音楽と映画の周辺

核心ではなく, あくまでも物事の周辺を気楽に散策するブログです。

リヒテル/ミュンシュ/ボストン響 ベートーヴェン『ピアノ協奏曲第1番』

2010-05-05 13:26:16 | クラシック
 モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房)のP162には,リヒテルが最初のアメリカ演奏旅行の際に自身についた監視役について語るくだりがある。

たとえば,ある日,ボストン交響楽団とベートーヴェンの第1協奏曲のリハーサルを終えたときに,伴奏のすばらしさに感極まってシャルル・ミュンシュの手に接吻しました。ベロツェルコフスキーは私の態度に憤慨し,叱責しました。 - 「どうしてソ連の芸術家が,外国の指揮者の手に接吻するまでへり下れるのだ。」

リヒテルの西側への演奏旅行はこのときが初めてのはずだが,彼は,この2年前,訪ソしたオーマンディ/フィラデルフィア管とプロコフィエフの5番を共演している。上記のエピソードは,アメリカのトップクラスのオケのレヴェルを知らないわけではないリヒテルが聴いても,ミュンシュ/ボストン響の素晴らしさは別格だったという証である。
因みに,リヒテルは,10月17日にラインスドルフ/シカゴ響とセッション録音したブラームスの2番の協奏曲については「これは,私のレコードとしては最も出来の悪いもののひとつ」と語っている。当初の予定どおりライナーが指揮をしていれば,また違うものになっていたであろうに・・・。もちろん,こちらには,リヒテルがラインスドルフにキスをしたがためにベロツェルコフスキーなる者から叱責されたといった話しはない。

 さて,表題は,ボストン・デビューの翌日(11月2日)にセッション録音されたもの。リヒテルのピアノはまずは標準といったところだが,独奏者が「感極まっ(た)」と言うだけあって,オケが素晴らしい。
一例をあげれば,この曲の第1楽章冒頭のオケの序奏。ここは,ピアノが登場するまで105小節もあることで知られる。あのブラームスのヴァイオリン協奏曲でさえ90小節というから,その長大さがわかろうというもの。欠伸のひとつでもしてピアノの出を待つというのが普通だが,この録音のミュンシュとボストン響は,ゆるゆると始める第1主題の提示部から聴く者を掴んで放さない。このような演奏,そうそうあるものではない。
金管の音色が明るいのはアメリカのオケならではだが,ミュンシュとボストン響の特徴は張りのある弦の響きにある。とりわけ,適度な重さと力強さを兼ね備えたバスが実にいい。生命力に満ち溢れるミュンシュの音楽はこのボストン響の弦があってこそだが,「弦のボストン」に磨きをかけたのは他でもないミュンシュその人ともいえる。そもそも,この人は,フルトヴェングラーやワルターの棒の下,ゲヴァントハウス管でコンマスを務めたヴァイオリニストだった。
竹内貴久雄氏は,その著書『コレクターの快楽』』(洋泉社)の「「自由」を求めた名指揮者の軌跡」というミュンシュの項で,「ミュンシュとボストン響との相性の良さは,戦後アメリカで重要なポストに就いた指揮者のなかでも,最良の成果を双方にもたらした。」とお書きになっている。なるほど,これはよくわかる。ミュンシュはボストン響に清新さと生命力を吹き込み,ボストン響はミュンシュに破天荒な音楽を盛り込むフォルムと緻密を与えたのだ。竹内氏は,「ミュンシュは,ボストン交響楽団と出会ったことで大きく変わった指揮者なのだと思う。」ともお書きになっているが,これも納得。このあたりは,ミュンシュが,同時期に同じアメリカで一時代を築いたとはいえ,セルやライナーとは決定的に違う点だと思われる。俗な言い方をすれば,1949年,ひとりの有能な指揮者としてボストン響の音楽監督に就任したミュンシュは,1962年,名指揮者としてその任を降りたのだ。

 最後に,リヒテルの話し。リヒテルが表題の録音をした最初のアメリカ訪問の際,彼は彼に会うためにドイツからはるばるやって来た母親と19年ぶりに再会している。この時母親は2度目の夫セルゲイ・コンドラチェフを同伴していた。真偽のほどは定かではないが,リヒテルの父親テオフィルが1941年に逮捕,銃殺されたのは,この人が書いた匿名の手紙のせいだとも云われる。モンサンジョンの『リヒテル』には,リヒテルの言として,カーネギー・ホールでの最初のコンサートの折りに,母親が会場に来ていると聞かされた時のことが書かれている。

 あまりに動揺してコンサートの前には会えませんでした。 - 会ったら演奏などできなかったでしょう。終演後も会いませんでした。自分の出来に不満だったからです。ミスタッチがたくさんありました。

ところで,吉田秀和氏が,『世界のピアニスト』(新潮社)のリヒテルの項で,同時期のカーネギー・ホールのライヴ盤について評をお書きになっている。吉田氏は「これは,1960年,リヒテルがアメリカ合衆国に出かけていった時(アメリカ・デビューの年?),ニューヨークのカーネギー・ホールで行った実況録音らしい。」と書くだけで,初日かどうかははっきりしないのだが。
ここには,ベートーヴェンの『熱情』について触れる冒頭に「この日,リヒテルは何かの理由でよほど神経質になっていたのではあるまいか?」とあり,作品26の第12番のソナタについては「こちらは最初から最後まで気ののらない演奏,何か別のことを考えながらひいている恰好の演奏である。」とある。
『世界のピアニスト』が最初に刊行されたのは1976年。モンサンジョンの『リヒテル』が刊行される20年以上前のことである。私はこのライヴ盤は聴いたことはない。しかし,リヒテルの項を何気なく読み直していた際,このくだりにはちょっと興奮した。
なお,この評の終わりの方で吉田氏は,「ずっと後になって,私は,誰かからリヒテルが日本に来た時,このレコードが発売されているのを知って,それを差しとめたという話をきいた。もっともだと思う。」とお書きになっている。やはり,件のライヴ盤,初日のものではなかろうか。

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第1番、ピアノ・ソナタ 第22番(XRCD SHM)
リヒテル
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ドラティ/ロンドン響 コープランド『アパラチアの春』

2010-05-04 13:11:06 | クラシック
Air and Simple Gifts (from Barack Obama's Inauguration)


Simple Gifts from Appalachian Spring


Jewel - Simple gifts


 2009年1月20日,バラク・オバマ氏の大統領就任式で,イツァーク・パールマン(Vl),ヨーヨー・マ(Vc),アンソニー・マクギル(Cl),ガブリエラ・モンテーロ(P)らが演奏したのは,同じ編成によるメシアンの曲,などではもちろんなく,ジョン・ウィリアズの「Air and Simple Gifts」であった。
「Simple Gifts」は,もともとは「The Gift to be Simple」というシェーカー教の賛美歌のひとつ。ジョゼフ・ブラケットの詞は以下のとおりで,これを主題に5つのヴァリエーションを連ねたのが,『アパラチアの春』の第7曲「ドッピオ・モヴィメント」。ジョン・ウィリアムズの「Air and Simple Gifts」の「Simple Gifts」の部分はこれをアレンジしたものである。
アメリカは政教分離に厳格な国。上記のような背景を持つ曲が,大統領就任式というこれ以上ないとも思われるフォーマルな場で演奏されるのは不思議な感じがする。あるいは,裏を返して,このふしが一宗教の枠を越え,人口に膾炙している証左と理解すべきなのか・・・。

'Tis the gift to be simple, 'tis the gift to be free,
'Tis the gift to come down where we ought to be,
And when we find ourselves in the place just right,
'Twill be in the valley of love and delight.

When true simplicity is gain'd,
To bow and to bend we shan't be asham'd,
To turn, turn will be our delight,
Till by turning, turning we come round right.


「The Gift to be Simple(慎ましくいられることは神の恩寵)」は,一切の虚飾を排除するというシェーカーの教えを端的に言い表した言葉。「Simple Gifts」を「粗品」とまで言うつもりはないが,この言い回しと「The Gift to be Simple」の間にある断層は決して小さくはない。この言い換えにはそれなりの理由があり,そこには深慮が働いている気もするのだが,その一方で,言霊を信じる身としては,この違い,無視できないとも思うのだ。やはり,『アパラチアの春』を聴くときは,「Simple Gifts」と呼びならわされているものが「The Gift to be Simple」に由来することを心に留めておきたい。演奏する側については何をか言わん,である。

 私が持っている『アパラチアの春』は,バーンスタイン/NYP(1961),ルイス・レーン/アトランタ響(1982),ドラティ/ロンドン響(1961)の3枚。
バーンスタイン盤は,レニーとコープランドとの関係からすれば,その解釈において作曲者直伝ともいえるもの。作曲者の自作自演盤が残されているとはいえ,これは貴重な録音だ。ただ,急速調の第2曲・第5曲の両「アレグロ」などで特に目立つのだが,重く引きずるようなNYPの弦は最高とは言いかねる。もちろん,全体としては,水準を上回る演奏だとは思うが。因みに,私の所有するCBSの輸入盤(MYK37257)には,「Doppio movimento (Shaker melody"The Gift to be Simple")」との記載がある。
レーン盤は,少し早めのテンポをとった演奏。第2曲「アレグロ」でトランペットがアーチをかけるように吹くところなど,新奇さもあり,聴いていてなかなかに楽しい。アトランタ響にも不安はない。ややこじんまりとまとまってしまった感はあるけれど,これはもっと聴かれてよい演奏だと思う。

 しんがりはドラティ盤。これは素晴らしい演奏だ。新築の農家の結婚式に参集する開拓者の紹介から始まり,彼らが引き上げた後,新婚夫婦が明るい将来を念じて敬虔な祈りをささげて終わるところまで,各曲の描きわけが実に見事。ドラティのリズム感の良さは,あらためて,この組曲がバレエ音楽から編まれたことを思い起こさせる。ロンドン響もドラティの棒に良く反応している。
それにしても,第6曲「メノ・モッソ」から第7曲「ドッピオ・モヴィメント」への移行部の素晴らしさはどうだろう。第7曲の冒頭,クラリネットが件のシェーカーの賛美歌のふしを吹き始めるのだが,一瞬,走り出しそうな気配を見せながら,そうはせず,まるで鼻歌でも歌うような調子で吹き続ける。この第7曲では,ほとんどの演奏が,曲中のクライマックスであることを意識し過ぎてか,熱くなり過ぎる弊に陥る。ドラティらは,第7曲の第5変奏,そして第8曲「モデラート」のコーダに至るまで,慌てず騒がず,落ち着いた足取りで淡々と進めていく。ドラティ,ウィルマ・コザート・ファインらは,第7曲が「The Gift to be Simple」に由来することの意味合いを完全に理解していた。凡百の演奏家らの及ばないところである。
この演奏,『アパラチアの春』がお好きな方には一聴をお奨めしたい。

コープランド:バレエ「アパラチアの春」組曲
ドラティ(アンタル)
ユニバーサル ミュージック クラシック

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