2014年5月3日
熊野神社は、由緒書によれば、平清盛が、福原遷都の際、皇城鎮護の神として、後白河法皇のご崇敬の厚い紀州熊野権現を勧請し、この地に祭祀した。然し、まもなく京都に還幸になったので地元夢野の住民が産土神として尊信し、縁結び、福徳延命、事業創設、の祖神として、ご神徳を仰ぎ、現在に至ったと伝えられています。
創建は不詳です。倒壊した旧社殿は、天保十巳亥年4月21日(1840)上棟の棟札があり、古くは熊野神社の御本殿であったと考えられています。昭和20年の戦災で焼失し、現在の社殿は昭和46年5月に復興再建されました。
流れ造、木造、銅板葺で、26.12坪の東向の社殿は楠の緑に囲まれ、荘厳そのものです。
神戸市兵庫区熊野町3丁目1-1
map
由緒書
鳥居
東側の鳥居
本殿
手水舎
力石
境内の荒木稲荷神社
境内の大神宮社
境内の牛神社
境内の古殿神社
境内の諸社(祇園、蛭子、春日、八幡、猿田彦、地主神)
境内の金比羅神社
霊安殿
当神社の為、又地域発展の為尽くした神社宮司、氏子総代、世話人外特に功績のあった人々の御霊と、氏地々区より出兵戦傷病没死者の英霊が祭祀されています。
即位大典記念碑
熊野神社は、由緒書によれば、平清盛が、福原遷都の際、皇城鎮護の神として、後白河法皇のご崇敬の厚い紀州熊野権現を勧請し、この地に祭祀した。然し、まもなく京都に還幸になったので地元夢野の住民が産土神として尊信し、縁結び、福徳延命、事業創設、の祖神として、ご神徳を仰ぎ、現在に至ったと伝えられています。
創建は不詳です。倒壊した旧社殿は、天保十巳亥年4月21日(1840)上棟の棟札があり、古くは熊野神社の御本殿であったと考えられています。昭和20年の戦災で焼失し、現在の社殿は昭和46年5月に復興再建されました。
流れ造、木造、銅板葺で、26.12坪の東向の社殿は楠の緑に囲まれ、荘厳そのものです。
神戸市兵庫区熊野町3丁目1-1
map
由緒書
鳥居
東側の鳥居
本殿
手水舎
力石
境内の荒木稲荷神社
境内の大神宮社
境内の牛神社
境内の古殿神社
境内の諸社(祇園、蛭子、春日、八幡、猿田彦、地主神)
境内の金比羅神社
霊安殿
当神社の為、又地域発展の為尽くした神社宮司、氏子総代、世話人外特に功績のあった人々の御霊と、氏地々区より出兵戦傷病没死者の英霊が祭祀されています。
即位大典記念碑
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます