ジュリーニが頻繁にフィルハーモニアと録音していた頃の話し。
EMIのウォルター・レッグがジュリーニにチャイコフスキーの5番の録音を提案した。ジュリーニは「あの曲は嫌いだから・・・」と断ったが,セッションをおこなわざるを得ない状況になってしまった。
セッションは始まった。しかし,いくらもたたないうちに,ジュリーニは指揮棒を置いて,「これ以上はやれない」と言う。
レッグはちょっと考えた後,オーケストラを解散させ,この企画は中止になった。どのくらいの費用が無駄になっただろう。ちょっと考えられないことだが・・・。
この話し,レッグのインプレサリオとしての度量の大きさを示すものとして紹介されていたが,同時に,レッグやEMIがいかにジュリーニを大事にしていたかという話しでもある。
ジュリーニがEMIに録音していた時期は,クレンペラーがメインであり,ジュリーニは2番手扱いであった。
しかし,その2番手が録音した「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」等は,今なお,同曲の最高の名演の1つに数えられる。上記の逸話も,ジュリーニの盤歴を辿れば,十分理解の範囲である。
さて,2005年が暮れようとしている。
2005年を総括する場合,列車事故,郵政解散,耐震強度偽装問題等は落とせない出来事だが,私にとっては,
カルロ・マリア・ジュリーニの死もまた,忘れられない出来事である。
先日来,1959年6月のキングズウェイ・ホールでの録音セッションの様子を写した写真を眺めながら,ジュリーニ/フィルハーモニアのラヴェル『ダフニスとクロエ第2組曲』を繰り返し聴いている。
「夜明け」の濃厚な弦の響きはジュリーニならでは。金子建志氏の
「ロマン的客観主義の指揮者」を思い起こさせる演奏。「パントマイム」のフルート独奏も見事。暖かみのある音からして,ガレス・モリスかしら? 「全員の踊り」など,普通の指揮者なら,もっと煽り立てるところだが,ジュリーニはそれをしない。この辺りが,ジュリーニに対する評価の分かれ目になるような気がする。ところどころで,ジュリーニが指揮台をドンと踏み込む音が聞こえ,指揮者の内なる燃焼のもの凄さを窺わせる。
『ダフニス』には,クリュイタンス,ミュンシュ,デュトワ等々,名演が少なくないが,このジュリーニ盤,捨てがたい味わいを持っているように思う。
ジュリーニの死は悲しんでも余りあるが,幸い,EMI,DG,ソニー等に数多くの録音が残された。同曲異演も少なくないが,これはこれで聴く者に別なる愉しみをもたらしてくれるように思う。しかし,そうはいっても,ジュリーニをうしなったという喪失感は,当分の間,これらの録音をもってしても,埋め合わせようがないような気がしている。
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