goo blog サービス終了のお知らせ 

音楽と映画の周辺

核心ではなく, あくまでも物事の周辺を気楽に散策するブログです。

アバド/ルツェルン祝祭管 ドビュッシー『交響詩「海」-3つの交響的素描』

2010-01-03 08:31:14 | クラシック
Debussy La Mer movement 3 Abbado


 表題曲が収められたDVDは,2003年8月14日のルツェルン音楽祭初日のガラ・コンサート後半の模様を収録したもの。この『海』,演奏としては素晴らしいものだが,一箇所,「おやっ?」と思ったところがある。
ご存じの方も多いと思うが,『海』には,録音により,第3楽章「風と海の対話」において,

(1)練習番号60の直前8小節のトランペットの合いの手の有無
(2)練習番号62のコルネットの音型
(3)練習番号63のコーダのコルネットの3連音の有無

に違いが見られる。
この辺りの詳細は熊蔵さんのHP「海のXファイルへのエスキース」をお読みいただくとして,アバド盤の(1)は「合いの手有り」,(3)は「コルネットの3連音有り」である。「おやっ?」と思ったのは(2)に関わること。

ここは,コーダへの導入部にあたる極めて重要なところ。その音型の如何に関係なく,コルネットにとっては聴かせ所である。
ステージ奥のコルネット奏者は,指揮台上のアバドのほぼ真正面。しかし,アバドにはコルネット奏者にアインザッツを送る様子など一切なく,やおらチェロとコントラバスの方に向き直り,左手でステージ床面を指さしながら,「低弦,アグレッシヴに!」と言わんばかりに彼らを煽っている。ここでのアバドは,自ら弦楽器を弾くような仕草をするほどの入れ込みよう。
ここで強調されているのはあくまで低弦。本来華々しく鳴り響いているはずのコルネットはほとんど聞こえないと言っていいほど。映像も,ゴリゴリ鳴る低弦の音と合わせるように,クリスティーネ・フェルシュ嬢らコントラバスの3人を大映しにしている。
ということで,このアバド盤の(2)は,言うなら,「コルネット無し」に近い。いやはや,こういうのは初めて。興味深く聴いたが,この試み,成功しているかはまた別の話し。
なお,この『海』,チェロの数がかなり多い。もしかしたら,ドビュッシーの指示通り,16人乗っているかもしれない。ルツェルン祝祭管のメンバー表を開いてみると,チェロ奏者としてきっかり16人の名前が記載されている。

追記1 ルツェルン祝祭管のメンバー表を眺めていたところ,2nd Violinの中ほどに「Alexander Kagan」と「Maria Kagan」という名前があるのに気付いた。どうやら,お二人とも,夭折した故オレク・カガンとナターリャ・グートマンのお子さんのようだ。なお,グートマンもこのガラ・コンサートに参加しており,ゲオルク・ファウストの隣でチェロを弾いている。

追記2 私が持っているDVD(GENEON GNBC-1009)では,練習番号62のコルネットは,パッセージの最後の切れ端がほんの少し聞こえるだけ。まぁ,「聞こえない」と言ってしまっても,間違いにはならないと思う。
しかし,先日,同じ演奏を YouTube で聴き直し,驚いた。こちらでは,7分38秒以降,弱々しくはあるものの,前半2小節の「2連符・3連符・2分音符」,後半2小節の「2連符・3連符・2連符・3連符」のコルネットの音型がはっきり聞こえたからだ。YouTube は聴いているがDVDは聴いていないという方の中には,本文を読んで不可解に思われた方もいるかもしれないが,この2つ,聞こえ方がまるで違うのだ。
思い返せば,この演奏,DVD購入前に YouTube で聴いていたが,その時は件の箇所について不自然な印象をもったという記憶がない。前から不思議に思っていたことなのだが,なるほど,得心がいった。 

ドビュッシー:神秘劇《聖セバスティアンの殉教》、交響詩《海》アバド [DVD]

ジェネオン エンタテインメント

このアイテムの詳細を見る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アルゲリッチ/アバド/ベルリン・フィル ラヴェル『ピアノ協奏曲』

2009-12-28 20:25:37 | クラシック
 作曲家から表題曲を献呈されたマルグリッド・ロンは,『ラヴェル-回想のピアノ』(音楽之友社)の中で該曲について次のように書いている。

 作品は難しいものでしたが,最もたいへんな楽章は,どうやら間違いなく2楽章です。1楽章のすべての幻想とオーケストラのすばらしい妙技の後,ピアノ・ソロでこの長い,頗る長いメロディーを弾く難しさの前で,そして,すらすら流れるこの大きなフレーズをこんなにゆっくりしたテンポでうたい,守る難しさを前にして,毎回どれだけ不安な気持になるかを,私は或る日ラヴェルに言ったことがあります。すると彼は大声で「そう,流れているんです。だけど僕はこれを2小節ずつ積み重ねるように創っていったんですよ。もう死にそうだったんですよ。」と言ったのです。

 モーリス・ラヴェルは,晩年,不可解な病気のためにほとんど作曲活動をすることができなかった。臨床神経学等がご専門の岩田誠先生(東京女子医科大学名誉教授)は,モンフォール・ラモリーにあるラヴェルの旧居を訪れたことをきっかけにラヴェルの病気に興味を持ち,その著書『脳と音楽』(メディカルレビュー社)の「第2章ラヴェルの病い」で,ラヴェルの病気に対するご自分の所見を述べておられる。岩田先生の診断は「メズラム」。「メズラム」とは,ボストンの神経学者メズラムが提唱した「全般性痴呆を伴わない緩徐進行性失語症」のことをいう。ラヴェルの,署名ができない,辞書の助けを借りながらちょっとした短信を書き上げるのにも1週間もかかる,といった表出性の障害の症状はまさに「メズラム」の特徴と合致するのだとか。

この病気で不思議なのは,表出性の障害の一方で,知能や情動などの一般的な知的能力はよく保たれているということ。ラヴェルもその例に漏れないことは,1933年11月に彼がヴァランティーヌ・グロスに語った言葉からもうかがえる。ラヴェルは,構想していたオペラ『ジャンヌ・ダルク』について詳細に語った後,突然それを打ち切り,「ヴァランティーヌ,僕はこの『ジャンヌ・ダルク』を書くことはできないだろう。僕の頭の中で,このオペラはもうできている。僕にはそれが聴こえている。だけどもう決して書くことができない。もうだめなんだ。僕は僕の音楽を書くことができないんだ。」と語ったという。ラヴェルが失ったものは,「内面の音楽そのもの」ではなく,「音楽を表出する術」だったのだ。この点,晩年のラヴェルを「廃人同様の生活を送った」などと書くものも見受けられるが,それは誤りである。ラヴェルは最期まで廃人などではなかった。
それにしても,何たる悲劇。「オーケストレーションの魔術師」とまで呼ばれた人がよりによってこのような病気に罹ってしまうとは・・・。

 岩田先生によれば,ラヴェルの作品で病気の発症後に作曲されたことが明らかなのは,『ボレロ』(1928年),『左手のためのピアノ協奏曲』(1930年),『ピアノ協奏曲』(1931年)及び『ドゥルネシア姫に思いを寄せるドン・キホーテ』(1932年)の4曲。
岩田先生が,当初,これらの作品の中に痴呆等の痕跡を見つけようとして着目されたものに,上掲のピアノ協奏曲に係る「僕はこれを2小節ずつ積み重ねるように創っていったんですよ。もう死にそうだったんですよ。」という言葉がある。おそらく,岩田先生は,この言葉の中に「名曲の誕生に彩りを添えるエピソードや言葉」とは異質なものを感じ取られたのだろう。しかし,岩田先生ご自身告白されているとおり,このピアノ協奏曲から聞こえてくるのは痴呆とは無縁の響き。友人から「病気が演奏に反映しているでしょうか?」と問いかける手紙と共に贈られたという,ロン独奏,ラヴェル指揮ラムルー管によるピアノ協奏曲の演奏(1932年録音)をお聴きになっても,「ここには彼の病いはその姿を現すことができませんでした。」と答えたい,とお書きになっている。センシティヴな表現からは,岩田先生の心優しさ,そしてラヴェルに対する敬愛の念が伝わってくる。

 さて,表題は,1967年録音のアルゲリッチとアバドの初共演盤に収められたもの。40年以上前の録音だが,リズムの切れの良さなど,演奏の鮮度は今もって失われていない。ベルリン・フィルも優秀。第1楽章終結部など,彼らの表現意欲は実に旺盛だ。
いずれの楽章も素晴らしいが,やはり,白眉は第2楽章アダージョ・アッサイ。冒頭の3分近くにも及ぶピアノ・ソロから始まり,フルート → オーボエ → クラリネット → フルートと受け渡されていく旋律の美しさは,もはや,この世のものとは思えない。ラヴェルはこの楽章をモーツァルトのクラリネット五重奏曲のラルゲットを手本にしながら作曲したという。
久しぶりに聴き直し,気付いたことがある。それは,第2楽章後半にあるコール・アングレの素晴らしさ。録音によりピアノとのバランスが様々な箇所だが,表題の録音は,ピアノを幾分抑え気味にしてコール・アングレを浮き立たせるという行き方。その配慮に違わず,コール・アングレは,2分間,しみじみとした演奏をくり広げる。この楽章で求められるのは,大きな身振りなどではなく,慎ましさ。コール・アングレは,楽章の開始から6分46秒の辺りでほんの少し変化をつけているほかは淡々と吹きすすんでいく。これは滋味溢れる名演だと思う。
このコール・アングレは,もちろん,シュテンプニクによるものであろう。彼の名演と言えば『トゥオネラの白鳥』が有名だが,このラヴェルのピアノ協奏曲での演奏もそれに劣らないものだと思う。なるほど,フルトヴェングラーがオーボエからコール・アングレに移るよう懇請したというのも頷ける話し。因みに,ローター・コッホのベルリン・フィル入団は1957年。フルトヴェングラーが亡くなったのは1954年である。

 ラヴェルが,脳腫瘍などの疑いから,クロヴィス・ヴァンサン教授による開頭手術を受けたのは1937年12月19日の月曜日のこと。大脳皮質の萎縮は認められたものの,腫瘍も血腫も見つからずに手術は終了した。手術後,ラヴェルはいったん意識を回復したが,その後昏睡状態に陥り,9日後の12月28日には帰らぬ人となった。
ところで,弟子のロザンタールによれば,手術は,当初,前週の金曜日に予定されていたのだが,他の緊急手術のため延期されたのだそうだ。そのため,ラヴェルはその週末を病院に近い友人ドラージュの邸で過ごすことになった。そして,この延期により,印象的なひとつのエピソードが残された。
日曜日,ラヴェルを囲む晩餐会でつけられたラジオからは,アルベール・ヴォルフ指揮パドゥルー管による『ボレロ』が流れてきた。折しも,パリではラヴェル・フェスティバルが開催されていたのだ。ラヴェルはこれを聴きながら大きな笑い声を上げて膝を叩き,次のように言ったという。

 あぁ,ぼくが作曲をしていたなんて,うそみたいだよ。

プロコフィエフ&ラヴェル:ピアノ協奏曲
アルゲリッチ(マルタ),アバド(クラウディオ)
ユニバーサル ミュージック クラシック

このアイテムの詳細を見る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トゥレチェク/べーム/ウィーン・フィル モーツァルト『オーボエ協奏曲』(1)

2009-12-20 20:13:42 | クラシック
 ヤマハにウィンナオーボエの製作を依頼したのは,その当時,ウィーン・フィルの首席オーボエ奏者であったゲルハルト・トゥレチェク。ワルター・ジンガーからの「ウィーン・タイプのロータリー式トランペットの製作」という依頼に見事に応えたヤマハの誠実な仕事ぶりを見聞きしての決断だったようだ。その背景には,長年使われてきた楽器(ヘッケル社製等)の疲労と専門の楽器職人の払底等があったとか。
佐々木直哉氏は,『200CD ウィーン・フィルの響き 名曲・名盤を聴く』(立風書房)の中で,トゥレチェクを「カメシュらの「正調ウィンナオーボエ」と,ガブリエルら「新時代ウィンナオーボエ」の橋渡し役」と位置付けたうえで,「変革者」「突破者」と評しておられる。なるほど,上手いことをおっしゃる。東洋のメーカーへの依頼には楽団内部からも批判が少なくなかったと聞くから,「突破者」は言い得て妙である。
しかし,「カメシュらの「正調ウィンナオーボエ」と,ガブリエルら「新時代ウィンナオーボエ」の橋渡し役」という表現から,トゥレチェクのオーボエをカメシュとガブリエルのそれらを足して2で割ったような中途半端あるいは過渡的なものと考えるなら,それは間違いというほかない。この人のオーボエには,「橋渡し役」という表現には収まりきらない固有の,そして独特の響きがある。その響きは,同い年(1943年生まれ)のレーマイヤーのそれともまた違うものである。
伝統的にウィーン・フィルのオーボエ奏者はあまりヴィブラートをかけないといわれる。しかし,トゥレチェクのオーボエは,音が減衰していく時などそうだが,響きが微妙に揺れる。これが,彼が使用する楽器の構造や癖によるものなのか,それとも,その奏法によるものなのかはよくわからないけれど,その響きは一度聴いたらちょっと忘れられない。フレンチオーボエに比べれば,全体として鄙びた響きであることは間違いない。しかし,表題録音の第1楽章開始間もなくにあるオーボエの上昇音型など,輝かしさ,力強さも欠いていない。なるほど,第3楽章中間部でくり広げられる華やかなパッセージは,ホリガーらの演奏を知っている耳からすれば,幾分物足りなさも残る。しかし,この点は楽器の構造上致し方ないところもあるし,これはこれで別なる味わいを有していると思う。いずれにしても,この録音を聴けば,トゥレチェクは,演奏それ自体においても「突破者」だったということがよくわかる。病を得たためわりあい早くに引退してしまったが,ゲルハルト・トゥレチェク,やはり,忘れられない名オーボエ奏者のひとりである。
因みに,トゥレチェクは,1985年に,プレヴィン,そして他のウィーン・フィルのメンバーと共に,モーツァルトとベートーヴェンのピアノ五重奏曲を録音している。表題の録音時(1974年)に使用したオーボエがヤマハ製でないのはほぼ間違いないが,プレヴィンらとの録音にはヤマハ製のオーボエを使用した可能性が高い。こちらは現在のところ未聴だが,いつか響きを比較してみたいものだ。

 最後になったが,ご存じのとおり,表題曲には,コッホ,ホリガー,ブラック,シェレンベルガーによるものなど名盤が少なくない。しかし,トゥレチェク盤は,それらと比較してもなお独自の存在価値を有していると私は思う。未だ聴いていないという方は是非ご一聴を。

モーツァルト:オーボエ協奏曲
ベーム(カール)
ユニバーサル ミュージック クラシック

このアイテムの詳細を見る
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴールウェイ/東京クヮルテットのメンバー モーツァルト『フルート四重奏曲第1番』

2009-12-13 19:18:31 | クラシック
 フルート,ヴァイオリン,ヴィオラ及びチェロという編成。この編成の曲は,大きく分けると,フルートと常設のユニット(トリオ,あるいはクヮルテットのメンバー etc)の組み合わせか,4人とも独奏者という全くの臨時編成,で演奏される。この説明に好都合なのがランパルの録音。彼のパスキエ・トリオとの盤は前者,スターン,アッカルド及びロストロポーヴィチとの盤は後者にあたる。私が聴いたパスキエ・トリオとの盤は,1982年9月のアスコーナ・ライヴの方だが,これは活気ある好演。一方,スターンらとの盤は,功成り名を遂げた音楽家の共演といった風情(昼は享演,夜は饗宴とか,というのは冗談)。演奏は,大味は言い過ぎとしても,アンサンブルとしては少し緩いという印象。録り方も,「4人の巨匠の顔を満遍なく立てました」という感じ。主役のフルートをじっくり聴きたい私には,弦の動きが幾分せわしなく感じられる。

 表題曲は,上記で言えば前者にあたるゴールウェイと東京クヮルテットのメンバーによるモーツァルトのフルート四重奏曲全5曲(1曲はオーボエ四重奏曲の編曲版)が収められたディスクからの1曲。このディスク,曲によってピーター・ウンジャンと池田菊衛がヴァイオリンを分け合っているが,第1番のそれは池田菊衛。因みに,ヴィオラは磯村和英,チェロは原田禎夫。
ゴールウェイのフルートの美質は「息の長い伸びやかな歌」にある。このゴールウェイ盤には同じ曲のブラウ盤に聞く軽快さはないかもしれない。しかし,横溢する歌心はその不足を補って余りある。ここでもゴールウェイのフルートは心置きなく歌っている。第1楽章の演奏時間は7分24秒。通常の演奏よりは1分近く長いけれど,間延びしたような感じは全くない。
この演奏中の白眉は,何と言っても第2楽章アダージョのカンティレーナ。この哀愁,悲愁の前には言葉がない。アンリ・ゲオンは,この楽章につき,その著書『モーツァルトとの散歩』の中で,「第2楽章では,蝶が夢想している。それはあまりにも高く飛び舞うので,紺碧の空に溶けてしまう。ゆっくりとしてひかえ目なピッチカートにより断続されながら流れるフルートの歌は,陶酔と同時に諦観の瞑想を,言葉もなく意味も必要としないロマンスを表している。」と書いている。
この第2楽章から第3楽章ロンドーにはアタッカで入るのが通例。ブラウとブレイニンほかのアマデウスのメンバーは,第2楽章で失速すれすれのテンポをとったうえで,結び間際に更に一旦テンポを落とし,そのまま,少し速過ぎると思われる程のテンポで第3楽章に入る。技術的には申し分ないのだが,音楽としては,ちょっと作為の匂いが強いという感じがしなくはない。
その点,ゴールウェイらの演奏は自然。ゴールウェイ盤のこの部分,喩えるなら,アダージョの悲愁に同化してひとりしんみりとしていたところを,笑顔の知己からポンと肩を叩かれはっと我に返る,といった感じだろうか。ここの情趣の転換は実に鮮やか。
東京クヮルテットのメンバーも,フルートを立てながら,よく歌っている。もはや無いとは思うが,このクヮルテットに対する「正確だけが取り柄」などという評は全くの誤解である。
表題の第1番のほか,第4番なども素晴らしい。是非ご一聴を。

Flute Quartets
Tokyo Qt
RCA

このアイテムの詳細を見る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

C.デイヴィス/ボストン響 シベリウス『交響曲第7番』

2009-12-06 15:11:38 | クラシック
 表題曲が収録されたディスクは,C.デイヴィスとボストン響のシベリウス交響曲全集から分売されたもの。この第7番は,カップリングの第5番とともに,1975年,全集の第1段として録音されたものである。三浦淳史氏の著書によれば,C.デイヴィスは1974年から1975年のシーズンに4つのプログラムでボストン響の定期に登場。第7番はその3つ目のプログラムのメイン曲としてとりあげられている。因みに,第5番は1つ目のプログラムのメイン曲。
表題曲が収録されたレコードには,当初,前エントリであげたW.G氏の名前がクレジットされていたらしい。ご存じのように,シベリウスの第7番では,冒頭のアダージョほかでトロンボーンが重要な主題を奏する。名前のクレジットは,この録音を期に引退する同氏へのはなむけの意味も込められていたようだ。

 さて,C.デイヴィスの第7番。冷涼な空気感,清冽といったものを思い浮かべながら聴いた方はちょっと(相当?)戸惑われるのでは・・・,と思うほど熱が入っている。
とにかく,冒頭のアダージョから弦の濃厚な歌い方が凄い。音楽はまるでマーラーのアダージョ楽章かのよう。指揮者は,所々で呻き声を漏らすなど,音楽に没入し切っている。なるほど,この録音で得心がいった。C.デイヴィスに付いてまわる「穏健」「中庸」といった評価がその音楽性を必ずしも的確にとらえたものではないということを。
ボストン響も,C.デイヴィスの時に煽り,時に弛める融通無碍な棒によく反応している。アダージョ後半からヴィヴァチッシモの弦のうねりに至るまでの短い奏句のたたみかけなど,実に見事だ。
それにしても解せないなぁ。この組み合わせのシベリウスは第2番ほかをフィリップスのエクセレントコレクションで聴いているだけだが,そちらについてはこの第7番で感じたような目覚ましい印象といったものがまるでないのだ。このエクセレントコレクション,今では甥っ子のものになっている。いつか彼から借りて聴き直さなくては。

 最後に再びW.G氏のトロンボーンの話し。この第7番での出来については,名前のクレジットがご本人の栄誉となったのか疑わしい,とだけ書いておこう。因みに,私の所有するリマスター盤のCD(464 740-2)にW.G氏の名前はない。

シベリウス:交響曲第5&7番
デイヴィス(サー・コリン)
ユニバーサル ミュージック クラシック

このアイテムの詳細を見る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小澤征爾/ボストン響 ラヴェル『ボレロ』

2009-11-30 20:42:47 | クラシック
 先日,或るオークションサイトを覗いたところ,小澤指揮の『ボレロ』が出品されているのに気付いた。タイトルをクリックすると,ライナーの表紙にはえび茶のフィリップスカラーが。瞬時に「あぁ,いれ直してたんだ」と思ったが,そうではなく,それは1970年代にDGにいれたボストン響との録音であった(出品されていたのは,BELARTのオムニバス盤。ライナーの表紙の基調がフィリップスカラーだったのは偶然)。

 小澤は,スタインバーグの後任として,1年間の音楽顧問を経て,1973年のシーズンからボストン響の音楽監督に就任。ボストン響との録音としては既にベルリオーズ『ファウストの劫罰』等もあったが,作曲家の生誕100周年を記念した『ラヴェル管弦楽集』はこのコンビにとって最初の大きなプロジェクトだった。『ボレロ』は,その第1段として,『スペイン狂詩曲』『ラ・ヴァルス』の2曲と共に,1974年の3月から4月にかけて録音されたものである。
さて,私がその存在を知りながら何故この録音に思いが至らなかったのかについては理由がある。ちょっと書きにくいのだが,この『ボレロ』には,有り体に言って,「瑕(きず)」があるのだ。そう,第3部のトロンボーンのソロ。これはプロとしてはどうかと思うほどの不出来。この種の企画ものでは各レーベルの選りすぐりの名演がセレクトされるのが常。言ってみれば,私の中では,小澤の『ボレロ』は当然の如くその選から外れていたのだ。
いずれにしても,このソロには,初めて聴く人なら誰しも「ボストン響でこんなことが・・・」と驚かれるに違いない。

 この録音を初めて聴いた時は,今のようにネット上で縦横無尽に情報が行き交う時代ではなかった。しかし,その瑕は,若手有望株がビッグファイヴの一角を担うオケとメジャーレーベルにいれた録音に在るというもの。瑕の程度も決して小さくはない。当時,このソロを云々する評に何故出会さないのかと不思議でならなかった。それだけに,柴田南雄著『名演奏家のディスコロジー』(音楽之友社)の「小沢とマルティノンのラヴェル」で,そのことに直截に言及する一文に接した時は溜飲が下がる思いがしたものだ。以下,そこから少し引用。

 さて,かんじんのラヴェルだが,レコードの順序通り「ボレロ」から針を下ろす。まあ,この曲は予期したようにどうということもなく,無難にまとまっているのだが,ただ,意外だったのは曲の第3段目の後半のテナー・トロンボーンのソロ(ポケット・スコア第28ページ以下)がボストンらしくもないことで,すでに第1小節で走るし,第2小節のグリサンドや第7小節の装飾音等がぜんぜん生きていない。どうしたことか。ここは全曲の中心部のきわめて目立つ箇所なのに。(中略)マルティノン=パリ管も,まずふつうに吹いているのに,ここのボストンは惜しかった。

 重箱の隅をつつくような言い方になるが,「ここのボストンは惜しかった」は表現として如何なものか。これはスタジオ録音。時間さえゆるせば録り直しが可能なのだから。それに,『ボレロ』という曲の位置付け,重みからしてもそうするのが自然だ。
まぁ,それは措くとして,柴田さんの文章からは,トロンボーン奏者がグリッサンドや華やかな装飾音付きで吹いてはいるが,その効果があがっていない,というように読める。しかし,実際の演奏はそうではない。このトロンボーン奏者は,そもそもグリッサンドで吹いていないし,装飾音も施してはいない。そして,ここからが重要なのだが,メロディーを奏する他のソロもまた万事同じ調子なのだ。トロンボーンは,技術の拙さからそれが「ぎこちなさ」というかたちで突出しているに過ぎない。
以上は,今回偶々カラヤンとベルリン・フィルの録音をあわせて聴いてはじめて気付いたこと。カラヤン盤では,サクソフォーンやトロンボーンが各ソロの箇所でここぞとばかりにたっぷりとした演奏を繰り広げる。もちろん,カラヤンのリズムの刻みは厳格だ。しかし,そのカラヤン盤においてさえ,スネアドラムは,自分の世界に入りかけているサクソフォーンなどに引き摺られまいと必至に堪えているのがよくわかる。一方,小澤盤では,そのような「メロディーとリズムの微妙なせめぎ合い」はほとんど感じられない。というのは,小澤盤では,メロディーを奏するソロ奏者がスタンドプレイにならないよう自制しているからである。これは,ソロ奏者らがそのように申し合わせをしているからでも,テレパシーを交感しているからでもない。ひとえに,小澤から楽員全員に向けて「グリッサンド禁止令」や「ポルタメント禁止令」が出ていることによる。そうでなければ,『ボレロ』のメロディーのソロが,終始,これほどまでに禁欲的なはずがない。
この『ボレロ』の特徴は,詰まるところ,メロディーを奏するソロ奏者の手足を縛ったストイックさにこそあるといえる。「『ボレロ』はもともとストイックな曲」と言われればそのとおりだが,この盤のようにメロディーがリズムに譲歩している演奏もあまりないような気がする。
録音も,アンビエンスが浅いせいか,リズムを刻む管楽器が少しうるさく感じられるほど。これも,バランスが悪いわけではなく,技術陣もまた演奏のコンセプトを理解している証左,と言えば言えないこともない。
いずれにしても,華麗な名人芸だけを追って聴いた場合は,この小澤盤,(大きな度量でトロンボーンの瑕に目をつむったとしても)全体として「地味で印象の薄い一枚」で終わってしまうような気がする。

追記 実は,私は以前,上記の柴田氏の書籍のほか,もうひとつだけ,直接このトロンボーンのソロに触れた文章を読んだことがある。しかし,それが誰の手になるもので何に書かれていたのかどうしても思い出せない。
その内容は,概略,「『ボレロ』の録音時,ボストン響のトロンボーンの首席奏者は休暇中。この録音のトロンボーンのソロは(エキス)トラが吹いている。」というもの。
因みに,小澤がボストン響の音楽監督に就任した当時のトロンボーンの首席奏者はミュンシュ時代と同じW.G氏。ヒューエル・タークイは,その著書『分析的演奏論』(音楽之友社)の中で,この時期のボストン響について,「ボストン響は,主として,金管部門に悩みをもっている。トロンボーンはだらしなくなりがちだし,楽団ではいま首席ホルン奏者と首席トランペット奏者を捜している。他の点では,いぜんと変わらぬ偉大なオーケストラである。(新しい金管奏者たちの選考は小沢が最終的な断を下すことになっている - それゆえ,楽団の運命は文字通り小沢の耳にかかっている。)」と書いている。
本当のところ,小澤の『ボレロ』でトロンボーンのソロを吹いているのは一体誰?

ラヴェル:ボレロ
小澤征爾
ユニバーサル ミュージック クラシック

このアイテムの詳細を見る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マゼール/クリーヴランド管 ガーシュウィン『パリのアメリカ人』

2009-11-15 20:58:38 | クラシック
 『パリのアメリカ人』は私が最初に購入したクラシック音楽のレコード。同じ時,ヘンデルの『水上の音楽』も購入した。
どちらも,オーマンディ指揮のフィラデルフィア管による演奏である。そう,鈍色がかったゴールド地に抑えたグリーンの縁取りという「オーマンディ「音」の饗宴1300」というシリーズの1枚。これは,英語のリーダーの教科書にガーシュウィンに関する章があり,英語の先生から「○○君,この次までガーシュウィンについて調べてきてください。」と言われ,「なら,音楽も聴かずばなるまい。」と思い,秋田駅近くの某電気店で購入したものだった。オーマンディ盤を選んだのは一番安かったからであろう。
つい最近,このオーマンディの『パリのアメリカ人』をCDで買い直したが,あらためてその素晴らしさに感じ入った。落ち着いたテンポ,そして,弦と管の艶やかで豊かな響き。管の上手さは半端ではない。ドラムのブラッシュワークもジャジーな雰囲気をよく出している。何でもござれのフィラデルフィア管ではあるが,ここでは心置きなく(借り物ではない)自分達の音楽をしているのがよくわかる。オーマンディ盤は今もってこの曲の最高の演奏のひとつに数えられるものだと思う。

 さて,表題のディスク。こちらは,マゼールがクリーヴランド管弦楽団の音楽監督に就任して間もない頃に録音したもの。管によるちょっとしたフレーズを大胆に強調するところなど,「バランスを蔑ろにしている」「あざとい効果狙い」などと言われそうだが,いや,どうせやるならこれくらいやってもらった方が爽快というもの。とにかく,聴きどころ満載。好き嫌いは分かれるとは思うが,私は大好き。齢79の大巨匠にこんなことを言うのは失礼だし,お笑いになる方もおられると思うが,今改めて「鬼才マゼール」を実感。
それにしても,『パリのアメリカ人』ってこんなに楽しい曲だったっけ。知らないうちに,普段聴く音楽,相当偏っていたようだ。眉間に皺を寄せて聴くばかりが音楽じゃないなぁ,とあらためて思った次第。「ガーシュウィンをクリーヴランド管で」=「鶏を割くに・・・」,などと思った自分が馬鹿だった。

ガーシュイン:パリのアメリカ人/ラプソディ・イン・ブルー 他
オムニバス(クラシック)
ユニバーサル ミュージック クラシック

このアイテムの詳細を見る


ガーシュウィン:ラプソディ・イン・ブルー,グローフェ:グランド・キャニオン
フィラデルフィア管弦楽団
ソニーレコード

このアイテムの詳細を見る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴェデルニコフ J.S.バッハ『パルティータ第4番』

2009-11-15 18:15:40 | クラシック
 第1曲「序曲」をこれほどの強打で始めるピアニストが他にいるだろうか。少なくとも,シフ,グールド,グードらはこのような弾き方をしていない。初めて聴いたときは一瞬何が起きたかと本当にびっくりしてしまった。
表題の録音を聴いた時の私の驚きが第4番に対する馴染みの薄さからきているということはあろう。しかし,それは,それまで印象に残るような形でこの曲を提示してくれる演奏に出会わなかったということでもある。ヴェデルニコフ盤は,第4番が第1番や第2番に劣らない名曲であることを私に気付かせてくれたという意味で忘れがたい1枚。

 ヴェデルニコフの特徴がテクニックの確かさにあるというのはよく言われること。しかし,彼の特徴は,俗な言い方をすれば,そのテクニックに裏打ちされた「勿体付けたところのない率直さ」にこそあると思う。そのことは,バッハのパルティータ全集で言うなら,この第4番,とりわけ第3曲のクーラントなどで強く感じる。ここでの彼は,湧き上がる衝動に突き動かされたかのように,装飾音など一切付けず小細工なしで弾いている。このクーラントは実に素晴らしく,何度聴いても飽くということがない。
穏やかながら,奈落の底を覗き込むような怖さも感じる第2曲アルマンド,そして,しみじみとした味わいの第5曲サラバンド等々,これは傑出した第4番の演奏だと思う。

 ひとつ,ヴェデルニコフに明らかな弱点があるとすれば,音にやや魅力を欠くところ。メロディアの録音のせいもあるかとは思うが,響きが総じて硬いのだ。モンサンジョン著『リヒテル』にも,同門のリヒテルの言として,ヴェデルニコフはその点を指摘する師ネイガウスとたえず言い争っていた,とある。このあたりは,ヴェデルニコフの「ピアノは打楽器以外の何ものでもなく,歌わせることはできない」という考え方とも深く関係しているように思われる。
なお,私はヴェデルニコフの演奏に「熱気」や「微笑み」といったものをあまり感じたことがない。ときどき,これを彼の生い立ちや彼ら家族を襲った悲劇などと関連づけて考えたりもするのだが,穿ち過ぎだろうか。
後先逆になったが,1920年生まれのヴェデルニコフは1935年に来日して,1年ほど日本に滞在していた。吉澤ヴィルヘルム著『ピアニストガイド』によれば,このとき,ヴェデルニコフは,名ピアニストのレオ・シロタから,ニューヨークに行ってホフマンの指導を受けるか,モスクワに行ってネイガウスの指導を受けるかしてみては,と勧められたのだという。ヴェデルニコフ一家の選択はモスクワ行き。ヴェデルニコフ自身は,結果的に,当初の目論みどおりネイガウスの指導を受けることができた。しかし,この選択は一家に取り返しの付かない災厄をもたらすことにもなった。もし,ニューヨーク行きを選んでいたら,ヴェデルニコフのキャリア,いや,彼を含めた家族らの人生が全く違ったものになったのは間違いない。

バッハ:パルティータ全曲
ベデルニコフ(アナトリー)
BMGメディアジャパン

このアイテムの詳細を見る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アドリヤン/シュタットルマイヤー/ミュンヘン室内管 モーツァルト『フルート協奏曲第1番』

2009-11-11 23:58:38 | クラシック
 アンドラーシュ・アドリヤンは1974年から,イレーナ・グラフェナウアーは1977年から,バイエルン放響の首席フルーティストを務めていた。この2人,一聴して,タイプの異なるフルーティストとわかる。その2人が同時期に同じオケの首席というのは不思議な気もするが,よくよく考えれば,不思議どころか,理にかなっている。「何でもできます」,「何でもやります」こそ,他にはない放送局付きオケの特徴なのだから。
そう言えば,かって,某有名オーケストラの少なからぬ団員が或るクラリネット奏者の「該オケの音色に合わせる能力」に疑念を抱いて一大騒動にまで発展したことがあった。あの種のゴタゴタは,歴史も浅く色の付いていない(また,付いていては,ある意味,支障のある)放送局付きオケではあまり起きないことかもしれない。実際,試用期間後のグラフェナウアーの入団は,彼女自身の言によれば,全員一致の決定だったようだ。
因みに,グラフェナウアーはバイエルン放響で最初の女性管楽器奏者。彼女,「異例なグラフェナウアー」と云われたとか,云われなかったとか。

さて,グラフェナウアーがマリナーらと録(い)れた表題曲の演奏も素晴らしいのだが,フレーズの端々を崩して吹いているのが,正直なところ,気にならないでもない。
一方,表題ディスクで聴くアドリヤンの演奏は実に端正。響きも冴え冴えとして,良く通る。ライナーにある村瀬一淑氏の,概略,アドリヤンはニコレとランパルの美質を受け継ぎ,ひとつに統合したという点で独自性を獲得した,との讃辞は簡にして要を得ている。なるほど,クーベリックがバイエルンの首席に招いたのももっとも。
ミュンヘン室内管も好演。シュタットルマイヤーの棒の下,弦がよく歌っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シャハム/ワーズワース/ニュー・クィーンズ・ホール管 RVW『揚げひばり』

2009-11-10 21:44:21 | クラシック
 原題は『The Lark Ascending』。しかし,このエントリは,たばこ税の引き上げとも,ビールのつまみとも一切関係はない。

さて,藤野竣介氏のお書きになったライナーにはアーロン・コープランドのRVW評が載っている。曰く,「ローカルな作曲家としてイギリス音楽への貢献は大だったが,輸出に耐える代物ではない。それは田舎者の音楽であり,高貴な霊感は認められても,なまくらである」。一面モダニストでもあったコープランドの気概を示す言葉だが,その「なまくら」の何たる美しさよ。
実を言うと,ディスク上のタイトルは,珍しいことに,『ひばりは昇る』となっているのだが,これでは曲の持つ詩的でパストラールな雰囲気が幾分削がれてしまうような気がする。やはり,一般的な『揚げひばり』がしっくりくるということで,勝手ながら,タイトルを置き換えて紹介する次第。
邦題が幾つかある例としては,他に,ディーリアスの『春初めてのカッコウを聞いて』がある。ディスクによっては『春を告げるカッコウ』としているものもあるが,これには全く賛同できない。訳として原題の『On hearing the first Cuckoo in Spring』に忠実ではないし,何より,この曲の「(単なる描写音楽ではなく)春を待ちわびた人の心の動きを描いている」という本質を見落としていると思う。
なお,付け足しのようで恐縮だが,ハゲイ・シャハムのソロ・ヴァイオリンは実に美しい。

Fantasia on Greensleeves
Academy of St Martin in the Fields,London Philharmonic Orchestra
Decca

このアイテムの詳細を見る
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボールト/ロンドン響 ブラームス『交響曲第3番』

2009-11-09 22:30:26 | クラシック
 ボールトのブラームスの交響曲全集は,第1番,第2番及び第4番のオケがLPOで,第3番だけが何故かLSO。このあたり,前から不思議に思っていたのだが,ヘレナ・マテオプーロス著・石原俊訳『マエストロ第3巻』(アルファベータ)のボールトの項を読んで謎が解けた。
1970年の8月,ボールトがLSOとエルガー『エニグマ』等を録(い)れた時,クリストファー・ビショップ(EMIのプロデューサー)が「ブラームスの交響曲はどうですか?」と,余った2日間分のセッションの有効活用(?)を持ちかけたことからこの録音が始まったのだそうだ。第3番は当時のボールトのお気に入りの曲だったとか。これが商業的に当たった → それでは全集にしましょう → ついては,オケはマエストロとより縁の深いLPOで,というのはもう自然の成り行き。いや,最後の部分は当方の勝手な想像だけれど。
さて,以前聴いた時,第3番の出来は他の3曲に比べると若干落ちるような気がしたのだが,それはおそらく,知識として入った前記の事情に引きずられたのだろう。今聴き直してみると,こちらも素晴らしい演奏。
何方だったか,ボールトのブラームスを評して「素のブラームス」とお書きになっていた。しかし,第4楽章などそうだが,楽想の切り替わりで大きくテンポを動かすなど,「素のブラームス」という言葉から想起されるほど,この演奏,朴訥とは思わない。

 最後に前記の著作で印象に残ったボールトの言葉を。

 ディテールを大切にしすぎるのは禁物。本当に重要なのは作品の様式や構造である。したがって,本番が近づいたら,作品の成り立ちにより目を向けるべきで,しかるべき距離をもって,可能なかぎり幅広く,作品を眺めるようにしなければならない。大切なのは,聴衆が,あたかもめくる手間のいらない巨大な2ページのスコアを一目で見られるような状態にもっていくこと。

何という含蓄のある言葉。最後の一文,とりわけ,「めくる手間のいらない巨大な2ページのスコア」は,このマエストロの音楽性を通貫する実にユニークな表現だと思う。どうだろうか。

ブラームス:交響曲第3番&第4番
ボールト(サー・エイドリアン)
EMIミュージック・ジャパン

このアイテムの詳細を見る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グレニーほか 三木稔『マリンバ・スピリチュアル』

2009-11-08 17:49:07 | クラシック
 三木稔の『マリンバ・スピリチュアル』は,1984年前後にアフリカを襲った飢饉による犠牲者の死を悼み,同時に,その魂の再生を祈る音楽。曲は「魂鎮め」と「魂振り」の2部から成る。「ゲンダイオンガク」の範疇に入るとはいえ,「魂振り」は秩父屋台囃子のリズムをベースにしているから,日本人には聞き易い曲だと思う。
グレニーらの演奏は実に見事。しかし,その演奏には,日本人が「鎮魂」や「呪術」に対して抱く感覚とは微妙に違うものも少し感じた。
例えば,「魂鎮め」のウィンド・チャイムの響き。これは鎮魂の曲にしては少しきらびやかに過ぎるような気がする。
また,「魂振り」での賑々しい中国あるいは東南アジア風のパーカッションの響き,そして,いささか威勢の良すぎるかけ声。特に,かけ声の方は,初め聴いた時,まとわりついて離れないストリート・ギャングか何かの威嚇のように聞こえてしまった。いや,再生の祈りも国によって様々。日本(人)の専売特許のように言うのは間違いではあるけれど・・・。
しかし,これらは,端的に言って,グレニーのというより,プロデューサーの音楽的センスに因るところが大きいのかもしれないなぁ。
なお,敢えて書くまでもないが,ここではグレニーの聴覚障害を絡める意図は全くない。誤解を招くと困るのでこの点は明記しておきたい。

グレイテスト・ヒッツ
グレニー(エベリン)
BMGメディアジャパン

このアイテムの詳細を見る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャクリーヌ・デュ・プレ/バレンボイム/フィラデルフィア管 エルガー『チェロ協奏曲』

2009-11-05 19:19:30 | クラシック
 秋。しかも,晩秋である。そして,晩秋とくれば,エルガーのチェロ協奏曲である(いえ,ご異存のある方もいらっしゃるでしょうが,今日のところはそういうことにして下さい)。
現在,レコード芸術誌で企画進行中の「新編 名曲名盤300」で取り上げられたエルガーの曲は『威風堂々』1曲。チェロ協奏曲は選から外れている。300曲でクラシック音楽を概観するものとなれば,その選択は自ずと窮屈なものになる。くわえて,英国作曲家の手になるものは西欧クラシック音楽のメインストリームにあるとは言い難い。同企画でのチェロ協奏曲の選外はやむを得ないかもしれない。因みに,ブリテンも,同企画で選ばれたのは『青少年のための管弦楽入門』1曲である。

 エルガーのチェロ協奏曲の代表盤には,言わずと知れた,ジャクリーヌ・デュ・プレの独奏,サー・ジョン・バルビローリの指揮するロンドン響の録音(1965年8月19日録音)がある。この録音は,『クラシック不滅の名盤800 -20世紀を感動させた21世紀への遺産800タイトル』(音楽之友社,1997年刊)の第1項「究極の100タイトル」にも選ばれている。膨大な音盤の中から選ばれたものには,トスカニーニのレスピーギ『ローマ3部作』,カザルスのバッハ『無伴奏チェロ組曲』,リヒターのバッハ『マタイ』,ショルティのワーグナー『リング4部作』などがある。それらと同じ扱いというのだから,その重みたるや相当なものである。
これは,エルガーのチェロ協奏曲の声価を格段に高めただけではなく,(誤解を恐れずに言えば)演奏が曲そのものを乗り越えてしまった(あるいは,置いてきぼりにしてしまった)感さえある録音である。

 前置きが長くなったが,ヒラリー・デュ・プレ&ピアス・デュ・プレ著『風のジャクリーヌ-ある真実の物語』(原題『A genius in the family』,ショパン刊,高月園子訳)のP220以下には,弟ピアスの回想として,この録音に関し次のような記述がある。

 1965年8月19日,ジャッキーはEMIとの契約で,ジョン・バルビローリ卿の指揮でロンドン交響楽団とエルガーのチェロ協奏曲をキングスウェイ・ホールでレコーディングした。
 レコーディングに際しては,3回のセッションが予定された。レコーディングを終えて夕方帰宅したジャッキーは大いに興奮していた。
「どうだった?」
ジャッキーがドアから飛び込むなり,僕は尋ねた。
「驚くほどのできばえ・・・と,これはプロデューサーの台詞だけどね。そのプロデューサーだけど,なぜ30分しかかからなかったのか,わからなかったみたい。彼,早く終わったのは私のおかげだと思ったらしく,お礼ばかり言ってたわ。おまけに,『オーケストラを2日間も予約してしまった』って悔しがってたわ」


このとき,「驚くほどのできばえ」と語り,余計にオーケストラを予約して(経費を無駄にしたことを)悔やんだプロデューサーというのは,バルビローリの録音を多く手がけたロナルド・キンロック・アンダーソンである。ピアスの回想からは,レコーディングは何の問題もなく終わったように読める。しかし,キャロル・イーストン著『ジャクリーヌ・デュ・プレ』(青玄社,木村博江訳)P135には,意外な事実が書かれている。以下,その引用。太字は管理人によるものである。

 つづく数年のあいだに,ジャクリーヌのレコードと彼女の世界各地での演奏のおかげで,この協奏曲(管理人註:エルガーのチェロ協奏曲のこと)は一気に有名になり,エルガーの楽譜出版社は彼女に優美な金文字を箔押しした青い革張りの楽譜を贈った。23年間,レコードは廃盤になることもなく,現在では古典とみなされている。だが,エルガーはたしかにジャクリーヌにとって大きな意味を持ってはいたが,その演奏は決して気に入っていなかった。彼女が録音を初めて試聴した場に同席した音楽評論家のロバート・アンダースンは書いている。「彼女はわっと泣き出すと,こう言った。『わたしがやりたかったことと,全然ちがうわ!』」。

全体の書きぶりからして,ここでの「試聴」は,セッションの最中のテイクの試聴ではなく,ベスト・テイクをつないでトラック・ダウンの作業を経たものの試聴だと思われる。いやはや,何ということだろう。現在「不滅の名盤」と誉れ高い録音を独奏者が試聴したとき,やりたかったこととあまりに違うので泣き出したというのだ。演奏者は不満足だが時間切れでやむなく・・・,というのではない。ピアスの回想にもあるとおり,時間を余して録音は終わったのだから。
この日のセッションを撮影したものに,デイヴィッド・ファーレルの写真がある。有名な写真なのでご覧になった方も多いと思う。左腕で支えたスコアをじっと見やるバルビローリと,横からそれを覗き込むジャッキー。セッション当日のひとこまだが,ジャッキーは弓を持った手を口元にやり,薬指の爪を噛んでいる。上記事実を知ってからこの写真を眺めると,気のせいか,彼女の表情はどことなく不安げに見える。2人の表情は背後でくつろぐロンドン響のメンバーとは好対照だ。
それでは誰がこの録音にゴー・サインを出したのか。もちろん,最終的なそれは責任者たるプロデューサーのキンロック・アンダーソンが出したのだろうが,それは,詰まるところ,バルビローリが満足したからに他ならないと想像するのだが,どうだろう。バルビローリは,イーストンの著作に「サー・エドワード・エルガーの音楽を骨の髄まで知りつくしていた。」とあるとおり,エルガーの演奏にかけては一家言持っていた音楽家。また,チェリストでもあった彼は,自身,エルガーのチェロ協奏曲を独奏者として演奏したこともある(初演のフェリックス・サルモンドに続く2人目の独奏者)。
協奏曲での主役は独奏者。その独奏者の不満足な録音がそのままリリースされたというのは不可解だが,考えてみれば,この録音当時ジャッキーはまだ二十歳。「全然ちがう」といったところで,巨匠バルビローリらの意見の前では,レコード製作の何たるかを知らないねんねの我が儘ととられたとしても不思議ではない。いずれにしても,セッションは既に終わっていた。録音技術でいかようにもとは言っても限界はあろう。

 ところで,管理人が最初に聴いたエルガーのチェロ協奏曲はこの録音なのだが,当時は,何度聴き返しても,曲の良さ,演奏の素晴らしさというのがよくわからなかった。
今考えれば,この曲の持つ憂愁,諦観といったものは,音楽鑑賞歴,人生経験とも浅い管理人が共感を抱くにはいささか無理があった。感情過多で好き嫌いがわかれるバルビローリも,ここではおかしな粘り方はせず,曲想に完全にはまった老獪なサポートぶり。因みに,ジャッキーのチェロも巷間言われているほど主情に流れたものではない。
人も音楽も出会いや第一印象が重要。芳しくない印象を持ったまま,この曲,そして,この録音は,これまで意識的に遠ざけてきた。

 ところが,である。3年前の夏,ジャッキーを描いたアナンド・タッカー監督の映画 『Hilary and Jackie』をビデオで観たことをきっかけに,ジャッキー熱に火がついてしまった。ビデオを観終えた管理人は,近くのブックオフに映画の原作(上記のヒラリーらの著作)があったのを思い出して早速買いに走り,数日後には,サントラのCDまで注文してしまった。
表題の演奏は,この時購入したサントラのCDに余白を埋めるように収録されていたもの(以下,この1970年11月のフィラデルフィアでのライヴ録音を「新録音」と呼び,件のバルビローリ/ロンドン響と協演したものを「旧録音」と呼ぶ)。これを知らずに注文した管理人は,「全編サントラ」ではないこと,次いで,演奏が(レコードでしか持っていなかった旧録音ではなく)新録音であることに少しがっかりしてしまった。しかし,落胆は,この新録音を聴き終わった時,驚嘆に変わっていた。5年の歳月がながれているとはいえ,2つの録音の間には,音楽家としての成長,ライヴ特有の高揚感といったことだけでは説明のつかない質の違いのようなものを感じたからである。少し具体的に書いてみる。
第1楽章冒頭には表題記号として「Nobilmente(気高く,高貴に,気品をもって)」とある。旧録音ではチェロのレチタティーヴォが,その表題記号そのまま,じっと悲しみに耐える風であるのに対し,新録音ではまるで辺りを憚らない号泣のように聞こえる。
軽いスケルツォ風の第2楽章でも,2つの録音の違いは明確。新録音では,急速調の16分音符の動機の後に入るカデンツァの終わりの部分が,溜めに溜められた後,強烈なアクセントをもって不自然なほど跳ね上げられる。ここは聴いていて非常に印象に残る。
第3楽章は緩徐楽章。緩徐楽章が遅すぎると批判されることのあったジャッキーだが,新録音では旧録音以上に時間をかけてじっくりと歌い上げる。
第4楽章では,冒頭直ぐのレチタティーヴォとカデンツァの後,チェロが第1主題を提示する際,フレーズ最後で,第2楽章と同様の,いや,それ以上の異常な強調と跳ね上げがある。
新録音は情熱的というよりは激情に走った演奏。ときに怒りのようなものさえ感じられる。

 さて,ここで気になるのは,新録音で聴く演奏の特徴が,5年前にジャッキーの言った「わたしがやりたかったこと」なのかどうか,ということである。
ジャッキーのエルガーのチェロ協奏曲には,他に,1967年1月3日録音のバルビローリ/BBC響との東欧ツアーのライヴ盤や,同年のバレンボイム/ニュー・フィルハーモニア管と協演した映像もある。旧録音とは録音時期も近いから,ジャッキーの言った「わたしがやりたかったこと」を知るにはともに必聴・必見だが,管理人は今のところ『ジャクリーヌ・デュ・プレの想い出』の中で後者の映像の第2楽章と第4楽章の一部をかいま観たにとどまる。判断材料はあまりに少ないが,管理人は,新録音の特徴こそ彼女がやりたかったことと断ずるのは勇み足という気がしている。ジャッキーにMS(多発性硬化症)の兆候が顕著に現れ始めたのは新録音がおこなわれた翌年から。しかし,姉ヒラリーが著作の中で推測しているように,そのかなり前から発症していた可能性もある。それがジャッキーの身体面や情緒面に様々に作用し,ひいては,いろいろなかたちで当時の演奏に影響を与えていたというのは大いにあり得る話しである。
なお,使用したチェロの響きの相違が聴く者にかなり違った聴後感を与えている点は指摘しておきたい。旧録音に使用したのは同じ年に後援者イスメナ・ホーランド夫人から提供された「ダヴィドフ」だと思うが,新録音に使用したのはこの直前に製作された「ペレッソン」である。この事実は,前記イーストンの著作の「このとき彼女は,特製の真新しいチェロを使った。」(P239参照)によって確認できる。ヒラリーらの著作には,バレンボイムがジャッキー(とダヴィドフの響きに不満を持っていた自分自身)のためにフィラデルフィアの楽器制作者セルジオ・ペレッソンにチェロの製作を依頼したのは1971年とあるが,イーストンの著作には,前記のほか,「ペレッソンは(中略)エルガーの録音に間に合うように楽器を仕上げた。」とあるなど記述が具体的。こちらの方の信憑性が高いと思われる。
繊細な「ダヴィドフ」と違い,後に「戦車のように頑丈」と賛美した「ペレッソン」の出来に気をよくしたジャッキーが,この楽器の限界に挑戦するかのように,いつもならず意欲的な表現に出たというのも十分考えられる。
ダヴィドフの音色は確かに深い。しかし,エルガーのチェロ協奏曲では,それがある種の重苦しさを生む原因になっているような気もする。どうだろうか。

 新録音はこの曲のオーソドックスな演奏とは必ずしも言えない。しかし,この後間もなくジャッキーを襲った急激な体の変調,そして,早過ぎた引退に思いを致したとき,これは,「不滅の名盤」と呼ばれる旧録音をもってしても代替できない価値を持っていると思う。イーストンの著作には,ジャッキーが,指導していたマルシア・ジーヴィンらとこの録音を聴いた後,「これは私の白鳥の歌だった。」と語るシーンがある。ジャッキーのファンで新録音は未聴という方には一聴をおすすめしたい。
また,この曲自体やジャッキーの旧録音にはどうも馴染めないという方にもこの新録音などどうであろうか。案外,新録音,この曲とジャッキーを知るには福音になるような気がする。

追記 本文に書き漏らしたので,ここで。旧録音で聴くジャッキーらの演奏が卓抜したものであることを否定するつもりは全くない。しかし,管理人は,常日頃,各所で見聞きする「競合盤など存在しないが如き評」はこの曲にとって実に不幸なことだと思っている。アルト・ノラスとサラステ/フィンランド放響の演奏など,実に素晴らしいと思うのだが・・・。

エルガー:チェロ協奏曲
デュ・プレ(ジャクリーヌ)
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル

このアイテムの詳細を見る


ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ ― オリジナル・サウンドトラック
フェロング,エルガー,バッハ,フェロング(バリントン),フィラデルフィア管弦楽団,ロンドン・メトロポリタン・オーケストラ,デイル(キャロライン),デュ・プレ(ジャクリーヌ),ヒース(デビッド),ヒース(サリー)
ソニーレコード

このアイテムの詳細を見る


ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ デラックス版 [DVD]

パイオニアLDC

このアイテムの詳細を見る


風のジャクリーヌ~ある真実の物語~
ヒラリー デュ・プレ,ピアス デュ・プレ
ショパン

このアイテムの詳細を見る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シュタインスほか/カラヤン/ベルリン・フィル モーツァルト『協奏交響曲K.297b』

2009-10-11 22:26:42 | クラシック
 著名なクラリネット奏者,カール・ライスターの著作に『ベルリン・フィルとの四半世紀』(音楽之友社,大川隆子訳出・石井宏監修)がある。雑誌『音楽の友』に連載(’85.4~’87.3)されたものを単行本にしたものなので,連載中にお読みになったという方もいらっしゃると思う(連載中,ライスターは未だベルリン・フィルの現役の団員だった。曝露本の類を期待する向きには当てが外れるが,客演指揮者,コンサート,レコーディングに関する言及など,実に興味深い内容。カラヤンやベルリン・フィルがお好きという方には,一読をお奨めしたい書籍である)。
さて,この本の中に,1971年8月のモーツァルトの管楽器のために書かれた協奏曲の録音に触れる箇所がある(P144,145参照)。これは有名な録音で,管理人も『Concertos pour instruments a vent』というEMIの2枚組の輸入盤を持っている。このディスクには,クラリネット協奏曲,オーボエ協奏曲,ファゴット協奏曲,フルートとハープのための協奏曲及びフルート協奏曲第1番の5曲が収録されている。以下,少し長いけれど,この箇所からの引用。なお,太字は管理人によるものである。

 1971/72年のシーズンが始まる前に,ベルリン・フィルの室内管弦楽団は例年のようにサン・モリッツへ行き,8月14日から24日まで滞在した。今回は,ある特別なテーマがあった。モーツァルトの全ての管楽器のための協奏曲をレコードに吹き込むことである。レコード会社はEMIであった。収録はフランス教会で行われた。山の中腹にある森の中のその教会は木造であり,非常に美しい音響効果を持っていた。その頃はまだジェームズ・ゴールウェイもいて,彼を含めて管楽器奏者はそろって教会に来ることは来たのだが,誰がソリストになって吹き込みを行うのか誰も知らなかった。

あの録音がこのような状況で行われたとは・・・。ちょっと信じ難いのだが,ライスターが嘘を言う理由もない。たぶん,本当なのだろう。そして,こう続く。

 カラヤン自身は例によって事前には何も言ってくれないので,席には着いたものの,そわそわしながら指名を待つのはありがたいことではない。いずれにせよ当時の我々には「そもそもソリストとしては扱われていない,ただのオーケストラの団員として扱われているだけだ」という気分があった。我々は,当日その場でカラヤンが今日は「フルート協奏曲を吹き込む」とか,「クラリネット協奏曲だ」とか,あるいはまた「シンフォニア・コンチェルタンテにする」というまで何もわからないのである。このような状況は,オーケストラのソロ奏者にとって決して良い影響を与えるものではない。翌日にどの曲を吹き込むのかも知らせておいてもらえないのでは練習のしようもないのである。それでも,このときモーツァルトのクラリネット協奏曲をカラヤンが私に指名してくれて,彼の指揮でレコードにすることができたのはうれしかった。

そう。管理人所有のディスクには,同時に録音されたにもかかわらず,『協奏交響曲K.297b』(以下,「K297b」と省略)が収録されていなかったのだ。このK297bも入れるとなれば,この協奏曲集が3枚組になるのは必至。おそらくセールス等を考えて2枚組になったのだろうが,EMIが件の協奏曲集を編むにあたり,K297bを外そうとの結論に至るまでさほど時間は要しなかったと思われる。ご存じのとおり,K297bは出自に問題を抱えている。これが継子扱いに繋がったというのは想像に難くない。
管理人は,以前から,このK297bを聴いてみたいと思っていたのだが,先般,ようやく念願がかなった。某オークションサイトに出ていたカラヤン・コンプリートEMIレコーディングス第1集の分売ぶんを入手し,聴くことができたのだ。因みに,カップリングは,カラヤン/ベルリン・フィルとギドン・クレーメルによるブラームスのヴァイオリン協奏曲。オークションは「ブラームス:ヴァイオリン協奏曲,他/クレーメル&カラヤン」と出ており,K297bは「他」扱いだった。管理人がK297bの収録に気付いたのは偶々に過ぎない(オークションにはこういうこともあるから,なかなか足が抜けられない)。以下,簡単に感想を書き留めておきたい。

 K297bのコンピュータの解析等による「レヴィン復原版」が世に出たのは,1974年以降のこと。当然のことながら,表題ディスクの録音は従来からある(後世の誰かがオーケストラ・パートを付加した)版(以下,「従来版」と省略)で演奏されている。
自筆譜が残っていないから,作者不詳のオケ・パート等を「話しにならない」と切り捨てる人がいてもおかしくないが,管理人は,今のところ,そこまでの評に出会ったことはない(誰しも,「始めに答えありきの論評」と非難される愚は避けたいということか・・・)。
管理人もレヴィン復原版は聴いたことがある。これは話しに聞いていた以上に素晴らしい版。しかし,だからといって,従来版に見切りをつけようとは今のところ思っていない。オーケストラ・パートは作者不詳のもの → モーツァルトの作品としては純正ではない,はそのとおりだが,更に,モーツァルトの作品としては純正ではない → 聴くに値しない,はいくらなんでも飛躍がある。音楽学者ならいざ知らず,フツーの音楽愛好家に過ぎない管理人は,作品の価値は,誰彼に気兼ねすることなく,聴く人が決めれば良い,と思う。

 K297bのソロ楽器は,オーボエ,クラリネット,ファゴット及びホルン。従来版では,オーボエと他の3つのソロ楽器とでは活躍の比重がかなり異なり,オーボエのそれが格段に重い。その意味で,この協奏交響曲は「オーボエ協奏曲の拡大版」といって差し支えないように思うのだが,どうだろう。やはり,雑ぱくに過ぎるだろうか。
このディスクでオーボエのソロを務めるのはカール・シュタインス。シュタインスは,録音当時,ローター・コッホと共に,ベルリン・フィルのオーボエのソリストを務めていた。彼のオーボエは,コッホの艶(あで)やかさはないものの,高音の美しさは格別。管理人は,この録音を聴く度に,「オーボエこそ木管の王様」を確認する。シュテーアのクラリネット,ブラウンのファゴット,ハウプトマンのホルンも堅実。弦楽器もさることながら,ベルリン・フィルは管楽器,を実感させる演奏である。これが継子扱いというのは,同情するに余りある。

 ところで,ベルリン・フィルのK297bと言えば,ほかに,ベームの指揮,シュタインスのオーボエ,ライスターのクラリネット,ピースクのファゴット,ザイフェルトのホルン,という1966年録音のDG盤がある。これは名盤の誉れ高い1枚。
EMIがモーツァルトの管楽器のための協奏曲集の録音を企画した時,そのスタッフとカラヤンの頭にこの録音がなかったはずはない。ソリストに係るEMIとカラヤンの選択は,K297bについては,上記のとおり。DG盤でソリストを務めたライスターとピースクは,それぞれ,クラリネット協奏曲,ファゴット協奏曲にまわり,コッホはオーボエ協奏曲,ゴールウェイ(とヘルミス)はフルートとハープのための協奏曲,ブラウはフルート協奏曲第1番,でそれぞれソロを務めた。
この2つの録音(とりわけ,ベーム盤)については,公然と,あるいは,遠慮がちに,「オーボエがコッホなら・・・」を言う声も聞く。しかし,既に書いたとおり,コッホのソロではオーボエ協奏曲が残された。コッホを聴きたくば,それを聴けば良いわけだ。コッホを望む気持ちもわからないではないが,ただ闇雲に「何が何でも,コッホ」を言うのは,見事な演奏を繰りひろげるシュタインスに対しコーテシーを欠く物言いのような気がする。どうだろうか。
同じことは,シュテーア,ブラウン,ハウプトマンについても言える。同じソリストではあるものの,シュテーアよりはライスター,ブラウンよりはピースク,ハウプトマンよりはザイフェルトが,それぞれ上と考える人の中には,カラヤン盤のソリスト達を恰も「B代表」のように言う人もいる。しかし,これは事実とは異なるし,音盤に向き合う態度としてもいかがなものかと思う。
因みに,冒頭掲げたライスターの書籍には,シュタインスに関して,「もう一人のソロ・オーボエのカール・シュタインス。彼は,特にモーツァルトの作品においては,素晴らしい音の感性をもっており,またその演奏には軽妙さをもっていた。」とある。

 さて,カラヤンの指揮だが,例によって,レガート主体の流麗なもの。デュナーミクの変化などもベーム盤で聴くような細かさはあまりなく,伸びやかな演奏である。また,第1楽章冒頭の弦のユニゾンなども響きは厚いが,ベーム盤の重戦車のようなそれとはまた違う。この相違は,編成の大小もさることながら,指揮者の個性からくるものだろう。
第3楽章の第5変奏や第6変奏のオケ・パートの終結部はいかにも重く感じられ,時に「今少し軽妙さがあれば・・・」と思ったりもするけれど,管理人は,折に触れ,このカラヤン盤を取り出しては楽しんでいる。人により好き嫌いははっきり分かれそうだが,ベーム盤は生真面目に過ぎると思われる方には,このカラヤン盤などどうであろう。ギャラントな雰囲気は典雅なこの曲に向いていると思うのだが。

 最後になったが,カラヤンのK297bには,フィルハーモニア管との録音もある。ソリストは,「レッグのロイヤルフラッシュ」と呼ばれた,シドニー・サトクリフ,バーナード・ウォルトン,セシル・ジェイムズ,デニス・ブレインの4人 (残る1人は,言わずと知れた,ガレス・モリス)。ウォルトンの憂いを帯びたクラリネットの響きをはじめとして,表題とはひと味もふた味も違うが,優れた演奏である。

参考 カラヤン「資料室」 《カラヤンのモーツァルト演奏史20》:協奏交響曲変ホ長調K.297b

モーツァルト:協奏交響曲
近衛秀麿,ヘルベルト・フォン・カラヤン,デニス・ブレイン
OPUSクラ

このアイテムの詳細を見る

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

R.ゼルキン/オーマンディ/フィラデルフィア管 モーツァルト『ピアノ協奏曲第20番』

2009-09-23 21:45:40 | クラシック
 表題のディスクは,『マイスターコンツェルトBOX-100枚組』の1枚で,某オークションサイトで分売されていたもの。
カップリングは,ハスキルとアンダのソロ,ガリエラ指揮のモーツァルトのピアノ協奏曲第10番。目当ては表題曲だが,どちらかと言えば,ゼルキンのピアノよりオーマンディの付けの方に興味があった。
管理人はセル親派。件のディスクはリベラ33さんのブログに触発されて落札したのではあるが,正直なところ,さほど期待はしていなかった。しかし,この録音で聴く演奏は,管理人の抱くオーマンディのイメージを大きく揺るがすものであった。いやはや,好き嫌いはあるとしても,これは大変な演奏である。以下,簡単に感想を書き留めておきたい。

 第1楽章冒頭から,そのテンポの速さに驚いてしまう。この第1楽章の所要時間は,12’33。61年のセルとの録音では14’23,81年のアバドとの録音では14’46。レコードプレーヤーで鑑賞していた時代なら,先ず,ほとんどの人が「回転数を間違えた」と勘違いしそうなテンポだと思う。因みに,カーゾン/ブリテン盤は15’05。名盤の誉れ高いグルダ/アバド盤は15’30。以前管理人が聴いてかなり速いと感じたアルゲリッチ/ラビノヴィチ/パトヴァ・ヴェネト管の演奏でも13’33だから,12’33がいかに速いかおわかりいただけると思う(以上あげたものは,いずれも,ベートーヴェン作のカデンツァを使用している)。
ただ,オケは,名にし負う,フィラデルフィア管。このテンポでも「いっぱい,いっぱい」といった感じはなく,余裕綽々。全く危なげがない。また,テンポが速い分,上滑りするような演奏かといえば,そんなことばない。情念に突き動かされたかのような激しさはちょっと尋常ではない。「ボンの作曲家がカデンツァまで物したのももっともと思わせる演奏」と言えば,その劇性のいくばくかは伝わるだろうか。

 それにしても,20年を措いたセルとの録音とアバドとの録音とでは第1楽章の所要時間にほとんど変わりがないのに,何故,51年のオーマンディとの録音はこうまで違うのか。
ゼルキンは1903年生まれだから,51年録音時は48歳。61年録音時は58歳だが,ピアニストとして老けこむ年齢ではないから,技術が落ちて遅くなったというのは考えにくい。そうなると,51年のテンポはオーマンディ主導のものということになるが,「それにしても,この直情径行,「トスカニーニ指揮」でも十分通用するなぁ。」と思った瞬間,謎が解けたような気がした。何のことはない,このテンポは,ゼルキンでも,オーマンディでもなく,トスカニーニのそれではないのか。いや,それがあまりに具体に過ぎると言うのなら,時代のテンポと言い換えてもいい。
オーマンディがアカデミックな教育を受けたのはブダペスト。しかし,やはり,彼が早くにアメリカに渡り,彼の地で新即物主義の洗礼を決定的に受けたという事実は重いのではなかろうか。何より,51年と言えば,トスカニーニはまだ現役であった。また,オーマンディが31年に初めてフィラデルフィア管の指揮台上に立ったのは,他でもない,トスカニーニの代役としてだった。これも無視できない事実のような気がする。オーマンディがトスカニーニから負うたところは相当に大きかったと想像するのだが,どうだろう。このディスクで聴かれる速めのテンポと激情のほとばしりはその傍証,というのは穿ち過ぎだろうか。
因みに,トスカニーニのディスコグラフィーを覗くと,モーツァルトのピアノ協奏曲では,第27番があるだけで第20番は見あたらない。諦念(あるいは,定年)なきマエストロには20番がより相応しい気も,というのは冗談だが,オーマンディの付け方は「トスカニーニも斯くや」と思わせるほど激しいものである。

 ゼルキンについても触れておかなければ。何と言っても,これはピアノ協奏曲。主役は彼なのだから。
さすがに,壮年期の演奏。技術的には,まずは安心して聴くことができる。アバドとの録音も素晴らしいけれど,あの盤の第3楽章ではピアノに容易に弾き進まない「もたつき」のようなものをどうしても感じてしまう。管理人は,81年時のゼルキンは,27番ならともかく,20番を演奏するには少し枯れ過ぎていたようにも思うのだが,どうだろうか。

 もし,管理人が3枚のうち「ゼルキンの20番」として取るならどれかと問われれば,現在のところは,セルとの録音と答えることになると思う。アバドとの録音との比較であれば,躊躇なくそう答える。アバドとロンドン響も良い。しかし,セルとコロンビア響(実体はクリーヴランド管)の付け方は完璧だ。第3楽章冒頭,ピアノ独奏から引き継いだオケの素晴らしさといったらちょっとない。
オーマンディとの録音は,演奏の性質が違うだけに優劣を決めるのは難しいけれど,上記のとおり,こちらはテンポの設定を含め表現が相当にドラマティック。20番は21番ではないとしても,これは,気安く「ちょっと聴いてみよう」といった気にはなれない演奏である。また,鑑賞には全く支障はないものの,モノラルというのも選択を躊躇する理由のひとつになろうか。第2楽章中間部でのピアノと木管の絡み合いでは,キンケイドらの名人芸を堪能したいところだが,分離が今ひとつ。何とももどかしい。やはり,どれかひとつとなれば,セルとの録音ということになりそうだ。
なお,ゼルキンの20番の正規録音には,上にあげた3種のほか,シュナイダー/マールボロ祝祭管との57年録音もあるようだ。どのようなテンポ設定かなど興味深いが,現在のところ未聴である。

 いずれにしても,この演奏は,巷間言われる,「豪華絢爛(にして,内容空疎)」,「耳に心地良い(だけ)」,「感覚的な洗練(のみ)」,「(ホームミュージックなら)一家に一枚オーマンディ」といった,オーマンディとフィラデルフィア管に対する含みのある評価を動揺させるに十分なもののように思われる。リベラ33さんの表現をお借りするなら,まさに「ハイドン94」といったところ。
ただ,数は少ないけれど,管理人所有のオーマンディのディスクからは,いつの時代も彼のマエストロが表題ディスクにあるような演奏をしていたとはとても思えないのだ。あるいは,トスカニーニという強烈な個性の照射を受けていたこの時期(だけ)の彼の演奏の特徴なのだろうか。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする