旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

遍照寺

2023-02-15 18:41:47 | 明石市
2023年2月15日、お参りしました。
「浄土宗の寺院で、597(推古天皇5)年に聖徳太子が草創し、740(天平12)年に大僧正行基が開山した。聖徳太子との縁が深く、平安時代には花山上皇や和泉式部が参詣し、鎌倉時代には後醍醐天皇も立ち寄り祈願したと伝えられています。樹木葬の庭苑があります。」
明石市魚住町長坂寺513-8
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山門







本堂



大日堂







樹木葬、魚住庭苑
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住吉神社

2023-02-15 18:31:09 | 明石市
2023年2月15日、お参りしました。
「詳細は不祥、御祭神は、底筒男命,中筒男命,表筒男命,気長足姫命。10月第2日曜日に秋祭り斎行。」
明石市魚住町長坂寺554
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鳥居



狛犬



拝殿



本殿

末社




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正覚寺

2023-02-15 18:21:16 | 明石市
2023年2月15日、お参りしました。
「真宗大谷派の寺院で、山号は天光山と号す。室町時代の1470(文明2)年に釈浄誓(俗名佐藤時信)が開いた。佐藤時信は、平安時代の鎮守府将軍藤原秀郷(俗称俵藤太)の子孫だという。現在の本堂は、1717(享保2)年の建築である。」
明石市魚住町1368
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寺標

山門





本堂





玄関

鐘楼


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金ケ崎神社

2023-02-15 18:15:15 | 明石市
2023年2月15日、お参りしました。
「もと黒石神社といい、大久保荘西脇にまつられた神社であった。創立年は不祥、1874(明治7)年2月村社に列せられ、1907(同40)年4月30日に住吉神社を合祀して、鐘ケ崎神社と改称している。境内には末松大明神がある。西に400メートルのところに若宮がある。秋祭には本殿と若宮との2か所で神事が行われる。」
明石市魚住町金ケ崎225-2
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鳥居

説明書

手水舎

狛犬







拝殿

幣殿

本殿



末社


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宗賢神社

2023-02-15 18:10:24 | 明石市
2023年2月15日、お参りしました。
「23代顕宗天皇、24代仁賢天皇をまつっている。皇位をめぐる争いで億計・弘計二王子の父が殺され、王子は播磨国に逃げ、縮見にかくれ住んだ。その後、二王子を大和へ迎えて即位した。「古事記」に出て来る物語である。これらの伝承から二王子をまつる王子権現が多い。西脇の宗賢神社は1672(寛文12)年9月に勧請された。」
明石市大久保町西脇635-1
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鳥居

手水舎



狛犬



拝殿





由緒書



本殿


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西光寺

2023-02-15 18:05:49 | 明石市
2023年2月15日、お参りしました。
「真宗興正派の寺院で、鶏谷山安養院西光寺という。開基は奈良時代の慧辨上人という。昔西脇の北の給料に江南山報恩寺という七堂伽藍の大きな寺があり、西光寺は塔頭の一つだった。1579(天正7)年ごろは芝秀吉の三木攻めのさい別所方だとして焼き討ちにあい、灰燼に帰した。同寺の再建は、1592(文禄元)年で、了法上人が中興の祖といわれる。」
山門は閉まっていました。
明石市大久保町西脇412-1
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山門

鐘楼

本堂
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大窪八幡宮

2023-02-15 17:54:51 | 明石市
2023年2月15日、お参りしました。
「1630(寛永7)年9月に豊前国(大分県)宇佐八幡宮より分霊を勧請、創建したと伝える。祭神は仲衰天皇、応神天皇、気長足姫命である。1631(寛永8)年8月15日、明石城主小笠原忠真(初名忠政)が一町二反五畝の黒印地を寄付したとある。それ以来、歴代の城主は15石を寄せた。1873(明治6)年、同神社に大窪村立明善小学校が開設された。紀伊殿、神輿倉、神楽殿などを校舎にして、光触寺住職らが教師になった。」
明石市大久保町大窪1478
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鳥居

由緒書

境内



狛犬





社務所

神馬

手水舎



拝殿









絵馬



本殿、工事中でした。

末社・荒神社
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光触寺

2023-02-15 17:44:56 | 明石市
2023年2月15日、お参りしました。
「真宗興正派の寺院、山号を解脱山と号す。1185(文治元)年に平家が滅亡したあと、源氏の武将佐々木秀義の五男義清は、幕府の役人となって日々をすごしていたが、兄の高綱が高野山に入り僧となったのを知り、比叡山に登って慈鎮和尚に師事した。のち出家し寿信となって、天台宗を学んだ。野辺に腰をおろして読経した。この土地が気に入って、農夫に一夜の宿を乞うた。朝夕に仏の道を説いたところ、村の人がこぞって集まり、永住を願って寺院を建てた。それが寺の始まり。表門の薬医門は四足の門(陽明門)で、姫路城主池田輝政の寄進である。三木城攻めで秀吉は光触寺に陣を置き、池田輝政を守りにつかせた。2年のち、三木が落城したあと、秀吉は寺の敷地三反四畝十八歩を御免地として寄進、輝政も門と鐘楼堂を贈ったという。」
山門は閉まっていたので境内には入れませんでした。
明石市大久保町大窪1213
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寺標

山門

左巻地蔵尊



手水舎

鐘楼

本堂


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教専寺

2023-02-15 17:30:53 | 明石市
2023年2月15日、お参りしました。
「真宗興正派の寺院で、山号は高南山と号す。本尊は阿弥陀如来です。詳細は不祥。」
明石市大久保町大窪984
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寺標

山門





手水舎



境内の慰霊碑

本堂







玄関





法林院

鎮守社
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西東光寺

2023-02-15 17:23:13 | 明石市
2023年2月15日、お参りしました。『
「正式名は真宗興正派本源山東光寺。1762(宝暦12)年の播磨の地誌『播磨鑑』には『一向宗西派 在松陰村 大窪村光触寺末寺 本堂四間三間 庫裏』とある。本尊は阿弥陀如来。寺伝によると、1546(天文15)年9月、徳亥彰松が寺を興し天台宗に属した。1641(寛永18)年には淨慶が真宗に帰依、興正寺の末寺になった。この時に東光寺の名をつけたといわれる。西東光寺には安政年間(1854~60)に寺子屋が設けられ、1871(明治4)年ごろに廃止された。」
明石市大久保町松陰143
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山門

手水鉢

本堂

境内

庫裏

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