2020年11月24日、お参りしました。
寂照寺
滋賀県蒲生郡日野町大字蔵王567
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宝篋印塔(重要文化財)
「鎌倉後期(1275-1332)作、この宝篋印塔は寂照寺の境内にあるが、由緒は明らかではなく無銘であるので造立年代も分からない。花崗岩製で、台石には四面に彫の浅い格狭間を刻み、格狭間内には蓮花を浮彫している。軸石には光背型の内に四方仏を彫刻し、笠石は耳石が大きく、軒付と一体になっている。相輪は後補で、台石から笠石までの高さは一・二五メートルである。このように耳石が軒付と一体になっているのは一般に古い形式であり、この塔もその形式を伝えるものとして貴重である。」
金峰神社
「明治以前は蔵王権現と称し、社伝によると1308年(延慶元年)綿向山西明寺等一山の山伏が大和吉野より勧請したと伝えられる。1503年(文亀3年)赤沢朝経の音羽城攻めの兵火により焼失したが、1510年(永正7年)4月甲賀の佛工藤原長春に神像を彫らせて社殿に奉安した後、1663年(寛文3年)、1862年(文久2年)、社殿を再興す。明治29年山崩れの為、埋没したが、直ちに復旧現在に到る。明治9年村社に列す。」
社標
鳥居
手水舎
狛犬
拝殿
本殿
寂照寺
滋賀県蒲生郡日野町大字蔵王567
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宝篋印塔(重要文化財)
「鎌倉後期(1275-1332)作、この宝篋印塔は寂照寺の境内にあるが、由緒は明らかではなく無銘であるので造立年代も分からない。花崗岩製で、台石には四面に彫の浅い格狭間を刻み、格狭間内には蓮花を浮彫している。軸石には光背型の内に四方仏を彫刻し、笠石は耳石が大きく、軒付と一体になっている。相輪は後補で、台石から笠石までの高さは一・二五メートルである。このように耳石が軒付と一体になっているのは一般に古い形式であり、この塔もその形式を伝えるものとして貴重である。」
金峰神社
「明治以前は蔵王権現と称し、社伝によると1308年(延慶元年)綿向山西明寺等一山の山伏が大和吉野より勧請したと伝えられる。1503年(文亀3年)赤沢朝経の音羽城攻めの兵火により焼失したが、1510年(永正7年)4月甲賀の佛工藤原長春に神像を彫らせて社殿に奉安した後、1663年(寛文3年)、1862年(文久2年)、社殿を再興す。明治29年山崩れの為、埋没したが、直ちに復旧現在に到る。明治9年村社に列す。」
社標
鳥居
手水舎
狛犬
拝殿
本殿