音楽と映画の周辺

核心ではなく, あくまでも物事の周辺を気楽に散策するブログです。

ジェフリー・サイモン/フィルハーモニア管 レスピーギ『変容』

2005-10-30 23:14:20 | クラシック
 ボストン響の楽団創立50周年の委嘱作品。
初演は,1930年11月7日。1924年に音楽監督・常任指揮者に就任したクーセヴィツキーにとっては,最初の契約期間が終わり,楽員の評価はさておき,理事会の信任と聴衆の支持を得つつあった時期にあたる。同じく委嘱作品であったプロコフィエフの『交響曲第4番』とは異なり,この曲,絶賛を博したという。

 レスピーギというとローマ3部作や『リュート』ということになるわけだが,忘れ去られた感のあったこの曲が,少なくとも日本で復活したのは,NHKスペシャル「社会主義の20世紀」のテーマ曲として用いられてからではないだろうか。

 仰ぎ見るレーニン像やベルリンの壁崩壊等のタイトルバックで流れるキリエにも似たあの重厚で深々としたテーマ曲。あれが,このレスピーギ『変容』の主題である。何かじっと哀しみに耐える風の主題は,祈りの音楽そのもの。この主題を元に,教会旋法を意味するモドゥスという名の12の変奏が繰り広げられる。
レスピーギの「管弦楽のための協奏曲」といわれるだけあって,各楽器とも名人芸を聴かせるが,弦楽器群の響きがとにかく分厚い。このあたりは,コントラバスの名手でもあったクーセヴィツキーの依頼に基づくもの,あるいは,レスピーギが「弦のボストン」を意識して作ったもの,と想像するのだが,さて,どうなのだろうか。
全体の調子は,軽いインテルメッツォ風のセレナーデを挟みつつも,全編,重心が低く,重苦しい雰囲気に充ちている。絵画的,描写的などと評されることの多いレスピーギだが,この『変容』,色彩感を押さえた内省的な音楽になっている。12の変奏曲のうち特に印象的なのは,静かな第9変奏から,一転して精力的になる終曲までの3つの変奏だろうか。
サイモン/フィルハーモニア管は,弦楽器群の響きが艶やか。個人的にロンドンのオケで一番馴染みがあるのは,音盤に接した頻度等から,ロンドン響ということになろうか。フィルハーモニア管には,その成り立ちから,少し偏見も無くはないのだが,やはり第一級のオケであることは間違いない。

 さて,件の番組。東西の雌雄が決した後に製作されたものだが,革命後の社会主義の変貌,その後の行き詰まり,などを思い起こすと,『変容』がテーマ曲だったというのは何とも意味深く,象徴的。選んだ方の卓見を思わざるを得ない。

Belkis, Queen of Sheba / Metamorphosen
Philharmonia Orchestra
Chandos

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セル/クリーヴランド管 ヒンデミット『ウェーバーの主題による交響的変容』

2005-10-19 22:22:31 | クラシック
 『ウェーバーの主題による交響的変容』は,バーンスタイン/イスラエル・フィルの演奏も素晴らしい。特に,第2楽章。東洋風の「トゥーランドット」による主題が,徐々に速度を増し,緊張をともないながら ff の頂点に達した後,オケが一瞬にして崩れ落ちる時の迫力。

しかし,である。この曲でのセル/クリーヴランド管の凄さは一段レヴェルが違うような気がする。
同じ第2楽章で言うなら,フルート,クラリネット,そして,タムタム,ウッドブロックなどの打楽器群による導入部の後に現れる低弦の一糸乱れぬ正確さ! あらためて,「クリーヴランドは他のオケがやめるところから練習を始める。」が嘘偽りではなかったことを思い起こさせる演奏である。それにしても,この統率,この規律。見事というほかない。
くわえて,ノクターン風の第3楽章の弦楽器群の響きの美しさも特筆すべきもの。セル/クリーヴランド管は,鋼のような逞しさだけが売りではなかった。

これは,1964年10月10日の録音。第1楽章中間部で美しいオーボエ独奏を聴くことができるが,些細なことでオーボエのリフシェイがクリーヴランド管を去らざるを得なくなったのは,この僅か3か月後・・・。その意味で,感慨深い。セル/クリーヴランド管の絶頂期の記録のひとつかもしれない。
カップリングのウォルトン『ヒンデミットの主題による変奏曲』『交響曲第2番』も名演。

ヒンデミット : ウェーバーの主題による交響的変容 / ウォルトン : ヒンデミットの主題による変奏曲 他
クリーヴランド管弦楽団
ソニーレコード

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岩城宏之/N響 外山雄三『管弦楽のためのラプソディー』

2005-10-15 18:12:58 | クラシック
 外山雄三『管弦楽のためのラプソディー』を初めて聴いたのは,1983年5月27日の岩城宏之/N響のライプツィヒ・ゲヴァントハウスに於ける海外公演での演奏であった。
もちろん,テレビで放映されたものを,である。この日のメインは,チャイコの『悲愴』。『ラプソディー』はこの後のアンコールとして演奏された。

 手まり歌から始まり,ソーラン節,炭坑節,串本節,信濃追分,はては八木節まで登場するこの曲。作曲とは言えない,聴いていて気恥ずかしい,といった評もあるようだ。しかし,アンコールピースとしては,豊麗で効果抜群の曲。そもそも,この曲は,1960年のN響最初の海外公演において,N響の機能性や日本の伝統音楽を紹介しようという意図のもとに作曲されたもの。個人的には,芸術性といったことを持ち出し,あえて腐す必要もないと思っている。

 鐘,ウチワ太鼓,チャンチキといった打楽器群が大活躍するが,情感たっぷりのフルート独奏も聴き所のひとつ。この曲が完成したのは,海外公演直前の1960年7月6日。まだ,吉田雅夫さんがN響のフルート首席を務めておられた時期だ。作曲者は吉田さんのフルートをイメージして構想を練ったのではないだろうか。いや,あくまでも想像だが。

 ライプツィヒ公演の演奏を聴いた後,この曲を耳にしたのは,1985年10月25日のNYの国連デー・コンサートでの外山雄三/N響の演奏。もちろん,テレビで放映されたものを,である。この日のメインはベートーベンの『交響曲第7番』。ラプソディーは,やはり,この後のアンコールとして演奏された。因みに,当時,国連デー・コンサートでのアンコールは珍しかった。
カーテンコールで何度か呼び出された外山さんが,小走りに指揮台にかけ上がり,いきなり棒を振り下ろした瞬間,国連の大ホールに拍子木の音が響き渡った。あの時覚えた胸のすくような快感,忘れがたい。終演後,最後の曲のCDはどこで買えるか,といった問い合わせも少なくなかったようだ。

 それにしても,この曲の拍子木の使い方には,聴く度に感心させられる。この曲の第1部おわりの伸びやかな信濃追分のフルート独奏と,第2部始めの賑々しい打楽器群の八木節には,楽想において断絶がある。しかし,間に挟まれた拍子木の響きがそれを予告しているため,聴く者は断絶・唐突と感じないのだ。これは,上方落語で,演者が場面転換をする時に見台を叩くのとよく似ている。このあたりの約束事は,外国人にも理解できるのではないか。アンコールピースとして短くまとめるため,やむなく使った手法かもしれないが,なかなか巧妙。

 表題の演奏は,「現代日本の音楽」と題するレコードに収録されたもの。ほかに,小山清茂『管弦楽のための木挽歌』,外山雄三『子守唄』,尾高尚忠『フルート協奏曲』が収録されている。おそらく,いずれも1961年の録音。『ラプソディー』は,初演間もない時期に録音された熱気溢れる演奏。

武満徹:弦楽のためのレクイエム
岩城宏之,東京混声合唱団
キングレコード

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ショルティ/ウィーン・フィル ブラッヒャー『パガニーニの主題による変奏曲』

2005-10-15 14:53:21 | クラシック
 音楽やアーティストに流行廃りは付きもの。
だが,19世紀に,Billboard や Cash Box といった類の音楽チャートがあって,過去200年のTop100などを集計できるとしたら,パガニーニの『24のカプリース』の最終曲の「ふし」は,結構上位にランクされるのではないか。例えば,返り咲き回数とか (^^) 。
このふし,余程,作曲者の創作意欲を駆り立てるらしい。これを素材にした曲と言われれば,ちょっと考えただけでも,リスト,ブラームス,ラフマニノフ,シュニトケ等の大作曲家の手になるものが直ぐに思い浮かぶ。
案外忘れられているのが,ブラッヒャーの『パガニーニの主題による変奏曲』。実演に接する機会は多くはないが,傑作だと思う。

 ボリス・ブラッヒャー(1903~1975)は,エストニア系ドイツ人の作曲家。第2次大戦中は,作風や教育法がナチスの政策と合わないとして迫害も受けたようだ。1948年から1970年まではベルリン音楽大学の教授と学長を務めたというドイツ楽界の大立者である。
『パガニーニの主題による変奏曲』は彼の代表作で,15分前後の曲。初演は,1947年,ヘルベルト・アルベルト/ライプツィヒ・ゲヴァントハウスでおこなわれた。アルベルトは,1949年に常任に就任するコンヴィチュニーの前任者である。

 曲は,第1部(第1~3変奏),第2部(第4~8変奏),第3部(第9~12変奏),第4部(第13~16変奏),という4部構成。
響きが薄くなり,室内楽を思わせるかと思えば,ff の弦のトゥッティに交替するなど,音色,リズムを含め,実に変化に富む。
また,管楽器,特に,フルート,オーボエ,クラリネット,バス・クラなど,木管が大活躍する。吹奏楽の好きな方には,堪らない曲ではないだろうか。
いちいち取り上げてもあまり意味はないのだが,リズミックな第8変奏,レッジェーロな第11変奏などがとりわけ素晴らしく,聴いていて楽しい。第8変奏の木管の旋律が東洋的なのは,ブラッヒャーが中国で生まれ育ったことと関係があるのかもしれない。

 さて,演奏。
管楽器の美しさは,ウィーン・フィルならでは。第14変奏の4声のホルンのトゥッティなども迫力は十分だが,決してうるさくならない。オケがシカゴ響なら,より逞しく,彫りの深い演奏になったかもしれないが,こちらは,しなやかで陰影豊か。ウィーン・フィルの美質が横溢しており,何も不足を感じない。ショルティは直截かつ攻撃的でどうも・・・,という方にはお奨めしたい演奏である。

最後になったが,カップリングのコダーイ『ハンガリー民謡「孔雀」による変奏曲』も,ショルティのコダーイや祖国に対する共感溢れる素晴らしい演奏。

Enigma Variations / Peacock Var / Paganini Var
Vienna Philharmonic Orchestra
Decca

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庄司紗矢香/デュトワ/N響 ショスタコーヴィチ『ヴァイオリン協奏曲第1番』

2005-10-13 08:24:53 | クラシック
 9日のN響アワーは,「世界を舞台に活躍する日本人演奏家」。
竹澤恭子/準・メルクルのこってりしたブルッフ「スコットランド幻想曲」も良かったが,庄司紗矢香/デュトワのショスタコ「ヴァイオリン協奏曲第1番」が素晴らしかった。

 全4楽章で,緩-急-緩-急という構成。全編,余韻嫋々,いや,聴きようでは,陰々滅々といってもいいくらいの楽想が続く。この日は軽めの第2楽章スケルツォが時間の都合でばっさりとカット。聴き通すのはしんどいと思われたが,これが幸いし,内省的な緩徐楽章こそこの曲の聴き所であることに気付くことができた。特に,第3楽章パッサカリアの素晴らしさ。やはり,20世紀のヴァイオリン協奏曲を代表する名品である。

 それにしても,この人,驚くくらいジックリ,丹念に演奏する。同じブロン門下でも,レーピンとはタイプが異なるよう。彼女は,この9月定期Bプロのショスタコで,2002年シーズンのN響ベスト・ソリストに選ばれている。

 12月10日には,NHK音楽祭2005で,アラン・ギルバート/北ドイツ放響とブラームスのヴァイオリン協奏曲を共演するとか。こちらも楽しみ。

庄司紗矢香ウェブ・サイト

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ジェレミー・スタイグ/ビル・エヴァンス・トリオ 『What's New』

2005-10-09 18:48:49 | ジャズ
 「フルートと言われて連想する言葉は?」と聞かれたら,まぁ,9割以上の人は,「流麗」「優雅」といった言葉をあげるだろう。しかし,少し考えてから「アグレッシブ」と答える人がいたなら,その人は,間違いなく,ジェレミー・スタイグのプレイを耳にしたことがある人である。

 録音は,1969年1月30日,2月3日,4日,5日,3月11日で,パーソネルは,次のとおり。

 ジェレミー・スタイグ(fl)
 ビル・エヴァンス(p)
 エディ・ゴメス(b)
 マーティ・モレル(ds)

 曲目は,次のとおり。

 ストレート・ノー・チェイサー
 ラヴァー・マン
 ホワッツ・ニュー
 枯葉
 タイム・アウト・フォー・クリス
 スパルタカス 愛のテーマ
 ソー・ホワット

 ジェレミー・スタイグは,1942年,NY生まれのフルート奏者。19才の時のバイク事故で,顔面の左半分が麻痺してしまう。ジャケット写真でも分かるとおり,右利きのスタイグの場合,唇の左側が吹き口にあたる。この事故はフルート奏者にとって致命的とも思われたが,スタイグはボール紙とテープで作ったマウスピースを口に含んで空気の漏れを防ぎ,これを克服したという。
彼のプレイはいずれの曲でもソウルフルだが,掉尾を飾る「ソー・ホワット」が凄絶。コンクールなら,予選でふるい落とされること間違いなしのプレイだが,そのスタイルは聴く者を圧倒する。スタイグにとって「喘ぐこと」「呻くこと」は,「フルートを吹くこと」の一部に成り切っている。これは,決して侮蔑の意味で言っているのではない。

 ビル・エヴァンスにとっては,これがヴァーヴ最後の録音。
「ソー・ホワット」は,「墨絵のような」とエヴァンスが自らライナーを担当した『Kind Of Blue』でのプレイと比べるのも面白い。興味深いのは,ソロをスタイグに渡したエヴァンスが,程なくプレイを止め,テーマに戻るまで一音も発していないこと。その間の4分強はピアノレス。しかし,エディ・ゴメス,マーティ・モレルの2人がリズムをしっかり刻んでいることもあって,音楽は全く弛緩しない。ここは,素晴らしい。
因みに,スタイグとエディ・ゴメスは,同じ Music & Art High School に通っていた頃からデュオをしていた間柄だそうだ。エヴァンスが音楽を3人に委ねたのには,そういった事情もあったのではないか。

ホワッツ・ニュー
ビル・エヴァンス・ウィズ・ジェレミー・スタイグ,ビル・エヴァンス,ジェレミー・スタイグ,エディ・ゴメス,マーティ・モレル
ユニバーサル ミュージック クラシック

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