N響で第1ヴァイオリンを弾いている鶴我さんが,『200CDヴァイオリン 弦楽器の名曲・名盤を聴く』のデュメイの項目の冒頭で,何とコメントしているかご存じだろうか。
曰わく,「写真で見ると,ノーメイクで『アダムズ・ファミリー』に出られそうな顔をしているが,デュメイの出す音は,深い想いに満ちている。」
いくら何でも,これはあまりである。さすがに5分程度のメイクは必要であろう。私としては,ここは体を張ってでもデュメイを擁護したい。
確かに,私自身,デュメイがヴェロニカ・ハーゲンと入れたモーツァルトのK.364のジャケット写真を見て,「ふん,さながら,『Beauty and the Beast』といったところだな。ピリスというものがありながら,よもや, Beast ,麗しのヴェロニカに・・・」などと思ったのは事実である。認めよう。
しかし,「ノーメイクで『アダムズ・ファミリー』に出られそうな顔」と言ってしまっては身も蓋もない。その後にいかなる美辞麗句を重ねようとも手遅れである。「深い想い」はそのまま奈落の底に沈んでしまったことだろう。
私は,この数日,上記の言辞が,デュメイの来日を遠ざける遠因となっていないか,日仏の文化交流等に影を落としてはいないか,など深く憂慮している。ワールドカップどころの話しではない。私でよければ,デュメイはもちろんのこと,親愛なるシラク大統領閣下とフランス国民に対し謝罪したい。上記のように思っているのは,必ずしもそうは多くないはずだと。
さて,本CD収録の演奏,いずれも秀逸だが,デュメイの Beast 振りがいかんなく発揮されているのは,最後の『ツィガーヌ』。たっぷりとした導入部も素晴らしいが,これに続く主部がまた,細部にまで神経の行き届いた演奏。ピリスのピアノに支えられ,デュメイのヴァイオリンが,千変万化,めくるめく音色で様々な表情を見せる。題材からすれば,「フランス物」と言うには躊躇もあるが,そこは,やはりラヴェル。演奏者の血肉となっているのは疑いない。
ジャン=ジャック・カントロフなどに比べ,地味な印象もあったデュメイだが,今や,紛う方なく,フランコ=ベルギー派のトップ。デュメイにはフォーレのヴァイオリン・ソナタの再録を希望したいところだが,はてさて,かなうだろうか。
曰わく,「写真で見ると,ノーメイクで『アダムズ・ファミリー』に出られそうな顔をしているが,デュメイの出す音は,深い想いに満ちている。」
いくら何でも,これはあまりである。さすがに5分程度のメイクは必要であろう。私としては,ここは体を張ってでもデュメイを擁護したい。
確かに,私自身,デュメイがヴェロニカ・ハーゲンと入れたモーツァルトのK.364のジャケット写真を見て,「ふん,さながら,『Beauty and the Beast』といったところだな。ピリスというものがありながら,よもや, Beast ,麗しのヴェロニカに・・・」などと思ったのは事実である。認めよう。
しかし,「ノーメイクで『アダムズ・ファミリー』に出られそうな顔」と言ってしまっては身も蓋もない。その後にいかなる美辞麗句を重ねようとも手遅れである。「深い想い」はそのまま奈落の底に沈んでしまったことだろう。
私は,この数日,上記の言辞が,デュメイの来日を遠ざける遠因となっていないか,日仏の文化交流等に影を落としてはいないか,など深く憂慮している。ワールドカップどころの話しではない。私でよければ,デュメイはもちろんのこと,親愛なるシラク大統領閣下とフランス国民に対し謝罪したい。上記のように思っているのは,必ずしもそうは多くないはずだと。
さて,本CD収録の演奏,いずれも秀逸だが,デュメイの Beast 振りがいかんなく発揮されているのは,最後の『ツィガーヌ』。たっぷりとした導入部も素晴らしいが,これに続く主部がまた,細部にまで神経の行き届いた演奏。ピリスのピアノに支えられ,デュメイのヴァイオリンが,千変万化,めくるめく音色で様々な表情を見せる。題材からすれば,「フランス物」と言うには躊躇もあるが,そこは,やはりラヴェル。演奏者の血肉となっているのは疑いない。
ジャン=ジャック・カントロフなどに比べ,地味な印象もあったデュメイだが,今や,紛う方なく,フランコ=ベルギー派のトップ。デュメイにはフォーレのヴァイオリン・ソナタの再録を希望したいところだが,はてさて,かなうだろうか。
フランク/ヴァイオリン・ソナタイ長調デュメイ(オーギュスタン) ピリス(マリア・ジョアン)ポリドールこのアイテムの詳細を見る |