旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

寂照寺・金峰神社

2020-11-25 23:07:34 | 滋賀
2020年11月24日、お参りしました。
寂照寺
滋賀県蒲生郡日野町大字蔵王567
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宝篋印塔(重要文化財)
「鎌倉後期(1275-1332)作、この宝篋印塔は寂照寺の境内にあるが、由緒は明らかではなく無銘であるので造立年代も分からない。花崗岩製で、台石には四面に彫の浅い格狭間を刻み、格狭間内には蓮花を浮彫している。軸石には光背型の内に四方仏を彫刻し、笠石は耳石が大きく、軒付と一体になっている。相輪は後補で、台石から笠石までの高さは一・二五メートルである。このように耳石が軒付と一体になっているのは一般に古い形式であり、この塔もその形式を伝えるものとして貴重である。」











金峰神社
「明治以前は蔵王権現と称し、社伝によると1308年(延慶元年)綿向山西明寺等一山の山伏が大和吉野より勧請したと伝えられる。1503年(文亀3年)赤沢朝経の音羽城攻めの兵火により焼失したが、1510年(永正7年)4月甲賀の佛工藤原長春に神像を彫らせて社殿に奉安した後、1663年(寛文3年)、1862年(文久2年)、社殿を再興す。明治29年山崩れの為、埋没したが、直ちに復旧現在に到る。明治9年村社に列す。」
社標

鳥居



手水舎

狛犬



拝殿

本殿
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加茂神社

2020-11-25 22:48:28 | 滋賀
2020年11月24日、お参りしました。
説明書より「室町時代(大永年間)に飯塚安斎入道が山城国よりこの地に移り村を開き神社を創立したと伝えられる。祭神には天津彦火瓊々杵命を祀る。」
滋賀県甲賀市土山町青土964
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狛犬



本殿(重要文化財)
「1526年(大永6年)建立、『奉上棟大永六丙成天三月廿日頓宮牧之内青土村賀茂大明神大工藤原朝臣清定』の棟札が附指定になっている。標準規模の一間社流造本殿で正面向拝の蟇股は時代の特徴をよく示す。建物は覆屋のなかにあって、保存状態が良い。特に破損しやすい軒・縁廻りに当初の技法がそのまま残っているのは貴重である。」




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八坂神社

2020-11-25 22:25:20 | 滋賀
2020年11月24日、お参りしました。
説明書より「社伝によると、郷土開拓の祖神である川枯神を勧請し、794年(天平21年)左大臣橘諸兄公が隣接する千光寺の伽藍を造営する際、仏法擁護のために社殿を造営したと伝わる。明治以前は儀俄大宮と称されていた。」
滋賀県甲賀市水口町嶬峨1606
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手水舎



下馬橋・反橋(甲賀市指定文化財)
「1699年(元禄12年)雨乞い祈願成就のお礼として氏子から奉納されたもの。」



神楽殿



狛犬



拝殿

中門

本殿(重要文化財)
「儀俄大宮千光寺雑録に1587年(天正15年)再営の記があり、様式手法からもこの頃に建立されたと考えられる。昭和34年の修理の際に、外陣床・正面建具および縁廻りが修復整備された。母屋は幣軸板扉構で内外陣に区画し、正面に格子戸を建てる。側面の腰長押が正面柱を廻って内陣正面と連結する形式は、竜王町の重要文化財苗村神社東本殿と同様である。母屋四隅と向拝の柱上組物は連三斗、背面中央の柱上は舟肘木とする。向拝、母屋正面の透彫の蟇股と母屋柱上実肘木は植物の彫刻で装飾する。妻飾りは豕扠首組で、大斗、花肘木を置きその上の斗が棟木下の実肘木を受ける。一間社流造本殿としては大規模で、木割も太く大宮と称するにふさわしい優れた建物である。」









末社・川枯神社

天神社


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大鳥神社

2020-11-25 21:45:55 | 滋賀
2020年11月24日、お参りしました。
由緒書より「社伝によれば、882年(陽成天皇元慶6年)平安初期に伊賀国阿拝郡河合郷篠山獄より大字大原中に勧請され、その後この地に移し祀られ、その当時は比叡山延暦寺の別坊が36院在ったといわれ大原山河合寺と称され祭礼は坂本の日吉神社に準じられていたと伝えられているが大原祗園は、神輿渡御に用いる祭具千枚張に記されているとおり1415年(応永22年)に始まったといわれている。
 又、織豊時代に入っては社号を河合祗園社とも大原谷の祗園社とも称し牛頭大明神河合社牛頭天王といわれ現在でも氏子の人々から(てんのうさん)とも呼ばれ親しまれている。
 後陽成天皇1595年(文禄4年)当社の花奪神事に豊臣秀吉よりお墨付きをいただいたと伝えられている。1689年(元禄2年)第五代将軍綱吉の生母桂昌院より永世山年貢五石八斗を当社の修繕料として寄付された。明治元年令達により旧大原荘の大の字と鳥居野の鳥の字を合わせて大鳥神社と改称、明治9年10月村社になり明治18年2月に郷社に昇格、明治41年4月に神饌幣帛料供進社に指定された。
 後柏原天皇1521年(大永元年)2月拝殿が改築され、また境内に架かる石造太鼓橋は1744年(延享元年)の架設で石工は京都の杉本文右衛門の作である。また旧大原村九地区に祀られていた神々は大正元年に境内社に合祀され、大正5年4月に本殿を残し拝殿の一部と楼門、回廊、神楽殿、社務所、河合寺等を焼失、大正9年に氏子総意の力によって復興し大原の産土神として崇敬信仰され現在に至っている。」
滋賀県甲賀市甲賀町鳥居野783
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参道

石碑

大原ぎおん(滋賀県指定無形文化財)

鳥居

石造反橋[太鼓橋](甲賀市指定文化財)



参道

手水舎







社務所(登録有形文化財)
「1919年(大正8年)建立、木造平屋建、瓦葺、建築面積177㎡。社殿の南西に東面して建つ。入母屋造,桟瓦葺で,正面中央に向唐破風造の式台を付ける。内部は2列6室に分け,南端に土間を設ける。内法・天井長押を廻し,主座敷には床・棚・付書院を備え,端正な彫刻欄間を入れるなど,簡明洗練された意匠にまとめている。」

参集殿

楼門(登録有形文化財)
「1919年(大正8年)建立、木造楼門、檜皮葺、建築面積27㎡、左右透塀延長77m付。左右折れ廻りに透塀を廻し境内を区切る。腰組は三手先,上層は出三斗とし,中備は蟇股,間斗束,妻は二重虹梁蟇股である。柱の隅延び,垂木・桁の反増し等中世の技法を忠実に踏襲した優美な意匠となる。設計は京都府技師亀岡末吉。」





拝殿(登録有形文化財)
「1919年(大正8年)建立、木造平屋建、檜皮葺、建築面積35㎡。祝詞殿前方に独立して建つ。方3間,入母屋造,妻入で,4周に刎高欄付木口縁を巡らす。柱間は吹放しで,正背面中央間の内法を一段高くし,内部は二重折上小組格天井とする。細い木割と深い軒の出による優美な外観は社殿の中心にあって最も目立つ存在である。」



祝詞殿・中門(登録有形文化財)
「1919年(大正8年)建立、木造、檜皮葺、建築面積12㎡、左右透塀延長66m付。鎌倉時代以来佐々木氏の尊崇を得た神社。貞享2年建立の本殿が残るが,他は大正4年火災後の再建になる。祝詞殿は本殿前に建つ桁行2間,梁間1間,前後唐破風造の建物で,左右矩折れに透塀を付属する。巧みな構成と優美な意匠で社殿中核の景観を整えている。」



神饌所(登録有形文化財)
「1919年(大正8年)建立、木造平屋建、銅板葺、建築面積28㎡。拝殿西方,神楽殿に相対する位置に建つ。入母屋造,平入,北端1間通りを踏込土間とし出入口を開き,これより南の床上部の西・南面開口部の外に刎高欄付木口縁を矩折れに廻す。小規模ながら軸部は面取角柱,舟肘木で,開口部は半蔀を吊る本格的な造りである。」

神楽殿(登録有形文化財)
「1919年(大正8年)建立、木造平屋建、銅板葺、建築面積15㎡。拝殿東方に建つ。方1間,入母屋造,妻入で,正側面3方に刎高欄付木口縁を巡らす。面取角柱上に舟肘木を置く簡素な施設だが,建具は3方舞良戸建て,内部背面は鏡板張りで老松を描き,神楽殿の構えを完備する。小規模ながら社殿構成上欠かせない建物である。

神輿蔵(登録有形文化財)
「1919年(大正8年)建立、土蔵造平屋建、瓦葺、建築面積40㎡。神饌所の北に建つ。土蔵造,寄棟造,本瓦葺で,正面に桟瓦葺の庇を付け,2箇所の戸口を開く。内部は壁・床とも板張りで竿縁天井を張り,御輿,祭器を収める。丁寧な仕事になる堅牢な造りであるとともに,出の大きな軒蛇腹,換気用の丸い小窓など特徴を持つ。」

狛犬



本殿(甲賀市指定文化財)

末社


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グリーンホテル(湯の山温泉)

2020-11-25 20:13:41 | 温泉、旅館、ホテル
2020年11月23日、利用しました。
プラン名は【1泊2食・デラックスプラン】で和室10畳+6畳、夕食は季節の会席と【伊勢海老お造り付】 、朝食は【和定食】です。温泉は3つの源泉で2号泉は泉温39.4℃、pH8.5、3号泉は泉温45.2℃、pH8.6、4号泉は泉温30.7℃、pH8.4といずれも低張性アルカリ性温泉、湯船を源泉で分けており、高温、ぬる目、庭園露天風呂、東屋の露天風呂と温泉が楽しめます。日帰り入浴もありますので、ホテル到着後は少し混雑していました。
三重郡菰野町千草7054-173
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外観

フロント

喫茶

売店

ロビー





廊下

室内











おもてなし

窓からの景色



夕食、個室の食事会場でした。

向付、伊勢海老・鯛・鮪・妻一式

椀物、炙りふぐ・おぼろ昆布・澄まし仕立て

焼物、ひおうぎ貝(紀伊長島産)田楽みそ焼・占地・もみじ麩・はじかみ

煮物、むかご飯蒸し(押し麦合わせ)・蟹餡

揚物、地魚(紀伊長島産)あられ揚げ

台物、黒毛和牛肩ロース・松茸すき焼き鍋・しらたき・水菜・玉子





酢物、サーモン昆布〆・山葵ジュレ

飯物、御飯・赤だし・香の物

水物、紅茶シフォン・キゥイ・ホイップ

朝食です。
地元産飲むヨーグルト・焼海苔

豆腐

三重県産ちりめん山椒煮・蒲鉾・茄子油煮

鮭塩焼・出し巻玉子

鋤鍋

味噌汁

漬物
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油日神社

2020-11-25 18:47:49 | 滋賀
2020年11月23日、お参りしました。
説明書より「油日(あぶらひ)神社は南鈴鹿の霊峰油日岳の麓に鎮座する古社で、古くは油日岳を神体山とし、社伝では頂上に大明神が降臨して、油の火のような光明を発したことから油日の名が付けられたとされ、山頂には岳大明神が祀られています。
 油日大明神を主神とし、岡象女命、猿田彦命を祀り、『日本三大実録』によれば、平安時代の877年(元慶元年)の条に『油日神」が神階を授かったことがみえます。
 室町時代に作成された「油日大明神縁起』には、聖徳太子によって勧請された由来が説かれ、『聖徳太子絵伝』をはじめ、太子の本地である如意輪観音の懸仏や『聖徳太子絵伝』が所蔵されており、忠誠には甲賀武士たちが聖徳太子を軍神として崇めるとともに、『甲賀の総社』として信仰されていました。1495年(明応4年)に建てられた本殿は、近隣の多くの武士たちが力を合わせて寄進したもので、戦国時代には、油日神社が甲賀衆たちの拠り所となっていたことが分かります。
 こうした甲賀武士たちの崇敬は現在の祭礼行事にもあらわれています。例えば、5年に一度執り行われる油日祭りの奴振では、上野の頭殿(殿さま)が奴を伴って油日神社に社参しますが、これもかつての甲賀武士たちの姿を伝えるものです。
 また、国の史跡である境内には、南北に本殿・拝殿・楼門が建て並び、楼門の左右からは境内を囲むように廻廊が延びています。いずれも国の重要文化財の指定を受けた建造物です。中世の神社景観を今に伝える期中な文化財となっています。」
滋賀県甲賀市甲賀町油日1042
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社標

鳥居

参道

手水舎





社務所



神馬

楼門(重要文化財)
「室町後期の1566年(永禄9年)建立、三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺。」





左廻廊(重要文化財)
「室町後期の1566年(永禄9年)建立、桁行九間、梁間一間、一重、切妻造、檜皮葺

小川が流れています。

右廻廊(重要文化財)
「室町後期の1566年(永禄9年)建立、桁行十間、梁間一間、一重、切妻造、檜皮葺。」



鐘楼と梵鐘(甲賀市指定有形文化財)

拝殿(重要文化財)
「桃山時代の慶長頃(1596-1614頃)の建立で、桁行三間、梁間三間、入母屋造、妻入り、正面及び背面軒唐破風付、檜皮葺。」







本殿(重要文化財)
「この本殿は、1493年(明応2年)に建立されたもので、正面三間、奥行二間の内陣(身舎)の前面に葺き降ろしの一間通り(庇)を取り込み外陣とし、さらに正面中央間に向拝(孫庇)を付ける。周囲三方には刎高欄付き切目縁を廻し、後端に脇障子を付け、正面に浜床と会談を設ける。内陣は奥行二間を前後二室に区切る。丸柱を立て、正面と東側前面寄りの間は板扉で、それら以外は板壁とする。床は内陣後室が最も高く、天井は格縁天井である。外陣は大面取り角柱、菱格子と引き違いの開放的な意匠で、床は低く、天井は化粧屋根裏とする。組物は平三斗で、外陣と向拝の桁行両端を連三斗とし、向拝には手狭を付け、中備えは外陣正面と向拝に蟇股を入れる。脇障子には舞楽を舞う珍しい薄肉彫刻を入れる。この本殿は外陣を前室とする三間流造で、動植物の透かし彫りの蟇股などの意匠に室町時代後期の特徴がよく表れている。また、建立と後世修理の棟札十数枚が附指定され、その経緯を知ることができることも貴重である。」



コウヤマキ(甲賀市指定天然記念物)
「周囲6.5m、樹高35m、樹齢推定約750年」



末社



石碑



観光トイレ

甲賀歴史民族資料館
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新宮神社

2020-11-25 17:32:26 | 滋賀
2020年11月23日、お参りしました。
説明書より「新宮9ケ村の村社で、新宮神社は一の宮に紀伊熊野神、二の宮に常陸鹿島神、そして三の宮に勝手大明神を祀っており、甲南町森尻の矢川社、水口町三大寺の日吉社とともに『杣三社大明神』と呼ばれ中世から崇敬を集めていました。1571年(元亀2年)、矢川神社と新宮神社が飯道寺と相論に及んだ際、甲賀郡中惣から選出された奉行衆により仲裁されたことが『山中文書』にみえ、こうした郷鎮守社が中世の甲賀衆の結束を固める場ともなったことが分かります。」
滋賀県甲賀市甲南町新治159
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表門(重要文化財)
「馬場に建ち、入母屋造、茅葺の三間一戸の楼門で、上階部分を欠失しています。1485年(文明17年)の建造で、桁行三間、梁間二間で柱はすべて円柱とし、透彫りの蟇股や和様三手先の組物、間斗束などの技法や意匠などに室町時代の特徴をうかがい知ることができます。」



拝殿



狛犬



本殿が2つ並んでいます。









末社




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善水寺

2020-11-25 16:54:34 | 滋賀
2020年11月23日、お参りしました。拝観料600円です。
パンフレットより「奈良時代和銅年間(708~715)元明天皇勅命により鎮護国家の道場として草創され、和銅寺と号した。延暦年間傳教大師最澄上人、比叡山を開創され、堂舎建立の用材を甲賀の地に求められた。材木を切り出し横田川(野洲川)河岸に筏を組み、いざ流し下す段になったが日照り続きの為、河水少なく思うように材を流すことができなかった。
 大師、請雨祈祷の為、浄地を探されたところ、岩根山中腹より一筋の光が目に射し込み、その光りに誘われるまま当地に登られた。山中に堂、その東に百伝池あり、池中より一寸八分、闇浮檀金の薬師仏を勧請され、その薬師仏を本尊として請雨の祈祷を修すること七日間、満願の日に当たって大雨一昼夜降り続き、流の勢いのまま、材は川を下り琵琶湖の対岸比叡の麓に着岸したと云う。
 後に、京の都で桓武天皇御病の際、大師、霊仏出現の池水を以って薬師仏の宝前にて病気平癒の祈祷を修すること七間、満行になってこの霊水に依って『善水寺』の寺号を賜ったという。」
滋賀県湖南市岩根3518
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案内図

駐車場に車を止めて、参道の階段を登ります。



観音堂
「1696年(元禄9年)、東尾観音堂を中尾岩蔵院旧跡に移し丈六観音像を修理安置す。」

紅葉が素敵ですね。





本堂の近くまで自動車が進めて駐車場があった。7分ほど坂道を登った。
鐘楼

元三大師堂
「江戸時代の1713年(正徳3年)再建」

百伝池
「善水寺本堂の東にあり、岩根の池と云う。」





宝篋印塔



五輪塔

六所権現

行者堂
「明治9年飯道寺岩本院行者堂」

善水元水



本堂(国宝)
「室町前期(1333-1392)建立、桁行七間、梁間五間、一重、入母屋造、檜皮葺。天台密教仏殿、前二間通りが礼堂(外陣)、中二間通りが正堂(内陣)、後一間が後戸、後戸には五間の張り出しが付く。礼堂の周囲は、内開き蔀戸。正面に向拝を持たないため美しい屋根の曲線が覗える。礼堂内部は、中央の二本の柱を省略しているが、通常は虹梁を架け渡している。さらに通常の梁の位置には華麗な彫刻の施された拳鼻が設けられている。」












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吉御子神社(よしみこじんじゃ)

2020-11-25 15:18:32 | 滋賀
2020年11月23日、お参りしました。
由緒書より「社伝によれば紀元前30年(崇神天皇68年)石部山に御神降があり、吉彦命と吉姫女神を黒の御前に神籠(ひもろぎ)を建てて祀り、谷黒乃御前大明神と称していました。812年(弘仁3年)現鎮座地に移し、935年(承平5年)吉彦命と吉姫女神を末社より本社に遷座し吉御子神社と称した。」
滋賀県湖南市石部西1-15-1
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鳥居

神橋

手水舎

社務所

狛犬







拝殿







幣殿

本殿(重要文化財)
「現社殿は京都上賀茂神社の旧社殿を1865年(慶応元年)に移築したものです。」

神輿舎


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春日神社

2020-11-25 14:55:11 | 滋賀
2020年11月23日、お参りしました。
説明書より「創建は不詳ですが大野神社の兼務社、大野神社の御旅所で金勝寺の護法神であると伝え、祭神は経津主神、武甕槌命、天児屋根命、姫大神を祀る。」
滋賀県栗東市荒張669
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社務所

鳥居

表門(重要文化財)
「この門は小屋内部墨書の年号によって1612年(慶長18年)に建てられたことが知られる。円形本柱の前後に四本の控柱が建つことから、門の形式を四脚門と呼ぶ。屋根は切妻造の檜皮葺、一間一戸、両側面には築地塀の取り付いたあとが残り、桃山文化を継承する江戸時代初期の神門建築として大変貴重なもの。」



拝殿
「木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行3間、張間2間。」

本殿
「1771年(明和8年)に再建されたもので、一間社流造、桧皮葺。」



末社
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