音楽と映画の周辺

核心ではなく, あくまでも物事の周辺を気楽に散策するブログです。

アルゲリッチ/アバド/ベルリン・フィル ラヴェル『ピアノ協奏曲』

2009-12-28 20:25:37 | クラシック
 作曲家から表題曲を献呈されたマルグリッド・ロンは,『ラヴェル-回想のピアノ』(音楽之友社)の中で該曲について次のように書いている。

 作品は難しいものでしたが,最もたいへんな楽章は,どうやら間違いなく2楽章です。1楽章のすべての幻想とオーケストラのすばらしい妙技の後,ピアノ・ソロでこの長い,頗る長いメロディーを弾く難しさの前で,そして,すらすら流れるこの大きなフレーズをこんなにゆっくりしたテンポでうたい,守る難しさを前にして,毎回どれだけ不安な気持になるかを,私は或る日ラヴェルに言ったことがあります。すると彼は大声で「そう,流れているんです。だけど僕はこれを2小節ずつ積み重ねるように創っていったんですよ。もう死にそうだったんですよ。」と言ったのです。

 モーリス・ラヴェルは,晩年,不可解な病気のためにほとんど作曲活動をすることができなかった。臨床神経学等がご専門の岩田誠先生(東京女子医科大学名誉教授)は,モンフォール・ラモリーにあるラヴェルの旧居を訪れたことをきっかけにラヴェルの病気に興味を持ち,その著書『脳と音楽』(メディカルレビュー社)の「第2章ラヴェルの病い」で,ラヴェルの病気に対するご自分の所見を述べておられる。岩田先生の診断は「メズラム」。「メズラム」とは,ボストンの神経学者メズラムが提唱した「全般性痴呆を伴わない緩徐進行性失語症」のことをいう。ラヴェルの,署名ができない,辞書の助けを借りながらちょっとした短信を書き上げるのにも1週間もかかる,といった表出性の障害の症状はまさに「メズラム」の特徴と合致するのだとか。

この病気で不思議なのは,表出性の障害の一方で,知能や情動などの一般的な知的能力はよく保たれているということ。ラヴェルもその例に漏れないことは,1933年11月に彼がヴァランティーヌ・グロスに語った言葉からもうかがえる。ラヴェルは,構想していたオペラ『ジャンヌ・ダルク』について詳細に語った後,突然それを打ち切り,「ヴァランティーヌ,僕はこの『ジャンヌ・ダルク』を書くことはできないだろう。僕の頭の中で,このオペラはもうできている。僕にはそれが聴こえている。だけどもう決して書くことができない。もうだめなんだ。僕は僕の音楽を書くことができないんだ。」と語ったという。ラヴェルが失ったものは,「内面の音楽そのもの」ではなく,「音楽を表出する術」だったのだ。この点,晩年のラヴェルを「廃人同様の生活を送った」などと書くものも見受けられるが,それは誤りである。ラヴェルは最期まで廃人などではなかった。
それにしても,何たる悲劇。「オーケストレーションの魔術師」とまで呼ばれた人がよりによってこのような病気に罹ってしまうとは・・・。

 岩田先生によれば,ラヴェルの作品で病気の発症後に作曲されたことが明らかなのは,『ボレロ』(1928年),『左手のためのピアノ協奏曲』(1930年),『ピアノ協奏曲』(1931年)及び『ドゥルネシア姫に思いを寄せるドン・キホーテ』(1932年)の4曲。
岩田先生が,当初,これらの作品の中に痴呆等の痕跡を見つけようとして着目されたものに,上掲のピアノ協奏曲に係る「僕はこれを2小節ずつ積み重ねるように創っていったんですよ。もう死にそうだったんですよ。」という言葉がある。おそらく,岩田先生は,この言葉の中に「名曲の誕生に彩りを添えるエピソードや言葉」とは異質なものを感じ取られたのだろう。しかし,岩田先生ご自身告白されているとおり,このピアノ協奏曲から聞こえてくるのは痴呆とは無縁の響き。友人から「病気が演奏に反映しているでしょうか?」と問いかける手紙と共に贈られたという,ロン独奏,ラヴェル指揮ラムルー管によるピアノ協奏曲の演奏(1932年録音)をお聴きになっても,「ここには彼の病いはその姿を現すことができませんでした。」と答えたい,とお書きになっている。センシティヴな表現からは,岩田先生の心優しさ,そしてラヴェルに対する敬愛の念が伝わってくる。

 さて,表題は,1967年録音のアルゲリッチとアバドの初共演盤に収められたもの。40年以上前の録音だが,リズムの切れの良さなど,演奏の鮮度は今もって失われていない。ベルリン・フィルも優秀。第1楽章終結部など,彼らの表現意欲は実に旺盛だ。
いずれの楽章も素晴らしいが,やはり,白眉は第2楽章アダージョ・アッサイ。冒頭の3分近くにも及ぶピアノ・ソロから始まり,フルート → オーボエ → クラリネット → フルートと受け渡されていく旋律の美しさは,もはや,この世のものとは思えない。ラヴェルはこの楽章をモーツァルトのクラリネット五重奏曲のラルゲットを手本にしながら作曲したという。
久しぶりに聴き直し,気付いたことがある。それは,第2楽章後半にあるコール・アングレの素晴らしさ。録音によりピアノとのバランスが様々な箇所だが,表題の録音は,ピアノを幾分抑え気味にしてコール・アングレを浮き立たせるという行き方。その配慮に違わず,コール・アングレは,2分間,しみじみとした演奏をくり広げる。この楽章で求められるのは,大きな身振りなどではなく,慎ましさ。コール・アングレは,楽章の開始から6分46秒の辺りでほんの少し変化をつけているほかは淡々と吹きすすんでいく。これは滋味溢れる名演だと思う。
このコール・アングレは,もちろん,シュテンプニクによるものであろう。彼の名演と言えば『トゥオネラの白鳥』が有名だが,このラヴェルのピアノ協奏曲での演奏もそれに劣らないものだと思う。なるほど,フルトヴェングラーがオーボエからコール・アングレに移るよう懇請したというのも頷ける話し。因みに,ローター・コッホのベルリン・フィル入団は1957年。フルトヴェングラーが亡くなったのは1954年である。

 ラヴェルが,脳腫瘍などの疑いから,クロヴィス・ヴァンサン教授による開頭手術を受けたのは1937年12月19日の月曜日のこと。大脳皮質の萎縮は認められたものの,腫瘍も血腫も見つからずに手術は終了した。手術後,ラヴェルはいったん意識を回復したが,その後昏睡状態に陥り,9日後の12月28日には帰らぬ人となった。
ところで,弟子のロザンタールによれば,手術は,当初,前週の金曜日に予定されていたのだが,他の緊急手術のため延期されたのだそうだ。そのため,ラヴェルはその週末を病院に近い友人ドラージュの邸で過ごすことになった。そして,この延期により,印象的なひとつのエピソードが残された。
日曜日,ラヴェルを囲む晩餐会でつけられたラジオからは,アルベール・ヴォルフ指揮パドゥルー管による『ボレロ』が流れてきた。折しも,パリではラヴェル・フェスティバルが開催されていたのだ。ラヴェルはこれを聴きながら大きな笑い声を上げて膝を叩き,次のように言ったという。

 あぁ,ぼくが作曲をしていたなんて,うそみたいだよ。

プロコフィエフ&ラヴェル:ピアノ協奏曲
アルゲリッチ(マルタ),アバド(クラウディオ)
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トゥレチェク/べーム/ウィーン・フィル モーツァルト『オーボエ協奏曲』(1)

2009-12-20 20:13:42 | クラシック
 ヤマハにウィンナオーボエの製作を依頼したのは,その当時,ウィーン・フィルの首席オーボエ奏者であったゲルハルト・トゥレチェク。ワルター・ジンガーからの「ウィーン・タイプのロータリー式トランペットの製作」という依頼に見事に応えたヤマハの誠実な仕事ぶりを見聞きしての決断だったようだ。その背景には,長年使われてきた楽器(ヘッケル社製等)の疲労と専門の楽器職人の払底等があったとか。
佐々木直哉氏は,『200CD ウィーン・フィルの響き 名曲・名盤を聴く』(立風書房)の中で,トゥレチェクを「カメシュらの「正調ウィンナオーボエ」と,ガブリエルら「新時代ウィンナオーボエ」の橋渡し役」と位置付けたうえで,「変革者」「突破者」と評しておられる。なるほど,上手いことをおっしゃる。東洋のメーカーへの依頼には楽団内部からも批判が少なくなかったと聞くから,「突破者」は言い得て妙である。
しかし,「カメシュらの「正調ウィンナオーボエ」と,ガブリエルら「新時代ウィンナオーボエ」の橋渡し役」という表現から,トゥレチェクのオーボエをカメシュとガブリエルのそれらを足して2で割ったような中途半端あるいは過渡的なものと考えるなら,それは間違いというほかない。この人のオーボエには,「橋渡し役」という表現には収まりきらない固有の,そして独特の響きがある。その響きは,同い年(1943年生まれ)のレーマイヤーのそれともまた違うものである。
伝統的にウィーン・フィルのオーボエ奏者はあまりヴィブラートをかけないといわれる。しかし,トゥレチェクのオーボエは,音が減衰していく時などそうだが,響きが微妙に揺れる。これが,彼が使用する楽器の構造や癖によるものなのか,それとも,その奏法によるものなのかはよくわからないけれど,その響きは一度聴いたらちょっと忘れられない。フレンチオーボエに比べれば,全体として鄙びた響きであることは間違いない。しかし,表題録音の第1楽章開始間もなくにあるオーボエの上昇音型など,輝かしさ,力強さも欠いていない。なるほど,第3楽章中間部でくり広げられる華やかなパッセージは,ホリガーらの演奏を知っている耳からすれば,幾分物足りなさも残る。しかし,この点は楽器の構造上致し方ないところもあるし,これはこれで別なる味わいを有していると思う。いずれにしても,この録音を聴けば,トゥレチェクは,演奏それ自体においても「突破者」だったということがよくわかる。病を得たためわりあい早くに引退してしまったが,ゲルハルト・トゥレチェク,やはり,忘れられない名オーボエ奏者のひとりである。
因みに,トゥレチェクは,1985年に,プレヴィン,そして他のウィーン・フィルのメンバーと共に,モーツァルトとベートーヴェンのピアノ五重奏曲を録音している。表題の録音時(1974年)に使用したオーボエがヤマハ製でないのはほぼ間違いないが,プレヴィンらとの録音にはヤマハ製のオーボエを使用した可能性が高い。こちらは現在のところ未聴だが,いつか響きを比較してみたいものだ。

 最後になったが,ご存じのとおり,表題曲には,コッホ,ホリガー,ブラック,シェレンベルガーによるものなど名盤が少なくない。しかし,トゥレチェク盤は,それらと比較してもなお独自の存在価値を有していると私は思う。未だ聴いていないという方は是非ご一聴を。

モーツァルト:オーボエ協奏曲
ベーム(カール)
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ゴールウェイ/東京クヮルテットのメンバー モーツァルト『フルート四重奏曲第1番』

2009-12-13 19:18:31 | クラシック
 フルート,ヴァイオリン,ヴィオラ及びチェロという編成。この編成の曲は,大きく分けると,フルートと常設のユニット(トリオ,あるいはクヮルテットのメンバー etc)の組み合わせか,4人とも独奏者という全くの臨時編成,で演奏される。この説明に好都合なのがランパルの録音。彼のパスキエ・トリオとの盤は前者,スターン,アッカルド及びロストロポーヴィチとの盤は後者にあたる。私が聴いたパスキエ・トリオとの盤は,1982年9月のアスコーナ・ライヴの方だが,これは活気ある好演。一方,スターンらとの盤は,功成り名を遂げた音楽家の共演といった風情(昼は享演,夜は饗宴とか,というのは冗談)。演奏は,大味は言い過ぎとしても,アンサンブルとしては少し緩いという印象。録り方も,「4人の巨匠の顔を満遍なく立てました」という感じ。主役のフルートをじっくり聴きたい私には,弦の動きが幾分せわしなく感じられる。

 表題曲は,上記で言えば前者にあたるゴールウェイと東京クヮルテットのメンバーによるモーツァルトのフルート四重奏曲全5曲(1曲はオーボエ四重奏曲の編曲版)が収められたディスクからの1曲。このディスク,曲によってピーター・ウンジャンと池田菊衛がヴァイオリンを分け合っているが,第1番のそれは池田菊衛。因みに,ヴィオラは磯村和英,チェロは原田禎夫。
ゴールウェイのフルートの美質は「息の長い伸びやかな歌」にある。このゴールウェイ盤には同じ曲のブラウ盤に聞く軽快さはないかもしれない。しかし,横溢する歌心はその不足を補って余りある。ここでもゴールウェイのフルートは心置きなく歌っている。第1楽章の演奏時間は7分24秒。通常の演奏よりは1分近く長いけれど,間延びしたような感じは全くない。
この演奏中の白眉は,何と言っても第2楽章アダージョのカンティレーナ。この哀愁,悲愁の前には言葉がない。アンリ・ゲオンは,この楽章につき,その著書『モーツァルトとの散歩』の中で,「第2楽章では,蝶が夢想している。それはあまりにも高く飛び舞うので,紺碧の空に溶けてしまう。ゆっくりとしてひかえ目なピッチカートにより断続されながら流れるフルートの歌は,陶酔と同時に諦観の瞑想を,言葉もなく意味も必要としないロマンスを表している。」と書いている。
この第2楽章から第3楽章ロンドーにはアタッカで入るのが通例。ブラウとブレイニンほかのアマデウスのメンバーは,第2楽章で失速すれすれのテンポをとったうえで,結び間際に更に一旦テンポを落とし,そのまま,少し速過ぎると思われる程のテンポで第3楽章に入る。技術的には申し分ないのだが,音楽としては,ちょっと作為の匂いが強いという感じがしなくはない。
その点,ゴールウェイらの演奏は自然。ゴールウェイ盤のこの部分,喩えるなら,アダージョの悲愁に同化してひとりしんみりとしていたところを,笑顔の知己からポンと肩を叩かれはっと我に返る,といった感じだろうか。ここの情趣の転換は実に鮮やか。
東京クヮルテットのメンバーも,フルートを立てながら,よく歌っている。もはや無いとは思うが,このクヮルテットに対する「正確だけが取り柄」などという評は全くの誤解である。
表題の第1番のほか,第4番なども素晴らしい。是非ご一聴を。

Flute Quartets
Tokyo Qt
RCA

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C.デイヴィス/ボストン響 シベリウス『交響曲第7番』

2009-12-06 15:11:38 | クラシック
 表題曲が収録されたディスクは,C.デイヴィスとボストン響のシベリウス交響曲全集から分売されたもの。この第7番は,カップリングの第5番とともに,1975年,全集の第1段として録音されたものである。三浦淳史氏の著書によれば,C.デイヴィスは1974年から1975年のシーズンに4つのプログラムでボストン響の定期に登場。第7番はその3つ目のプログラムのメイン曲としてとりあげられている。因みに,第5番は1つ目のプログラムのメイン曲。
表題曲が収録されたレコードには,当初,前エントリであげたW.G氏の名前がクレジットされていたらしい。ご存じのように,シベリウスの第7番では,冒頭のアダージョほかでトロンボーンが重要な主題を奏する。名前のクレジットは,この録音を期に引退する同氏へのはなむけの意味も込められていたようだ。

 さて,C.デイヴィスの第7番。冷涼な空気感,清冽といったものを思い浮かべながら聴いた方はちょっと(相当?)戸惑われるのでは・・・,と思うほど熱が入っている。
とにかく,冒頭のアダージョから弦の濃厚な歌い方が凄い。音楽はまるでマーラーのアダージョ楽章かのよう。指揮者は,所々で呻き声を漏らすなど,音楽に没入し切っている。なるほど,この録音で得心がいった。C.デイヴィスに付いてまわる「穏健」「中庸」といった評価がその音楽性を必ずしも的確にとらえたものではないということを。
ボストン響も,C.デイヴィスの時に煽り,時に弛める融通無碍な棒によく反応している。アダージョ後半からヴィヴァチッシモの弦のうねりに至るまでの短い奏句のたたみかけなど,実に見事だ。
それにしても解せないなぁ。この組み合わせのシベリウスは第2番ほかをフィリップスのエクセレントコレクションで聴いているだけだが,そちらについてはこの第7番で感じたような目覚ましい印象といったものがまるでないのだ。このエクセレントコレクション,今では甥っ子のものになっている。いつか彼から借りて聴き直さなくては。

 最後に再びW.G氏のトロンボーンの話し。この第7番での出来については,名前のクレジットがご本人の栄誉となったのか疑わしい,とだけ書いておこう。因みに,私の所有するリマスター盤のCD(464 740-2)にW.G氏の名前はない。

シベリウス:交響曲第5&7番
デイヴィス(サー・コリン)
ユニバーサル ミュージック クラシック

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