オリンピック期間中に大竹まこと「ゴールデン・ラジオ!」を聴いていたときのこと。サッカーの審判員が全員長袖を着ていたという話から,「向こう(GBのこと)は涼しいらしい。」という話になったとき,ジャッキーとバレンボイムのベートーヴェンのチェロとピアノのための作品全曲演奏会のライヴ録音のことを思い出した。1970年の8月25日,26日の両日,エジンバラのアッシャー・ホールで行われた演奏会の模様を収録したBBCの放送用音源である。
以下は,EMIグランドマスター・シリーズ盤の三浦淳史氏のライナーノーツの中で引用されているペンギン・ガイドブックからの抜粋。
スコットランドの聴衆はしばしば腹だたしいほど気管支炎的であるけれども,規律をもたらすバレンボイムと叙情的な個性を引き出す彼の妻による演奏は総体的に感嘆しないではいられないものがある。
ジャッキーを捉まえて「彼の妻」は無いと思うのだが,それはさておくとして,咳やくしゃみが出るのも無理はない。この書きぶりからして該ガイドブックの評者はご存じないようだが,この年のエジンバラの天候は,8月というのに日中でも気温が8℃までしかあがらなかったというくらい異常だったのだ。これは,同じ年の8月23日にエジンバラ,同24日にリースに滞在していたという柴田南雄氏が著書の中でお書きになっていることである(『名演奏家のディスコロジー』所収の「デュ・プレのベートーヴェン/チェロ・ソナタ全集」)。35℃には参ってしまうけれど,8月に8℃もねぇ・・・。
1970年はベートーヴェンの生誕200年にあたるアニヴァーサリー・イヤー。C.イーストン『ジャクリーヌ・デュ・プレ』(青玄社)によれば,ジャッキーと彼女の夫は,8月までに,ベートーヴェンのソナタを,トロント,ロサンゼルス,オックスフォード,ブライトン,テル・アヴィヴ,ロンドンの各地で演奏。これに続くエジンバラ音楽祭での演奏はツアーの締め括りにあたっていたものと思われる。演奏は全て手の内に入っているという感じ。柴田氏も,ジャッキーの美質を「真に女性ならではの魅力的な歌い方に尽きる」と誉めあげ,2人の演奏を絶賛している。
ところで,柴田氏は「この楽器は例の,匿名の人からのストラディヴァリウスであろう。」とお書きになっている。「匿名の人からのストラディヴァリウス」は,言うまでもなく,「イスメナ・ホーランド夫人から貸与された名器ダヴィドフ」のことである。もちろん,その可能性は否定できないのだが,ジャッキーは,1968年か1969年には,コンディションの悪くなったダヴィドフの代わりに,これまた名器のゴフリラーを楽器商のチャールズ・ベアから入手している。バレンボイムは,音がはっきり聞こえないことがあると言ってダヴィドフを気に入っていなかったという話もある。碩学に異を唱えるようで恐縮だが,この録音での使用楽器,ゴフリラーの可能性もあると思う。この第5番のソナタには,1965年12月録音のコワセヴィチとの共演盤(これがまた名演)もある。これにダヴィドフを使用しているのはほぼ間違いないのだが,1970年のライヴ録音に使用している楽器はこれとはちょっと響きが異なるような気がするのだ。どうだろうか。デリケートなダヴィドフを長いツアーに持って歩くのも避けたいところでは。
因みに,ジャッキーがペレッソンを最初に手にするのは1970年の11月。この録音より後である。
表題は,連続演奏会の掉尾を飾る42年前のまさに今日行われた第5番の演奏。柴田氏は,連続演奏のせいか2日目はやや疲労気味のように思えるとその印象をお書きになっているが,いやいや,沈潜した第2楽章の緊迫感,素晴らしいではないか。
そう言えば,ベートーヴェンのチェロ・ソナタは,彼女がスタジオで録音しようとした最後の曲であった。ショパンのチェロ・ソナタとフランクのチェロ・ソナタ(ヴァイオリン・ソナタの編曲版)の録音が予定より早く終了。ジャッキー本人が第1番の録音を希望したので録音を開始したものの,急に疲れを覚え,第1楽章でほどなく中断と相成った。ジャッキーはこの時,「今日はこれでおしまい。」と言いながら,ペレッソンをチェロケースに納めたという。1971年12月11日のことである。この日を最後に彼女がチェロを持ってスタジオに現れることはなかった。
以下は,EMIグランドマスター・シリーズ盤の三浦淳史氏のライナーノーツの中で引用されているペンギン・ガイドブックからの抜粋。
スコットランドの聴衆はしばしば腹だたしいほど気管支炎的であるけれども,規律をもたらすバレンボイムと叙情的な個性を引き出す彼の妻による演奏は総体的に感嘆しないではいられないものがある。
ジャッキーを捉まえて「彼の妻」は無いと思うのだが,それはさておくとして,咳やくしゃみが出るのも無理はない。この書きぶりからして該ガイドブックの評者はご存じないようだが,この年のエジンバラの天候は,8月というのに日中でも気温が8℃までしかあがらなかったというくらい異常だったのだ。これは,同じ年の8月23日にエジンバラ,同24日にリースに滞在していたという柴田南雄氏が著書の中でお書きになっていることである(『名演奏家のディスコロジー』所収の「デュ・プレのベートーヴェン/チェロ・ソナタ全集」)。35℃には参ってしまうけれど,8月に8℃もねぇ・・・。
1970年はベートーヴェンの生誕200年にあたるアニヴァーサリー・イヤー。C.イーストン『ジャクリーヌ・デュ・プレ』(青玄社)によれば,ジャッキーと彼女の夫は,8月までに,ベートーヴェンのソナタを,トロント,ロサンゼルス,オックスフォード,ブライトン,テル・アヴィヴ,ロンドンの各地で演奏。これに続くエジンバラ音楽祭での演奏はツアーの締め括りにあたっていたものと思われる。演奏は全て手の内に入っているという感じ。柴田氏も,ジャッキーの美質を「真に女性ならではの魅力的な歌い方に尽きる」と誉めあげ,2人の演奏を絶賛している。
ところで,柴田氏は「この楽器は例の,匿名の人からのストラディヴァリウスであろう。」とお書きになっている。「匿名の人からのストラディヴァリウス」は,言うまでもなく,「イスメナ・ホーランド夫人から貸与された名器ダヴィドフ」のことである。もちろん,その可能性は否定できないのだが,ジャッキーは,1968年か1969年には,コンディションの悪くなったダヴィドフの代わりに,これまた名器のゴフリラーを楽器商のチャールズ・ベアから入手している。バレンボイムは,音がはっきり聞こえないことがあると言ってダヴィドフを気に入っていなかったという話もある。碩学に異を唱えるようで恐縮だが,この録音での使用楽器,ゴフリラーの可能性もあると思う。この第5番のソナタには,1965年12月録音のコワセヴィチとの共演盤(これがまた名演)もある。これにダヴィドフを使用しているのはほぼ間違いないのだが,1970年のライヴ録音に使用している楽器はこれとはちょっと響きが異なるような気がするのだ。どうだろうか。デリケートなダヴィドフを長いツアーに持って歩くのも避けたいところでは。
因みに,ジャッキーがペレッソンを最初に手にするのは1970年の11月。この録音より後である。
表題は,連続演奏会の掉尾を飾る42年前のまさに今日行われた第5番の演奏。柴田氏は,連続演奏のせいか2日目はやや疲労気味のように思えるとその印象をお書きになっているが,いやいや,沈潜した第2楽章の緊迫感,素晴らしいではないか。
そう言えば,ベートーヴェンのチェロ・ソナタは,彼女がスタジオで録音しようとした最後の曲であった。ショパンのチェロ・ソナタとフランクのチェロ・ソナタ(ヴァイオリン・ソナタの編曲版)の録音が予定より早く終了。ジャッキー本人が第1番の録音を希望したので録音を開始したものの,急に疲れを覚え,第1楽章でほどなく中断と相成った。ジャッキーはこの時,「今日はこれでおしまい。」と言いながら,ペレッソンをチェロケースに納めたという。1971年12月11日のことである。この日を最後に彼女がチェロを持ってスタジオに現れることはなかった。
ベートーヴェン:チェロ・ソナタ全集 | |
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