Bach - Brandenburg Concerto No. 5 in D major BWV 1050 - 1. Allegro
知り合いから「hanboさんお気に入りの『ウィーン』,なくなったわよ」と聞いたときはさすがにショックであった。
バブルは,地方の中核都市の様相をも一変させた。仙台もその例に漏れない。回転の悪い名曲喫茶などひとたまりもないか,と思ってはみたものの,残念でならなかった。
仙台の名曲喫茶『ウィーン』は,一番町の買物客が休憩にお茶を飲んだり,ちょっとした待ち合わせに便利なところであった。
当時としては珍しかった大型のプロジェクターが設置されており,VHD等を映し出す合間に,ブース内に座した女性が簡にして要を得たMCを入れるという趣向がとても良かった。
『ウィーン』で観たものは,カラヤンの『悲愴』や『英雄』,ショルティの『スコットランド』,パールマン/ジュリーニのベートーヴェン『ヴァイオリン協奏曲』,アルゲリッチ/シャイーのラフマニノフ『ピアノ協奏曲第3番』,等々。しかし,その中で一番魅了されたのは,リヒターの『ブランデンブルク』であった。
リヒターの『ブランデンブルク』には,アルヒーフに新旧2組の録音があるが、表題の映像付き録音は1970年にユニテルにいれたもの。アルヒーフの新録音が1967年だから,ユニテル盤はその3年後に収録したものである。
ソロのメンバーも一部は重なるが,同じではない。例えば5番なら,アルヒーフ盤の「シュネーベルガー(v),ニコレ(fl),リヒター(cemb)」は,ユニテル盤では「ビュヒナー(v),マイゼン(fl),リヒター(cemb)」となる。
10数年ぶりに聴き直してみての印象は,ただただ,「素晴らしい。」の一言に尽きる。
「いくつかの楽器のための6曲の協奏曲」としか書かれていないこの曲集に『ブランデンブルク協奏曲』と命名したのはシュピッタ。
「彼はただ献呈された相手方の名前を付けたに過ぎないが,明るく快活なこの曲集の名前としてこれくらい相応しいものはない。やはり,『ケーテン協奏曲』では物足りないのだ。4曲の管弦楽組曲たちは「彼らはいい名前をもらったなぁ・・・」と羨ましく思っているに違いない。」と言われたのは故柴田南雄氏だが,言い得て妙である。
1番,5番,6番が昔から好きだったが,2番~4番も良い。
白眉は,やはり,5番ということになろうか。第1楽章の後半,有名なチェンバロ独奏からユニゾンに戻るまでの一連のリヒターの様子は何度観ても飽くということがなかった。右手でチェンバロを弾きながら左手でアインザッツを送る時のリヒターの恰好良さといったらない。あのシーンを観るために何度『ウィーン』に通ったことか。
また,久々に全曲通して聴いてみて,6番がエネルギッシュなのに気づき,驚いた。ヴィオラ2本,ヴィオラ・ダ・ガンバ2本,チェロ1本,通奏低音(チェンバロ&ヴィオローネ)という楽器構成の曲だが,何とも男臭い音楽に仕上がっている。表情一つ弛めず演奏するヴィオラのブレンディンガーとジンホーファーが実にアグレッシブ。黙々と演奏するチェロのシュタイナーもいいなぁ。ヴァイオリンが入っていない分,幾分地味だが,曲集のしんがりを勤めるのに相応しい曲だと思う。
曲の様式などから推定すれば,6番,3番,1番が最初に作曲され,2番,4番と続き,最後が5番ということになるようだが,構えの大きい1番で始まり,ソロのないオーケストラル・コンチェルトの6番で締めくくるという配置も,それなりに収まりが良く,納得がゆく。この6番も5番と並び必聴かつ必見。
今や,バッハ,ヘンデル辺りなら,当然古楽器でしょう,という時代。演奏史的には,「リヒターのバッハ」は過渡的で,評価が難しいのかもしれない。
確かに,古楽器で演奏するバッハも素晴らしい。情報量盛りだくさんのホグウッド,愉悦に充ちたコープマン等々。柴田氏もご指摘のとおり,いずれも,一昔前の「まぁ,古楽器だから許されるか・・・」といった貧弱極まりない演奏などでは決してない。
しかし,刷り込みとでもいったらよいのか,私にとって,バッハと猛禽のごとくスコアを見据え,音楽に没入するリヒターの姿は分かち難いものとなっている。
居ずまいを正したくなるようなバッハ,というのは今風ではないのかもしれない。しかし,いや,むしろそうだからこそ,リヒターのバッハは,今後,存在価値を増していくような気がする。どうだろうか。
リヒターが亡くなったのは,1981年2月15日。ミュンヘンでの演奏会終了後,気分がすぐれないため急遽医師が呼ばれたものの,その到着を待たず彼岸の地へ旅立ったという。
享年54才。あまりに,あまりに唐突な別れだった。
知り合いから「hanboさんお気に入りの『ウィーン』,なくなったわよ」と聞いたときはさすがにショックであった。
バブルは,地方の中核都市の様相をも一変させた。仙台もその例に漏れない。回転の悪い名曲喫茶などひとたまりもないか,と思ってはみたものの,残念でならなかった。
仙台の名曲喫茶『ウィーン』は,一番町の買物客が休憩にお茶を飲んだり,ちょっとした待ち合わせに便利なところであった。
当時としては珍しかった大型のプロジェクターが設置されており,VHD等を映し出す合間に,ブース内に座した女性が簡にして要を得たMCを入れるという趣向がとても良かった。
『ウィーン』で観たものは,カラヤンの『悲愴』や『英雄』,ショルティの『スコットランド』,パールマン/ジュリーニのベートーヴェン『ヴァイオリン協奏曲』,アルゲリッチ/シャイーのラフマニノフ『ピアノ協奏曲第3番』,等々。しかし,その中で一番魅了されたのは,リヒターの『ブランデンブルク』であった。
リヒターの『ブランデンブルク』には,アルヒーフに新旧2組の録音があるが、表題の映像付き録音は1970年にユニテルにいれたもの。アルヒーフの新録音が1967年だから,ユニテル盤はその3年後に収録したものである。
ソロのメンバーも一部は重なるが,同じではない。例えば5番なら,アルヒーフ盤の「シュネーベルガー(v),ニコレ(fl),リヒター(cemb)」は,ユニテル盤では「ビュヒナー(v),マイゼン(fl),リヒター(cemb)」となる。
10数年ぶりに聴き直してみての印象は,ただただ,「素晴らしい。」の一言に尽きる。
「いくつかの楽器のための6曲の協奏曲」としか書かれていないこの曲集に『ブランデンブルク協奏曲』と命名したのはシュピッタ。
「彼はただ献呈された相手方の名前を付けたに過ぎないが,明るく快活なこの曲集の名前としてこれくらい相応しいものはない。やはり,『ケーテン協奏曲』では物足りないのだ。4曲の管弦楽組曲たちは「彼らはいい名前をもらったなぁ・・・」と羨ましく思っているに違いない。」と言われたのは故柴田南雄氏だが,言い得て妙である。
1番,5番,6番が昔から好きだったが,2番~4番も良い。
白眉は,やはり,5番ということになろうか。第1楽章の後半,有名なチェンバロ独奏からユニゾンに戻るまでの一連のリヒターの様子は何度観ても飽くということがなかった。右手でチェンバロを弾きながら左手でアインザッツを送る時のリヒターの恰好良さといったらない。あのシーンを観るために何度『ウィーン』に通ったことか。
また,久々に全曲通して聴いてみて,6番がエネルギッシュなのに気づき,驚いた。ヴィオラ2本,ヴィオラ・ダ・ガンバ2本,チェロ1本,通奏低音(チェンバロ&ヴィオローネ)という楽器構成の曲だが,何とも男臭い音楽に仕上がっている。表情一つ弛めず演奏するヴィオラのブレンディンガーとジンホーファーが実にアグレッシブ。黙々と演奏するチェロのシュタイナーもいいなぁ。ヴァイオリンが入っていない分,幾分地味だが,曲集のしんがりを勤めるのに相応しい曲だと思う。
曲の様式などから推定すれば,6番,3番,1番が最初に作曲され,2番,4番と続き,最後が5番ということになるようだが,構えの大きい1番で始まり,ソロのないオーケストラル・コンチェルトの6番で締めくくるという配置も,それなりに収まりが良く,納得がゆく。この6番も5番と並び必聴かつ必見。
今や,バッハ,ヘンデル辺りなら,当然古楽器でしょう,という時代。演奏史的には,「リヒターのバッハ」は過渡的で,評価が難しいのかもしれない。
確かに,古楽器で演奏するバッハも素晴らしい。情報量盛りだくさんのホグウッド,愉悦に充ちたコープマン等々。柴田氏もご指摘のとおり,いずれも,一昔前の「まぁ,古楽器だから許されるか・・・」といった貧弱極まりない演奏などでは決してない。
しかし,刷り込みとでもいったらよいのか,私にとって,バッハと猛禽のごとくスコアを見据え,音楽に没入するリヒターの姿は分かち難いものとなっている。
居ずまいを正したくなるようなバッハ,というのは今風ではないのかもしれない。しかし,いや,むしろそうだからこそ,リヒターのバッハは,今後,存在価値を増していくような気がする。どうだろうか。
リヒターが亡くなったのは,1981年2月15日。ミュンヘンでの演奏会終了後,気分がすぐれないため急遽医師が呼ばれたものの,その到着を待たず彼岸の地へ旅立ったという。
享年54才。あまりに,あまりに唐突な別れだった。
![]() | J.S.バッハ ブランデンブルク協奏曲(全6曲) [DVD]ユニバーサル ミュージック クラシックこのアイテムの詳細を見る |
![]() | Branderburg Concertos Nos. 1-6 Bwv 1046-1051Dg Importsこのアイテムの詳細を見る |
拙ブログにお立ち寄りくださり,ありがとうございます。
私も,hana さんのコメントに触発され,6番の演奏を久しぶりに観てみました。
厳しい演奏ですね。本文では「エネルギッシュ」という言葉を使っていましたが,今回は「峻厳」という言葉を想起しました。
「リヒターの演奏」というだけで,彼のバッハを何から何まで神棚に祭り上げるのは間違いだと思いますが,このブランデンブルクは,いずれも,別格の演奏だと思います。
それにしても,大理石の彫像のようなペーター・シュタイナーの表情! この演奏の有り様を表していると思いませんか。