goo blog サービス終了のお知らせ 

音楽と映画の周辺

核心ではなく, あくまでも物事の周辺を気楽に散策するブログです。

カラヤン/ベルリン・フィル ドビュッシー『交響詩「海」-3つの交響的素描』(77)

2009-09-13 12:04:44 | クラシック
 先日,図書館に行ったおり,久しぶりに『レコード芸術』の収納ボックスからバックナンバーを取り出したところ,表紙に「新編 名曲名盤300」の文字が。「新味の無いお遊び」と言えばそれまでだが,ついつい手にとってしまった。内容は,10人の評論家諸氏が,各有名曲毎に,評価するディスクを3枚選び,1位には3点,2位には2点,3位には1点をそれぞれ配し,これをディスク毎に加算集計し,順位をつけるというお馴染みの企画。

 ドビュッシーの『海』の項には,「ブーレーズの新盤首位奪還」と,どこかのスポーツ新聞のようなキャッチーなフレーズが。同曲の今般の順位は,第1位がブーレーズ指揮クリーヴランド管(93),第2位がマルティノン指揮フランス国立放送管(73),第3位がサロネン指揮ロスアンジェルス・フィル(96),ということのようだ。
一覧にひと亘り目を通すと,先ず,かつて定盤中の定盤と言われたアンセルメとスイス・ロマンド管の名がないことに気付く。若い方からは「何時の話し?」と失笑を買いそうだが,赫々たるマルティノン盤はあるものの,やはり時の流れを感じてしまった。
「後は・・・」と再び一覧に目をやると,草野次郎氏が,ただひとり,カラヤンとベルリン・フィルの録音を3位に選んでいるのが目についた。草野氏が1点を献上したのは,64年にベルリン・フィルと録(い)れたDG盤。
カラヤンは,映像を除くと,『海』を4回録音している。1回目が53年にフィルハーモニアと録れたEMI盤で,続く3回は,いずれも,手兵のベルリン・フィルと録れたもの。ベルリン・フィルとの録音には,最後期とはいえ,このコンビの黄金時代にあたる77年に録音したEMI盤(以下,この盤を単に「EMI盤」と省略)がある。何故,草野氏の選択は,黄金時代のEMI盤ではなかったのか?
音楽の趣味は人それぞれ。本当のところは氏におうかがいするほかないけれど,EMI盤を聴いたことがある人なら,おおよその見当はつくと思う。該盤には,カラヤンの他の3回の録音と比べ,際立った特徴があるからだ。選択にあたり,比較対照の結果,EMI盤にはその特徴がマイナスに作用したということは考えられる。いや,そもそも,EMI盤は氏の脳裡にあがらなかった可能性すらある。それでは,EMI盤の特徴とは何か。

EMI盤を聴いた者は誰しも,第1楽章が始まって間もなく,チェロのオスティナート,ホルンのユニゾン,共に,相当に抑え気味であることに気付く。前者は寄せては返す波の音型を,後者は見晴るかす海の気分を表す。時に,チェロのオスティナートがあまりに説明的でうるさく感じる演奏もあるが,このカラヤンのEMI盤は,それとは逆に,あまりに抑えが効き過ぎている。この後の,立ち上がる白い波頭を表すというヴァイオリンのスフォルツァンドも,何とも弱々しい。描写音楽そのものではないとしても,この第1楽章からは,躍動感を欠くベタ凪の『海』という印象を受けてしまう。
また,ホルンのユニゾンも,弱音の指定はわかるけれど,海の象徴的表現としてはいかにも物足りない。確かに,この「超」の付く弱音は,一方で,夜明け前のほの暗さの表現としてかなりの効果をあげている。しかし,この後は,それが却って災いして,金管,ハープなどが加わっても,なかなか曲全体の明るさが増してこないというマイナス面が勝ることになる。第1楽章のタイトルは,知ってのとおり,「海の夜明けから真昼まで」だが,終結部のあの素晴らしく壮麗な循環コラールの後も,「本当に明けたの?」と思わず問い返したくなるほど,「暗さ」が全体を覆っている。この調子は,軽いスケルツォ風の第2楽章においても変わらない。
この演奏については,その「粘液質」を言う人もいるようだ。確かに,通常8分半から9分程かかる第1楽章を,ここでは9分40秒かけている。第3楽章も通常の演奏よりはやや長目。しかし,管理人は,遅さはさておき,これまで殊更に「粘液質」といったものを感じたことはなかった。言われて初めて「そうかな・・・」と思った程度。やはり,この演奏の最大の特徴は,(陰鬱というよりも,字義そのまま)「暗さ」にあると思う。
この録音を聴く者は,海を前にした時の開放感の不足,そして,時間の経過と照度の上昇との間の位相のズレのようなものを感じずにはいられない。それは,詰まるところ,第1楽章開始間もなくにあるチェロとホルンの扱いに問題があるからではなかろうか。

管理人はEMI盤を失敗作などと呼ぶつもりはない。EMI盤にはEMI盤なりの面白さがあるとは思う。しかし,「カラヤンの『海』」として今後とも語られるものは何かと問われれば,64年録音か85年録音かはひとまず留保するとしても,「DG盤では」と答えるのが穏当なところだと思う。因みに,DGの2つの録音の距離は,EMI盤の特徴を考えれば,さほど大きくはないように思われる。換言すれば,それくらい,77年録音のEMI盤は独特なのだ。EMI盤の録音はDGの両盤のそれに挟まれた時期におこなわれている。よって,この違いを,カラヤンの『海』に対する解釈の変遷で片付けるのはやや難がある。EMIの録音のなせる技というのも,答えとしてはあり得るが,これとて,演奏時間の長さの説明としてはたちまち綻びが出てしまう。いずれにしても,このEMI盤がカラヤンの『海』の中で独自の地位を占めているというのは間違いない。

 なお,データとして記しておくと,EMI盤も,DG盤同様,練習番号59(練習番号60-8小節)の金管群の合いの手は「有り」,練習番号63番のコルネットパートの三連音符のフレーズは「無し」,である。このあたりの詳細は,熊蔵さんの刮目すべきHP「海のXファイルへのエスキース」を。

ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」、他
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 カラヤン(ヘルベルト・フォン)
ユニバーサル ミュージック クラシック

このアイテムの詳細を見る


ドビュッシー : 牧神の午後への前奏曲
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
EMIミュージック・ジャパン

このアイテムの詳細を見る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カラヤン/ベルリン・フィル ワーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー 第1幕への前奏曲』

2008-04-20 20:29:38 | クラシック
 3月7日の午後,移動中の車の中でNHK-FMをつけたところ,途中からだったが,『ニュルンベルクのマイスタージンガー 第1幕への前奏曲』がかかった。同乗者がいたため大きな音で聴くことは出来なかったが,ヴィルトォーゾオーケストラ,しかもとびきりのそれであることは管理人にも直ぐにわかった。
メリハリの効いた見通しの良い演奏だったので,何となく,「指揮者はドイツ・オーストリア系ではないのでは」と思ったのだが,演奏後の唐沢美智子さんの紹介には思わず仰け反ってしまった。曰く,「ただ今の演奏は,ヘルベルト・フォン・カラヤンとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によるワーグナーの・・・」。

件の録音,番組表で1974年のEMI盤であることを確認し,さっそく購入。聴き直してみた。この演奏は凄い。予備知識なしに聴くことができたおかげで,あらためて,この組み合わせがいかに凄かったかを確認できた。
この演奏で特に感じるのは,ホルンをはじめとする管楽器群の素晴らしさ。EMIも明らかにそれを意識した録り方をしている。
ご存じのとおり,この録音の4年前,カラヤンは,同じEMIに,ドレスデン・シュターツカペレとマイスタージンガーの全曲録音をおこなっている。この時,ドレスデン側がいかに用意周到に録音に臨んだかについては,リチャード・オズボーン著『ヘルベルト・フォン・カラヤン(下)』(白水社)にも記述がある。あの全曲盤の前奏曲も素晴らしかった。しかし,このベルリン・フィルとの録音,その上をいっているような気がする。

ところで,この録音,各パートの分離のし具合いがちょっと異様である。異様というのは言葉が過ぎるのかもしれないが,ギュンター・ヘルマンスら,DGのカラヤン御用達チームなら,まずこのような録り方はしない,そんな録音である。
メリハリの効いた見通しの良い演奏→指揮者は非ドイツ・オーストリア系,はいかにも短絡だが,思い違いの一因はEMIの録音にもある。いずれにしても,EMIの録り方は独特だ。
因みに,ドレスデンとの録音は,EMIとドイチェ・シャルプラッテンとの共同企画。前記リチャード・オズボーンの著作には,この時リーダーシップをとったのはドイチェ・シャルプラッテンの方だったとある。一口に「EMI製作」と言っても,ベルリン・フィル盤とドレスデン盤とでは録り方が違うはずだ。

最後になったが,EMIとDGの録音方針(録音哲学)の違いについては,グールドも「レコーディングの将来」の中で触れている(ティム・ペイジ編『グレン・グールド著作集2』(みすず書房)所収)。これに関しては,NHK教育『私のこだわり人物伝』のテキストにも一部言及がある(「カラヤン 第1回複製芸術の扉をひらく」)。

ワーグナー:管弦楽曲集第2集
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 カラヤン(ヘルベルト・フォン)
EMIミュージック・ジャパン

このアイテムの詳細を見る


私のこだわり人物伝 2008年4-5月 (2008) ヘルベルト・フォン・カラヤン 時代のトリックスター/グレン・グールド 鍵盤のエクスタシー (NHK知るを楽しむ/火)
クリエーター情報なし
NHK出版


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NHK教育テレビ『私のこだわり人物伝』の新シリーズは,カラヤンとグールド

2008-04-01 20:48:22 | クラシック
 当ブログの管理人 hanbo でございます。

昨年1月6日の「マンロウ/ロンドン古楽コンソート プレトリウス『テレプシコーレ舞曲集』」を最後に長らく休んでおりましたが,これは書かずばなるまいということで,漸く重い腰をあげ,PCに向かっている次第です。
というのは,NHK教育テレビ『私のこだわり人物伝』の新シリーズで,4月1日から4月22日まではカラヤン,5月6日から5月27日まではグールドがとりあげられるのです。さすがに,この話題,右から左へと受け流すわけにはいきません。
ナビゲーターは,カラヤンのシリーズ(サブタイトル「時代のトリックスター」)がコラムニストの天野祐吉氏,グールドのシリーズ(サブタイトル「鍵盤のエクスタシー」)はグールドの研究家として知られる宮澤淳一氏。
今日はカラヤンの第1回目,「複製芸術の扉をひらく」です。もうすぐ(PM10:25から)始まります。

追記 上掲のテキストを購入しました。パラパラめくっていたら,グールドの項の最後に,彼がカナダで活動する際の調律師ヴァーネ・エドキスト(ヴァーン・エドクィスト)の「グールド回想」が掲載されているのに気がつきました。エドキスト氏は,グールドの愛用のピアノ(スタインウェイ「CD318」)が荷役埠頭で致命的な傷を負った直後,偶然,そこに行きあわせた人物です。このエピソード,アンドルー・カズディンの『グレン・グールド アットワーク 創造の内幕』に詳しく書かれています。
「グールド回想」,今直ぐにでも読みたいのですが,放送を観てからにしましょう。どうもその方が良さそうです。

私のこだわり人物伝 2008年4-5月 (2008) ヘルベルト・フォン・カラヤン 時代のトリックスター/グレン・グールド 鍵盤のエクスタシー (NHK知るを楽しむ/火)
天野 祐吉,宮澤 淳一
日本放送出版協会

このアイテムの詳細を見る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マンロウ/ロンドン古楽コンソート プレトリウス『テレプシコーレ舞曲集』

2007-01-06 15:20:19 | クラシック
 柴田南雄『名演奏家のディスコロジー』の巻末には「ディスコロジック・カタログ」と題する77の演奏家(団体)に関する解説が付されている。そこでとりあげられた演奏家(団体)は,コマーシャリズムを排し,柴田さんがご自身の音楽観に照らして選ばれたものばかり。その中のマンロウの項は次のように始まる。

 デイヴィッド・マンロウは故人でここにとり上げた,ただ1人の音楽家である。あまりに大きな才能と行動力を持っていたばかりに,あまりにも急速にそれを費消尽くしてしまった。(中略)直前の1,2年の阿修羅のごとき仕事ぶり,大量のレコード録音を思うとき,一大閃光とともに彼の生涯が雲散霧消したような印象を受ける。

 デイヴィッド・マンロウと手兵ロンドン古楽コンソートは,1976年11月に初来日が予定されていた。しかし,待ち望まれていたマンロウの来日はついぞかなわなかった。ご存じのとおり,マンロウは,その年の5月15日,自らの意思で,彼岸の地に旅立ってしまったのだ。享年33歳。

 マンロウを語るとき先ず挙げられるのは,1977年のレコード・アカデミー賞を受賞した『ゴシック期の音楽』や『十字軍の音楽』というところ。これらは入手も容易である。
他方,現在,邦盤で入手困難なものにプレトリウス『テレプシコーレ舞曲集』(1973年録音)がある。テレプシコーレには,フィリップ・ピケット/ニュー・ロンドン・コンソートによる素晴らしいディスク(1985年録音)がある。これは,もう,余興音楽と呼ぶのは憚られるような立派さ。
テレプシコーレはこのピケット盤で親しんできたが,マンロウのそれも世評が高い。残念ながらこれまで聴く機会を得なかったが,念願がかない,昨年12月,ヴァージン・クラシックス(ヴェリタス)の2枚組の輸入盤『ルネッサンス舞曲集』の中で件の演奏を聴くことができた。

 両盤,選曲においてかなりの重複がみられる。テレプシコーレは,番号こそ312番までだが,数曲組になったものもあり,総数では500曲を優に超えるという舞曲集。LP片面程度とCD1枚の間の重複だから,これは偶然とは思えない。
ピケットはリコーダーをマンロウに師事していた。また,マンロウらのスサートやモーリーの舞曲集の録音にも参加している。2人は個人的にも親しい間柄だったと思われる。このような事情からすれば,ピケットがマンロウ盤の存在を一度も想起せずにテレプシコーレを録音したというのは考えにくい。いや,ピケットにとって,テレプシコーレと言えば,マンロウ盤だったに違いない。選曲の重複はその証左であろう。
さて,聴いて未だ日は浅いが,マンロウ盤は個々の奏者の奏する節回しに,ひと工夫,ふた工夫があり,実に表情豊か。使用楽器の多彩さ,構えの大きさでは,ピケット盤に一歩を譲るが,マンロウ盤の鄙びた響き,聴くほどに味わいを増す。これはこれで悪くない。興味のある方には一聴をお勧めしたい。
なお,マンロウ盤には奏者名がクレジットされている。お馴染みのところでは,サイモン・スタンデイジ,クリストファー・ホグウッドのほか,ジェームズ・タイラー,オリヴァー・ブルックス,デイヴィッド・コークヒルらの名前がある。

 昨年は,幸か不幸か,大作曲家らのアニヴァーサリーが重なってしまった。その割を食ったとでも言ったらいいのか,音楽界,マンロウの回顧という点では物足りない1年であった。マンロウのファンというわけではないけれど,彼の仕事の大きさを思うと,やはり,寂しさを覚えずにはいられない。ささやかながら,このエントリーには,聴衆を未知の音楽世界へと誘ってくれたマンロウに対する管理人からのコーテシーが込められている。
このエントリーの最後には,冒頭に掲げたマンロウの項にある柴田さんの言葉が相応しい。柴田さんは,マンロウの業績に対し最大級の讃辞を呈した後,次のように述べ,項を閉じておられる。

 生涯は短かったが,録音には永遠の生命が宿っている。

Renaissance Dance: Early Music Consort of London

Virgin France

このアイテムの詳細を見る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小澤征爾の里帰り

2006-08-09 00:23:30 | クラシック
The Boston Globe For Ozawa, an emotional and expressive return to Tanglewood

 病癒えた小澤が,5日,タングルウッドに登場。4年ぶりにかつての手兵ボストン響を振った。プログラムはマーラーの『復活』。
APによれば,1万人以上の聴衆から盛大なスタンディングオベーションで迎えられたとか。

 ボストン・グローブを覗いてみると,何と,リチャード・ダイアーが評を載せているではないか。ダイアーは,ヘナハンと共に,小澤に厳しい批評家として有名だった。
おそるおそる読んでみると,拍子抜けするくらい好意的な内容。何だか嬉しくなった。次の楽しみは定期への登場。こちらはもう少し先かな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エリーザベト・シュヴァルツコップの訃報に接して

2006-08-04 20:52:11 | クラシック
asahi.com 独ソプラノ歌手のシュワルツコップさん死去

 艶麗な容姿と優れた演唱で一時代を築いた名歌手エリーザベト・シュヴァルツコップが亡くなった。享年90歳。
セル/ベルリン放響との『四つの最後の歌』も名演の誉れ高いが,やはり,シュヴァルツコップというと,カラヤン/ウィーン国立歌劇場管弦楽団と残した『ばらの騎士』のマルシャリンということになろうか。
深々とした余韻を残しながら舞台から去っていく第3幕最後のシーンの素晴らしさ・・・。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フライシャー/小澤征爾/ボストン響 ブリテン『左手のピアノと管弦楽のためのダイヴァージョンズ』

2006-07-09 17:17:44 | クラシック
 『若きアポロ』などもあるけれど,ブリテンの主要なコンチェルトとなれば,次の4作品になると思う。

ピアノ協奏曲 (1938, rev. 1945) Op. 13
ヴァイオリン協奏曲 (1939, rev. 1958) Op. 15
左手のピアノと管弦楽のためのダイヴァージョンズ (1940, rev. 1954) Op. 21
チェロ交響曲 (1963) Op. 68

幸い,いずれも,ブリテン自身が指揮したスタジオ録音が残されている。
独奏者は,それぞれ,ピアノ協奏曲がリヒテル,ヴァイオリン協奏曲がルボツキー,ダイヴァージョンズがカッチェン,チェロ交響曲がロストロポーヴィチ。オケは,ダイヴァージョンズがロンドン響で,ほかはイギリス室内管。
これらは,作曲家の解釈を知ることができるという意味で,拠るべきスタンダード。アルヒーフ(物置)送りなど,とんでもないと思うのだが,「ダイヴァージョンズ」を除く3つは,現在のところ,入手困難のよう。
ピアノ協奏曲にはアンスネス/パーヴォ・ヤルヴィ/バーミンガム市響,チェロ交響曲にはジュリアン・ロイド・ウェッバー/マリナー/アカデミー室内管,といった名演はあるが,作曲家の関わった演奏が簡単に入手できないというのは残念な話し。この辺りの事情,マータイさんが知ったら,「 Mottainai 」と言われるのは必至である ^^; 。

 さて,入手が容易な『ダイヴァージョンズ』だが,主題に始まり,11の変奏がくり広げられる。カッチェンの技巧に不足はないし,ブリテンの指揮も作曲家の余技を超える。
しかし,それだけに,1954年のモノラル録音はちょっと悲しい。とりわけ,「アラベスク」「歌」「夜想曲」「バディネリ」といった弱音の支配する変奏では,ピアノや弦の繊細な響きが捉え切れていないといううらみが残る。モノラルなど,録音の価値を考えれば些事に過ぎないが,耳は正直だ。頭では分かっていても,ステレオ,デジタルに慣れてしまった耳には,この不満,抑えようがない。
それにしても,皮肉なもの。生前,技巧派としてならしたカッチェンに日本人は冷淡だったといわれる。その彼のモノラル録音が現役盤で,リヒテルやロストロポーヴィチのステレオ録音が入手困難とは・・・。
因みに,カッチェンの来日はこの録音と同じ1954年の12月だった。

 ここで,ディスクをフライシャー/小澤/ボストン響に交換してみよう。
この『ダイヴァージョンズ』はフライシャーにとっては再録(1990年録音)。彼は1973年にコミッシオーナ/ボルティモア響と1回目の録音をおこなっていた。
17年の熟成を経て,フライシャー,実に見事に各変奏を弾きわけている。堂々たる「主題(マエストーソ)」,野太い「レチタティーヴォ」,芳香ただよう「ロマンス」,軽やかな「行進曲」,楚々とした「アラベスク」,甘美な「歌」,爽やかな「夜想曲」等々。ピアノを支える小澤/ボストン響は響きが美しい。ミュートを付けた金管も音が決して汚れない。
この演奏で,特筆すべきは,第9変奏の「トッカータ」。ここで見せる指揮者とオケのテクニックの冴えには言葉もない。特に,小澤の持つリズム感の素晴らしさといったら・・・。
もちろん,指揮は体操ではない。しかし,第7変奏「バディネリ」,第8変奏「ブルレスケ」の残した軽妙やほろ苦さを振り払うには,正確かつ決然としたリズムの刻みが是非とも欲しい。小澤は持ち前の強靱なリズム感でこの要求に応えている。
ブリテンの指揮も十分素晴らしいのだが,ことトッカータに関しては,小澤と比べるのは酷というもの。「小澤の指揮は本職」という声も聞こえてきそうだが,いやいや,それでは何も語っていないに等しい。そのくらいフライシャーと小澤/ボストン響の「トッカータ」は素晴らしい。この演奏には,天国のブリテンも賞賛を惜しまないのではないだろうか。
同じCD収録のラヴェルには以前触れたことがあったが,プロコフィエフ,そしてこのブリテンとあわせ,一聴をおすすめしたいディスクである。

 最後に,ブリテンの指揮した録音の話し。
このデッカの録音のプロデューサーは,ピーター・アンドリー。カルショウではない。
1954年はカルショウのキャリアでいえば初期にはあたるが,前年に,彼はブリテンの『シンフォニア・ダ・レクイエム』の録音を担当している。カルショウとブリテンは深い信頼関係にあったといわれるだけに,何故『ダイヴァージョンズ』を担当しなかったのか,この辺りの事情がよく分からなかった。
しかし,どうやらこの時期は,カルショウがデッカを退社し,米キャピトルに一時移っていた時期と重なるようだ。
カルショウの退社は,チーフ・プロデューサーのヴィクター・オロフと折り合いが悪かったことに起因している。オロフはカルショウを買っていたクリストファー・ジェニングスの後任。このチーフ・プロデューサーの交替には避けがたい理由があった。ジェニングスが1952年に急死してしまったのだ。この時,ジェニングスは未だ30歳前だったと云われる。
カルショウの宣伝部からの抜擢は,ジェニングスの慧眼による。彼がいなかったら,カルショウとショルティ/ウィーン・フィルによる歴史的な『リング』全曲録音はなかったかもしれない。

左手のためのピアノ協奏曲集・ピアノ作品集
フライシャー(レオン)
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル

このアイテムの詳細を見る

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジュリーニがシカゴ響首席客演指揮者に就任した事情

2006-06-17 10:14:55 | クラシック
 ジュリーニが亡くなったのは昨年の6月15日。あれから1年。時が経つのは本当に早い。
さて,『ショルティ自伝』(草思社)を拾い読みしていたら,こんな記述があった。

 1967年に,レイヴンのあとを受けてシカゴ交響楽団の総監督に就任したジョン・エドワーズが会いにきた。彼はライナーの後継者ジャン・マルティノンが翌年交響楽団を離れるので,私に音楽監督を引き受ける意志があるかと打診した。もちろんその意志はあったが,まだコヴェント・ガーデンに関与しているので荷が重すぎる。そこで私は,シカゴでたびたび指揮をし,交響楽団と相性のいいジュリーニと仕事を分け合うことを提案した。1年間私が音楽監督で彼が首席客演指揮者になり,翌年はたがいの役割を取り替えるという案だ。あとから考えれば実際的ではなかったと思うが,そのときはいい解決策に思えた。だがジュリーニはもっと有効な案をだした。「私は運営面の仕事はだめだが,ショルティならできる」彼はエドワーズに話した。「彼を音楽監督にしたら,私は喜んで首席客演指揮者を引き受ける」
 というわけで,シカゴ交響楽団にデビューしてから15年後の1969年秋に,私はその音楽監督になった。


 一般に,ジュリーニが,1969年から1973年までの間,シカゴ響の首席客演指揮者に就いていたことに関しては,音楽監督ショルティの「度量の大きさ」などとして語られることが多い。もちろん,ショルティがジュリーニの才能を高く評価していたのは間違いない。言うまでもないが,才能を評価するにも才能が必要だ。タークイ著『分析的演奏論』(音楽之友社)には次のような記述がある。

 ヨーロッパへ何回も足をのばしたエドワーズはショルティを説得して,ついにくどき落とした(ショルティは10年間自分のオーケストラをもっていなかった)けれども,ショルティの受諾は条件つきだった。エドワーズは,ショルティの拒否権のもとで,アソシエート・コンダクター(管理人註:「プリンシパル・ゲスト・コンダクター」の誤りと思われる)を任命しなければならないというのである。ショルティ自身は,カルロ・マリア・ジュリーニを「私とはスタイルが全くちがっている偉大な指揮者だ。聴衆とオーケストラには変化が必要だ」といって,推薦した。ジュリーニは受諾し,契約がかわされた。

 ショルティも,ジュリーニ同様,プロフェッショナル・ジェラシーから自由でいられた希有なマエストロだったようだ。もちろん,両者の理由は全く異なると思われる (^^) 。

 ところで,「彼を音楽監督にしたら,私は喜んで首席客演指揮者を引き受ける」はいかにもジュリーニらしいが,この言葉,シカゴ響が,マルティノン時代もまた魅力的なオーケストラだったことの証左といえそうだ。そうでなければ,「音楽が唯一の野心」というジュリーニが「喜んで」などと言おうはずがない。実際,1967年にジュリーニ/シカゴ響がルービンシュタインといれたシューマンのピアノ・コンチェルト(RCA)など,素晴らしい出来。
その意味で,マルティノンのレジームを「ライナーの遺産が一挙に瓦解した時代」と総括するのは間違いのような気がする。

 1969年というと,音楽監督のショルティは57才,首席客演指揮者のジュリーニは55才。シカゴ響は,程なく,ビッグ・ファイヴ,というか,アメリカのオケのトップに立つ。それは,そうだ。これ以上ないようなコンビだもの。
1973年の『タイム』誌のオーケストラ評でシカゴ響に付されていたコメントは「シネ・カ・ノン」の一句だけ。ラテン語で「必要条件をすべて備えている」を意味するらしい。この辺りは,亡くなられた三浦淳史さんの書籍に詳しい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩城宏之/メルボルン響ほか 武満徹『虹へ向かって,パルマ』

2006-06-15 19:03:23 | クラシック
 4月のある日曜日の夜,外出先からの帰宅途中,車を運転しながら,NHK教育テレビの「新日曜美術館」を聞いていた。この日の「アートシーン」のコーナーは,東京オペラシティアートギャラリーで開催されている「武満徹 Visions in Time 展」の特集。
武満徹の音楽の源泉となった美術作品などが展示されているという。耳を澄まして聞いていると,ルドン,クレーとともにミロの名前も聞こえてきた。
武満さんの『虹へ向かって,パルマ』は同名のミロの絵に触発されて書かれたものだ。どこかで武満さんが「平和で安らぎに充ちた絵」と書かれていたが,ミロの画集を開いても未だに見つけることができないでいる。「『虹へ向かって,パルマ』,画面に映し出されているかも・・・。出かけるんじゃなかった」と思ったが,もうどうにもならない。

 『虹へ向かって,パルマ』の日本初演は,1987年10月24日, 岩城宏之/メルボルン交響楽団,独奏楽器のギターは佐藤紀雄,オーボエ・ダモーレはジェフリー・クレリン(メルボルンのオーボエ首席)でおこなわれた。
その日はオール武満プロ。ほかに,『ドリーム・タイム』『ノヴェンバー・ステップス』『鳥は星形の庭に降りる』などがあった。

 この曲の紹介は,作曲家自身のプログラム・ノートによるのが一番だ。以下,『武満徹著作集5』(新潮社)のP426,427から引用させていただく。

 虹へ向かって,パルマ

 『虹へ向かって,パルマ』は,ギターとオーケストラのための『夢の縁(へり)へ』(1983)と対をなす。
『夢の縁へ』がベルギーの画家ポール・デルボーの作品に触発されたように,『虹へ向かって,パルマ』は,スペインの画家ジョアン・ミロへのオマージュとして作曲された。2曲ともに汎調性的(パン・トーナル)な,また,牧歌的な作品である。
 私は,1970年に,大阪で,たまたま Expo'70 のために日本を訪れていたミロと出会った。そして,その質朴な,カタロニアの風土を想わせる,気取らない画家に心から魅せられた。
 この作品には,後半に,カタロニア民謡『紡ぎ女』《La Filadora》が引用されているが,それはミロがもっている稚気に対しての応答であり,また,感謝のしるしでもある。


 武満さんの解説を若干補足すれば,この曲,ラトルがシェフだった頃のバーミンガム市響から委嘱されたもの。バーミンガム市響の依頼は,具体的に,「ジョン・ウィリアムスのギターを念頭に・・・」というものだったらしい。
主知的になり,肉体と感応性を失った現代音楽。『虹へ向かって,パルマ』は,このデッド・エンドを乗り越えようとした武満さんの試みの1つといって良いかもしれない。

 音楽は,哀調を帯びた調子で穏やかに進むが,最後の最後,オーケストラがもの凄い熱を帯び,再び静寂を取り戻した後,ふわっとした明るみを回復して閉じられる。鳥の鳴き声を思わせるピッコロが印象的だ。
影を抱えながら,陰鬱な印象を与えないのは,甘美なオーボエ・ダモーレの響きのせいだろうか。ギターは,大向こうを唸らせるような場面は一切なく,終始,つま弾くような感じ。ギター奏者の姿には,我知らず,指使いを確認しながら作曲したという武満さんの姿を重ねてしまう。ただ,誤解のないように言っておきたいが,武満さんのギター曲は高度な技術が要求されるのだそうだ。

 さて,表題のディスクは,日本初演時と同じ組合せの演奏。録音は1990年。
岩城さんは,『テクスチュアズ』を始め,武満さんの曲の初演をいくつも任された作曲家の信頼厚い指揮者。また,メルボルン響も,岩城さんの首席時代は,世界でもっとも武満を演奏するオーケストラといわれていた。
その意味で,この両者,武満を演奏するには最良の組合せのひとつだった。長く,深い蜜月の結果,ここでも精緻な演奏がくり広げられている。
佐藤,クレリン両氏のソロも見事。大ホールでのライヴでは,アンプの使用など,難点の生じるギターだが,幸い,録音ではそのような問題は少ない。佐藤氏のギター,「小さなオーケストラ」と呼ぶに相応しい多様な響きを聴かせてくれる。
独奏者に人材を得られないせいか,演奏される機会は多くない作品だが,名品だと思う。現代音楽を毛嫌いされている方には一聴をおすすめしたい。

 最後になったが,東京オペラシティアートギャラリーの「武満徹 Visions in Time 展」は6月18日まで。さて,武満さんが「オーボエではなく,オーボエ・ダモーレの音が聞こえてくる」と言っていたミロの『虹へ向かって,パルマ』,展示されているだろうか。
残念ながら足を運ぶことは出来ないが,公式カタログが販売されているよう。イメージから自由でいられるのが一番の贅沢,などと言って誤魔化すこともできるが,1冊2,520円。はてさて,どうしたものか・・・。

武満徹―Visions in Time
武満 徹
エスクアイア マガジン ジャパン

このアイテムの詳細を見る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩城宏之の訃報に接して

2006-06-14 21:46:23 | クラシック
asahi.com 世界的な指揮者の岩城宏之さんが死去

メルボルン響HP MSO Conductor Laureate Hiroyuki Iwaki passes away aged 73

 20年近く前,今は閉店した名曲喫茶『ルフラン』でお茶を飲んでいた時,常連さんが「岩城の病気ははガンだ。」と話すのを聞いたことがあった。
心の中で,「無責任な事を言う人だな・・・。」と呆れながら聞いていたが,間もなくそれが本当だと知った。
ただ,手術&休養→ 復帰,を繰り返すのに慣れたせいか,痩せようが,杖をついていようが,岩城さんには「必ず戻ってくる人」というイメージが定着していたような気がする。少なくとも,私はそう思い込んでいた。けれども,命には限りがある。こんな当たり前のことを忘れていたなんて,全くどうかしている。

 岩城さんで思い出すのは,昔,NHKの番組で,ベートーヴェンの「ジャジャジャ,ジャーン」という運命の動機を使ってブラインド・フォールド・テストをした時のこと。
ベーム,カラヤンといった有名どころの指揮者の演奏を使って誰のものか当てるという趣向だったが,回答者の岩城さんが,最後も,それまでと同様,やはり超有名指揮者の名前をあげたところ,答えは誰あろう,「岩城宏之」その人だった。岩城さん,顔をクシャクシャにして恥ずかしそうにしていたっけ。あれはおかしかったなぁ。
今にして思えば,岩城さんは,N響正指揮者という,言わばNHKの「身内」。だからこそ許されたお遊びともいえるが,あれが出来たのは岩城さんの人柄,人徳があったからこそ,という気がする。少なくとも,あれを見て,「あー,みっともない。」などと思った人はいなかったのではなかろうか。

 岩城さん,今頃,朝比奈さんあたりから「やけに早かったな。」などとどやされているのではないだろうか。向こうは賑やかになったと思うが,こちらはその分寂しくなった。
しかし,わたしたちが「岩城さんの不在の重さ」を知るのはこれからだと思う。私たちはその本当の意味に未だ気付いていない,そんな気がする。

 岩城さん,素晴らしい音楽,ユーモア溢れる文章,愉快なおしゃべりで,私たちを楽しませて下さり,ありがとうございました。ゆっくりお休み下さい。合掌。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グリュミオー/クロスリー フォーレ『ヴァイオリン・ソナタ第1番』

2006-06-12 21:49:17 | クラシック
 先日は,このブログで生意気を省みず,デュメイにはフォーレのヴァイオリン・ソナタの再録を期待したい,などと書いた。

デュメイは,ジャン=フィリップ・コラールと2曲あるフォーレのヴァイオリン・ソナタを録音している。この演奏は,1976年6月から1978年12月にかけてデュメイ,コラール,ゲスタンといったフランスの若手が中心となって録音されたフォーレ室内楽曲全集(EMI)に納められている。

 この演奏,活気溢れるものだが,正直なところ,フォーレというには些かドラマティックに過ぎるように思う。特に,ヴァイオリンを煽り立てるようなコラールのピアノには違和感を禁じ得ない。
デュメイ/コラール盤には素晴らしい瞬間がいくつもあることは認める。しかし,2人には申し訳ないが,この演奏,私には同曲の最上のものとは思えない。

 さて,ここで,グリュミオーがクロスリーといれたディスクと交換してみる。
グリュミオーの美音は今更言うまでもない。もっとも,一口に美音と言っても,艶めかしさの残るデュメイのそれとは随分異なる。グリュミオーの場合は清潔そのもの。必要以上に細部に耽溺するといった煩わしさがないのも,フォーレでは好ましい。

 しかし,私は,時々,この録音を名盤たらしめているのは,ヴァイオリンの美しさもさることながら,ピアノの設定する絶妙なテンポなのではないかと思うことがある。第1楽章冒頭の歌い出しなど,惚れ惚れするような心地良さ。
もちろん,このテンポ,2人の話し合いのもとに決められたものであろう。ひとりクロスリーのものというのは間違っている。しかし,言うまでもないが,弾く人間がいないことには音は出てこない。やはり,クロスリーのピアノが素晴らしいのだ。
このテンポを始めとして,グリュミオーの意図を汲みながら,さり気なく彼を支えるクロスリーの功績,普通に考えられている以上に大きいような気がする。どうだろうか。

フランクやドビュッシーのディスクによっても証明済みとはいえ,この人のピアノ,本当にセンスが良い。

フォーレ:VN・ソナタ第1~3
グリュミオー(アルテュール)
マーキュリー・ミュージックエンタテインメント

このアイテムの詳細を見る


Faure: Violin Sonatas Op. 13 & Op. 108 / Frank
クリエーター情報なし
Philips Import
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジュリーニ/シカゴ響 ブラームス『交響曲第4番』

2006-06-11 18:48:02 | クラシック
 ひと昔,いや,ふた昔前のCDのカタログを開くと,ジュリーニ/シカゴ響のブラームスの交響曲第4番には次のようなコメントが付されていた。

 69~73年にかけてジュリーニがシカゴSO.の首席客演指揮者をつとめていた時代の録音で,ストラヴィンスキーの組曲「火の鳥」「ペトルーシュカ」に次ぐ同SO.との第2作であった。当曲はこれが唯一の録音である。 

前段はともかく,後段は誤りである。シカゴ響との録音は1969年10月だが,ジュリーニはこの前年,ニュー・フィルハーモニア管と4番をいれている。
因みに,日本での発売はシカゴ盤が先。ニュー・フィルハーモニア管との録音がフィルハーモニア管との1番~3番とあわせた全集盤の1枚として発売されたのはそんなに昔の話しではなかったような気がする。確か,DGからウィーン・フィルとのブラームスの交響曲全4曲が出された後ではなかったか。

それにしても,オケが違うとはいえ,同じ指揮者が,同じ曲を,同じレーベル(EMI)に,2年連続で録音するというのは異例ではないだろうか。この理由,今もってよくわからない。
ジュリーニがニュー・フィルハーモニア管との録音に満足できず,首席客演指揮者就任を機にシカゴ響といれ直した,といった辺りが事の真相かとも思うが,どうだろう。
このようなことを書くと,ニュー・フィルハーモニア盤に何か問題があるように思われる向きもあるかもしれないが,決してそんなことはない。第1楽章の弦のカンタービレの美しさなど,シカゴ盤を凌ぐ。全体として,いつもの「慌てず,騒がず」というジュリーニのイメージにより近いのは,むしろ,ニュー・フィルハーモニア盤の方である。

 さて,一方のシカゴ盤。翌年の録音だから,もちろん,ニュー・フィルハーモニア盤と基本において変わりはない。弦楽器はたっぷり歌う。息の長さはジュリーニならでは。
敢えて言えば,シカゴ盤の方が音楽の起伏が幾分大きい。第1楽章冒頭のヴァイオリンによる呈示部など,「嘆息」と呼ぶには激し過ぎるほどである。また,総じて管楽器の響きが明快。やはり,アメリカのオケである。

 最後になったが,この盤で注意して聴いていただきたいのは,第2楽章。とりわけ,チェロによって奏される第2主題の美しさ。この楽章は本当に素晴らしい。

ブラームス:交響曲第4番
ジュリーニ(カルロ・マリア)
EMIミュージック・ジャパン

このアイテムの詳細を見る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デュメイ/ピリス ラヴェル『ツィガーヌ』

2006-05-30 22:33:49 | クラシック
 N響で第1ヴァイオリンを弾いている鶴我さんが,『200CDヴァイオリン 弦楽器の名曲・名盤を聴く』のデュメイの項目の冒頭で,何とコメントしているかご存じだろうか。
曰わく,「写真で見ると,ノーメイクで『アダムズ・ファミリー』に出られそうな顔をしているが,デュメイの出す音は,深い想いに満ちている。」

 いくら何でも,これはあまりである。さすがに5分程度のメイクは必要であろう。私としては,ここは体を張ってでもデュメイを擁護したい。
確かに,私自身,デュメイがヴェロニカ・ハーゲンと入れたモーツァルトのK.364のジャケット写真を見て,「ふん,さながら,『Beauty and the Beast』といったところだな。ピリスというものがありながら,よもや, Beast ,麗しのヴェロニカに・・・」などと思ったのは事実である。認めよう。
しかし,「ノーメイクで『アダムズ・ファミリー』に出られそうな顔」と言ってしまっては身も蓋もない。その後にいかなる美辞麗句を重ねようとも手遅れである。「深い想い」はそのまま奈落の底に沈んでしまったことだろう。

 私は,この数日,上記の言辞が,デュメイの来日を遠ざける遠因となっていないか,日仏の文化交流等に影を落としてはいないか,など深く憂慮している。ワールドカップどころの話しではない。私でよければ,デュメイはもちろんのこと,親愛なるシラク大統領閣下とフランス国民に対し謝罪したい。上記のように思っているのは,必ずしもそうは多くないはずだと。

 さて,本CD収録の演奏,いずれも秀逸だが,デュメイの Beast 振りがいかんなく発揮されているのは,最後の『ツィガーヌ』。たっぷりとした導入部も素晴らしいが,これに続く主部がまた,細部にまで神経の行き届いた演奏。ピリスのピアノに支えられ,デュメイのヴァイオリンが,千変万化,めくるめく音色で様々な表情を見せる。題材からすれば,「フランス物」と言うには躊躇もあるが,そこは,やはりラヴェル。演奏者の血肉となっているのは疑いない。

 ジャン=ジャック・カントロフなどに比べ,地味な印象もあったデュメイだが,今や,紛う方なく,フランコ=ベルギー派のトップ。デュメイにはフォーレのヴァイオリン・ソナタの再録を希望したいところだが,はてさて,かなうだろうか。

フランク/ヴァイオリン・ソナタイ長調
デュメイ(オーギュスタン) ピリス(マリア・ジョアン)
ポリドール

このアイテムの詳細を見る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プリンツ/ベーム/ウィーン・フィル モーツァルト『クラリネット協奏曲』

2006-04-30 18:51:06 | クラシック
 少し前,山崎浩太郎著『名指揮者列伝 20世紀の40人』を読んでいたところ,ベームの項の冒頭,次のような記述があった。以下,引用したい。

 日本人にとって,カール・ベームとは何だったのか。このことを考えてみるのは,1980年前後の日本のクラシック界を見わたすひとつの方法になるかも知れない。
 とにかく,現在では想像もつかないほどの人気を,70年代後半から80年代前半にかけて持っていた指揮者だった。
 その人気の原因のひとつが,「帝王」カラヤンの存在にあったことは疑いないだろう。
一般家庭でも大きなステレオ・セットを買い,ピアノを買い,豊かになってゆく時代のクラシックを象徴するのが,カラヤンとベルリン・フィルによるレコードだった。当時のサラリーマン社会では,クラシックに興味のない顧客に対しても,接待に使える唯一の演奏会チケットが,カラヤン&ベルリン・フィルの来日演奏会だったという。誰もが少なくともその名前と風貌を知っている,そんな存在がカラヤンだった。
 べームは,そのカラヤンに対置される存在だった。カラヤンの存在が大きくなればなるほど,音楽ファンが心のなかのバランスを取るために,ベームを求めていったように思う。
マリア・カラスに対するレナータ・テバルディのようなもの,ともいえるかも知れない。現世の栄華を謳歌するスターに対置される,伝統を引き継ぐ実力者。


 帝王没後,「通」と言われる人達も安んじて豪奢な彼の音楽を楽しむことができるようになったためだろうか,あちらの声望はむしろ上がったような気がする。他方,ベームの人気凋落は目を覆わんばかりである。
山崎氏の見立てを勝手に引き継いで言うなら,ベームは,帝王の死とともにお役御免,お払い箱になったというところだろう。
ベームが亡くなったのは1981年8月14日。だが,真に,ベームが指揮者としての命脈を断たれたのは1989年7月16日だったと言えるのかもしれない。どこかのスパイ映画のようで恐縮だが,ベームは2度死んだ,ということになりそうだ。

 ベームが凡庸な指揮者であったなら,この現象,理解の範囲であるし,とりたてて同情するまでもない。帝王存命中ならともかく,彼が亡くなった以上,ベームが「伝統を引き継ぐ実力者」としての任を解かれるのは,自然な成り行きである。
しかし,他はどうか知らないが,私は,このようなベーム凡庸説に同調することはできない。
私がベームのディスクで知っているものなど,本当にごくごく僅かなものに過ぎないが,モーツァルト『コシ・ファン・トゥッテ』,バックハウスとのブラームス『ピアノ協奏曲第2番』,ブルックナー『交響曲第4番』など,今もって,ワン&オンリーと言って良いものである。ベームには恩義があるのだ。同調などできようはずがない。聴衆が勝手に持ち上げ,勝手に放逐した,これがベーム現象の真実であろう。全て,ベームの預かり知らぬことである。

 さて,モーツァルトのクラリネット協奏曲。
普段はマーセラス/セル/クリーヴランド管で聴くことが多いが,このプリンツ/ベーム/ウィーン・フィル盤も素晴らしい。ともに,独奏者に,楽団のファースト・チェアをたてての演奏である。
明快でやや硬質な響きのマーセラスに比べ,プリンツのクラリネットはどこまでも柔らか。音域の広さも十分。晴朗な晩秋を思わせる第2楽章アダージョ後半部の楚々とした佇まいも味わい深い。
 プリンツには申し訳ないが,早々にベームの指揮へ。ここでのオケ,楽器間のバランスが絶妙である。どの声部を抑え,どれを前面に押し出すかといったことは,言ってみれば,指揮者の数だけあるに違いない。しかし,この演奏に限らず,ベームの作り出す音楽を聴いていると,まさに,あるべきフレーズが,あるべきボリュームで配置されていると思わざるを得ない。これ見よがしに特定の楽器を鳴らすといった「あざとさ」がないせいだろう,繰り返し聴いていても厭くということがないのだ。汲み尽くせないものが凝縮されているという印象は何度聴いても変わらない。
 久しぶりに聴いておやっと思ったのは,ウィーン・フィルの響き。ウィーン・フィルは,弦をはじめとして,ビロードやシルクに喩えられることが多いオケ。しかし,ベームの棒の下では,幾分ザラッとした質感の響きを聴かせている。しかし,決して不快ではなく,むしろ,心地よささえ覚える響きである。これは,昨今の,スルリと手をすり抜けていくような滑らかで軽い響きとは随分違うような印象を受ける。

 最後もベームの話し。
ベームが名をなしたのは,長生きしたからだ,と言う者もある。しかし,これはフェアな物言いではない。ベームは,戦前のザクセン時代,既に自分の理想とするレパートリー・システムを導入し,名声を確立していた。ベームの成功の多くがその長命によってもたらされたなど,余りに礼節を欠く表現といえないか・・・。
なるほど,ベームの音楽には,フルトヴェングラーの精神性,カラヤンの豪奢はなかったかもしれない。
しかし,そこには,まさに,モーツァルトがあり,シューベルトがあり,ブラームスがあり,R.シュトラウスがあったではないか。それ以上一体何を望むというのだ?

モーツァルト:オーボエ協奏曲
ベーム(カール)
ユニバーサル ミュージック クラシック

このアイテムの詳細を見る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阪哲朗/N響 メンデルスゾーン『真夏の夜の夢 序曲』

2006-03-02 23:19:43 | クラシック
 26日のN響アワーで,阪哲朗/N響の『真夏の夜の夢 序曲』を聴いた。これは,2003年9月の第1493回定期Aプロの1曲目に演奏されたもの。阪は,この定期がN響との初顔合わせ。コンマスは,麻呂殿。

 ご存じのとおり,この曲,木管による長い4つの和音の後,弦楽器群の弱音で微妙に揺れ動く旋律で始まる。しかし,この時の演奏は,はっきり言って,揺れ動くというより,ずれていた。それも,かなり。後半は持ち直したが,よりによって,何故,このような演奏をオンエアするのか,と訝しく思いながら聴いていた。

 そして,今日,口直しにと(失礼),プレヴィン/ウィーン・フィルで同じ曲を聴いたところ,あろうことか,こちらも少し怪しい。もちろん,プレヴィンの語り口のうまさはいつも通り。しかし,冒頭は・・・。
この後,「やっぱり,セル/クリーヴランド管」と,口直しの口直しで(またまた,失礼),同曲冒頭を聴いてみた。が,思ったほど ^^; 。思うに,阪/N響,それほどひどい演奏ではなかったのかも。日にちが経つにつれ,段々自信がなくなってきた。
因みに,この時のプログラムには,他に,ユンディ・リをソリストに招いてのショパン『ピアノ協奏曲第1番』,シューマン『交響曲第1番 春』が入っていた。ショパンのコンチェルトは,以前,N響アワーでもオンエアされたような気がするが,どのような演奏だったか,ほとんど記憶にない。

 さて,セル/クリーヴランド管。
確かに,冒頭の弦のアンサンブルは,あのクリーヴランドにしては,という出来。しかし,ホルン群は相変わらず凄い。幻想の世界へ誘うというよりは,精神を覚醒させる勇壮な響き。録音は,1967年。ホルン・トップは,言わずと知れた,マイロン・ブルーム。同じ『真夏の夜の夢』の「夜想曲」における夢幻的なホルン・ソロも見事。素晴らしい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする