音楽と映画の周辺

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プリンツ/ベーム/ウィーン・フィル モーツァルト『クラリネット協奏曲』

2006-04-30 18:51:06 | クラシック
 少し前,山崎浩太郎著『名指揮者列伝 20世紀の40人』を読んでいたところ,ベームの項の冒頭,次のような記述があった。以下,引用したい。

 日本人にとって,カール・ベームとは何だったのか。このことを考えてみるのは,1980年前後の日本のクラシック界を見わたすひとつの方法になるかも知れない。
 とにかく,現在では想像もつかないほどの人気を,70年代後半から80年代前半にかけて持っていた指揮者だった。
 その人気の原因のひとつが,「帝王」カラヤンの存在にあったことは疑いないだろう。
一般家庭でも大きなステレオ・セットを買い,ピアノを買い,豊かになってゆく時代のクラシックを象徴するのが,カラヤンとベルリン・フィルによるレコードだった。当時のサラリーマン社会では,クラシックに興味のない顧客に対しても,接待に使える唯一の演奏会チケットが,カラヤン&ベルリン・フィルの来日演奏会だったという。誰もが少なくともその名前と風貌を知っている,そんな存在がカラヤンだった。
 べームは,そのカラヤンに対置される存在だった。カラヤンの存在が大きくなればなるほど,音楽ファンが心のなかのバランスを取るために,ベームを求めていったように思う。
マリア・カラスに対するレナータ・テバルディのようなもの,ともいえるかも知れない。現世の栄華を謳歌するスターに対置される,伝統を引き継ぐ実力者。


 帝王没後,「通」と言われる人達も安んじて豪奢な彼の音楽を楽しむことができるようになったためだろうか,あちらの声望はむしろ上がったような気がする。他方,ベームの人気凋落は目を覆わんばかりである。
山崎氏の見立てを勝手に引き継いで言うなら,ベームは,帝王の死とともにお役御免,お払い箱になったというところだろう。
ベームが亡くなったのは1981年8月14日。だが,真に,ベームが指揮者としての命脈を断たれたのは1989年7月16日だったと言えるのかもしれない。どこかのスパイ映画のようで恐縮だが,ベームは2度死んだ,ということになりそうだ。

 ベームが凡庸な指揮者であったなら,この現象,理解の範囲であるし,とりたてて同情するまでもない。帝王存命中ならともかく,彼が亡くなった以上,ベームが「伝統を引き継ぐ実力者」としての任を解かれるのは,自然な成り行きである。
しかし,他はどうか知らないが,私は,このようなベーム凡庸説に同調することはできない。
私がベームのディスクで知っているものなど,本当にごくごく僅かなものに過ぎないが,モーツァルト『コシ・ファン・トゥッテ』,バックハウスとのブラームス『ピアノ協奏曲第2番』,ブルックナー『交響曲第4番』など,今もって,ワン&オンリーと言って良いものである。ベームには恩義があるのだ。同調などできようはずがない。聴衆が勝手に持ち上げ,勝手に放逐した,これがベーム現象の真実であろう。全て,ベームの預かり知らぬことである。

 さて,モーツァルトのクラリネット協奏曲。
普段はマーセラス/セル/クリーヴランド管で聴くことが多いが,このプリンツ/ベーム/ウィーン・フィル盤も素晴らしい。ともに,独奏者に,楽団のファースト・チェアをたてての演奏である。
明快でやや硬質な響きのマーセラスに比べ,プリンツのクラリネットはどこまでも柔らか。音域の広さも十分。晴朗な晩秋を思わせる第2楽章アダージョ後半部の楚々とした佇まいも味わい深い。
 プリンツには申し訳ないが,早々にベームの指揮へ。ここでのオケ,楽器間のバランスが絶妙である。どの声部を抑え,どれを前面に押し出すかといったことは,言ってみれば,指揮者の数だけあるに違いない。しかし,この演奏に限らず,ベームの作り出す音楽を聴いていると,まさに,あるべきフレーズが,あるべきボリュームで配置されていると思わざるを得ない。これ見よがしに特定の楽器を鳴らすといった「あざとさ」がないせいだろう,繰り返し聴いていても厭くということがないのだ。汲み尽くせないものが凝縮されているという印象は何度聴いても変わらない。
 久しぶりに聴いておやっと思ったのは,ウィーン・フィルの響き。ウィーン・フィルは,弦をはじめとして,ビロードやシルクに喩えられることが多いオケ。しかし,ベームの棒の下では,幾分ザラッとした質感の響きを聴かせている。しかし,決して不快ではなく,むしろ,心地よささえ覚える響きである。これは,昨今の,スルリと手をすり抜けていくような滑らかで軽い響きとは随分違うような印象を受ける。

 最後もベームの話し。
ベームが名をなしたのは,長生きしたからだ,と言う者もある。しかし,これはフェアな物言いではない。ベームは,戦前のザクセン時代,既に自分の理想とするレパートリー・システムを導入し,名声を確立していた。ベームの成功の多くがその長命によってもたらされたなど,余りに礼節を欠く表現といえないか・・・。
なるほど,ベームの音楽には,フルトヴェングラーの精神性,カラヤンの豪奢はなかったかもしれない。
しかし,そこには,まさに,モーツァルトがあり,シューベルトがあり,ブラームスがあり,R.シュトラウスがあったではないか。それ以上一体何を望むというのだ?

モーツァルト:オーボエ協奏曲
ベーム(カール)
ユニバーサル ミュージック クラシック

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