旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

有馬温泉街、泉源などいろいろ

2014-05-19 10:23:31 | 神戸市北区
2014年5月16日
有馬温泉街はこじんまりしていて、泉源が近くで見れますし、宿泊前日も見て回って、チェックアウトした後に荷物をフロントに預けてゆっくり回って見ました。
ガイドマップ

ねね橋、始点の★印のところです。

ねね像と有馬の説明書





有馬川、河川敷

湯けむり広場と豊太閤像
太閤橋の西側の交差点のところにあります。



太閤橋

仏座巌
太閤橋を渡ったところにあります。形が仏座に似た巨石であり寛文の時代(1660年代)に洛(京都)の東南・霞谷の竹葉庵の日蓮宗の高僧・元政上人が命名したとされる。



古泉閣泉

金の湯
太閤通から湯本坂にいく途中、すぐにあります。







有馬玩具博物館、金の湯の向い側です。

天神泉源
湯本坂に行く手前、赤い郵便ポストを左に曲がって少し行くと右手にあります。金泉が湧き出る有馬温泉を代表する泉源です。かなり湯けむりを立てていました。





有明泉源
天神泉源を少し戻り、左の階段を登り左の小道を進むと旅篭ホテルの先にあります。



御所泉源
金の湯から湯本坂へ向かって左に足湯があります。そこを右の小道を少し行くとあります。





妬(うわなり)泉源
湯本坂を登って右の小道を入ったところにあります。



銀の湯
極楽寺の南側にあります。

一願不動地蔵
温泉寺の少し北側の小道にあります。岩を彫って像を浮き彫りしています。お賽銭をいれると音楽とお経が流れます。



有馬の歴史の説明書、店に貼っていました。



瑞宝寺公園
ガイドマップの右上のところにあります。
説明書
「瑞宝寺公園は明治6年(1873)に廃寺になった瑞宝寺跡が昭和26年に神戸市の公園になったものである。瑞宝寺は慶長9年(1604)に当地の大黒屋宗雪が開いた瑞宝庵にその緒を発している。」









大弐三位の歌碑
「ありま山 ゐなの笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする」



石の碁盤
「晩秋 紅葉を賞でている間に思わず終日を過ごしてしまったという「日暮らしの庭」に今なお残るこの石の碁盤は、その昔豊太閤がこれを囲んで心ゆくまで1日の清遊を楽しんだといわれている。」



公園からの景色

地獄谷
ガイドマップの上部中央の少し右
地獄谷の説明書
射場山と愛宕山の間の谷を地獄谷と呼んでいます。ここは数十万年前のときにできた射場山断層で、そこからたくさんの炭酸ガスが噴き出て虫や小鳥などが死んだところに、この名の由来があります。

鳥地獄碑

虫地獄碑

炭酸地獄碑

鍋屋多右衛門彰徳碑、極楽寺と温泉寺の間の小道にあります。

豊太閤の塔、並んでありました。

有馬のマンホール、ありまの文字が入っています。

芸妓変身、三味線体験処
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

有馬温泉街の神社

2014-05-19 10:22:59 | 神戸市北区
2014年5月16日
神社、お寺というものは歴史を感じますね。それぞれのところで謂れやさまざまなかかわりでなりたっていると、そして、地元の方達に支えられて成り立っているとつくづく思います。
ガイドマップ

妬の社
湯本坂を登った右手にあります。
妬湯(うわなりのゆ)、説明書「この湯は間欠泉で、湯の量は少なく、最近では昭和30年代に湧出し、現在は湧出していません。この温泉の由来は定かではありませんが、江戸時代の本(摂津名所図絵、有馬手引書、和漢三才図絵)には女子が盛装してこの温泉の前に立つと激しく湧いて止まらないとか、自分の憎い心や悪口を言ってののしればたちまち湧くと記されています。またこの温泉はきりきずの治療に効果があるとも言われています。」



あなむちの神地
湯本坂を登って林渓寺を少し行った右手にあります。
この地は温泉寺の御旅所にして清水湧き出し大己貴神の神地です。一般には水神さん、お旅所として親しまれています。
鳥居

手水舎、猫が留守番していました。

境内の稲荷

水天宮社



雪国神社
水天宮を進むと杖捨坂のの交差点にあります。
由来書より、「有馬稲荷神社神官十五代児玉繁大夫(平信正)が明治40年神無月25日、稲荷大明神の大神さまよりそのお告げを賜り、雪国稲荷大明神と銘記しました。ここ有馬町上之町はカミのチョウの名の如く神之町、当地の中ほどにある水天宮(大己貴神)の神地であります。この町の入口が門の切(モンノキリ)であり、その守護神として雪国稲荷大明神が鎮座し、その献族さまとして時国大明神と石名大明神をお祀りしています。」
鳥居

由来書



地蔵さん、杖捨橋の手前に鎮座

有馬稲荷神社
ガイドマップの中央の上あたりです。
由緒書より、「畏くも当神社は日本第一の神霊泉、有馬温泉功地山(射場山)の中っ処に鎮座します。この有馬いなりはその源わ有馬行宮として約1400年前6世紀に古代国家の創始と共に蘇我氏が藻の物部氏を滅ぼし蘇我馬子は崇峻天皇を媒殺する後、聖徳太子が摂政をとり崇峻天皇の霊を慰めるため有馬行宮で鎮魂祭を執り行われ後舒明天皇が行幸せられ、造営されている。」
道路入口での鳥居





参道



鳥居

本堂





境内の社

有馬いなりの説明書



手水舎

稲荷神社
ガイドマップの上中央より少し右手あたりにあります。かんぽの宿有馬の向い側です。



温泉神社
ガイドマップの中央の右手上の愛宕山の下あたりにあります。
草創期の祭神は、有馬温泉を発見したと伝えられる大己貴命 (大黒さま) と少彦名命 (医薬の神) でした。鎌倉時代に入って、熊野信仰の影響を受け、熊野久須美命も併せて三柱の神を祀るようになり、以後、有馬温泉鎮護三神と呼ばれています。
歴史は古く、日本書記 (720年)に舒明天皇・孝徳天皇などの参拝が記されており、また、「延喜式神名帳」(927年) にも有馬郡の大社として数えられています。その後、皇室や武将などから敬われ、有馬の温泉や町を守る神社として栄えてきました。元来は、山麓にある温泉寺 の境内にありましたが、100年ほど前に現在地に移されました。なお、この神社にある熊野曼荼羅図は、国の重要文化財に指定されています。

鳥居



手水舎

本殿



由緒書

忠魂碑

狛犬



燈籠

境内にて









妙見堂

増富神社
太閤橋を渡った左手にあります。





頌徳碑

天神社
太閤通から湯本坂の途中の赤い郵便ポストを左に曲がって小道をいくと右手にあります。
「金の湯」(旧温泉会館)の北東に隣り合って天神社 (天神泉源)があります。979年に京都の北野天神を分けて祀られたと伝えられ、以来、温泉の泉源を守る神様として崇められてきました。しかし、江戸時代 に二度の大火に遭い、社殿や宝物がすべて焼けてしまいました。石の鳥居や表額は1748年に作られたものですが、これを寄進したのは、芭蕉や其角の弟子として有名で、淡々風の俳句を流行させた半時庵淡々という俳人です。

お牛様







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

有馬温泉街の寺院

2014-05-19 10:14:57 | 神戸市北区
2014年5月16日
ガイドマップ

善福寺
★の始点から太閤通りすぐ右手にあります。短い坂の参道です。
由緒書によると、「僧行基が有馬温泉の温泉寺を開いた時、「落葉山水月庵」として開創した法相宗の寺であった。後に建久2年(1191)吉野の僧仁西が有馬温泉を再興した時、温泉寺とともに水月庵も再興された。本尊は一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)である。印度の長者が鋳造した仏像で、伝来して新羅王より聖徳太子に贈られた。後に多田源氏の祖源満仲が念持仏として祀らせ多田院に安置したものを、正慶2年(1333)善福寺に施入した(善福寺縁起)。寺号を善福寺としたのはこの頃と思われる。宝徳4年(1452)相国寺の僧瑞渓周鳳の「温泉行記」には、善福寺と記す。秀吉は有馬温泉を好み、温泉寺の三院の一つ蘭若院阿弥陀堂や、その本寺であった善福寺へは、秀吉や北政所による所領安堵、寄進があり、善福寺住僧は湯山代官の一人であり、一の湯の燈明寺として温泉寺や温泉の管理寺であった。曹洞宗に改めたのは、太清宗潅(秀吉の寵臣薄田隼人の伯父)の本願により、海翁波和尚が永平寺の末寺、宇治興聖寺五世万安英種を勧請した17世紀初頭である。」
神戸市北区有馬町1645

説明書

由緒書

利休居士供養塔

本堂
現在の本堂は宝暦7年(1757)上棟で神戸市の歴史的建造物の指定です。



林渓寺
湯本坂を登って左に曲がる角のところにあります。
慶長6年(1601)池の坊法順の開基、真宗大谷派に属し、湯山御坊と称せられていました。境内には未開紅(みかいこう)と名付けられた樹齢200年以上の紅梅があり、この実を食べると子宝に恵まれると言われています。
山門

本堂





慈母観音菩薩

説明書

温泉寺
ガイドマップの中央です。
奈良時代の初め、行基上人が有馬温泉を開かれた折に、薬師如来の像を刻み、堂を建てられて、724年に温泉寺を建立されたと言われています。 その後、鎌倉時代の初めに有馬温泉を再興された仁西上人を中興の祖と仰いでいる古刹です。元来は、真言宗の寺でしたが、後に黄檗宗となりました。1576 年に火災に遭いましたが、秀吉の正室、北政所によって再建されました。その後、再び火災に遭い、1782年に現在の薬師堂が建てられました。明治初めの廃 仏毀釈によって、温泉寺は廃寺となり、薬師堂だけが残されました。現在は、奥の院の清涼院を移し、合わせて祀られています。地元では、「薬師さん」と親し みを込めて呼んでいます。
参道













火灯窓











鬼瓦

池坊満月城遭難者慰霊塔

鐘楼





念仏寺
ガイドマップの中央です。
岌誉上人の開基で1532年に創建されました。当初は谷之町にありましたが、約400年前に現在地に移っており、太 閤秀吉・北政所の別邸跡と言われる見晴らしの良い、有馬でも一等地の高台にあります。徳川家康の檀那寺である大樹寺が浄土宗であったので、同じ宗派の念仏 寺に特別な配慮があったものと言われています。現存の本堂は1712年の建立で、有馬温泉では最古の建造物です。この寺の石垣も有馬一古いと言われてお り、見事な石材が使われています。















極楽寺
ガイドマップの中央です。
593年に聖徳太子によって創建された浄土宗の寺です。1773年、大火で焼失しましたが、9年後に再建されたの が現在の建物です。古い歴史のある寺で、かつては念仏の大道場として栄えたと言われています。寺宝の厨子は、徳川五代将軍綱吉の母である桂昌院の寄進とさ れており、火除観世音菩薩や法然上人ゆかりの橋杭地蔵尊なども宝物とされています。
 1995年の阪神淡路大震災で損壊した庫裏(くり:寺の調理場)の修理中に、安土桃山時代の遺跡が発掘され、秀吉が造らせたと伝えられていた「湯山御殿」 の浴室や庭園の跡であると確認されました。湯殿の存在は昔から言い伝えられていたようですが、古文書や絵図面などの文献資料はありませんでした。庫裏の下 から400年の時を経て、数々の遺構や出土品が出てきたため、言い伝えが正しかったことが判明し、1997年に神戸市指定文化財の史跡に指定されました。
 さらに、1999年、これらの遺跡と出土した瓦や茶器などを保存・公開するとともに、 秀吉が愛した有馬温泉の歴史と文化を紹介するため、この御殿跡に「太閤の湯殿館」がオープンしました。館内には、蒸し風呂と岩風呂の遺構を展示してある 他、焼き物や瓦などの出土品、復元した龍の飾り瓦、さらには秀吉と有馬温泉の深い関わりを示す資料などが展示されています。内装には、安土桃山時代の「ふ すま絵」や「飾り欄間(らんま)」のレプリカが取り入れられ、太閤秀吉の “夢の跡” を現代に再現しています。
説明書











宝泉寺
始点のねね橋から、その上流に杖捨橋があります。その橋の直ぐ傍に宝泉寺という浄土真宗本願寺派の寺があり、落ち着いた佇まいを見せています。本尊は、もともと川辺郡小浜村本照寺にあった阿弥陀如来像で、親鸞上人や蓮如上人も祀られています。
説明書





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする