音楽と映画の周辺

核心ではなく, あくまでも物事の周辺を気楽に散策するブログです。

シュタインスほか/カラヤン/ベルリン・フィル モーツァルト『協奏交響曲K.297b』

2009-10-11 22:26:42 | クラシック
 著名なクラリネット奏者,カール・ライスターの著作に『ベルリン・フィルとの四半世紀』(音楽之友社,大川隆子訳出・石井宏監修)がある。雑誌『音楽の友』に連載(’85.4~’87.3)されたものを単行本にしたものなので,連載中にお読みになったという方もいらっしゃると思う(連載中,ライスターは未だベルリン・フィルの現役の団員だった。曝露本の類を期待する向きには当てが外れるが,客演指揮者,コンサート,レコーディングに関する言及など,実に興味深い内容。カラヤンやベルリン・フィルがお好きという方には,一読をお奨めしたい書籍である)。
さて,この本の中に,1971年8月のモーツァルトの管楽器のために書かれた協奏曲の録音に触れる箇所がある(P144,145参照)。これは有名な録音で,管理人も『Concertos pour instruments a vent』というEMIの2枚組の輸入盤を持っている。このディスクには,クラリネット協奏曲,オーボエ協奏曲,ファゴット協奏曲,フルートとハープのための協奏曲及びフルート協奏曲第1番の5曲が収録されている。以下,少し長いけれど,この箇所からの引用。なお,太字は管理人によるものである。

 1971/72年のシーズンが始まる前に,ベルリン・フィルの室内管弦楽団は例年のようにサン・モリッツへ行き,8月14日から24日まで滞在した。今回は,ある特別なテーマがあった。モーツァルトの全ての管楽器のための協奏曲をレコードに吹き込むことである。レコード会社はEMIであった。収録はフランス教会で行われた。山の中腹にある森の中のその教会は木造であり,非常に美しい音響効果を持っていた。その頃はまだジェームズ・ゴールウェイもいて,彼を含めて管楽器奏者はそろって教会に来ることは来たのだが,誰がソリストになって吹き込みを行うのか誰も知らなかった。

あの録音がこのような状況で行われたとは・・・。ちょっと信じ難いのだが,ライスターが嘘を言う理由もない。たぶん,本当なのだろう。そして,こう続く。

 カラヤン自身は例によって事前には何も言ってくれないので,席には着いたものの,そわそわしながら指名を待つのはありがたいことではない。いずれにせよ当時の我々には「そもそもソリストとしては扱われていない,ただのオーケストラの団員として扱われているだけだ」という気分があった。我々は,当日その場でカラヤンが今日は「フルート協奏曲を吹き込む」とか,「クラリネット協奏曲だ」とか,あるいはまた「シンフォニア・コンチェルタンテにする」というまで何もわからないのである。このような状況は,オーケストラのソロ奏者にとって決して良い影響を与えるものではない。翌日にどの曲を吹き込むのかも知らせておいてもらえないのでは練習のしようもないのである。それでも,このときモーツァルトのクラリネット協奏曲をカラヤンが私に指名してくれて,彼の指揮でレコードにすることができたのはうれしかった。

そう。管理人所有のディスクには,同時に録音されたにもかかわらず,『協奏交響曲K.297b』(以下,「K297b」と省略)が収録されていなかったのだ。このK297bも入れるとなれば,この協奏曲集が3枚組になるのは必至。おそらくセールス等を考えて2枚組になったのだろうが,EMIが件の協奏曲集を編むにあたり,K297bを外そうとの結論に至るまでさほど時間は要しなかったと思われる。ご存じのとおり,K297bは出自に問題を抱えている。これが継子扱いに繋がったというのは想像に難くない。
管理人は,以前から,このK297bを聴いてみたいと思っていたのだが,先般,ようやく念願がかなった。某オークションサイトに出ていたカラヤン・コンプリートEMIレコーディングス第1集の分売ぶんを入手し,聴くことができたのだ。因みに,カップリングは,カラヤン/ベルリン・フィルとギドン・クレーメルによるブラームスのヴァイオリン協奏曲。オークションは「ブラームス:ヴァイオリン協奏曲,他/クレーメル&カラヤン」と出ており,K297bは「他」扱いだった。管理人がK297bの収録に気付いたのは偶々に過ぎない(オークションにはこういうこともあるから,なかなか足が抜けられない)。以下,簡単に感想を書き留めておきたい。

 K297bのコンピュータの解析等による「レヴィン復原版」が世に出たのは,1974年以降のこと。当然のことながら,表題ディスクの録音は従来からある(後世の誰かがオーケストラ・パートを付加した)版(以下,「従来版」と省略)で演奏されている。
自筆譜が残っていないから,作者不詳のオケ・パート等を「話しにならない」と切り捨てる人がいてもおかしくないが,管理人は,今のところ,そこまでの評に出会ったことはない(誰しも,「始めに答えありきの論評」と非難される愚は避けたいということか・・・)。
管理人もレヴィン復原版は聴いたことがある。これは話しに聞いていた以上に素晴らしい版。しかし,だからといって,従来版に見切りをつけようとは今のところ思っていない。オーケストラ・パートは作者不詳のもの → モーツァルトの作品としては純正ではない,はそのとおりだが,更に,モーツァルトの作品としては純正ではない → 聴くに値しない,はいくらなんでも飛躍がある。音楽学者ならいざ知らず,フツーの音楽愛好家に過ぎない管理人は,作品の価値は,誰彼に気兼ねすることなく,聴く人が決めれば良い,と思う。

 K297bのソロ楽器は,オーボエ,クラリネット,ファゴット及びホルン。従来版では,オーボエと他の3つのソロ楽器とでは活躍の比重がかなり異なり,オーボエのそれが格段に重い。その意味で,この協奏交響曲は「オーボエ協奏曲の拡大版」といって差し支えないように思うのだが,どうだろう。やはり,雑ぱくに過ぎるだろうか。
このディスクでオーボエのソロを務めるのはカール・シュタインス。シュタインスは,録音当時,ローター・コッホと共に,ベルリン・フィルのオーボエのソリストを務めていた。彼のオーボエは,コッホの艶(あで)やかさはないものの,高音の美しさは格別。管理人は,この録音を聴く度に,「オーボエこそ木管の王様」を確認する。シュテーアのクラリネット,ブラウンのファゴット,ハウプトマンのホルンも堅実。弦楽器もさることながら,ベルリン・フィルは管楽器,を実感させる演奏である。これが継子扱いというのは,同情するに余りある。

 ところで,ベルリン・フィルのK297bと言えば,ほかに,ベームの指揮,シュタインスのオーボエ,ライスターのクラリネット,ピースクのファゴット,ザイフェルトのホルン,という1966年録音のDG盤がある。これは名盤の誉れ高い1枚。
EMIがモーツァルトの管楽器のための協奏曲集の録音を企画した時,そのスタッフとカラヤンの頭にこの録音がなかったはずはない。ソリストに係るEMIとカラヤンの選択は,K297bについては,上記のとおり。DG盤でソリストを務めたライスターとピースクは,それぞれ,クラリネット協奏曲,ファゴット協奏曲にまわり,コッホはオーボエ協奏曲,ゴールウェイ(とヘルミス)はフルートとハープのための協奏曲,ブラウはフルート協奏曲第1番,でそれぞれソロを務めた。
この2つの録音(とりわけ,ベーム盤)については,公然と,あるいは,遠慮がちに,「オーボエがコッホなら・・・」を言う声も聞く。しかし,既に書いたとおり,コッホのソロではオーボエ協奏曲が残された。コッホを聴きたくば,それを聴けば良いわけだ。コッホを望む気持ちもわからないではないが,ただ闇雲に「何が何でも,コッホ」を言うのは,見事な演奏を繰りひろげるシュタインスに対しコーテシーを欠く物言いのような気がする。どうだろうか。
同じことは,シュテーア,ブラウン,ハウプトマンについても言える。同じソリストではあるものの,シュテーアよりはライスター,ブラウンよりはピースク,ハウプトマンよりはザイフェルトが,それぞれ上と考える人の中には,カラヤン盤のソリスト達を恰も「B代表」のように言う人もいる。しかし,これは事実とは異なるし,音盤に向き合う態度としてもいかがなものかと思う。
因みに,冒頭掲げたライスターの書籍には,シュタインスに関して,「もう一人のソロ・オーボエのカール・シュタインス。彼は,特にモーツァルトの作品においては,素晴らしい音の感性をもっており,またその演奏には軽妙さをもっていた。」とある。

 さて,カラヤンの指揮だが,例によって,レガート主体の流麗なもの。デュナーミクの変化などもベーム盤で聴くような細かさはあまりなく,伸びやかな演奏である。また,第1楽章冒頭の弦のユニゾンなども響きは厚いが,ベーム盤の重戦車のようなそれとはまた違う。この相違は,編成の大小もさることながら,指揮者の個性からくるものだろう。
第3楽章の第5変奏や第6変奏のオケ・パートの終結部はいかにも重く感じられ,時に「今少し軽妙さがあれば・・・」と思ったりもするけれど,管理人は,折に触れ,このカラヤン盤を取り出しては楽しんでいる。人により好き嫌いははっきり分かれそうだが,ベーム盤は生真面目に過ぎると思われる方には,このカラヤン盤などどうであろう。ギャラントな雰囲気は典雅なこの曲に向いていると思うのだが。

 最後になったが,カラヤンのK297bには,フィルハーモニア管との録音もある。ソリストは,「レッグのロイヤルフラッシュ」と呼ばれた,シドニー・サトクリフ,バーナード・ウォルトン,セシル・ジェイムズ,デニス・ブレインの4人 (残る1人は,言わずと知れた,ガレス・モリス)。ウォルトンの憂いを帯びたクラリネットの響きをはじめとして,表題とはひと味もふた味も違うが,優れた演奏である。

参考 カラヤン「資料室」 《カラヤンのモーツァルト演奏史20》:協奏交響曲変ホ長調K.297b

モーツァルト:協奏交響曲
近衛秀麿,ヘルベルト・フォン・カラヤン,デニス・ブレイン
OPUSクラ

このアイテムの詳細を見る

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする