2014年5月3日
願成寺(がんじょうじ)は、浄土宗の仏教寺院です。
本尊は、阿弥陀如来で、福原西国三十三ヶ所 第15番札所です。
願成寺の境内にある墓地の一番奥に、平通盛(みちもり)と小宰相の局(こざいしょうのつぼね)の五輪塔があります。
烏原に古くからあった観音寺という寺を鎌倉時代初期に 法然上人の弟子・住蓮が妻の安楽とともに再興し、願成寺と名づけ、念仏業に励んだ。建永元年 (1206年)、洛東の鹿ケ谷で念仏会を開いた時、後鳥羽上皇愛妾・松虫、鈴虫が参会し、住蓮に心酔して仏門に入ったので、住蓮、安楽は上皇の怒りにふれ 二人は処刑された。弟子たちは住蓮の首を願成寺に持ち帰り葬った。この時、烏が住蓮の首をくわえて、この寺に持ち帰ったとされ、烏が群をなして鳴いたので 上野村と呼ばれていたのを烏原村と呼ぶようになったといわれています。願成寺は烏原村がダムで水没すると、松本通二丁目の現在地に移っりました。
神戸市営地下鉄湊川駅の西北200mくらいのところです。
神戸市兵庫区松本通2丁目4-11
map
山門
本堂
住蓮の石塔と小宰相局・平通盛供養塔
願誉上人の塔
心誉上人の塔
興誉上人の塔
境内にて
願成寺(がんじょうじ)は、浄土宗の仏教寺院です。
本尊は、阿弥陀如来で、福原西国三十三ヶ所 第15番札所です。
願成寺の境内にある墓地の一番奥に、平通盛(みちもり)と小宰相の局(こざいしょうのつぼね)の五輪塔があります。
烏原に古くからあった観音寺という寺を鎌倉時代初期に 法然上人の弟子・住蓮が妻の安楽とともに再興し、願成寺と名づけ、念仏業に励んだ。建永元年 (1206年)、洛東の鹿ケ谷で念仏会を開いた時、後鳥羽上皇愛妾・松虫、鈴虫が参会し、住蓮に心酔して仏門に入ったので、住蓮、安楽は上皇の怒りにふれ 二人は処刑された。弟子たちは住蓮の首を願成寺に持ち帰り葬った。この時、烏が住蓮の首をくわえて、この寺に持ち帰ったとされ、烏が群をなして鳴いたので 上野村と呼ばれていたのを烏原村と呼ぶようになったといわれています。願成寺は烏原村がダムで水没すると、松本通二丁目の現在地に移っりました。
神戸市営地下鉄湊川駅の西北200mくらいのところです。
神戸市兵庫区松本通2丁目4-11
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山門
本堂
住蓮の石塔と小宰相局・平通盛供養塔
願誉上人の塔
心誉上人の塔
興誉上人の塔
境内にて
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