 神戸市須磨区
2014年5月30日、板宿八幡神社にお参りしました。
永延元年(987年)1月、菅原道真と八幡大神を鎮守神として創紀しました。合祀された池ノ宮神社は神功皇后征韓の時、この神の誨により敏馬山の木を伐って船を造り、凱旋の時にご神体を納めたという古社です。大正13年(1924年)に神社の北側の得能山古墳から、竪穴式石室が発見されました。
神戸市須磨区板宿町3-15-26
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参道

まだ階段

更に階段、疲れた。

鳥居

由緒書

拝殿

懇請

末社

飛松天神社
大正期に枯死した「飛松」の切り株を奉斎。『摂津名所図会』に「菅神飛松 板宿村の山頭にあり。菅公筑紫へ趣きたまふ時、都よりここまで飛来しけるとぞ」とある。 



お参りする途中の高台から板宿の景色です。

少し東側
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禅昌寺

2014-05-31 20:34:02 | 神戸市須磨区
2014年5月30日
延文年間(1356年 - 1361年)月庵宗光の開山により創建された寺で、足利幕府は寺領36石を寄進し、織田信長・荒木村重より諸役免除の沙汰を受けた。天正8年(1580年)豊臣秀吉の三木城・別所長治攻めの兵火で焼失し、後に桃山御殿から豊国亭を移して方丈として再興しました。
神戸市須磨区禅昌寺町2-14
兵庫県道22号線禅昌寺前信号を東に入ったところです。
参道

山門は江戸時代の彫刻職人、左甚五郎作と伝えられています。





本堂

鐘楼

境内社

句碑









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萩の寺(黄檗宗明光禅寺)

2014-05-31 18:44:16 | 神戸市須磨区
2014年5月30日
北向八幡神社に並んであります。
説明書より「当寺は真月山明光禅寺と称し今を去る700年前の創建にかかる霊地にして住昔黄檗宗第二木庵禅師の高弟蘭州和尚此地に来り選仏場を開単せらるや、天下の雲納茲に集り大に宗風を挙揚せらる、其当時霊元天皇第二の皇女林丘寺第二世普光院宮殿下此の霊地を御愛当ありて久しく当山に御留錫あらせられ御修法せらる(御位牌乃木像本堂に奉安)、本堂には阿弥陀如来、大聖歓喜天、弘法大師等を祭祀し、境内には萩多く種類も叉多き故に「萩の寺」の名あり、参禅を以て仏心を究明し唯心の浄土己身の阿弥陀仏を体得し禅教一致の妙諦により転迷開悟、安心立命を期する教義である。」
神戸市須磨区妙法寺字岡775-3
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説明書

千人塚
参道入り口にありました。


本堂
禅宗の屋根のそりが少なく、境内での石の並びが不自然と思い、調べると古くは天台宗の明光寺から、後に黄檗宗に変わったということで納得しました。





福建省から藤原さんが寄贈

木萩
萩が咲くのは9月ころですが、種類によって違うとのことです。萩は何時咲きますか。萩に聞いてみないと判らない。
ということで、この木萩は5月30日にお参りしましたが、紫の小さい花が咲いています。

ホタルブクロ
名前の由来は子供がこの花でホタルを包んだから、提灯の古名「火垂る袋」が転じた名前、など諸説があります。日本に広く自生して古くから親しまれているだ けに地方ごとの呼び名も多く、トーローバナ、チョウチンバナ、チョウチン、フクロバナ、ツリガネソウなどの別名があります。
境内に咲いていました。

シマホタルブクロ
伊豆七島から関東地方の太平洋岸に分布します。花は白で大きさはやや小さく、茎や葉など全体に毛が生えないもしくは少ないです。この地域ではめずらしいかも。

境内での掲示板に
関帝廟(神戸市中央区中山手通7丁目)で普度会(神戸市地域無形民俗文化財)が前夜祭8月21日本祭22日~24日のポスター



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北向八幡神社と那須神社

2014-05-31 18:14:32 | 神戸市須磨区
2014年5月30日、北向八幡神社にお参りしました。那須与一の墓より道路を少し下った向い側に参道への登り階段があります。
説明書より「当社は通称北向さんといわれ、内陣に大国主命が祀られており、出雲に対しての敬意から北向に建立されたと言われています。一ノ谷合戦で源義経は、村人から御神威が高く飛ぶ鳥でさえ社殿の上空を飛べない社があると聞き、那須与一に武運長久を祈らせました。戦乱の後、与一はお礼参りに当社を訪れますが、中風のために当地で亡くなったと伝えられています。この神社の境内には土地の人々が与一を祀った那須神社もあります。」
神戸市須磨区妙法寺字宮ノ下

説明書

参道

北向八幡神社



那須神社
境内には1921年(大正10年)ごろに与市を祀る那須神社を勧請しました。

石造笠塔婆(通称「いぼ薬師」)
このお堂にお祀りの石仏は、六甲山系の淡紅花崗岩で南北朝初期の建武4年(1337)のものです。神戸の石造品では11番目に古く、
笠塔婆としては最も古い貴重なものです。塔身に彫られた仏像は、定印阿弥陀如来座像とおもわれます。



稲荷明神

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那須与一の墓

2014-05-31 17:52:02 | 神戸市須磨区
2014年5月30日
説明書より「那須与一は、源平合戦に際し、北向八幡神社を守護神として、源義経に従い数々の戦陣に加わったとされ、屋島で扇の合戦で的を射落とし賞讃を得た若武者。晩年に与一はこの地にお礼参りに訪れますが、病のためこの地で亡くなったと伝えられています。」
須磨区妙法寺町円満林24-8
兵庫県道22号線堂ノ下の少し南にあります。階段を登ったところです。

説明書




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妙法寺と平清盛

2014-05-31 16:45:46 | 神戸市須磨区
2014年5月30日、妙法寺にお参りしました。
説明書より、
『山号は如意山または毘沙門山、高野山真言宗に属し、寺の伝記によると、天平10年(738)聖武天皇の勅願によって建てられたとされています。のちに、平清盛が福原(現在の神戸市兵庫区平野周辺)に都を移したとき、都を守る霊場として「新鞍馬山」の勅願を賜ったと言われています。最盛期には七堂伽藍37坊を誇り、付近にみられる寺にちなんだ多くの字名が広大な寺域であったことを今も示しています。御本尊の「木像毘沙門天立像」は、平安時代末期に楠材で造られた充実感のある整った尊像で国の重要文化財に指定されています。また、市の指定有形文化財である「木像聖観音立像」は、平安時代の作で、霊木から仏さまが出現しつつある過程を表す「霊木化現仏」と考えられています。このほか、南北朝時代に造られた「銅製鍍金釣燈篭」をはじめ、平安時代の写経や南宋時代の版経など数多くの寺宝を有しています。毎年1月3日には追儀式が行われ、市の登録無形民俗文化財となっています。』
足利尊氏の軍が西国に敗退したとき、高師直(こうのもろなお)らの兵火によって全焼したが、復興して現在に至っています。



説明書

参道

説明書

手水舎

本堂





鐘楼

水子地蔵

境内にて









石造宝篋印塔
本堂の西裏手に東南に面して建つ宝篋印塔です。もとは近くの街道脇の丘の上にありましたが、最近道路拡張の際に現在の地に移されました。花崗岩製で、現在の高さは2.02メートル、基壇を含めると2.59メートルあります。台石の正面、両脇に応安3年(1370)の刻銘があります。この塔は、造立年次が明らかなうえに、各部が完存し、姿かたちもよく整っていて、貴重なものです。兵庫県指定文化財です。



寂静苑









五社神社
由緒より「五社神社は聖武天皇の738(天平十戊寅)三月僧行基が毘沙門山妙法寺開創の節鎮守として創祀されたことに始まり<
妙法寺と共に皇室の御尊崇を高く受け、俗に五社権現と称した。明治6年8月に村社となる。本殿は瓦葺流造三坪。古く、御祭神を神仏習合に依りて吉野蔵王権現・熊野権現・城山権現・十禅寺権現・祗園牛頭天王などと記せるものあり。現在は天之御中主神外四神を祀っている。」



市民の森


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弘法の井戸

2014-05-31 16:07:16 | 神戸市須磨区
2014年5月30日
弘法の井戸の伝説は各地に点在していますが、この井戸は、現在も妙法寺谷野にあり、土地の人々から大切にされています。
兵庫県道22号線乗越信号南の中田バス停Aから、南に路地を入りB点のところです。
神戸市須磨区妙法寺谷野

説明書より
妙法寺村の弘法井戸
『むかし、1100年ほど前のことです。夏の暑い一日でした。妙法寺村のとあるあぜ道をみすぼらしい姿をしたお坊さんが歩いていました。昼間のことですから、のどがかわいたお坊さんは野良仕事をしている村の人に「お水をいただけないかと。」と、たのみました。村人は家にある水かめから水をくんできてそのお坊さんにさしだしました。お坊さんはたいそうよろこばれました。しかし、この妙法寺村には湧水の出るようなところがなく、飲み水には困っていました。そのうえ昔からの税や役(えき)に苦しめられていました。その話を村の人から聞かされたお坊さんは、たいへん心をいためられました。そして、一つ、二つうなづくと、手にしていたつえをトントンと大地につかれました。するとどうでしょう。今まで土でおおわれていたその場所から、きれいな水がコンコンとわき出てきたのです。お坊さんはニッコリと笑うと、ひとりうなづいて村から姿を消してしまいました。村の人たちはこの湧水にたいへん喜びました。今まで、水のことで悩んでいたのにこれですせいふせんと助けられることになるのです。しかし、そのお坊さんがだれなのかはわかりませんでしたが、いつの間にか、それが「弘法大師」であると伝えられるようになりました。』


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車大歳神社と翁舞神事

2014-05-31 14:01:48 | 神戸市須磨区
2014年5月30日、車大歳神社にお参りしました。
「武庫郡誌」には大化2年(646年)の創建と記載されており、孝徳天皇が創建したと伝えられています。もとは三木街道の南の地に鎮座していました。社殿が非常に壮大であったので「大堂」と呼ばれていたのがなまって、今の「車大道」になったといわれています。
説明書より、
翁舞神事は、毎年1月14日午後7時に行われます。
この翁舞は、「天下泰平」、「国土安穏」、「五穀豊穣」などを祈願するための行事です。地元ではこの翁舞のことを単に「お面」と呼ぶことがあります。この行事の起源に関わる資料や伝承は残っていませんが、江戸時代の終わりころの文久2年(1862)の台本が残されていることから、少なくとも江戸時代の末にはすでに行われていたことがわかります。長い歴史の間には、戦争などで一時中断された時期もありますが、そのたびに復活し、現在は翁舞保存会の手によって保存・継承されています。
 この翁舞の特色は、次のとおりです。
 一、現在の一般的な翁舞は「露払(つゆはら)い」・「翁」・「三番叟(さんばんそう)」の三部で構成されていますが、車大歳神社では三番叟のあとに「父尉(ちちのじょう)」の部分が付加された四部構成となっていおり、「父尉」を省略していない古態ををとどめた形態を伝えています。
 一、文久2年の台本には「父尉」の前に「延命冠者(えんめいかじゃ)」の詞章が入っており、江戸時代の終わりには五部で構成されていたことがわかります。
 一、「翁」・「三番叟」・「父尉」の三面は御神体としてこの神社の本殿に祀られています。
 これらの特色から、車大歳神社で行われる翁舞は、古態を守ったもので芸能の変遷を示す重要なものであるとして、平成十二年に国の重要無形民俗文化財に指定されています。
神戸市須磨区車字松ヶ原551
慶雲寺から南東へ徒歩5分ほどに鎮座しています。
翁舞の説明書





鳥居

手水舎

拝殿



本殿



末社


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