音楽と映画の周辺

核心ではなく, あくまでも物事の周辺を気楽に散策するブログです。

アナンド・タッカー監督 『Hilary and Jackie』

2006-07-28 18:18:32 | その他の映画
Hilary & Jackie - Music Video - Bach


 映画は,幼い2人の姉妹が,浜辺を子犬のように駆け回るシーンから始まる。

起伏の激しいところを滑り落ちたりしながら,2人は再び浜辺にでる。ここで,様子が一変し,2人は不思議そうに前方を見やり,立ち止まる。カメラがパンすると,人が立っている。女性のようだが,シルエットになっていて観る者にも誰か分からない。
眩しげに見ていた2人だが,どうしたわけか,妹が,ひとり,磁石にでも吸い寄せられるように,シルエットの方向に駆け出してゆく。不安げに見つめる姉。
再びカメラがパンすると,幼い女の子と件のシルエットの人物が向き合っている。しかし,それもつかの間,女の子が慌てて戻ってくる。
姉が,「何を言われたの?」と尋ねると,妹が姉の耳元で何か囁く。しかし,何を言ったのか観る者には聞こえない。
姉は,「どうして?」と驚くが,妹は「心配しないで」と逆に姉を気遣う。姉は悲しそうな表情を浮かべ妹を抱きしめる・・・。

このシーンは,ラストで再現される。このラストで,観る者は,そのシルエットの人物が誰で,幼い女の子に何を言ったのか,漸く知ることになる。

 冒頭の2人の女の子のうち,妹が,幼年時のジャクリーヌ・デュ・プレ。彼女を抱きしめたのが,2歳違いの姉,ヒラリー・デュ・プレ。おそらく,このシーン,2人が,父デレクの出身地のジャージー島で遊んだ時の記憶に基づくものと想像する。印象に残るシーンだが,とりわけ,シルエットの人物がジャッキーにかける言葉は,痛切に観る者の胸に迫る。

 このシーン,フィクションには違いないが,原作の『A genius in the family』を読んだ者は,どうしても,ヒラリーによって語られるあるエピソードを思い出さずにはいられない。
そう,「爆撃機」と2人が呼んでいた秘密の場所で遊んでいた時に,突然,「ママに内緒よ」とジャッキーがヒラリーに言ったというジャッキー9歳の頃の話し。
おそらく,これは,その後,2人の間でも触れてはならない話しだったのではないだろうか。少なくとも,原作には,ヒラリーがその意味を尋ねたという話しや,ジャッキーが同じことを繰り返し言ったというような話しは出てこない。9歳のジャッキーが何故あんなことを言ったのかは永遠の謎ということだろうか。

 印象的なシーンは数多いが,あと2つだけ。
1955年,BBCの番組で『おもちゃの交響曲』を演奏した時のシーン。ここで,失敗をやらかしたジャッキーは母親から「いっしょに来たかったらヒラリーのように上手になりなさい!」と怒られてしまう。「はい」と俯き加減に答えるジャッキー。
ここで,シーンが切り替わり,カメラは,通りから,チェロの音が聞こえるデュ・プレ家を映し出す。更にシーンが切り替わると,カメラは,体よりも大きそうなチェロを抱え,一心不乱に音をさらうジャッキーを真正面からとらえる。観る者は,ここで,不世出のチェリスト ジャクリーヌ・デュ・プレの誕生に立ち会うことになる。ここでの演者というか,奏者の気魄は凄い。ここは,思わず,居ずまいを正したくなるようなシーン。

 もう1つは,同じ1955年,ジャッキーが,「1時間経ったら迎えに来るから」と母親からいわれて,緊張の面持ちでレッスンを待つシーン。
レッスンをする人物は単に「Cello Teacher」としかクレジットされていないが,この人物こそ,ジャッキーがチェリストとして大成するにあたり重要な役割を果たした名教師ウィリアム・プリース。
プリースの出るシーンは,幼いジャッキーに向かって「さぁ,それでは聞かせてもらいましょう」と話しかけるシーンからウィグモア・デビューまでと,ほんの少し。しかし,プリース役のビル・パターソンの演技が何とも味わい深い。観る者には,ジャッキーから「チェロ・ダディ」と慕われたプリースの温かい人柄が伝わってくる。
因みに,最初のレッスンで,バッハの無伴奏チェロ組曲第1番のジーグを指導する場面が出てくる。

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フライシャー/小澤征爾/ボストン響 ブリテン『左手のピアノと管弦楽のためのダイヴァージョンズ』

2006-07-09 17:17:44 | クラシック
 『若きアポロ』などもあるけれど,ブリテンの主要なコンチェルトとなれば,次の4作品になると思う。

ピアノ協奏曲 (1938, rev. 1945) Op. 13
ヴァイオリン協奏曲 (1939, rev. 1958) Op. 15
左手のピアノと管弦楽のためのダイヴァージョンズ (1940, rev. 1954) Op. 21
チェロ交響曲 (1963) Op. 68

幸い,いずれも,ブリテン自身が指揮したスタジオ録音が残されている。
独奏者は,それぞれ,ピアノ協奏曲がリヒテル,ヴァイオリン協奏曲がルボツキー,ダイヴァージョンズがカッチェン,チェロ交響曲がロストロポーヴィチ。オケは,ダイヴァージョンズがロンドン響で,ほかはイギリス室内管。
これらは,作曲家の解釈を知ることができるという意味で,拠るべきスタンダード。アルヒーフ(物置)送りなど,とんでもないと思うのだが,「ダイヴァージョンズ」を除く3つは,現在のところ,入手困難のよう。
ピアノ協奏曲にはアンスネス/パーヴォ・ヤルヴィ/バーミンガム市響,チェロ交響曲にはジュリアン・ロイド・ウェッバー/マリナー/アカデミー室内管,といった名演はあるが,作曲家の関わった演奏が簡単に入手できないというのは残念な話し。この辺りの事情,マータイさんが知ったら,「 Mottainai 」と言われるのは必至である ^^; 。

 さて,入手が容易な『ダイヴァージョンズ』だが,主題に始まり,11の変奏がくり広げられる。カッチェンの技巧に不足はないし,ブリテンの指揮も作曲家の余技を超える。
しかし,それだけに,1954年のモノラル録音はちょっと悲しい。とりわけ,「アラベスク」「歌」「夜想曲」「バディネリ」といった弱音の支配する変奏では,ピアノや弦の繊細な響きが捉え切れていないといううらみが残る。モノラルなど,録音の価値を考えれば些事に過ぎないが,耳は正直だ。頭では分かっていても,ステレオ,デジタルに慣れてしまった耳には,この不満,抑えようがない。
それにしても,皮肉なもの。生前,技巧派としてならしたカッチェンに日本人は冷淡だったといわれる。その彼のモノラル録音が現役盤で,リヒテルやロストロポーヴィチのステレオ録音が入手困難とは・・・。
因みに,カッチェンの来日はこの録音と同じ1954年の12月だった。

 ここで,ディスクをフライシャー/小澤/ボストン響に交換してみよう。
この『ダイヴァージョンズ』はフライシャーにとっては再録(1990年録音)。彼は1973年にコミッシオーナ/ボルティモア響と1回目の録音をおこなっていた。
17年の熟成を経て,フライシャー,実に見事に各変奏を弾きわけている。堂々たる「主題(マエストーソ)」,野太い「レチタティーヴォ」,芳香ただよう「ロマンス」,軽やかな「行進曲」,楚々とした「アラベスク」,甘美な「歌」,爽やかな「夜想曲」等々。ピアノを支える小澤/ボストン響は響きが美しい。ミュートを付けた金管も音が決して汚れない。
この演奏で,特筆すべきは,第9変奏の「トッカータ」。ここで見せる指揮者とオケのテクニックの冴えには言葉もない。特に,小澤の持つリズム感の素晴らしさといったら・・・。
もちろん,指揮は体操ではない。しかし,第7変奏「バディネリ」,第8変奏「ブルレスケ」の残した軽妙やほろ苦さを振り払うには,正確かつ決然としたリズムの刻みが是非とも欲しい。小澤は持ち前の強靱なリズム感でこの要求に応えている。
ブリテンの指揮も十分素晴らしいのだが,ことトッカータに関しては,小澤と比べるのは酷というもの。「小澤の指揮は本職」という声も聞こえてきそうだが,いやいや,それでは何も語っていないに等しい。そのくらいフライシャーと小澤/ボストン響の「トッカータ」は素晴らしい。この演奏には,天国のブリテンも賞賛を惜しまないのではないだろうか。
同じCD収録のラヴェルには以前触れたことがあったが,プロコフィエフ,そしてこのブリテンとあわせ,一聴をおすすめしたいディスクである。

 最後に,ブリテンの指揮した録音の話し。
このデッカの録音のプロデューサーは,ピーター・アンドリー。カルショウではない。
1954年はカルショウのキャリアでいえば初期にはあたるが,前年に,彼はブリテンの『シンフォニア・ダ・レクイエム』の録音を担当している。カルショウとブリテンは深い信頼関係にあったといわれるだけに,何故『ダイヴァージョンズ』を担当しなかったのか,この辺りの事情がよく分からなかった。
しかし,どうやらこの時期は,カルショウがデッカを退社し,米キャピトルに一時移っていた時期と重なるようだ。
カルショウの退社は,チーフ・プロデューサーのヴィクター・オロフと折り合いが悪かったことに起因している。オロフはカルショウを買っていたクリストファー・ジェニングスの後任。このチーフ・プロデューサーの交替には避けがたい理由があった。ジェニングスが1952年に急死してしまったのだ。この時,ジェニングスは未だ30歳前だったと云われる。
カルショウの宣伝部からの抜擢は,ジェニングスの慧眼による。彼がいなかったら,カルショウとショルティ/ウィーン・フィルによる歴史的な『リング』全曲録音はなかったかもしれない。

左手のためのピアノ協奏曲集・ピアノ作品集
フライシャー(レオン)
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル

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