旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

足摺岬、金剛福寺、白山神社、白山洞門

2016-10-19 22:54:44 | 高知
2016年10月16日、神戸を朝出て、高知市の朝倉神社、須崎市の鳴無神社、四万十市の不破八幡宮をお参りし、やっと足摺岬に着きました。もう16時20分です。前日まで晴天でしたが、午後からは雨が結構降りました。雨は上がりましたが、どんよりしています。

四国最南端です。

中浜万次郎像

足摺岬とジョン万次郎の説明書
「中浜万次郎(1827.1.1~1898.11.12)は中の浜出身で、1841年に出漁中に遭難するが、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号のウィリアム・H・ホイットフィールド船長に助けられ、船長の生地フェアーヘイブンで学校教育を受けるとともに見聞を広める。1851年帰国後、その国際知識をかわれて幕府直参となり、1860年には遣米使節の一員に加えられるなど、開国に向けて大役を果たす。」



展望台より

足摺岬の灯台







金剛福寺へ
四国最南端の第38番札所。前の札所からは、約83キロもの距離があり、「お遍路さん泣かせ」の札所のひとつです。







仁王門

















本堂







六角堂

鐘楼堂

























愛染堂



多宝塔(土佐清水市有形文化財)

































みさきホテル宿泊の翌日、足摺岬の散策です。
案内マップ

白山神社
「白山権現と称し、加賀国の白山比咩神社を勧進し白山洞門の頂上に祀られていた。金剛福寺の守護神の一つで、土佐藩主山内氏が崇敬し、藩主が社殿の修復に関わったとの記述がある。」
鳥居

狛犬



拝殿

























白山洞門へ
「花崗岩の洞門で日本一と言われています。太平洋が造り上げた海蝕洞門です。」







洞門の上に白山神社の本宮があります。手すりもなく危険なので登らないでくださいの看板がありました。


















蟹さんが隠れています。





燈台に行きます。









亀石
「弘法大師が亀の背中に乗って、燈台の前の海中にある不動岩に渡ったと言われています。」



汐の満干手水鉢









足摺岬灯台











大師の爪書き石



地獄の穴



椿の道



お疲れ様でした。
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不破八幡宮本殿(四万十市)

2016-10-19 22:45:49 | 高知
2016年10月16日、高知市の朝倉神社、須崎市の鳴無神社の後にお参りしました。足摺岬への途中ですので、四万十市に寄りました。四万十川を少し眺めながら走りました。土佐くろしお鉄道中村線中村駅から約1Kmのところです。
高知県四万十市不破1392
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四万十の観光案内マップ

由緒書より「主祭神は、品陀和気命、玉依姫命、息長足姫命。当社は、室町時代中期の文明年間(1469年~1487年)、前の関白一条教房公が応仁の乱を避け、荘園経営のため中村に開府の時、幡多の総鎮守とし且つ一条家守護神として、山城国(京都府)に鎮座するの石清水八幡宮を勧請し造営されたものである。また現在の御本殿においては戦国時代の永禄元年(1558)から翌2年(1559年)にかけて一条康政氏に京都から招聘された宮大工の北代上衛門氏により再建されたものである。三間社流造、こけら葺として都風の洗練された技術による室町時代末期の建造物として昭和38年に重要文化財にしていされ、土佐一条家の文化を今に伝える唯一の貴重な遺構である。」

鳥居

燈籠

参道と拝殿

拝殿







本殿は平成29年7月末まで工事中でした。残念。

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鳴無神社(土佐の宮島)

2016-10-19 22:44:33 | 高知
2016年10月16日お参りしました。高知市の朝倉神社を後にして、次は鳴無神社(おとなしじんじゃ)です。浦の内湾の海岸沿いに面して鎮座しています。JR土讃線多ノ郷駅から、タクシーで15分です。バスはないですね。高知自動車道の須崎東ICから県道23号線、県道47号線を走っると鳴無神社1Kmの標示があります。少し細い道路を海岸に沿って走ると赤い鳥居が見えてきます。
高知県須崎市浦ノ内東分字鳴無3579
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鳥居



説明書「祭神は、一言主命。創建は1500余年前と伝えられる。社殿は古来度々建て替えられたが現社殿は山内ニ代藩主忠義公が寛文2年(1663)に再建。その後、腐朽し昭和31年~32年解体修理。本殿はニ間四面の春日造、こけら葺、極彩色内陣、天井に天女の舞の絵(伝、村上龍円筆)、拝殿、弊殿は切妻造、こけれ葺。」

参道が海に伸びているところに鳥居



ニの鳥居

手水舎



狛犬



拝殿(重要文化財)

境内







弊殿(重要文化財)
「平入りの拝殿の背後に妻入りの幣殿が接続し、平面はT字形となっています。」

本殿(重要文化財)
「江戸初期の東照宮建築の系統を伝えるもので 文化財の少いこの地方にこの種遺構の存在は貴重である。」

柱は朱で、組物は装飾がされています。雨が結構降ってきました。






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朝倉神社(土佐二ノ宮)

2016-10-19 22:42:11 | 高知
2016年10月16日、お参りしました。今回の行程は高知から足摺岬に宿泊し、宇和島、大洲、内子、道後温泉宿泊です。
まず、神戸を出て、高知の朝倉神社です。土佐二ノ宮とされており、江戸前期の明暦3年(1657)再建です。
説明書より『朝倉神社は、天津羽羽神と天豊戝重日足姫天皇を祭り福寿延命の神、文化の神治政の神であります。上古社の御山は開発の神である天津羽羽神のヨモロギ(神体山)として御山全体を崇教の対象として畏敬せられ、やがて文化に伴い朝日さす南東の麓より拝むべく現在の所に社殿を建てられたので此の赤鬼山こそ古代宗教の名残りで県指定の史跡地で西南隅麓の古墳と共にゆるがせに出来ない土地柄であります。天津羽羽神は古代より此処に鎮座まします国中稀な古社で、後の世の遷座とか御分神とかではなく、極めて深い由緒をもち土佐の国風土記や、日本書紀等の古典にも載せられ、又延喜年間の神名帳にも国幣として登載せられ所謂式社であります。斉明天皇7年(661)朝倉宮に行幸せられ仮の御殿を丸木で造られたので木の丸殿と申されました。御子天智天皇は「朝倉や木の丸殿に我居れば名乗りをしつつ行くはたが子ぞ」と御詠みになられておられます。そしてのち天智天皇の勅語により斉明天皇を朝倉宮に合せ祀られたとの事であります。又土佐物語には朝倉神社の事と題し一巻を面白く物語っております。当神社はもと勅願所で正一位高加茂大明神橘の広庭の宮とも申しました。又武家の崇敬もあつく現在の社殿はニ代山内忠義公が明暦3年(1657)による再建で、室町時代の手法を含む江戸初期の建物で、日本古来の様式に唐天竺の様式を加味して絶頂の技をつくし極彩色などは日光東照宮の例でその優美さは「馬には目かくしをしなければ、まばゆさに驚き通れなかった」と伝えられ地方には珍しい模範的建物であります。』
高知県高知市朝倉丙2100
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鳥居

狛犬



鳥居

手水舎

境内

拝殿



由緒説明書

燈籠
「ニ代山内忠義公が明暦3年(1657)に寄進した大石燈籠・原石は摂津国(兵庫県)の御影石」

境内

狛犬(高知市指定有形文化財)
「江戸時代初中期から中期の作と見られるが、無銘のため作製年代は明確でない。尾戸焼(土佐国尾戸で産出の陶器)で作られたもので珍しい。」







荒倉神社




忠魂社

本殿(重要文化財)
「桁行三間、梁間二間で、屋根は柿葺。流造ではなく切妻造の屋根の前面に軒唐破風付きの向拝一間を付す。」





















勅使石



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豊楽寺薬師堂(国宝)

2015-09-13 00:20:20 | 高知
2015年9月8日、土佐神社を後にして高知自動車道大豊ICで降りて国道32号線を走ります。薬師堂の看板があります。約3キロ程の山道を登ります。ときどき退避場所がありますが、対向車が来ればかわせない道路です。
「神亀元年(724)名僧行基により創建されたものと伝えられている。本堂である薬師堂は、四国最古の建造物で桁行、梁間ともに五間の単層入母屋造り、柿葺。」
説明書

高知県長岡郡大豊町寺内314
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境内案内図





参道









本堂



















香炉

鐘楼



参道の下には鳥居



若一王子宮



星神社



大西神社





八幡宮



護摩堂





庫裏

大師堂















景色

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善楽寺(四国霊場第30番札所)

2015-09-12 23:28:15 | 高知
2015年9月8日、土佐神社の東側にありましたので、お参りしました。真言宗の寺院で、山号は百々山です。
「寺伝によれば、大同5年(810年)弘法大師が土佐一宮(現在の土佐神社)の別当寺として創建したといわれている。」
高知県高知市一宮2501
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寺標

十一面観世音菩薩

手水舎

納経所

地蔵堂

子安地蔵堂

梅見地蔵

本堂



修行大師





仏足跡

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土佐神社

2015-09-12 23:05:44 | 高知
2015年9月8日、お参りしました。2泊3日四国旅行で三翠園を9時過ぎに出発し、帰路につきます。途中に観光しながら神戸に向かいます。
高知県高知市一宮しなね2丁目16-1
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説明書
「御祭神は味鋤高彦根神(一言主神)、雄略天皇(5世紀後半)時代の創建で土佐の総鎮守である。現在の社殿は元亀元年(1570)に長宗我部元親が再建したものであり、鼓楼、楼門は山内忠義(二代藩主)が建立、再建したものである。」

由緒と境内案内図

石標、一宮古墳群2号墳の天井石

楼門(重要文化財)
『「神光門」と称し、桁行三間、梁間二間の楼門で、屋根は入母屋造で銅板葺。全体がほぼ和様の手法で統一され、二階にも天井を張り、部屋として扱っているのはあまり例がない。』











表参道、南側の楼門から鳥居まで約200メートル直線で続いています。

鳥居

手水舎

秋葉神社、鳥居の横に鎮座しています。

鼓楼(重要文化財)、鳥居入って東側
「江戸時代前期の慶安2年(1649年)、土佐藩第2代藩主山内忠義による造営。桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、こけら葺。初層は「袴腰」と呼ばれる形式で、黒色の板を張り、中央に出入り口を設ける。」

































古札納所

拝殿(重要文化財)





社務所

絵馬殿







拝殿に翼殿が付いています。



本殿(重要文化財)

















摂社3社の鳥居

摂社3社、西御前社・大国主神社・事代主神社







神庫





礫石の説明書



神明宮

輪抜祓所





翼殿

神饌所

禊岩



巌島神社



放生池









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高知市内散策、高知大神宮、ひろめ市場、てんこす、はりまや橋、市電他

2015-09-12 15:28:41 | 高知
2015年9月7日、高知市内を散策しました。高知城から東に向いて歩いてみます。
高知大神宮

鳥居

狛鶏?



高知城の東南に鎮座しています。
高知県高知市帯屋町2丁目7-2 
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光彩殿
境内の東側にあります。



よさこい稲荷神社、境内西側に鎮座しています。



鶏が散歩中

高知大神宮
鳥居

拝殿

帯屋町

武内瑞山先生殉節の地

ひろめ市場
居酒屋が集まった市場です。仕事帰りや家族連れがちょっと一杯という雰囲気です。通路にテーブルがあり、そこでOLやサラリーマンが17時過ぎですが、グループで宴会していました。土産物店もあります。のりのつくだ煮を土産に観光券で買いました。
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大橋通り市場









てんこす
土佐の土産物を集めた店です。中央公園の南東側です。
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市電、カラフルですね。東西と高知駅から南北に走っています。近場の観光には便利です。近郊は200円で乗れます。











はりまや橋
説明書
「江戸時代に、高知の豪商である播磨屋と櫃屋は、互いに本店が堀で隔てられていた。この両者の往来の為に架けられた私設の橋」
はりまや交差点の西、北すぐの堀に架かっています。
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市電でホテルへ戻ります。



旧山内家下屋敷長屋(重要文化財)
ホテル三翠園の南側にあります。
「この長屋は元治元年(1864)山内容堂が家臣七人の屋敷地を召し上げて下屋敷(散田邸)を設けた際に同時に建てられたと推定される。幕末の風情を感じさせる建物で本格的な武家屋敷としては全国的に数少ない。」
見学は無料です。







展示物と建物内



























































山内神社
「土佐藩初代藩主山内一豊、同夫人、および土佐藩歴代藩主を祀っています。」
ホテル三翠園の南西に鎮座しています。
高知県高知市鷹匠町2-4-65
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説明書

境内案内図

南側石垣

手水鉢

別格官弊社の説明書



西鳥居

石碑

東鳥居

燈籠









参道

手水舎

亀石

東神門

西神門



祓所

山内容堂公像

境内





拝殿

脇殿

熊野・春日・住吉の三社が鎮座しています。



出雲大社土佐分祠
市電の通りで枡形に鎮座しています。
高知県高知市升形5-29
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鳥居

だいこく様とうさぎ





拝殿



吉野朝廷(南北朝)時代古戦場跡



坂本竜馬生誕地碑
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近藤長次郎邸跡
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高知城

2015-09-11 23:50:01 | 高知
2015年9月7日、行きました。利用料420円、竜馬パスポートで330円です。
高知市丸ノ内一丁目2番1号
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パンフレットより
「高知城は、日本で唯一本丸の建築群がすべて現存する、江戸時代の姿を今に伝える城郭である。もともとこの場所には南北朝時代に築かれた大高坂城があり、戦国時代には長宗我部元親が岡豊城より移り築城に取り組んでいた。しかし、治水に難儀し、わずか3年で元親は浦戸城へ本拠を移した。その後、関ヶ原の戦の功績で遠州掛川より入国した山内一豊がこの地を城地と定め、慶長6年(1601)秋から築城をはじめた。一豊は築城家として知られた百々越前守安行を総奉行に任じ、近隣諸村から石材や木材を取り寄せ工事を進めたが、難工事の末城の全容が完成した10年後、二代藩主忠義の治世に移った慶長16年のことであった。享保12年(1727)には一部の建物を残し焼失した。ただちに復旧にあたったものの財政難もあって天守閣が復興するまでに20年以上の歳月を要している。その後、明治維新により廃城となり本丸と追手門を除くすべての建物が取り壊され、公園となっていまに至っている。別名を鷹城という。」
天守閣(重要文化財)、南側道路より



ガス燈



御馬場跡









追手門(重要文化財)

説明書
『石垣の上に渡櫓を載せた櫓門で、城の大手(正面)にふさわしい堂々たる構えを持つ。門前は枡形になっており、防御時には石垣上の狭間塀や門上から攻撃できるようになっている。また、門の2階には「石落とし」もあり、敵の直上から石垣は城内で最も巨石が多くみられる場所であり、工事の際に印された「ウ」、「エ」「ケ」、「シ」などの刻印も確認することができる。』

内側から









板垣退助銅像

説明書



杉の段

石樋



山内一豊の妻の像



城案内図

石垣

















鉄門跡の説明書





詰門(重要文化財)
説明書
『詰門は本丸と二ノ丸をつなぐ役目を果たしており、藩政時代には「橋廊下」と呼ばれた。2階は家老・中老などの詰所として用いられ、現在の呼称はここからきている。壁には隠し銃眼が設けられている。」

















懐徳館(本丸御殿)入口



天守閣(重要文化財)
「外観四重(内部3層6階)高さ18.5mの望楼型天守で、創建当時の様式を踏襲して1749年に再建された。大入母屋とその上の唐破風、黒漆で塗られた高欄が特徴的で1階北東角には現存するものとしては全国唯一の忍び返しもある。」

西多聞(重要文化財)

黒鉄門(重要文化財)

日時計





中に入ります。



































































最上階につきました。



景色





































































お疲れ様でした。
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竹林寺(四国霊場第31番札所)

2015-09-11 19:13:13 | 高知
2015年9月7日、お参りしました。真言宗智山派の寺院で、山号は五台山です。
説明書より
「当山は神亀元年(724)、聖武天皇の勅願により行基により唐の五台山になぞらえ開創されました。その後、大同年間(806 - 810年)に弘法大師が滞在、修行し堂塔を修復したと伝えられている。」
高知県高知市五台山3577
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駐車場から境内へ

石標

客殿



宝物殿

鐘楼



虚空蔵菩薩堂

山門

仁王



参道



日吉神社









参道の階段

手水舎

大師堂



鳩の瓦





五重塔
説明書











一言地蔵



五智如来

善財童子



本堂(重要文化財)
「室町時代様式で、一層入母屋、五間四方、柿葺。文殊菩薩を本尊に祀ることから文殊堂とも呼ばれる。」













天邪鬼





子安地蔵尊社

稲荷明神社

淡路明神社

境内



千体地蔵

六道図

地獄図

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