音楽と映画の周辺

核心ではなく, あくまでも物事の周辺を気楽に散策するブログです。

R.ゼルキン/オーマンディ/フィラデルフィア管 モーツァルト『ピアノ協奏曲第20番』

2009-09-23 21:45:40 | クラシック
 表題のディスクは,『マイスターコンツェルトBOX-100枚組』の1枚で,某オークションサイトで分売されていたもの。
カップリングは,ハスキルとアンダのソロ,ガリエラ指揮のモーツァルトのピアノ協奏曲第10番。目当ては表題曲だが,どちらかと言えば,ゼルキンのピアノよりオーマンディの付けの方に興味があった。
管理人はセル親派。件のディスクはリベラ33さんのブログに触発されて落札したのではあるが,正直なところ,さほど期待はしていなかった。しかし,この録音で聴く演奏は,管理人の抱くオーマンディのイメージを大きく揺るがすものであった。いやはや,好き嫌いはあるとしても,これは大変な演奏である。以下,簡単に感想を書き留めておきたい。

 第1楽章冒頭から,そのテンポの速さに驚いてしまう。この第1楽章の所要時間は,12’33。61年のセルとの録音では14’23,81年のアバドとの録音では14’46。レコードプレーヤーで鑑賞していた時代なら,先ず,ほとんどの人が「回転数を間違えた」と勘違いしそうなテンポだと思う。因みに,カーゾン/ブリテン盤は15’05。名盤の誉れ高いグルダ/アバド盤は15’30。以前管理人が聴いてかなり速いと感じたアルゲリッチ/ラビノヴィチ/パトヴァ・ヴェネト管の演奏でも13’33だから,12’33がいかに速いかおわかりいただけると思う(以上あげたものは,いずれも,ベートーヴェン作のカデンツァを使用している)。
ただ,オケは,名にし負う,フィラデルフィア管。このテンポでも「いっぱい,いっぱい」といった感じはなく,余裕綽々。全く危なげがない。また,テンポが速い分,上滑りするような演奏かといえば,そんなことばない。情念に突き動かされたかのような激しさはちょっと尋常ではない。「ボンの作曲家がカデンツァまで物したのももっともと思わせる演奏」と言えば,その劇性のいくばくかは伝わるだろうか。

 それにしても,20年を措いたセルとの録音とアバドとの録音とでは第1楽章の所要時間にほとんど変わりがないのに,何故,51年のオーマンディとの録音はこうまで違うのか。
ゼルキンは1903年生まれだから,51年録音時は48歳。61年録音時は58歳だが,ピアニストとして老けこむ年齢ではないから,技術が落ちて遅くなったというのは考えにくい。そうなると,51年のテンポはオーマンディ主導のものということになるが,「それにしても,この直情径行,「トスカニーニ指揮」でも十分通用するなぁ。」と思った瞬間,謎が解けたような気がした。何のことはない,このテンポは,ゼルキンでも,オーマンディでもなく,トスカニーニのそれではないのか。いや,それがあまりに具体に過ぎると言うのなら,時代のテンポと言い換えてもいい。
オーマンディがアカデミックな教育を受けたのはブダペスト。しかし,やはり,彼が早くにアメリカに渡り,彼の地で新即物主義の洗礼を決定的に受けたという事実は重いのではなかろうか。何より,51年と言えば,トスカニーニはまだ現役であった。また,オーマンディが31年に初めてフィラデルフィア管の指揮台上に立ったのは,他でもない,トスカニーニの代役としてだった。これも無視できない事実のような気がする。オーマンディがトスカニーニから負うたところは相当に大きかったと想像するのだが,どうだろう。このディスクで聴かれる速めのテンポと激情のほとばしりはその傍証,というのは穿ち過ぎだろうか。
因みに,トスカニーニのディスコグラフィーを覗くと,モーツァルトのピアノ協奏曲では,第27番があるだけで第20番は見あたらない。諦念(あるいは,定年)なきマエストロには20番がより相応しい気も,というのは冗談だが,オーマンディの付け方は「トスカニーニも斯くや」と思わせるほど激しいものである。

 ゼルキンについても触れておかなければ。何と言っても,これはピアノ協奏曲。主役は彼なのだから。
さすがに,壮年期の演奏。技術的には,まずは安心して聴くことができる。アバドとの録音も素晴らしいけれど,あの盤の第3楽章ではピアノに容易に弾き進まない「もたつき」のようなものをどうしても感じてしまう。管理人は,81年時のゼルキンは,27番ならともかく,20番を演奏するには少し枯れ過ぎていたようにも思うのだが,どうだろうか。

 もし,管理人が3枚のうち「ゼルキンの20番」として取るならどれかと問われれば,現在のところは,セルとの録音と答えることになると思う。アバドとの録音との比較であれば,躊躇なくそう答える。アバドとロンドン響も良い。しかし,セルとコロンビア響(実体はクリーヴランド管)の付け方は完璧だ。第3楽章冒頭,ピアノ独奏から引き継いだオケの素晴らしさといったらちょっとない。
オーマンディとの録音は,演奏の性質が違うだけに優劣を決めるのは難しいけれど,上記のとおり,こちらはテンポの設定を含め表現が相当にドラマティック。20番は21番ではないとしても,これは,気安く「ちょっと聴いてみよう」といった気にはなれない演奏である。また,鑑賞には全く支障はないものの,モノラルというのも選択を躊躇する理由のひとつになろうか。第2楽章中間部でのピアノと木管の絡み合いでは,キンケイドらの名人芸を堪能したいところだが,分離が今ひとつ。何とももどかしい。やはり,どれかひとつとなれば,セルとの録音ということになりそうだ。
なお,ゼルキンの20番の正規録音には,上にあげた3種のほか,シュナイダー/マールボロ祝祭管との57年録音もあるようだ。どのようなテンポ設定かなど興味深いが,現在のところ未聴である。

 いずれにしても,この演奏は,巷間言われる,「豪華絢爛(にして,内容空疎)」,「耳に心地良い(だけ)」,「感覚的な洗練(のみ)」,「(ホームミュージックなら)一家に一枚オーマンディ」といった,オーマンディとフィラデルフィア管に対する含みのある評価を動揺させるに十分なもののように思われる。リベラ33さんの表現をお借りするなら,まさに「ハイドン94」といったところ。
ただ,数は少ないけれど,管理人所有のオーマンディのディスクからは,いつの時代も彼のマエストロが表題ディスクにあるような演奏をしていたとはとても思えないのだ。あるいは,トスカニーニという強烈な個性の照射を受けていたこの時期(だけ)の彼の演奏の特徴なのだろうか。

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カラヤン/ベルリン・フィル ドビュッシー『交響詩「海」-3つの交響的素描』(77)

2009-09-13 12:04:44 | クラシック
 先日,図書館に行ったおり,久しぶりに『レコード芸術』の収納ボックスからバックナンバーを取り出したところ,表紙に「新編 名曲名盤300」の文字が。「新味の無いお遊び」と言えばそれまでだが,ついつい手にとってしまった。内容は,10人の評論家諸氏が,各有名曲毎に,評価するディスクを3枚選び,1位には3点,2位には2点,3位には1点をそれぞれ配し,これをディスク毎に加算集計し,順位をつけるというお馴染みの企画。

 ドビュッシーの『海』の項には,「ブーレーズの新盤首位奪還」と,どこかのスポーツ新聞のようなキャッチーなフレーズが。同曲の今般の順位は,第1位がブーレーズ指揮クリーヴランド管(93),第2位がマルティノン指揮フランス国立放送管(73),第3位がサロネン指揮ロスアンジェルス・フィル(96),ということのようだ。
一覧にひと亘り目を通すと,先ず,かつて定盤中の定盤と言われたアンセルメとスイス・ロマンド管の名がないことに気付く。若い方からは「何時の話し?」と失笑を買いそうだが,赫々たるマルティノン盤はあるものの,やはり時の流れを感じてしまった。
「後は・・・」と再び一覧に目をやると,草野次郎氏が,ただひとり,カラヤンとベルリン・フィルの録音を3位に選んでいるのが目についた。草野氏が1点を献上したのは,64年にベルリン・フィルと録(い)れたDG盤。
カラヤンは,映像を除くと,『海』を4回録音している。1回目が53年にフィルハーモニアと録れたEMI盤で,続く3回は,いずれも,手兵のベルリン・フィルと録れたもの。ベルリン・フィルとの録音には,最後期とはいえ,このコンビの黄金時代にあたる77年に録音したEMI盤(以下,この盤を単に「EMI盤」と省略)がある。何故,草野氏の選択は,黄金時代のEMI盤ではなかったのか?
音楽の趣味は人それぞれ。本当のところは氏におうかがいするほかないけれど,EMI盤を聴いたことがある人なら,おおよその見当はつくと思う。該盤には,カラヤンの他の3回の録音と比べ,際立った特徴があるからだ。選択にあたり,比較対照の結果,EMI盤にはその特徴がマイナスに作用したということは考えられる。いや,そもそも,EMI盤は氏の脳裡にあがらなかった可能性すらある。それでは,EMI盤の特徴とは何か。

EMI盤を聴いた者は誰しも,第1楽章が始まって間もなく,チェロのオスティナート,ホルンのユニゾン,共に,相当に抑え気味であることに気付く。前者は寄せては返す波の音型を,後者は見晴るかす海の気分を表す。時に,チェロのオスティナートがあまりに説明的でうるさく感じる演奏もあるが,このカラヤンのEMI盤は,それとは逆に,あまりに抑えが効き過ぎている。この後の,立ち上がる白い波頭を表すというヴァイオリンのスフォルツァンドも,何とも弱々しい。描写音楽そのものではないとしても,この第1楽章からは,躍動感を欠くベタ凪の『海』という印象を受けてしまう。
また,ホルンのユニゾンも,弱音の指定はわかるけれど,海の象徴的表現としてはいかにも物足りない。確かに,この「超」の付く弱音は,一方で,夜明け前のほの暗さの表現としてかなりの効果をあげている。しかし,この後は,それが却って災いして,金管,ハープなどが加わっても,なかなか曲全体の明るさが増してこないというマイナス面が勝ることになる。第1楽章のタイトルは,知ってのとおり,「海の夜明けから真昼まで」だが,終結部のあの素晴らしく壮麗な循環コラールの後も,「本当に明けたの?」と思わず問い返したくなるほど,「暗さ」が全体を覆っている。この調子は,軽いスケルツォ風の第2楽章においても変わらない。
この演奏については,その「粘液質」を言う人もいるようだ。確かに,通常8分半から9分程かかる第1楽章を,ここでは9分40秒かけている。第3楽章も通常の演奏よりはやや長目。しかし,管理人は,遅さはさておき,これまで殊更に「粘液質」といったものを感じたことはなかった。言われて初めて「そうかな・・・」と思った程度。やはり,この演奏の最大の特徴は,(陰鬱というよりも,字義そのまま)「暗さ」にあると思う。
この録音を聴く者は,海を前にした時の開放感の不足,そして,時間の経過と照度の上昇との間の位相のズレのようなものを感じずにはいられない。それは,詰まるところ,第1楽章開始間もなくにあるチェロとホルンの扱いに問題があるからではなかろうか。

管理人はEMI盤を失敗作などと呼ぶつもりはない。EMI盤にはEMI盤なりの面白さがあるとは思う。しかし,「カラヤンの『海』」として今後とも語られるものは何かと問われれば,64年録音か85年録音かはひとまず留保するとしても,「DG盤では」と答えるのが穏当なところだと思う。因みに,DGの2つの録音の距離は,EMI盤の特徴を考えれば,さほど大きくはないように思われる。換言すれば,それくらい,77年録音のEMI盤は独特なのだ。EMI盤の録音はDGの両盤のそれに挟まれた時期におこなわれている。よって,この違いを,カラヤンの『海』に対する解釈の変遷で片付けるのはやや難がある。EMIの録音のなせる技というのも,答えとしてはあり得るが,これとて,演奏時間の長さの説明としてはたちまち綻びが出てしまう。いずれにしても,このEMI盤がカラヤンの『海』の中で独自の地位を占めているというのは間違いない。

 なお,データとして記しておくと,EMI盤も,DG盤同様,練習番号59(練習番号60-8小節)の金管群の合いの手は「有り」,練習番号63番のコルネットパートの三連音符のフレーズは「無し」,である。このあたりの詳細は,熊蔵さんの刮目すべきHP「海のXファイルへのエスキース」を。

ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」、他
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 カラヤン(ヘルベルト・フォン)
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ドビュッシー : 牧神の午後への前奏曲
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
EMIミュージック・ジャパン

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北野英樹/相馬市立向陽中学校吹奏楽部 ガーシュウィン『パリのアメリカ人』

2009-09-03 17:55:49 | 吹奏楽
 5月4日,秋田市で「夢の響演」と題されたコンサートが開催されたことは前々回のエントリで書いた。参加したのは,湯沢市立湯沢南中,相馬市立向陽中,玉川学園中学部及び秋田市立山王中の4校の各吹奏楽部。
あの日,向陽中は2校目の登場であったが,1曲目の『16世紀のシャンソンによる変奏曲』の演奏後,指揮の北野英樹先生の口から先ず出たのが「何とか止まらずに最後まで演奏できました」というもの。よもや,「夢の響演」と題されたコンサートで聞くなどとは思いも及ばない言葉であり,冗談ととった聴衆の多くは笑っていた。続く説明によれば,(先生のお話しが本当なら)メンバーの中には中学校入学まで楽器に触れたことも無い1年生も少なからずいるとのこと。確かに,学生服が歩いているような生徒さんもいたし,隣席の女性達からは「かわゆいね」などと言った言葉も出ていた。ステージ上のおおよその光景,ご想像いただけると思う。あながち,北野先生の言葉,冗談とばかりも言えない。5月だから,楽器に触れて未だ1か月。話し半分としても,同校は他の3校に比べ編成が小さいから,ミスがあればごまかしがきかない。くわえて,曲が「これが課題曲?」と誰しも思う『16世紀のシャンソンによる変奏曲』。課題曲の4曲がどのように割り振りされたかは知る由もないが,ホッとされたという北野先生のご心境,今ならよく理解できる。

 さて,8月30日,盛岡で全日本吹奏楽コンクール第52回東北大会中学校の部が開催された。「夢の響演」から4か月。向陽中は福島県代表として登場。
曲の難易やメンバーの経験を考えれば,課題曲は無難に『マーチ「青空と太陽」』あたりを選び,精力は自由曲に注ぎ込んで・・・,となりそうなものだが,豪胆にも,北野先生,コンクール本番でも再び『16世紀のシャンソンによる変奏曲』に挑まれた(因みに,東北大会出場の26校中,課題曲に同曲を選んだのは向陽中一校だけ。他は,20校が『マーチ「青空と太陽」』,3校が『ネストリアン・モニュメント』,2校が『コミカル★パレード』を選んだ)。
この曲,第2変奏などもあるから決して平板ではない。横の線をあわせるのも,楽器間のバランスをとるのも難しそう。しかし,向陽中の演奏は全く破綻がなく,テーマから一挙に聴く者を中世の世界へといざなった。考えてみれば,この曲は,編成の小さい団体にこそ相応しい。このあたりも考えて同曲を選択されたとすれば,卓見というほかない。もちろん,演奏技術に自信があってこその選択であろう。

さて,自由曲は,フランスつながりということになるのか,400年の時空を飛び越え,ガーシュウィン『パリのアメリカ人』。吹奏楽でこの曲を聴くのは初めてだが,真島俊夫氏の編曲が素晴らしい。この編曲は,パレット上の色彩や絵筆の不足といったものをほとんど感じさせない。この編曲を聴く者は,真島氏という仲介者を意識せず,ガーシュウィンの『パリのアメリカ人』そのものを聴いたという幸福に浸ることができる。力量不足(失礼)の「片曲」や「辺曲」,はたまた,勇み足(またまた,失礼)の「偏曲」や「変曲」もないではないけれど,不遜な言い方をさせていただくとして,真島氏の編曲,手練の技というほかない。終結部の大幅カットは残念だけれど,演奏時間の関係もある。これは致し方ない。
演奏でも,1920年代のパリの喧噪,パリへの憧憬,はたまた,故郷への郷愁といったものが,原曲の雰囲気そのまま,不足なく表現されていた。音圧,音塊で聴く者をねじ伏せるかのような演奏が少なくなかった中,向陽中のそれは,肌理の細やかさ,仕上げの丁寧さという点では,群を抜いていたように思う。

審査結果の発表を待たずに会場を後にした管理人が盛岡から秋田の自宅に帰り着いたときは,午後8時をまわっていた。一息付いて,岩手県吹奏楽連盟のHPを覗いたところ,山王中,向陽中,湯沢南中の3校に東北代表を表す「◎」の印が。なるほど,いずれもそれに値する団体ばかり。もっとも,単純より複雑,軽妙より重厚長大を好まれる向きには,もしかしたら,この審査結果には一部異論があるかもしれない。
個人的な感想を述べさせていただくなら,向陽中の金賞代表に対しては,山王,湯沢南のそれとは違った意味付けをすることも可能のような気がする。一日吹奏楽を聴き通しだったせいもあるけれど,正直なところ,午後からは,「今感じている驚きは,もしかしたら,ただ単に「空気の振動に対するもの」?」などと斜に構えて聴く自分がいた。もちろん,これは分をわきまえない物言いである。それは重々承知している。しかし,孤立した技術の披瀝の頻度と音楽的な到達度とが必ずしも比例するものではないというのもまた事実である。この際,向陽中の演奏の指向がどこにあったかについて考えるのも,決して無駄ではないと思う。どうだろうか。
愚見はさておき,4か月で「何とか止まらずに最後まで演奏できました」から全国大会出場にまで育て上げる北野先生の手腕,実績が示すとおり,やはり素晴らしいものがある。指導者のはたす役割の大きさを今更のように思い知らされる。

 さて,6校の秋田県勢にも触れておきたい。
1校目は,全体の3番目に演奏した花輪第一中。花輪の課題曲『マーチ「青空と太陽」』は,何というのか,良い悪いといったことは別にして,軍楽隊のような匂いがし,少し変わった演奏という気がした。「重い」「硬い」とも少し違うけれど・・・。もしかしたら,指揮をされた工藤靖先生の体躯,もとい,体格と関係があるのか・・・,というのはもちろん冗談である。いずれにせよ,これもひとつのスタイル。有る無しを言うなら,もちろん,有りである。
自由曲はレハール『喜歌劇「微笑みの国」セレクション』。冒頭の情緒纏綿としたメロディーから,一転,急速調のウッドブロックの連打を契機に場面転換するところなど,実に鮮やかであった。今風に言えば,「キターー」と言うのかな。花輪第一中は銅賞であったが,十分見事な演奏であった。

2校目は,全体の7番目に演奏した稲川中。管理人が金賞はもちろん,東北代表を期待した団体だったが,銀賞であった。課題曲,自由曲とも素晴らしい出来だったのだが・・・。
稲川は,前半の第1グループ終了後,15分の小休止を挟んでの登場。お気の毒だったのは,演奏校の紹介後,福山先生が前を向いて審査員席に一礼をされたときには,未だ会場が相当にざわついていたこと。些細なことかもしれないが,しかし・・・。でも,あれだけ確かな演奏技術を持ち,音の綺麗な団体。来年こそ,満願成就を果たされることと思う。福山先生,全国に「秋田に稲川あり」を轟かせて下さい。

3校目は,全体の13番目(前半最後)に演奏した山王中。自由曲は,ベルリオーズ『「幻想交響曲」より第5楽章』。これは苦手な曲の苦手な楽章。何も言うことはないのだけれど,原曲にある弦のコル・レーニョの表現には大いに疑問を持った。パーカスの3人が一斉にマレットの柄でマリンバを叩くというのは,パフォーマンスとしては面白い。しかし,柄の材質のせいか,ベルリオーズが意図したグロテスクな雰囲気は全くといってよいほど感じられなかった。もっとも,これは演奏というよりは,むしろ,編曲の抱える問題ということになるのかな?
それはさておき,(クラリネットの難所中の難所でほんの少し危ないところがあったけれど)素晴らしい演奏であったことには間違いはなく,演奏後は至るところからブラボーの声があがった。
順番が逆になったが,課題曲の『マーチ「青空と太陽」』は完璧な演奏。さすがは東北大会で,つまらないミスをする団体などほとんどなかったが,その中でも同課題曲では別格の演奏であった。トリオで,突如として音楽に澱みが生じ,生気を失うといった団体も意外に少なくなかったけれど,そこは山王。そういった心配は無用であった。とにかく,この種の軽快なマーチを振らせれば,木内先生の独壇場。指揮姿を見ていれば,音楽がどのように展開していくのか,曲を知らない聴衆にもはっきりわかる。この棒であれば,奏者も安心してついて行けるに違いない。何を今更と言われそうだが,あらためて,「木内時代」の到来を実感。本当に素晴らしい指揮者,そして,素晴らしい吹奏楽部。
あっ,そうそう。後半に入って,管理人の隣の席に白いブレザーを着た山王中の小柄な2人の女子がしばらく座って聴いていた。この年頃の女の子らしく,演奏の合間こそいろいろおしゃべりをしていたが,いざ演奏が始まると,決まって身を乗り出して聴き,演奏後はこれまた決まって一所懸命の拍手。伝統校といった名に胡座をかいているような気配は微塵も感じられなかった。演奏もさることながら,管理人はこのことに非常に感銘を受けた。

4校目は,全体の15番目(後半の2番目)に演奏した秋田南中。課題曲『マーチ「青空と太陽」』は平均以上の出来。だが,自由曲については,コメントを控えるほかない。というのは,この曲,管理人には感傷的に過ぎるのだ。これは,好みもさることながら,管理人の年齢も関係があると思われる。感傷は,ある意味,青春の特権である。南中のこの曲の演奏は中央地区大会から東北大会まで3度聴いた。しかし,正直なところ,奏者が正面を向いておこなうコーラスの部分では,じっと聴いていることに相当の忍耐を要した。南中の皆さんには申し訳ないけれど,管理人は,あの場面で,3度とも目をつむってしまったことを告白しなければならない。
管理人には,秋田の先達の作品を云々する資格はないし,もちろん,南中の演奏を腐すつもりも毛頭ない。ただ,管理人が繰り返し思ったのは,コンクールという場にはより相応しい曲がほかにもあったのではないかということ。南中が同じ作曲家の作品で過去に好成績をあげているのはわかるけれど・・・。
南中は銀賞だったが,演奏を聴いた知り合いの中には「素晴らしい演奏だったのに,銀賞は意外」という人もいた。会場も沸いていたから,そのように思った人は多かったのだろう。どうやら,管理人のような思いを抱くのは少数派のようだ。

5校目は,全体の25番目(後半12番目で最後から2番目)に演奏した湯沢南中。「夢の響演」はさておき,コンクールでこの学校の演奏を聴くのは初めてであった。
課題曲『マーチ「青空と太陽」』は,マーチであることを忘れさせるような流麗な演奏。自由曲の中橋愛生『科戸の鵲巣~吹奏楽のための祝典序曲』は酒井根の名演も手伝ってか,最近とみに人気の高い曲のよう。管理人はコメントする力を持たないが,演奏後は山王に負けず劣らず,盛大なブラボーの嵐。中には立ち上がって叫ぶ人もいた。

6校目は,全体の26番目(後半13番目で,全体を通じて最後)に演奏した御野場中。
前半は,山王のほか,中山,湯本第一,台原も凄かったが,どうしたわけか,この大会は,後半のレベルが異常に高かった。後半は,向陽,湯沢南のほか,須賀川第一,黒石などが前2校に全くひけを取らない演奏。御野場の登場は,聴衆の思いがほとんど代表の如何に移りかけた時だった。あるいは,「消化試合」ならぬ「消化演奏」のように思っておつきあいした向きもあったかもしれない。それだけに,自由曲のM.アーノルド『ピータールー序曲』の演奏が終わった時に何が起きたかについては,ここに記しておく必要がありそうだ。案外,ステージ上の演奏者は気づかなかったことかもしれないし。
演奏後,指揮の藤原滋先生が客席の方に振り向こうとされた時,この日ほかでは無かった「曰く言い難い間(ま)」があった。そして,感嘆のため息がもれ,程なく盛大な拍手が自然と沸き起こった。あれが,音楽に酔いしれ,我を忘れた間であることは疑いがない。温かなブラボーには,「審査員に対するアピール」といった邪心や,「我こそは最良の理解者」といった自己陶酔はほとんど含まれていなかったのではなかろうか。あそこにあったのは,ただただ,演奏者に対する賞賛と感謝の念だけであったと思う。
とにかく,音楽的な感銘の深さという点では,この日随一。「官憲による弾圧」という緊張の高まり,そしてその後に来る「犠牲者を哀悼する祈り」という緊張からの解放。御野場の演奏では,この対照の妙が最高度のレヴェルで表現されていた。実はこの日,同じ曲を演奏する学校がもう1校あった。しかし,そちらの演奏では,同じ編曲でありながら,トランペットの難しいパッセージがカットされているといった改変があった。演奏も,なかなかの出来ではあったが,忌憚なく言えば,御野場の演奏までには相当距離があると感じた。
話しを御野場に戻そう。楽器別では,金管,とりわけトロンボーン,そして,凄絶を極めたパーカッション群が特筆大書すべき素晴らしさ。いずれにしても,御野場は,あの素晴らしかった中央地区大会以上の演奏をした。県大会で幾分停滞が見られたものの,東北大会では一気に駆け上がったという印象。藤原先生の楽曲に対する読みの深さ,そして,それに見事に応えた部員の健闘には,もう賞賛の言葉が見つからない。
御野場は,東北大会初出場にもかかわらず,金賞を受賞。管理人は,東北代表にほとんど手が届きかけた金賞だったのではと想像する。そう思わせるだけの演奏を彼らはしたのだ。

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