音楽と映画の周辺

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ジャクリーヌ・デュ・プレ/ダニエル・バレンボイム ベートーヴェン『チェロ・ソナタ第5番』

2012-08-26 20:50:43 | クラシック
 オリンピック期間中に大竹まこと「ゴールデン・ラジオ!」を聴いていたときのこと。サッカーの審判員が全員長袖を着ていたという話から,「向こう(GBのこと)は涼しいらしい。」という話になったとき,ジャッキーとバレンボイムのベートーヴェンのチェロとピアノのための作品全曲演奏会のライヴ録音のことを思い出した。1970年の8月25日,26日の両日,エジンバラのアッシャー・ホールで行われた演奏会の模様を収録したBBCの放送用音源である。
以下は,EMIグランドマスター・シリーズ盤の三浦淳史氏のライナーノーツの中で引用されているペンギン・ガイドブックからの抜粋。

 スコットランドの聴衆はしばしば腹だたしいほど気管支炎的であるけれども,規律をもたらすバレンボイムと叙情的な個性を引き出す彼の妻による演奏は総体的に感嘆しないではいられないものがある。

ジャッキーを捉まえて「彼の妻」は無いと思うのだが,それはさておくとして,咳やくしゃみが出るのも無理はない。この書きぶりからして該ガイドブックの評者はご存じないようだが,この年のエジンバラの天候は,8月というのに日中でも気温が8℃までしかあがらなかったというくらい異常だったのだ。これは,同じ年の8月23日にエジンバラ,同24日にリースに滞在していたという柴田南雄氏が著書の中でお書きになっていることである(『名演奏家のディスコロジー』所収の「デュ・プレのベートーヴェン/チェロ・ソナタ全集」)。35℃には参ってしまうけれど,8月に8℃もねぇ・・・。
1970年はベートーヴェンの生誕200年にあたるアニヴァーサリー・イヤー。C.イーストン『ジャクリーヌ・デュ・プレ』(青玄社)によれば,ジャッキーと彼女の夫は,8月までに,ベートーヴェンのソナタを,トロント,ロサンゼルス,オックスフォード,ブライトン,テル・アヴィヴ,ロンドンの各地で演奏。これに続くエジンバラ音楽祭での演奏はツアーの締め括りにあたっていたものと思われる。演奏は全て手の内に入っているという感じ。柴田氏も,ジャッキーの美質を「真に女性ならではの魅力的な歌い方に尽きる」と誉めあげ,2人の演奏を絶賛している。
ところで,柴田氏は「この楽器は例の,匿名の人からのストラディヴァリウスであろう。」とお書きになっている。「匿名の人からのストラディヴァリウス」は,言うまでもなく,「イスメナ・ホーランド夫人から貸与された名器ダヴィドフ」のことである。もちろん,その可能性は否定できないのだが,ジャッキーは,1968年か1969年には,コンディションの悪くなったダヴィドフの代わりに,これまた名器のゴフリラーを楽器商のチャールズ・ベアから入手している。バレンボイムは,音がはっきり聞こえないことがあると言ってダヴィドフを気に入っていなかったという話もある。碩学に異を唱えるようで恐縮だが,この録音での使用楽器,ゴフリラーの可能性もあると思う。この第5番のソナタには,1965年12月録音のコワセヴィチとの共演盤(これがまた名演)もある。これにダヴィドフを使用しているのはほぼ間違いないのだが,1970年のライヴ録音に使用している楽器はこれとはちょっと響きが異なるような気がするのだ。どうだろうか。デリケートなダヴィドフを長いツアーに持って歩くのも避けたいところでは。
因みに,ジャッキーがペレッソンを最初に手にするのは1970年の11月。この録音より後である。

 表題は,連続演奏会の掉尾を飾る42年前のまさに今日行われた第5番の演奏。柴田氏は,連続演奏のせいか2日目はやや疲労気味のように思えるとその印象をお書きになっているが,いやいや,沈潜した第2楽章の緊迫感,素晴らしいではないか。

 そう言えば,ベートーヴェンのチェロ・ソナタは,彼女がスタジオで録音しようとした最後の曲であった。ショパンのチェロ・ソナタとフランクのチェロ・ソナタ(ヴァイオリン・ソナタの編曲版)の録音が予定より早く終了。ジャッキー本人が第1番の録音を希望したので録音を開始したものの,急に疲れを覚え,第1楽章でほどなく中断と相成った。ジャッキーはこの時,「今日はこれでおしまい。」と言いながら,ペレッソンをチェロケースに納めたという。1971年12月11日のことである。この日を最後に彼女がチェロを持ってスタジオに現れることはなかった。

ベートーヴェン:チェロ・ソナタ全集
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EMIミュージックジャパン

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藤原滋/秋田市立御野場中学校吹奏楽部 S.プロコフィエフ『組曲「ロメオとジュリエット」より』(8/11)

2012-08-19 14:02:23 | 吹奏楽
 去る8月11日,全日本吹奏楽コンクール第54回秋田県大会の中学校の部が開催された。私が聴いたのは,エントリーした全23校中,最初の大曲中から20校目の十和田中まで。
県吹奏楽連盟のHPによれば,金賞9校,銀賞10校,銅賞4校。金銀の大盤振る舞いの感を抱く方もいらっしゃると思うが,いやいや,そんなことはない。コンクールの実施規定には不案内だが,この配分には十分理由があると思う。それくらいレヴェルの高い演奏が続いた。
代表に選ばれたのは,湯沢南中,本荘南中,山王中,平鹿中(出場順)の4校。21校目の平鹿中を聴かなかったのは痛恨の極みだが,他3校の演奏はいずれも金代表の名に値するものだった。

 御野場中の演奏。これも,私が聴いた金代表3校のそれに劣らないものだった。
先ず,課題曲Ⅳ。私は,地区大会の方がいくらか出来が良かったと思うのだが,どうだろうか。県大会での演奏には,トリオより前,つまり前半ということだが,音楽の流れに少しスムーズではないところがあったような気がする。
一方,自由曲のS.プロコフィエフ『組曲「ロメオとジュリエット」より』(鈴木英史編曲)はほとんどミスのない出来で,明らかに地区大会のそれを上回るものだった。トロンボーンは随所で「いかにもプロコフィエフ!」 といったヴィヴィッドな音を響かせたし,マドリガルでの木管も美しかった。しかし,この日の好演の最大の立役者はやはり4人のホルン奏者ではなかったか。「タイボルトの死」でのベルアップは,暗雲を呼び込み,重苦しい曲想を主導した。ここのホルンは本当に素晴らしかった。
御野場は金賞を受賞。残念ながら代表には届かなかったが,見事な演奏だった。これもこの1年間の厳しい練習の賜。「真当(ほんとう)のもの」と呼ぶに値する演奏だった。

 他の学校の感想も少し。網羅的なものではないので,その点はご了承を。
湯沢南中。課題曲Ⅱは意外なほど力の抜けた演奏だったが,自由曲の保科洋『復興』で見せた高い技術,意欲的な表現は圧倒的だった。因みに,Wiki によれば,この曲は昨年の震災発生より前にヤマハ吹奏楽団浜松の委嘱により作曲されたとのこと。この辺り,かえって興味を引かれる。
本荘南中。中央地区大会での演奏を聴き逃した学校である。課題曲Ⅰが叙情的でとびきり美しい演奏だった。自由曲のP.マスカーニ『歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より』はテンポを思い切り動かした演奏。「そういう曲」と言われればそれまでだが,「音楽が詰まった」という点ではこの日(といっても,十和田中までだが・・・)一番の演奏だった。
城南中。課題曲Ⅳは軽快なテンポで推進力のある演奏。これ見よがしで末端肥大症的なところは微塵もなかった。「優秀な個に頼るというよりは,トータルで聴かせる」。見透かしたような言い方で恐縮だが,これが村田先生と城南中吹奏楽部の基本コンセプトという印象を持った。どうだろうか。先のエントリにもその類のことを書いたが,今年の城南中吹奏楽部は演奏体として大変まとまりがあったと思う。自由曲の天野正道『「GR」よりシンフォニック・セレクション』も地区大会同様素晴らしい出来だった。
山王中。誤解を恐れずに言うと,山王は「課題曲素晴らしい」,ではなく「課題曲素晴らしい」。課題曲Ⅳはちょっと言葉がないくらいスケールが大きく立派な演奏だった。一方,自由曲のS.ラフマニノフ『パガニーニの主題による狂詩曲』には,第何変奏かは分からないが,ホルン・ソロに「らしくない」疵があった。もちろん,東北大会ではしっかり修正してくることだろう。
十和田中。花輪一中から転任された工藤靖先生が指揮をされた。課題曲Ⅰは本荘南中とはまた違ったサラリとした爽やかな演奏。自由曲はM.アーノルド『管弦楽組曲「第六の幸福をもたらす宿」』。幕開きの「ロンドン・プレリュード」には人数不足の怨みが残ったが,ロマンティック・インターリュードのフルート,ハッピー・エンディングのピッコロとも,それぞれ素晴らしいソロを聞かせてくれた。

 最後に書いておきたいことがある。聴衆のマナーの悪さについてである。前からではあったが,今年くらいそれを感じた年はない。携帯電話等の電源を切るように告げるアナウンスにもかかわらずお構いなしに操作を続ける人,乳飲み子を抱きかかえて席に着くご婦人,演奏中も携帯ゲームで遊び続ける子ども etc 。これは一体どうしたことだ。おかしい。
まさに演奏が始まろうとしているのにいっしょに座ることに拘って場内を歩き回るグループ,あれも困りものだ。一渡り眺めれば別々に座らざるを得ないのは分かるはずなのに。泉中の演奏前だったが,指揮の瀧口先生がいつまで経っても落ち着かない客席の方を「何時になったら始められるの?」と問いかけるかのようにジット見つめるシーンがあった。私の席からはその表情を窺うことはできなかったが・・・。泉中には本当にお気の毒だった。
子どもたちはこの日の12分間に懸けている。とすれば,聴衆,とりわけ大人はそれに応える必要がある。着席に手間取って演奏開始を遅らせたり,携帯電話の呼出音で演奏者の集中力を削ぐなど以ての外。ブラヴォーを叫ぶのも良かろう。しかし,それより前に,子どもたちに提供すべきものがある。水を打ったような静寂だ。大人にはその責任がある。
秋田県は小さな県だ。しかし,子どもたちの吹奏楽の技量は高い。ただ,彼らのより一層の成長には聴衆の側の成熟が必要だ。能弁を育てるのは聞き上手の存在。音楽も同じだと思う。
ついで,と言っては何だが,もうひとつ書いておきたい。秋田県総合公社には県民会館の開演を告げるブザー音の変更を是非ともお願いしたい。「多目的ホール」は分かる。しかし,それでもあの暴力的な音の使用を正当化するのに十分ではない。

 最後の最後に,toi,toi,toi,湯沢南中,本荘南中,山王中,平鹿中の各吹奏楽部の皆さん。8月25日の東北大会,応援してますよ。

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