音楽と映画の周辺

核心ではなく, あくまでも物事の周辺を気楽に散策するブログです。

藤原滋/秋田市立御野場中学校吹奏楽部 A.コープランド『アパラチアの春』(7/31)

2011-08-06 19:57:55 | 吹奏楽
 以下は,陶匠河井寛次郎(1890年~1966年)と版画家棟方志功(1903年~1975年)という2人の芸術家の友情にまつわる話しです。
棟方は「白樺」に掲載されたゴッホの「ひまわり」を見て感激。「わだばゴッホになる(私は(日本の)ゴッホになる)。」と一念発起して郷里の青森から上京します。しかし,棟方は裕福とはいえない鍛冶屋職人の出です。正規の美術教育を受けていませんし,師事する先生もいません。そのようなこともあって,棟方はどうしても帝展に入選して周囲から認めてもらいたかったようです。
1928年,棟方は油彩画で初めて帝展に入選しますが,その後は選から漏れることも少なくなく,その道のりは決して平坦なものではありませんでした。
河井が棟方と出会ったのはそのような時期にあたります。柳宗悦,濱田庄司らと共に日本民藝運動の推進者であった河井は,1936年,棟方の大作「大和(やまと)し美(うるわ)し」を見て驚嘆。2人はこれを機に出会い,その交流は河井が亡くなるまで続きます。
話しというのは2人が出会って間もない頃のことのようです。棟方は帝展に出品しますが,またも落選してしまいます。この時,棟方落選の報を聞き,河井は棟方に或る電報を打ちました。今ならメールでしょうが,当時そのような便利なものはありません。河井は,未だ小学生だった娘の須也子さんに電文を持たせ京都東山の郵便局まで使いに出します。須也子さんの話しによれば,彼女が郵便局で電文を差し出したところ,係の人がその内容を不審に思い,河井の自宅に本当にこれで間違いないのかと確認の電話を入れたのだそうです。電文の内容が,ただ一文,「ラクセンオメデトウ」というのですから,その不審はもっともです。内容を知った須也子さんもさぞかし戸惑ったことでしょう。須也子さんは,係の人が父親からその意図するところを伝えられ,いたく感心して電報に応じてくれたのをよく覚えているそうです。この電報は,河井から棟方に宛てた「既存の権威に一喜一憂するなかれ」,「貴方は,今まで通り,その狼藉な仕事,不逞の表現を続けてください」という趣旨の励ましのメッセージだったのです。
私は,棟方がこの電報を読んで何を感じ,何を思ったのか,寡聞にして知りません。私が知っているのは,1938年,(新)文展(帝展の後身)に出品された棟方の「善知鳥(うとう)板画巻」からの抜粋9柵が特選になったということです。それは,版画として初の官展特選でした。

 7月31日,全日本吹奏楽コンクール第53回秋田県大会の中学校の部を聴きに行ってきました。
御野場中学校吹奏楽部の演奏,本当に素晴らしいものでした。中央地区大会でのそれと遜色のない出来で,たいへん安定していました。バンドとしては少し大人しくなったところはあるのかもしれませんが,私は,総合的にみれば,今年の方が2年前より上のような気がしています。今年は,総じて,木管が優秀でした。
もちろん,2年前の東北大会での『ピータールー序曲』は素晴らしいものでした。あのような演奏はそうそうできるものではありません。あの時,岩手県民会館にはミューズの神様が舞い降りていました。ただ,あの年の御野場は,県大会での演奏が少し精細を欠いていたように,凄演と凡演が隣り合わせしているようなところもちょっとありました。

 今年の中央地区大会での演奏については先のエントリで少し感想を書きました。この県大会もその印象は変わりません。もともと,『アパラチアの春』という曲は,名曲ではありますが,決して昨今流行りの大向こうを唸らせるような曲ではありません。特に,その静かな終わり方は,自由曲としての選択を躊躇させる理由になっているかもしれません。しかし,御野場の演奏は,その抑えた奥ゆかしい表現が曲想にピタリと寄り添ったもので,人を驚かせるような飛び道具を使った演奏や大音量に物を言わせる演奏などより,よほど深く,そして広い世界を表現していると思いました。御野場の次の山王中の演奏が終わった直後,「山王が凄いのはもちろんだけれど,御野場が素晴らしかった。」という声が私には聞こえました。御野場の演奏は,掛け値なしに金賞に値するものです。
ただ,御野場の皆さんは,金賞受賞を喜ぶよりは,代表を逃したことを悔しく思っているかもしれません。近年の御野場の成長ぶりからすれば,ただの「金賞」では満足できないというのはよくわかります。しかし,考えてみてください。県内の数多くの学校が参加したコンクールで上位7校のうちに入ったのですよ。これはやはり素晴らしいことです。自らに厳しいのは結構なことですが,もし,代表でなければ後は皆いっしょなどと考えているとしたら,それは完全に間違っています。
私は,先ほど,敢えて,「ただの「金賞」」という言い方をしました。もちろん,私もこれに当たる言葉があるのを知っています。ただ,私はあの言葉が大嫌いです。初めて聞いた時から違和感があり,それは今も変わりません。あの言葉の起こりについて考えてみてください。賢明な皆さんなら,それが「非情」,「無作法」,「卑下」,「諦め」といったものと無関係ではないことに気付かれることでしょう。おそらく,どこかの訳知り顔をした馬鹿な大人が使い始めたのだと思いますが,若い皆さんが口にすべき言葉ではありません。
話しが横道にそれました。「あなたはそう言うけれど,それでも,私たちは代表になりたかった。」「悔しい。」,未だそう言う人もいるかもしれません。でも,時間を巻き戻すことはできません。そもそも,巻き戻す必要などないのです。あれ以上の演奏など,そう簡単にできるものではありません。そして,これは忘れてはならないのですが,代表となった山王中,湯沢南中,大曲中,湯沢北中の演奏も,それぞれ持ち味を発揮した素晴らしいものだったということです。結果,彼らの方が少しだけ高い評価を受けたのです。
御野場の皆さんが働きかけることができるのは,「今」,そして「これから」です。ですから,皆さんで今回のコンクールについてきちんと総括したうえで,また活動を再開してください。そして,秋田県代表である4校に対しエールを送りましょう。ニーチェではありませんが,ルサンチマン(妬み,嫉み)を克服しましょう。
さぁ,3年生はこれから受験勉強に本腰を入れなければなりません。1,2年生は,藤原先生のご指導の下,地道に練習を続けてください。「練習は本番のように,本番は練習のように」です。また,これからも学校や地域の行事などで演奏する機会があると思いますが,そのひとつひとつを大切にしてください。コンクールはその延長上にあります。それを続けていれば,結果は自ずと付いてきます。いえ,むしろ,結果を受け入れられるようになる,と言うべきでしょうか。
今は苦しいかもしれません。でも,頑張ってください。「遺憾なことに,真当(ほんとう)のものは大抵は痛ましい中から生まれるものだ。」。これは,河井寛次郎が雑誌「工藝」に寄稿した「棟方君」という文書にある言葉です。藤原先生と皆さんで力を合わせてまた良い音楽を創りあげてください。

 最後になりましたが,私は,御野場中学校吹奏楽部の皆さんに自分の好きな曲を1曲プレゼントしたいのです。といっても,直接CDなりで手渡すということはできません。県立図書館でCDを貸し出しているのはご存じですね。その中に,少し馴染みは薄いのですが,いい曲ばかり7曲収録されているという素敵なCDがあります。サー・ネヴィル・マリナーがかつての手兵アカデミー室内管弦楽団を指揮した「英国の四季(原題:English Seasons)」がそれです。これは現在廃盤で入手が困難なCDです。横着で恐縮ですが,どなたかが代表で借りてきてください。プレゼントしたいのは,5曲目のP.A.グレインジャーの『収穫の賛歌(原題:Harvest Hymn)』です。3分40秒ほどの短い曲ですが,これは滋味深い佳曲です。
御野場の皆さんは,素晴らしい成果をあげたにもかかわらず,おそらく,未だそのことに気付いていません。だから,私は,今,満腔の敬意を込めてこの曲を皆さんに贈りたいのです。

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