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音楽と映画の周辺

核心ではなく, あくまでも物事の周辺を気楽に散策するブログです。

アンダ/フリッチャイ/ベルリン放響 バルトーク『ピアノ協奏曲第3番』

2011-02-04 18:01:56 | クラシック
Busch Quartet Beethoven "String Quartet No.15" (3. Mov.)


 バルトークのピアノ協奏曲第3番は,全体として,穏やかで明るい色調の曲。経済的には幾分好転の兆しがあったとはいえ,アメリカ時代の作曲家の不遇を思うと,なにか不思議な感じがする。因みに,バルトークは,作曲の前年(1944年),ためらう医師から病気が白血病であると告知されている。

 この曲でもっとも印象に残るのは,第2楽章「アダージョ・レリジョーソ」。
その第1部では,弦とピアノの対話が5回繰り返されるが,ご存じのとおり,このピアノによるコラール旋律については,ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番(作品132)の第3楽章にある「モルト・アダージョ 病気が治った者の神に捧げるリディア調の感謝の歌」との類似性が言われている。
この点,バルトークは,楽聖同様,重い病いから回復しつつあると感じていたから「感謝の歌」を婉曲に引用したとする楽曲解説がある。
確かに,バルトークの体調は件の楽章を作曲していた1945年の夏には一時的に快復していたようだ。実際,ピアノのコラール旋律を聴くと,誰だって「感謝の歌」を想起せずにはいられない。しかし,その類似性はあくまで表面的なものだ。聴きようでは,両者のベクトルは真逆のように思えてくるのだが,どうだろうか。
バルトークの「アダージョ・レリジョーソ」は,最初,発想記号どおり穏やかに始まる。しかし,弦とピアノの対話に入る直前の低弦の一節はたちまち音楽に不吉な陰を与え,その後の展開が単純な健康賛歌ではないことを予告している。
アガサ・ファセット著『バルトーク晩年の悲劇』(みすず書房)等によれば,バルトークの健康は入院と小康を繰り返しながら徐々に悪化していたのは間違いなさそうだ。バルトークの引用が「感謝の歌」にとどまり,あの喜びに満ちた「アンダンテ 新しい力を感じながら」にまで十分届かなかったのには理由があると思う。
やはり,バルトークが件の歌に託したのは,大戦で逝った者へのオーマージュ,そして,やがて逝く自身の告別の辞だとする見方の方が的を射ているのではなかろうか。もちろん,生と死は一枚のコインの表と裏。バルトークにも快復を祈念する気持ちはあったとは思うが。

 さて,手元にあるバルトークのピアノ協奏曲第3番のディスクは,シフ/フィッシャー盤,コヴァセヴィチ/デイヴィス盤,アルゲリッチ/デュトワ盤,そして表題のアンダ/フリッチャイ盤,の以上4種。どれも素晴らしい演奏だが,アンダ/フリッチャイ盤の第2楽章はひときわ感銘が深い。
第1部のピアノのコラール旋律が回を重ねる毎にじわじわ熱を帯びていくのは他盤と同じ。しかし,アンダ/フリッチャイ盤の4度目のそれは唐突と思われるほど激烈だ。そして,それに応答する弦の切々としたカンタービレも胸に迫る。
作曲時,ファシズムの崩壊と平和の訪れは決定的であった。しかし,皮肉なことに,同時期,不治の病がとうからずバルトークの生に終止符を打つのも十分予期されていたのだ。ふだんは感情を押し隠していたという冷徹なバルトーク。アンダ/フリッチャイ盤でこの楽章を聴いていると,我知らず,拳をぐっと握りしめる彼の姿を思い浮かべてしまう。用いた素材は喜びに満ちあふれている。しかし,そのことがかえって音楽を清澄なだけでなく悲痛なものにしている。
第3部のピアノの意欲的な表現を含め,アンダ/フリッチャイ盤の第2楽章は,曲の有りように深く踏み込んだ名演だと思う。両端楽章も素晴らしい。

 最後になったが,アンダ/フリッチャイ盤については,ピアニスト,指揮者ともにバルトークと同じハンガリー出身であることのほか,この録音が白血病による長期休養からフリッチャイが復帰した直後におこなわれたものであることも付記しておきたい。フリッチャイの同曲には,白血病を発症する前,独奏者にモニク・アースを迎えた録音もある。オケはRIAS響。ご存じのとおり,改称前のベルリン放響で,アンダ盤と同じオケである。フリッチャイの指揮はアンダとの共演盤の方がより陰影の濃いものになっていると思うのだが,どうだろう。気のせいだろうか。

バルトーク:ピアノ協奏曲第1~3番
アンダ(ゲーザ),バルトーク,フリッチャイ(フェレンツ),ベルリン放送交響楽団
ポリドール

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バルトーク 晩年の悲劇
アガサ・ファセット
みすず書房

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カラヤン/ベルリン・フィル 『ロッシーニ序曲集』

2011-01-17 18:58:58 | クラシック
 「弘法筆を選ばず」にならい「カラヤン曲を選ばず」とお書きになったのは,亡くなった柴田南雄氏。あれは「新ヴィーン楽派管弦楽曲集」のライナーの中でだった。
もちろん,柴田氏が言いたかったのは,先の諺の本義に拠った「カラヤンは,新ヴィーン楽派の曲と言わず,軽いポピュラーな曲と言わず,どれも巧みにやりおおせる。」ということ。「カラヤンの音楽は,すべからく,一応のレヴェルには達しているが,深みがない。」といったことでは全くない。ましてや,「カラヤンは,音楽産業を金儲けの道具として利用した。」など・・・。
奇を衒うつもりはないが,やはり,この人,今なお真っ当な評価を受けていない音楽家の一人だと思う。いや,評価の地図に,他の人には見られない斑模様や強烈な濃淡があるというべきかな。いずれにしても,ときどき見かけるベタな「空(から)やん・・・」には本当にげんなりしてしまう。

 さて,表題の『ロッシーニ序曲集』は,1971年1月6日・8日と同年5月2日の3日間で録音されたというもの。
「音楽鑑賞も,雪道同様,安全第一」と考える人なら,『ロッシーニ序曲集』といえば,アバド/ロンドン響盤(DG及びRCA)辺りを選ぶのだろう。より慎重な人は,手堅く,トスカニーニ/NBC響盤に行くかも。もちろん,いずれも名盤。それに異を唱えるつもりはないが,ロッシーニの音楽そのものに魅了されたという方には,「2枚目を購入する気がおありなら,カラヤン盤などいかが。」と申し上げたい。
確かに,全体として,この軽妙な音楽にしては響きが重い。しかし,彼らの演奏はそのような印象を脇に押しやるだけの精妙さを兼ね備えてもいる。能天気に,10度の坂道をじわじわ駆け上がってハイ,おしまいっ,といった爽快さだけが売りの音楽で終わってはいない。こんなこと,書くまでもないことだけれど。
この当時のベルリン・フィルについては,ゴールウェイが,その自伝『我がフルート人生』(シンフォニア)の中で,次のように書いている。因みに,彼がベルリン・フィルに加わったのは1969年/1970年のシーズンから。

 ベルリン・フィルハーモニーに加わって初めて演奏した曲は,ベートーヴェンのエロイカだったが,この時分かったのは,自分がこれまでとはまったく次元の違うオーケストラで演奏しているということだった。弦楽器部門はどれを取ってもとびきり素晴らしく,オーケストラ全体の響きと音色の見事さと言ったら,それはもうケタ外れなのだ。一言で言えば,従来とはまったく質の異なる経験をしているのだと思い知ったわけだ。

ゴールウェイの言うとおり,弦と言わず,管と言わず,どの楽器群もべらぼうに上手い。1971年と言えば,掛け値なしにカラヤン/ベルリン・フィルの黄金時代。綺羅星のごとく名人が在籍していた絶頂期の録音である。

 私が持っているディスクは,DGの『ロッシーニ序曲集(Gioacchino Rossini Ouvertüren)』(POCG-2273)というもの。念のため,収録曲を書いておこう。

1 歌劇「セビリャの理髪師」序曲
2 歌劇「どろぼうかささぎ」序曲
3 歌劇「セミラーミデ」序曲
4 歌劇「ウィリアム・テル」序曲
5 歌劇「アルジェのイタリア女」序曲
6 歌劇「絹のはしご」序曲

当初,収録時間(56:20)からすればもう1,2曲欲しいと思わないでもなかったが,いやいや,これで十分。いずれの演奏も本当に素晴らしい。
因みに,ゴールウェイが演奏に加わっているのは,事情通によれば,「セミラーミデ」序曲,「アルジェのイタリア女」序曲及び「絹のはしご」序曲,の3曲とか。なるほど,「アルジェのイタリア女」序曲のフルートは私の駄耳にもゴールウェイのそれと分かる。そうなると,「ウィリアム・テル」序曲第3部のコール・アングレと絡み合う有名なフルート・ソロは,ブラウのものか・・・。

 さて,ディスク中最高の演奏は何かと問われれば,私なら躊躇無く「セミラーミデ」序曲と答える。序奏におけるホルンの柔らかな四重奏も見事だが,主部に入り,第1主題から第2主題に移行する際の経過句で聞く身悶えするような弦のブリオには本当に惚れ惚れしてしまう。再現部のそれは更に熱が入るから本当に凄い。トスカニーニ盤の演奏と比べても全く遜色ない。

 ところで,この「セミラーミデ」序曲,DGの100 MASTERPIECESシリーズ『ロッシーニ&ヴェルディ 序曲・前奏曲集』やSUPER BEST 101シリーズ『ロッシーニ&スッペ序曲集』といったオムニバス盤には入っていない。これは意外だ。
「セミラーミデ」序曲の演奏時間は,6曲中最長の12:03。質もさることながら,曲数や多彩さも考慮しなければならないオムニバス盤の性格からは,この選外,やむを得ないところはあるのかもしれないが,出来からすればあまりに惜しい。

 最後になったが,録音場所は,名ロケーションとして知られたダーレムのイエス・キリスト教会。本拠地フィルハーモニーでの録音は,音響効果の改善の関係から,少なくともカラヤン/ベルリン・フィルの録音に関しては,1963年の落成から1973年までずっと見合わされていたのだ。これとも関係するが,リチャード・オズボーン著『ヘルベルト・フォン・カラヤン』(白水社)には,概略,フィルハーモニーの音響効果に最初に不満をもらしたひとりがジョージ・セルだった,との記述がある。
いずれにしても,表題の『ロッシーニ序曲集』は,黄金時代のカラヤン/ベルリン・フィルによる名演にして,名録音。興味がおありという方,一度お聴きになっては。購入にあたっては,「セミラーミデ」序曲の収録のご確認をお忘れ無く。

ロッシーニ:作品集
オムニバス(クラシック),サザーランド(ジョーン),ベルガンサ(テレサ),ゴンザレス(ダルマシオ),リッチャレッリ(カーティア),プライ(ヘルマン),アルヴァ(ルイジ),アンブロジアン・オペラ合唱団
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カラヤン/ベルリン・フィル シベリウス『交響曲第5番』(1965年)

2010-09-16 12:40:25 | クラシック
 確か,2年前だったと思う。
ジュンク堂に行った帰り,同じビルの地階にあるタワーレコードに寄ってみたところ,グールドとカラヤン/ベルリン・フィルが共演した1957年5月26日の演奏を収録したLIVE盤がずらりとディスプレイされていた。
ジャケット写真は,両手をズボンのポケットにつっこんだグールドが,少し腰を折って,椅子に腰掛けているカラヤンに話しかけているところをとらえたもの。リハーサルの合間に撮ったものか,カラヤンもリラックスした穏やかな表情。写真はセピア・ブラウンを基調に濃淡をほどこしたシックなもので,なかなかいい感じだ。
ただ,先日のエントリにも書いたような次第で,時期的にはこちらのグールド熱がやや冷めかけていた頃。くわえて,曲がちょっと・・・。お好きな方には申し訳ないけれど,私にとってベートーヴェンの3番のピアノ協奏曲は食指の動く曲ではない。第2楽章は美しいと思う。しかし,第1楽章の深刻な身振りは,いつの頃からか,聴くのが少しばかりしんどくなってしまったのだ。
普通ならそのままスルーするところだが,1枚手に取って何気なく裏面を見て驚いた。4,5センチ四方の該公演に係る当時のプログラムに目を凝らすと,1曲目のヒンデミット『画家マチス』,2曲目のベートーヴェン『ピアノ協奏曲第3番』,の後にメインプロとして次のようにあったのだ。

 JAN SIBELIUS SYMPHONIE NR.Ⅴ ES-DUR OP.82

 グールドのシベリウスの交響曲第5番好きはよく知られている。「グレン・グールド,グレン・グールドについてグレン・グールドにきく」の中で「ええ,シベリウスの5番なくしては生きられないでしょうから。」と語るくらいだから,その惚れ込みようがわかる。なかでも,カラヤン/ベルリン・フィルによる1965年2月録音のDG盤はグールドの愛聴盤であった。
1957年のカラヤンとの共演の折り,グールドは,自分が関係するリハーサルが終わってもそのままホールに残り,カラヤン/ベルリン・フィルによるシベリウスのリハーサルやゲネプロの一部始終を見聞きしていたのではなかろうか。そして,その音楽体験を機に,グールドの心の内では,シベリウスの5番とカラヤン/ベルリン・フィルの演奏は分かちがたく結びついた・・・,いや,想像だけれど。
カラヤンの同曲には,これより先,1960年録音のフィルハーモニア管とのEMI盤もあった。しかし,グールドに1957年の幸福な出会いを追体験させてくれるのは,やはり,同じ組み合わせによる音盤を措いては考えられない。グールドはこの組み合わせによる同曲の録音を待望していたと思う。DG盤をより好んだというのは,もっともらしいオケの性能云々といった観点からのものではなく,もっと単純とでも言ったらいいのか,個人的な思い出に拠るところが大きいのだと思う。
DG盤録音の1965年と言えば,シベリウス生誕百年の年。カラヤンとベルリン・フィルは,その年の5月16日,ヘルシンキ音楽祭に登場。シベリウスの交響曲第5番で圧倒的な演奏を聴かせたという。言うまでもなく,2月録音 → 5月演奏は,周到に準備されたものだろう。
因みに,1週間後の23日には,同じホールでセルとクリーヴランド管がシベリウスの交響曲第7番を演奏している。

 私が最初に聴いたシベリウスの交響曲第5番もこのカラヤン/ベルリン・フィルのDG盤。シベリウス特有の神経質な弦のトレモロによるさんざめきから始まる第3楽章がとりわけ気に入っている。この楽章,私には,始まって5秒あたりで,ほんのわずかだが,意識的に弦に変化がつけられているように聞こえるのだが,どうだろう。他の演奏ではそう聞こえない分,DG盤のこの部分,私は偏愛している。この後,音楽は,大きなうねりとなって,最後の最後,トランペットが朗々と鳴り響いた後,休止を挟みながら10数秒かけて(!)6つの最強奏の和音を刻んで感動的な終わり方をする。楽章の真ん中あたり,ミステリオーソの後のフルートの密やかな独奏などもしみじみとしていい。

 さて,グールドとシベリウスの交響曲第5番とくれば,どうしたって,グールドの対位法的ラジオ・ドキュメンタリー『北の理念』に触れないわけにはいかない。
『北の理念』は,グールドが,マリアン・シュレーダー(看護婦),フランク・ヴァリー(社会学者),ロバート・フィリップス(カナダ政府の予算検査官),ジム・ロッツ(英国の地理学者),という実在の4人の人物に対し個別におこなったインタビューを,彼らが対話しているかのように構成し直し,これにウォリー・マクリーン(引退した測量士)の語りをつけたというもの(プロローグの部分は,CBCのアーカイヴで聴くことができる。始まってちょうど3分から,グールド自身による「グレン・グールドです。この番組は「北の理念」(The Idea of North)と言います。」というアナウンスが入る。)。
ドキュメンタリーは,プロローグの後,北へと向かう列車のガタンゴトンという走行音を通奏低音に,第1場「北へ行くまでの経緯と問題提起」,第2場「北の生活の特徴」,第3場「北に対する期待と幻滅」,第4場「「エスキモー」に関する諸問題」,第5場「北の将来の展望」と進む。登場人物の話し声が聞こえなくなった後,49:42からエピローグ「北へ行くことの価値」が始まる49:58までは列車の走行音が聞こえるだけ。そして,その音が完全にフェイドアウトしたまさにその瞬間,このDG盤の第3楽章が始まる。ここの場面転換は実に鮮やか。温々(ぬくぬく)と列車のコンパートメントに座していた人間が,否応なく,彼方に地平線の見える北の大地と向き合わされ,冷涼たる空気に触れたような感じ,とでも言えば,私が覚えた驚きのいくばくかは伝わるだろうか。いずれシベリウスの5番が始まるだろうことは知っていた私がそう感じるのだ。1967年12月28日,CBCの放送で予備知識なくこの部分を聞いたカナダの聴衆,さぞかし驚いたことだろう。

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番&シベリウス:交響曲第5番
カラヤン(ヘルベルト・フォン) グールド(グレン)
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル

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シベリウス:交響曲第4-7番、他
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 カラヤン(ヘルベルト・フォン)
ユニバーサル ミュージック クラシック

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Solitude Trilogy
Glenn Gould
Cbc

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エーベルハルト・クラウス ブラームス『ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ』

2010-09-11 22:37:56 | クラシック
Moiseiwitsch plays Brahms "Handel Variations" (I)


Handel - Suite Nr. 1 B-Dur HWV 434 - Eberhard Kraus


 クラシックを聴き始めてそんなに経っていない頃の話し。
ある朝,6時を少しまわった頃。布団から手を伸ばして枕もとのラジオを点けたところ,音楽がながれた。
ハープシコードによるその演奏を聞いた私は,寝ぼけた頭で「古楽器演奏の波がとうとうブラームスにまで及んだか・・・」と,早朝からその分野の進展の目覚ましさに思いを致した。が,曲名紹介を聞いて笑ってしまった。
お察しのとおり,私がブラームスの『ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ』と思ったのは,なんのことはない,主題の原曲であるヘンデルの『ハープシコード組曲第2集 第1曲』の「エアとヴァリエーション」だったのだ。番組は,もちろん,NHK-FMの「朝のバロック」。ブラームスがかかるはずのないことなど,ちょっと考えればはわかりそうなものだが,そこは起きがけ。しかし,「エアとヴァリエーション」の後の「メヌエット」を聞いて変だと思わなかったのだろうか,私は。不思議だ ^^; 。
それはさておき,単に曲名が頭に浮かんだというのではなく,一足飛びに「古楽器演奏の波が・・・」などと朝っぱらからもっともらしく思ったところが,我がことながら,可笑しいというか,面白いというか。

 ということで,表題の曲名は,『ハープシコード組曲第2集 第1曲』と書くべきところ,あえて『ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ』とした次第。この点は,「騙したな」などと言わず,何卒ご寛容のほどを。
YouTubeの1つ目は,モイセヴィッチによる『ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ』。2つ目が,レーゲンスブルグを拠点に活躍したオルガン奏者であり,また,ハープシコード奏者でもあったエーベルハルト・クラウスによる『ハープシコード組曲第2集 第1曲』から「プレリュード」と「エアとヴァリエーション」。「ヘンデルの主題」にあたるのは,3:51以降。
因みに,私が持っている『ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ』は,カッチェン盤とゲルバー盤の2枚。どちらも良い演奏だ。

Handel Variations: Paganini Variations

Decca Import

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Piano Concerto No 1 / Variation & Fugue on a Theme
Brahms,Gelber,Munich Philharmonic Orc,Decker
EMI Classics

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グレン・グールド ヘンデル『ハープシコード組曲』

2010-09-08 20:20:48 | クラシック
Handel - Suite I in A - Glenn Gould


 グールドが愛用したスタインウェイのピアノ「識別番号CD318」(以下「CD318」という。)が輸送途中に大きな損傷を負ったのは,1971年の9月から10月にかけてのこと。
グールドが,インフルエンザか何かに罹ったとして,アンチェル/クリーヴランド管との録音セッション(ベートーヴェンの2番及びグリーグのコンチェルト)を直前にキャンセル。事故は,他のセッションのためにと,CD318がクリーヴランドのセヴァランス・ホールから保管場所であるトロントのイートン・オーディトリアムに送り返される途中に起きた。CD318は,この事故でフレーム・プレートにひびが入るなど大破。NYのスタインウェイの工場で修理がおこなわれたが,グールドが好んだ軽いアクション,全音域の明澄さ,音の透明感,アーティキュレーションの鋭敏さといったこのピアノの特徴は二度と完全には回復することがなかったという。
この大修理が終わった時,スタインウェイの工場に試し弾きに現れたグールドの様子を著名な調律師フランツ・モアが『ピアノの巨匠たちとともに』(音楽之友社)の中で書いている。その様子がなんとも痛々しい。グールドはCD318のうえに手をのせると,泣きそうな顔をして次のように言ったという。

 これは僕のピアノじゃない。一体このピアノはどうしたんだ?こんなピアノじゃ弾くことはできない。使いものにならない・・・。

 表題の録音は,CD318の大修理が終わるまでの間にハープシコードを弾いて録音されたもの。
まず,YouTubeで第1曲の「プレリュード」,そして「アルマンド」(特に,3:16から4:15の部分!)を聴いていただきたい。デタシェ(ノン・レガート)の演奏家,グレン・グールドの面目躍如といったところ。これを聴いていると,あらためて,ピアノはハンマーが弦を叩いて振動させる楽器,ハープシコードはツメが弦をひっかく楽器,とその発音構造の違いを実感する。
それにしても,こんな風変わりな音のするハープシコードの演奏,聴いたことがない。グールドの録音を数多く手がけ,この録音でもプロデューサーを務めたアンドルー・カズディンは,著書『グレン・グールド アットワーク』(音楽之友社)の中で,「ほとんどのハープシコードは鍵盤の幅がピアノに比べて若干狭く,そのため彼も勝手が違って少々あわててしまうことがあった。そこで,ある日彼は鍵盤の幅がピアノと変わらない大型のハープシコードを見つけてきた。」と書いている。
この録音を成功に導いた最大の功労者はもちろんグールド本人。しかし,もう1人名前をあげなければならない人物がいる。それは,この録音でハープシコードを調律した調律師,ヴァーネ・エドキスト。エドキストは,グールドがイートン・オーディトリアムで録音するときはいつも調律を任されていた人である。
彼は,NHKテキスト「私のこだわり人物伝 2008年4-5月」所収の「グールド回想 - 調律師からみたグレン・グールド」の中で,調律の一部始終を見ていたカズディンから「あんなに苦労したのだから,アルバムには名前を記してもらうべきでしたね。」と言われたと書いている。その苦労のほどが知れる。

 エドキストは,上記「グールド回想」の最後の項で,非常に印象深いエピソードを明かしている。彼がグールドと最後に会った1981年,別れ際にかわしたという会話がそれ。CBC(カナダ放送協会)での仕事のあと,地下鉄の駅まで送ってもらう車中,エドキスト(1931年生まれ)がグールド(1932年生まれ)に「50歳になったら調律はやめようと思います。」と言ったところ,グールドは「あなたはやめない気がする。50歳でやめるのはきっと私の方ですよ。」と答えたというのだ。グールドが亡くなったのは,1982年の10月4日。50歳の誕生日から9日後のことだった。
さて,該回想録は次の文章で結ばれる。カズディンによれば,グールドはエドキストに対し時に容赦ない態度をとることもあったというが・・・。ヴァーネ・エドキスト,心優しい人だ。

 ときどき私はグールドのレコードを聴く。夢のようである。もはや弦が切れることを心配する必要もない。リラックスして,あのかけがえのない演奏をひたすら楽しんでいる。

ヘンデル:ハープシコード組曲
グールド(グレン)
ソニーレコード

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私のこだわり人物伝 2008年4-5月 (2008) ヘルベルト・フォン・カラヤン 時代のトリックスター/グレン・グールド 鍵盤のエクスタシー (NHK知るを楽しむ/火)
天野 祐吉,宮澤 淳一
日本放送出版協会

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グレン・グールド 『バード&ギボンズ作品集』

2010-09-05 21:36:12 | クラシック
Glenn Gould - Orlando Gibbons "Fantasy in C major" & "Allemande (Italian Ground)"


 何年か前,グールドの録音を集中して聴いた時期があった。あれは何がきっかけだったのかちょっと思い出せないのだが,時期的にはNHK教育テレビ「私のこだわり人物伝」でグールドがとりあげられた時期と重なっていたと思う。
その時,それと平行して,グールドの『発言集』『著作集2』『書簡集』『対話集』といった書籍や,フリードリック『生涯』,カズディン『アットワーク』,横田庄一郎『「草枕」変奏曲』といったグールドに関する書籍を読んだ。しかし,読書の進捗とは逆に,グールドの録音を聴く頻度は徐々に減っていった。
グールドの毒気にあてられた,というのは冗談だが,彼から受ける抜き難い「よそよそしさ」,「とりつくろい」といった印象,そして,嘘か真か,グールドに関する宮澤淳一氏の著作にあった或るgeistige Krankheitのことが邪魔して,以前のように気やすくその演奏を楽しむことができなくなってしまったのだ。ということで,ここしばらく,グールドの録音からは遠ざかっていた。
あっ,そうそう。「私のこだわり人物伝」といえば,その第1回目の中で,或る「教授」が,グールドは普通なら聞こえない内声の旋律を引っ張り出してくる,というようなことを口にされた。なるほど,「引っ張り出してくる」は,良くも悪くも,グールドの演奏の特徴をよく表している。それを好むか嫌うかは人それぞれだが,その「教授」は,グールドの演奏を「作曲家が弾いているようだ。」と賞賛していたっけ。この言葉を聞いたとき,直ぐに,これは聞く者の思考を停止させるに十分なマジックワードだと思った。このグールドについて言う「作曲家が弾いているようだ。」,そのまま真に受けていいものだろうか? グールドという人は,レオンハルトなどとは違い,作曲家の意図を探求するというよりは,むしろ,その時々で直感的に曲を把握して演奏するタイプの音楽家だったのではなかろうか。「作曲家が弾いているようだ。」と言ってしまっては,新旧の『ゴールドベルク』の違いなど,上手く説明がつかないようにも思うのだが。これについては,もちろん,「演奏家の成熟」を言う声もあろう。しかし,通常の意味でのそれがこの人に観念できるのかどうか・・・。

 さて,表題はグールドの『バード&ギボンズ作品集』。YouTubeは,その中からの2曲,オーランド・ギボンズの『ハ調のファンタジー』と『アルマンドまたはイタリア風グラウンド』である。
グールドはあちらこちらでこの作曲家への傾倒を告白している。著作集収録の「孤島のディスコグラフィ」の中で「どのように選んでもまっさきにわたしのリストにあがるのは,ギボンズのものである。」と書き,発言集収録の「ギボンズの賛美歌<このように天使たちは歌い>」で「ギボンズを聴いていると,ほかのどの作曲家を聴いているときよりも本当の意味で幸福な気持ちに満たされるのです。」と述べているのはその一例といえる。
このディスクは,一時期,朝起きがけによく聴いていたもの。バッハの作品集などと違い,この分野に不案内なことも幸いし,グールドのディスクとしては珍しく構えず聴くことができる。久しぶりに聴いたが,やっぱりいい。くたびれたお品書き風のジャケットも,飾らない音楽と通じるところがあって,見る度にいいなぁと思う。
ある方が,このディスクを評して,ひとこと,「ただ,ひっそりと聴くだけ。」とお書きになっていた。確かに,このディスクに注釈は無用だ。

バード&ギボンズ:作品集
グールド(グレン)
SMJ

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私のこだわり人物伝 2008年4-5月 (2008) ヘルベルト・フォン・カラヤン 時代のトリックスター/グレン・グールド 鍵盤のエクスタシー (NHK知るを楽しむ/火)
天野 祐吉,宮澤 淳一
日本放送出版協会

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パユ/ル・サージュ プーランク『フルートとピアノのためのソナタ』

2010-08-30 18:05:57 | クラシック
Poulenc Flute Sonata, 1st mvt, Pahud


 もう随分前の話し。
FMで音楽を聞いていたとき,実に美しい曲がながれた。それは私が初めて聞く曲だった。物憂げだが何か近寄りがたい気品さえ感じる第1楽章,そして哀切に満ちた第2楽章,と横溢するその美しいメロディーラインにすっかり魅了された。曲名を聞き逃すまいと耳を澄ましていると,DJ氏は「ただいまの曲は,アンリ・デュティユーの「フルートとピアノのためのソナタ」でした。」と曲名を告げた。
それからしばらく,CDショップに立ち寄れば,「あっ,そうそう」と室内楽や作曲家名「D」のコーナーでその曲を探すという日が続いた。デュティユーに「フルートとピアノのためのソナチネ」があるのを知ったのはやはりその探索(?)の過程でだったと思う。「聞き間違えたかな?」と思ったが,ソナタ,ソナチネいずれにせよ,フルートが入ったデュティユーの室内楽曲のCDをショップで見つけることはできなかった。
「デュティユーのフルート・ソナタ,人気がないんだなぁ。いい曲なのに・・・。」と思いながらも,CDの入手は困難と思い切り,諦めることにした。

 それから,300年くらい経ったある日のこと。FMをながら聞きしていたところ,ながれている曲が忘れかけていたデュティユーのフルート・ソナタであることに気づいた。思わぬ再会に欣喜雀躍。誰の演奏かと耳をそばだてていると,DJ氏はこちらが全く予期しないことを言った。

 ただいまの曲は,フランシス・プーランクの「フルートとピアノのためのソナタ」でした。演奏は,・・・。

確かに,上記のとおり一度聞き間違いを思ったりもした。しかし,よもや,それが,曲名ではなく作曲者の方だったとは・・・。今もって,この取り違えの原因,よくわからない。それにしても,プーランクのフルート・ソナタを掴まえて「いい曲なのに・・・。」もないものだ。この名品がフルート奏者にとって欠くことのできないレパートリーのひとつだということは50億同胞の共通認識だったのだから。
なお,不思議なことに,この時の演奏が誰のものだったか記憶に全然ない。ランパル/ラクロワ?,デボスト/ファブリエ?
人間,強い衝撃を受けると前後の記憶をなくすというのは本当のようだ。

プーランク:室内楽全集
ドュフール(マチュー)
BMGメディアジャパン

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フローレンス・フォスター・ジェンキンス モーツァルト『「魔笛」から夜の女王のアリア』

2010-08-20 13:00:40 | クラシック
ディアナ・ダムラウが歌うと・・・


フローレンス・フォスター・ジェンキンスが歌うと・・・

 
Der Hölle Rache

Der Hölle Rache kocht in meinem Herzen,
Tod und Verzweiflung flammet um mich her!
Fühlt nicht durch dich Sarastro Todesschmerzen,
So bist du meine Tochter nimmermehr.

Verstossen sei auf ewig,
Verlassen sei auf ewig,
Zertrümmert sei'n auf ewig
Alle Bande der Natur.
Wenn nicht durch dich Sarastro wird erblassen!
Hört, Rachegötter, hört der Mutter Schwur!


 表題は,フローレンス・フォスター・ジェンキンスが歌う『魔笛』第2幕の夜の女王のアリア「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」。凄唱である。

人間の声の栄光????
フローレンス・フォスター・ジェンキンス,ジェニー・ウィリアムズ,トーマス・バーンズ
BMGインターナショナル

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バーバラ・ボニー/ジェフリー・パーソンズ 『モーツァルト歌曲集』

2010-08-15 23:43:08 | クラシック
Mozart - さびしく暗い森で KV 308(Dans un bois solitaire)


Mozart - 魔術師 KV 472(Der Zauberer)


Mozart - すみれ KV 476(Das Veilchen)


Das Veilchen K. 476
すみれ

Ein Veilchen auf der Wiese stand,
Gebückt in sich und unbekannt;
Es war ein herzig's Veilchen.
Da kam eine' junge Schäferin,
Mit leichtem Schritt und munterm Sinn,
Daher, daher,
Die Wiese her, und sang.
すみれがひとつ牧場に生えていた,
身をかがめ,人知れず。
それは愛らしいすみれだった。
そこに若い羊飼いの娘がやってきた,
足どりも軽く,気持も朗らかに,
こちらのほうへ,こちらのほうへと,
牧場をこちらへと,そして歌った。

Ach! denkt das Veilchen, wär' ich nur
Die schönste Blume der Natur,
Ach! nur ein kleines Weilchen,
Bis mich das Liebchen abgepflückt,
Und an dem Busen matt gedrückt,
Ach! nur, ach nur!
Ein Viertelstündchen lang.
ああ!とすみれは思う,もしも自分が
自然の中でいちばん綺麗な花だったら,
ああ,ほんのしばしのあいだでも,
愛らしい人が私を摘み取って,
胸にそっと押しあててくれるだろうに,
ああ,ほんの,ああ,ほんの
四半時のあいだでも!

Ach! aber ach! das Mädchen kam
Und nicht in Acht das Veilchen nahm,
Ertrat das arme Veilchen:
Es sank und starb und freut' sich noch:
Und sterb' ich denn, so sterb' ich doch
Durch sie, durch sie,
Zu ihren Füßen doch.
ああ!でも,ああ!乙女はやってきて
すみれに注意もせずに,
可哀そうなすみれを踏みつけてしまった。
すみれは倒れ伏し,死んだが,それでもまだ喜んでいた。
私が死んでも,それは
あの人のせいで,あの人のせいで,
あの人の足許で死ぬんだから!

Das arme Veilchen!
Es war ein! herzig's Veilchen!
可哀そうなすみれよ!
それは愛らしいすみれだった。


Mozart - 春への憧れ KV 596(Sehnsucht nach dem Frühlinge)


Mozart - 子供の遊び KV 598(Das Kinderspiel)


Das Kinderspiel K. 598
子供の遊び

Wir Kinder, wir schmecken
Der Freuden recht viel!
Wir schäkern und necken
(Versteht sich, im Spiel!)
Wir lärmen und singen
Und rennen uns um
Und hüpfen und springen
Im Grase herum!
ぼくたち子供たちは味わうんだ
ほんとにたくさんの喜びを!
ふざけたり,からかったり,
(もちろん,遊びでさ!)
騒いだり,歌ったり,
走りまわったり,
とんだり,はねたりするんだ,
草地のあたりを!

Warum nicht? - Zum Murren
Ist's Zeit noch genug!
Wer wollte wohl knurren,
Der wär' ja nicht klug.
Wie lustig steh'n dorten
Die Saat und das Gras!
Beschreiben mit Worten
Kann keiner wohl das.
なぜいけないの? - ぶつぶつ言うには
まだ時間ははたっぷりさ!
不平を言おうっていう奴は,
ほんとに利口じゃないさ,
あそこにゃ,なんと楽しそうに
穀物や草が生えてるんだ!
言葉で説明するなんて
誰にもとってもできないさ。

Ha, Brüderchen, rennet
Ha, wälzt euch im Gras!
Noch ist's uns vergönnet,
Noch kleidet uns das.
Ach! werden wir älter,
So schickt sich's nicht mehr;
Dann treten wir kälter
Und steifer einher.
おおい,兄弟たち,走ろう!
おおい,草の中をころがろう!
まだぼくたちにゃ許されてるんだ,
まだぼくたちにゃお似合いさ。
ああ!ぼくたちもっと大きくなったら,
そんなこともうふさわしくなくなるのさ。
そしたらもっと冷たく
もっと気取って,悠々と歩くのさ。

Laßt Kränzchen uns winden,
Viel Blumen sind hier!
Wer Veilchen wird finden,
Empfänget dafür
Von Mutter zur Gabe
Ein Mäulchen, wohl zwei:
Juchheißa! Ich habe,
Ich hab' eins, Juchhei!
小さな花輪をつくるんだ,
お花が沢山あるからね
すみれを見つけた奴は
ついてるな
おかあさんがキスしてくれる,
もしかしたら2回もね
わーい!見つけた,
ひとつ見つけた,わーい!

Ach, geht sie schon unter,
Die Sonne, so früh?
Wir sind ja noch munter;
Ach, Sonne, verzieh!
Nun morgen, ihr Brüder!
Schlaft wohl! gute Nacht!
Ja, morgen wird wieder
Gespielt und gelacht!
ああ,もう沈んでしまうのか,
お日様は,こんなに早く?
ぼくたちはもちろんまだ元気なんだ。
ああ,お日様,残っててよ!
さて,また明日ね,兄弟たち!
ぐっすりおやすみ!おやすみなさい!
そうだ,明日また
遊んだり,笑ったりしよう!


 バーバラ・ボニーというソプラノを初めて意識したのは,オペラでもリートでもなく,プレヴィン/ウィーン・フィルらといれた『カルミナ・ブラーナ』において。
彼女の歌う「少女が立っていた(Stetit puella )」と「天秤棒に心をかけて(In trutina )」は,「性」よりはむしろ「聖」を感じさせる清らかなもの。一度聴いて直ぐに好きになった。

 彼女のバイオグラフィを覗いて不思議に思ったのは,概略,5歳でピアノを始め,3年後にチェロを手にし,移り住んだポートランドではその地のユース・オーケストラに加わり,ニューハンプシャー大学で音楽とドイツ語を学んだ後,ドイツ語を完璧にしようとザルツブルクに留学,などとはあるが,なかなか「声楽」の2文字が出てこないこと。
確かに,この後,「ザルツブルクでモーツァルテウムの声楽の講座を受講したボニーは 云々」との記述は出てくる。しかし,この直前には「これ(管理人註:ザルツブルク留学のこと)がボニーの人生のターニング・ポイントとなった。」とあるのだ。留学目的のドイツ語習得が声楽家になるためのものであったなら,「ターニング・ポイント(転換点)」という表現は普通使われない。それはまさに目標を見据えて意識的に設定された過程のひとつなのだから。
バイオなどから推察すると,詳細はなおはっきりしないものの,彼女が当初から「声楽の道まっしぐら」というわけではなかったのは間違いなさそうだ。これは驚きである。
それにしても,これだけの声を持っている人。留学前の彼女に「バーバラ,君が進むべきは声楽の道だよ。」と一言アドヴァイスする人はいなかったのだろうか。もし,彼女がザルツブルクに留学していなかったら・・・。

 さて,表題は,バーバラ・ボニーが名手ジェフリー・パーソンズ(P)といれたモーツァルトの歌曲集。ボニー35歳の時の録音である。
『音楽評論提要』の「モーツァルトの歌曲の評論にあたっては,先ず,シュヴァルツコップ盤に挨拶せよ。」の権威は今なお揺るがないようで,或るボニー盤に関する評論には,概略,生き生きした感情に満ちあふれたシュヴァルツコップやアメリングの名唱に勝るというのではないが,ボニーの澄みきった声で歌われるモーツァルトには別の味わいがある,とあった。「別の味わい」とは,うまい表現を見つけたもの。

 どの曲も素晴らしいが,バーバラ・ボニーの歌をお聴きになったことがないという方のために,「さびしく暗い森で K.308(295b)」,「魔術師 K.472」,「すみれ K.476」,「春への憧れ K.596」,「子供の遊び K.598」の5曲を選んでみた。
「すみれ K.476」の「Ein Viertelstündchen lang(四半時のあいだでも!)」の「Ein」,そして,それに続く「Ach! aber ach! (ああ!でも,ああ!)」の何気ない一言一言に籠められた情感の細やかさ。そして,「子供の遊び K.598」の「Ach, geht sie schon unter, Die Sonne, so früh?(ああ,もう沈んでしまうのか,お日様は,こんなに早く?)」の何と愛らしいこと。曲の最後,家路を急ぐ子どもの後ろ姿そのまま,ディミヌエンドしながら駆け足でさらりと終わる名手パーソンズのピアノもいい。
この歌曲集を聴く度に思うのだ。件の書にあるモーツァルトの歌曲の項にはそろそろ手をいれる必要があるのではないか,と。

追記 レコード芸術2000年11月号の彼女の経歴には,「77年にザルツブルクに留学,歌に開眼し 云々」とある。当初から声楽家を目指してザルツブルクに留学した人に「開眼」は相応しい表現ではない。

春への憧れ~モーツァルト:歌曲集
ボニー(バーバラ)
ワーナーミュージック・ジャパン

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アンソニー・ロルフ=ジョンソンの訃報に接して

2010-08-11 22:45:40 | クラシック
Comfort ye my people/Every Valley (Messiah) - Anthony Rolfe Johnson


Every valley shall be exalted,
and every mountain and hill shall be made low:
the crooked shall be made straight, and the rough places plain:
(Isaiah 40:4)

もろもろの谷は高く,
もろもろの山と丘は低くされ,
曲がれるものは直く,けわしき所は平らかになさるべし。
(イザヤ書第40章4節)


 取り急ぎ書いておきたい。
イギリスの名テノール,アンソニー・ロルフ=ジョンソンが7月21日に亡くなったとのこと。享年69歳。今日知った。
ガーディアンの追悼記事によれば,ロルフ=ジョンソンは,10年ほど前にアルツハイマー病を発症し,そのキャリアを諦めなければならなかった,とある。
何の偶然か,昨日コルボ/ローザンヌ室内管らとのバッハ『ミサ曲ロ短調』(1979年録音)から「第7曲 主なる神(Domine Deus)」等を聴き,久しぶりに彼の歌声を堪能したばかりだった。彼の死を知った時,体から力が抜けた。

 ガーディアンの追悼記事には「バッハの受難曲とブリテンのオペラにおいて傑出していた甘美なテノール」とある。確かに,コルボらといれたバッハ『マタイ受難曲』の「第35曲 堪え忍ぼう,堪え忍ぼう(Geduld,Geduld!)」など,不思議な脱力感と浮遊感を感じさせる名唱だ。
しかし,私が最初にロルフ=ジョンソンの歌声をそれと強く意識したのは,バッハでもブリテンでもなく,ガーディナーらといれたヘンデル『メサイア』の「第2曲 もろもろの谷は高く(Every valley shall be exalted)」においてだった。今聴き直しても,あらためて清々しい名唱だと思う。アンソニー・ロルフ=ジョンソンを知らないという方,上記YouTubeをお聴きいただきたい。第2曲は,「第1曲 慰めよ,なんじらわが民を慰めよ(Comfort ye,comfort ye,My people)」より後の2:20以降。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 アンソニー・ロルフ=ジョンソンさん,素晴らしい歌声,ありがとうございました。合掌

ヘンデル/オラトリオ「メサイア」
ガーディナー(ジョン・エリオット),モンテヴェルディ合唱団,マーシャル(マーガレット),ロビン(キャサリン),ブレット(チャールズ),ジョンソン(アンソニー・ロルフ),ヘイル(ロバート),カーク(ソウル)
マーキュリー・ミュージックエンタテインメント

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カラヤン/ベルリン・フィル オネゲル『交響曲第3番「典礼風」』

2010-08-09 18:58:50 | クラシック
 リチャード・オズボーン著『ヘルベルト・フォン・カラヤン(上)』(白水社)には,概略,1956年10月,アメリカ人は,カラヤンがベルリン・フィルを率いた2度目のアメリカツアーでオネゲルの『交響曲第3番「典礼風」』(以下,『典礼風』と省略)を取り上げたことに我慢がならなかった,とある。
1956年といえば,まだ大戦の記憶が生々しい頃。大戦終結の1945年から翌年にかけて書かれたこの曲は,聴く者に,「戦争という蛮行」,そして「平和への祈り」を想起させずにはおかない。当時のアメリカ人の反発,有り体に言えば,「第三帝国の協力者が戦争犯罪を告発? 見当違いも甚だしい。」といったところだろうか。

 ミュンシュによるこの曲の初演は1946年。作曲技法のことはさておき,1956年においては,この曲は字義そのまま「現代音楽」だった。カラヤンの作曲家別の演奏史には,この曲の最初のものとして,ムジークフェラインザールでウィーン響を指揮した1954年11月16日~18日の記録が残っている。表題は,1969年9月23日に録音されたものである。
第1楽章「怒りの日」の冒頭の低弦の短い動機からベルリン・フィルの技術の高さが全開。四囲の物を根こそぎなぎ倒していくようなコントラバス群の威力がもの凄い。くわえて,畳みかけるように立ち現れ,そして消えてゆくパーカッションと管の反応の良さには言葉がない。この曲の録音では,デュトワ/バイエルン放響盤も素晴らしいが,奏者個々の「表現意欲」「雄弁さ」ということで言えば,ベルリン・フィルはバイエルン放響より一枚上手(うわて)のように思われる。
1966年にカラヤンとベルリン・フィルが来日した折り,ベートーヴェン・ツィクルスでそのリハーサルを全曲見聞したという柴田南雄氏は,『私のレコード談話室』(朝日新聞社)の中で,「あの当時カラヤンは,メンバーの名人芸の上に展開される即興演奏が面白くてたまらぬ,といった風情であった。」とお書きになっていたが,3年後のこの録音からも,楽員に全幅の信頼をおいたカラヤンがその持つ手綱を緩めているのが伝わってくる。
なお,カラヤン盤とデュトワ盤の違いについては,オケの違い以上に,2人の指揮者の世代の相違に言及しておくべきなのかもしれない。大戦終結の1945年,37歳のカラヤンは指揮者としてキャリアを築く途上にあった。一方のデュトワは未だ9歳の少年。両者のこの曲に向き合う姿勢に違いがあるのは或る意味当然である。
因みに,カラヤンは,演奏した後,数日立ち直れない曲として,R.シュトラウス『エレクトラ』,シベリウス『交響曲第4番』,マーラー『交響曲第6番「悲劇的」』,ベルク『管弦楽のための3つの小品』とともに,オネゲルの『典礼風』をあげている。オズボーンは,上記著作の中で,これらを一括りにして「人間の命と価値を無残に冒涜し破壊するものを扱った音楽」と述べている。
カラヤンというと「何でもござれ」という印象が強いが,そのカラヤンにして精も根も尽き果てる特別な曲が存在したのだ。

 私は,カラヤン盤の最大の聴きどころは,第2楽章「深き淵よりわれ叫びぬ」と第3楽章「われらに平和を与え給え」で聴くフルートの独奏だと思うのだが,どうだろう。
たとえば,この曲の第3楽章のフルートについて,オネゲルの友人の評論家ベルナール・ガヴォティは次のように書いている。

 町は焼け落ち,瓦礫はなおもくすぶっているが,夜が明けると,何も知らない鳥たちが廃墟の上で楽しげにさえずりはじめる。フルートが短くそれを表現したあと,沈黙が訪れる。すべてが語りつくされたからだ。

「終わり」と「始まり」が同居するこの音楽の中で,自意識の無い無垢な鳥たちを表すフルートはまさに希望の象徴。カラヤン盤では,官能的なチェロ,ヴァイオリン,オーボエらと歌い交わすフルートの独奏が実に美しい。この丸みを帯びた響きのフルートは,ジェームズ・ゴールウェイのそれだと思う。1969年9月の録音といえば,彼がベルリン・フィルの一員として参加した最初期の録音のひとつであろう。
ご存じのとおり,ゴールウェイには,ベルリン・フィル時代の名演を集めた「Ich war ein Berliner(私はかつてベルリン市民だった)」(邦題「ベルリン・イヤーズ」)という有名なディスクがある。残念なことに,『典礼風』はこれには入っていない。なるほど,曲の馴染みの薄さや,フルートだけを切り出すことの難しさ等からすれば,この曲が選から漏れるのは致し方ないのかもしれない。しかし,フルートの演奏自体の素晴らしさということでは,この『典礼風』,当選組の『ペール・ギュント』,『アルルの女』,『ミサ曲ロ短調』等と何ら遜色はない。ジミーのファンでこの録音は未聴という方,是非ご一聴を。

 最後になったが,アメリカツアー直後の日本ツアーでは,『典礼風』は演奏されなかった。オズボーンは,上記著作の中で,広島と長崎の廃墟では鳥すら鳴かなかったから,同曲を取り上げなかったのは賢明だった,と書いている。
オズボーンの見方はさておき,一連のツアーでのこの取捨選択,カラヤンには何か含むところがあったのだろうか。まぁ,今からそんなことを詮索しても仕方がないのだが。

オネゲル:交響曲第2番
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ポリドール

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ゴールウェイ ベルリン・イヤーズ
ゴールウェイ(サー・ジェイムズ),ヤノヴィッツ(グンドゥラ)
ユニバーサル ミュージック クラシック

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セル/クリーヴランド管 モーツァルト『交響曲第28番』

2010-07-24 21:00:50 | クラシック
 6月27日のNHK-FM『名演奏ライブラリー』は,「ジョージ・セル没後40年」。3曲目に取り上げられた表題のモーツァルトの交響曲第28番(以下,「第28番」と省略。)の録音に諸石幸生氏が「セルとクリーヴランド管の絶頂期の記録」と解説を付された時,「してみると,残りの1時間は下る一方か・・・」などと茶々を入れた人の多くも,曲が終わった後は「なるほど」と納得されたに違いない。1965年10月1日・2日録音の第28番は,曲の知名度の低さなど全く問題にしない名演である。

 私がこの第28番収録のCDを購入したきっかけは,ルイス・レーンの「セル ― 断片的な回想」にあるセルとこの曲にまつわるエピソードを読んだことにある。内容は,概略,次のとおり。

 大戦後,兵役を終えて帰還した22歳の青年ルイス・レーンは,作曲家になる夢を抱いてはいたものの,思うように仕事は見つからない。そんな1946年夏,クリーヴランド管弦楽団と新任の音楽監督ジョージ・セルが指揮者の研修プログラムを提供するというので,それに応募する。レーンの指揮経験は,大学時代に遊びでした程度。指揮者になるつもりなど毛頭なかったが,1年間だけならそれも悪くはなかろうと考えたのだ。
プログラムに参加するには,セルの前でモーツァルトか,ベートーヴェンか,ブラームスの交響曲から1曲選び,第1楽章を,主旋律を口笛で吹くか,歌うかしながら,指揮するというオーディションに合格しなければならない。この時,レーンが選んだのは,モーツァルトの第28番の交響曲。レーン曰く,セルの「第1ヴァイオリンのパートの裏で第2ヴァイオリンは何をしているのか」といった質問に的確に答えたレーンはセルを感心させたとか。
オーディションが終わった後,セルが「この特殊な交響曲」を選んだ理由を尋ねたところ,レーンは,オーディションにはセルが通じていない曲が良いと考えてこの曲を選んだと答える。これに対し,セルは次のように言ったという。

 君は完全に正しいよ。私はこの曲を指揮したことはないんだ。

セルが録音したモーツァルトの20番代の交響曲は,この第28番1曲限り。質問時の「この特殊な交響曲」といった言葉や上記の答えから推察するに,セルが本格的にこの曲の勉強を始めたのはクリーヴランドに着任してからではなかろうか。そのきっかけになったのがこの時のオーディションでの出来事,は穿ち過ぎでもないような気がするが,どうだろう。

 さて,演奏。第1楽章冒頭のトゥッティから気迫十分。これぞ,「アレグロ・スピリトーソ」。それにしても,他とは明らかに違う躍動感。「どうしてかな?」と訝しく思いながら繰り返し聴くうち,ようやく理由がわかった。
この第28番,現在,1929年までは確かに存在していたというティンパニの声部に係る自筆譜が所在不明になっている。そのため,ベーレンライターの新全集の同曲のスコアにはティンパニは入っていない。多くの演奏はこれに拠っていると思われるが,セルとクリーヴランド管の演奏では,誰の補筆かはわからないが,ティンパニが入っている。このティンパニ,ごくごく控え目なものだが,これが実によく効いていて,音楽に生彩を与えている。ティンパニで,「横に流れるモーツァルト」が「縦に跳躍するモーツァルト」になった,などと言ったら笑われるかな。
それにしても,「自筆譜大事」はわかるが,所在不明 → ティンパニを入れないで演奏する,はいささか行き過ぎではなかろうか。この音楽はティンパニが入ってこそ完成する。少なくとも,完成した姿にはより近づく。たとえ,それが作曲者自身の手によるものではなくてもだ。セル盤はそれを実証していると思う。

 あとひとつ理由をあげたい。何を今更と言われそうだが,オケの卓抜した優秀さがそれ。ベーム盤のベルリン・フィルとスイトナー盤のシュターツカペレ・ドレスデンが第1級のオーケストラであるのは,言うを待たない。ブール盤の南西ドイツ放響もロスバウトとブール本人の薫陶を受けた名オーケストラだ。しかし,殊(こと),「機能性」に絞って言うなら,このクリーヴランド管はそのいずれをも上回っているように思う。とにかく,耳を澄ませばどの声部も聞こえてくるのだ。凄いオーケストラを作り上げたものだ,セルという人は。
因みに,カラヤン自身,クリーヴランド管のシェフに就任したクリストフ・フォン・ドホナーニに送った祝電の中で,このオーケストラを「私が客演指揮したなかで,3度のリハーサルのあと言うべきことがなくなった唯一のオーケストラ」と賞賛している。
カラヤンは,1967年のザルツブルク音楽祭の折り,クリーヴランド管でプロコフィエフの5番の交響曲を振っているのだ。多少のリップサービスは入っているにせよ,「3度のリハーサルのあと言うべきことがなくなった」からはその時のカラヤンの驚きが伝わってくる。「客演指揮したなかで」が付いているのがポイント。

 第2楽章の弱音機付きのヴァイオリンの美しさ,第3楽章の晴れやかなヴァイオリンとホルンのやり取り,第4楽章でケラケラ笑う第1ヴァイオリンの愉快な音型等々,全編聴きどころ満載の17分14秒。
セルは,「あなたのモーツァルトはそっけない。」と言われた時,相手に「アスパラガスにチョコレートをつけるやつがいるかね。」と切り返したそうだ。言った人は,おそらく,この第28番を聴いていないに違いない。「チョコレートのついていないアスパラガス」に興味のある方,是非一度ご賞味を。

 最後にルイス・レーンの「セル ― 断片的な回想」に戻ることにしよう。レーンは,結局,オーディションには落ちてしまう。しかし,1年後,ロチェスターのイーストマン音楽学校で勉強していた彼のもとにクリーヴランド管のインテンダントから突然電話がかかってくる。話しを聞くと,近々アシスタント指揮者のオーディションがおこなわれるのだが,クリーヴランドに来てまたオーディションを受けてみないかとセルが言っているというのだ! レーンはこの申し出に応じ,今度は目出度く合格。以後,どうなったかはもはや説明を要しない。「いや,要する。」と言う方は,wiki などをご参照あれ。

Symphonies 28 33 & 35

Sony

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リヒテル/ミュンシュ/ボストン響 ベートーヴェン『ピアノ協奏曲第1番』

2010-05-05 13:26:16 | クラシック
 モンサンジョン著『リヒテル』(筑摩書房)のP162には,リヒテルが最初のアメリカ演奏旅行の際に自身についた監視役について語るくだりがある。

たとえば,ある日,ボストン交響楽団とベートーヴェンの第1協奏曲のリハーサルを終えたときに,伴奏のすばらしさに感極まってシャルル・ミュンシュの手に接吻しました。ベロツェルコフスキーは私の態度に憤慨し,叱責しました。 - 「どうしてソ連の芸術家が,外国の指揮者の手に接吻するまでへり下れるのだ。」

リヒテルの西側への演奏旅行はこのときが初めてのはずだが,彼は,この2年前,訪ソしたオーマンディ/フィラデルフィア管とプロコフィエフの5番を共演している。上記のエピソードは,アメリカのトップクラスのオケのレヴェルを知らないわけではないリヒテルが聴いても,ミュンシュ/ボストン響の素晴らしさは別格だったという証である。
因みに,リヒテルは,10月17日にラインスドルフ/シカゴ響とセッション録音したブラームスの2番の協奏曲については「これは,私のレコードとしては最も出来の悪いもののひとつ」と語っている。当初の予定どおりライナーが指揮をしていれば,また違うものになっていたであろうに・・・。もちろん,こちらには,リヒテルがラインスドルフにキスをしたがためにベロツェルコフスキーなる者から叱責されたといった話しはない。

 さて,表題は,ボストン・デビューの翌日(11月2日)にセッション録音されたもの。リヒテルのピアノはまずは標準といったところだが,独奏者が「感極まっ(た)」と言うだけあって,オケが素晴らしい。
一例をあげれば,この曲の第1楽章冒頭のオケの序奏。ここは,ピアノが登場するまで105小節もあることで知られる。あのブラームスのヴァイオリン協奏曲でさえ90小節というから,その長大さがわかろうというもの。欠伸のひとつでもしてピアノの出を待つというのが普通だが,この録音のミュンシュとボストン響は,ゆるゆると始める第1主題の提示部から聴く者を掴んで放さない。このような演奏,そうそうあるものではない。
金管の音色が明るいのはアメリカのオケならではだが,ミュンシュとボストン響の特徴は張りのある弦の響きにある。とりわけ,適度な重さと力強さを兼ね備えたバスが実にいい。生命力に満ち溢れるミュンシュの音楽はこのボストン響の弦があってこそだが,「弦のボストン」に磨きをかけたのは他でもないミュンシュその人ともいえる。そもそも,この人は,フルトヴェングラーやワルターの棒の下,ゲヴァントハウス管でコンマスを務めたヴァイオリニストだった。
竹内貴久雄氏は,その著書『コレクターの快楽』』(洋泉社)の「「自由」を求めた名指揮者の軌跡」というミュンシュの項で,「ミュンシュとボストン響との相性の良さは,戦後アメリカで重要なポストに就いた指揮者のなかでも,最良の成果を双方にもたらした。」とお書きになっている。なるほど,これはよくわかる。ミュンシュはボストン響に清新さと生命力を吹き込み,ボストン響はミュンシュに破天荒な音楽を盛り込むフォルムと緻密を与えたのだ。竹内氏は,「ミュンシュは,ボストン交響楽団と出会ったことで大きく変わった指揮者なのだと思う。」ともお書きになっているが,これも納得。このあたりは,ミュンシュが,同時期に同じアメリカで一時代を築いたとはいえ,セルやライナーとは決定的に違う点だと思われる。俗な言い方をすれば,1949年,ひとりの有能な指揮者としてボストン響の音楽監督に就任したミュンシュは,1962年,名指揮者としてその任を降りたのだ。

 最後に,リヒテルの話し。リヒテルが表題の録音をした最初のアメリカ訪問の際,彼は彼に会うためにドイツからはるばるやって来た母親と19年ぶりに再会している。この時母親は2度目の夫セルゲイ・コンドラチェフを同伴していた。真偽のほどは定かではないが,リヒテルの父親テオフィルが1941年に逮捕,銃殺されたのは,この人が書いた匿名の手紙のせいだとも云われる。モンサンジョンの『リヒテル』には,リヒテルの言として,カーネギー・ホールでの最初のコンサートの折りに,母親が会場に来ていると聞かされた時のことが書かれている。

 あまりに動揺してコンサートの前には会えませんでした。 - 会ったら演奏などできなかったでしょう。終演後も会いませんでした。自分の出来に不満だったからです。ミスタッチがたくさんありました。

ところで,吉田秀和氏が,『世界のピアニスト』(新潮社)のリヒテルの項で,同時期のカーネギー・ホールのライヴ盤について評をお書きになっている。吉田氏は「これは,1960年,リヒテルがアメリカ合衆国に出かけていった時(アメリカ・デビューの年?),ニューヨークのカーネギー・ホールで行った実況録音らしい。」と書くだけで,初日かどうかははっきりしないのだが。
ここには,ベートーヴェンの『熱情』について触れる冒頭に「この日,リヒテルは何かの理由でよほど神経質になっていたのではあるまいか?」とあり,作品26の第12番のソナタについては「こちらは最初から最後まで気ののらない演奏,何か別のことを考えながらひいている恰好の演奏である。」とある。
『世界のピアニスト』が最初に刊行されたのは1976年。モンサンジョンの『リヒテル』が刊行される20年以上前のことである。私はこのライヴ盤は聴いたことはない。しかし,リヒテルの項を何気なく読み直していた際,このくだりにはちょっと興奮した。
なお,この評の終わりの方で吉田氏は,「ずっと後になって,私は,誰かからリヒテルが日本に来た時,このレコードが発売されているのを知って,それを差しとめたという話をきいた。もっともだと思う。」とお書きになっている。やはり,件のライヴ盤,初日のものではなかろうか。

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第1番、ピアノ・ソナタ 第22番(XRCD SHM)
リヒテル
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ドラティ/ロンドン響 コープランド『アパラチアの春』

2010-05-04 13:11:06 | クラシック
Air and Simple Gifts (from Barack Obama's Inauguration)


Simple Gifts from Appalachian Spring


Jewel - Simple gifts


 2009年1月20日,バラク・オバマ氏の大統領就任式で,イツァーク・パールマン(Vl),ヨーヨー・マ(Vc),アンソニー・マクギル(Cl),ガブリエラ・モンテーロ(P)らが演奏したのは,同じ編成によるメシアンの曲,などではもちろんなく,ジョン・ウィリアズの「Air and Simple Gifts」であった。
「Simple Gifts」は,もともとは「The Gift to be Simple」というシェーカー教の賛美歌のひとつ。ジョゼフ・ブラケットの詞は以下のとおりで,これを主題に5つのヴァリエーションを連ねたのが,『アパラチアの春』の第7曲「ドッピオ・モヴィメント」。ジョン・ウィリアムズの「Air and Simple Gifts」の「Simple Gifts」の部分はこれをアレンジしたものである。
アメリカは政教分離に厳格な国。上記のような背景を持つ曲が,大統領就任式というこれ以上ないとも思われるフォーマルな場で演奏されるのは不思議な感じがする。あるいは,裏を返して,このふしが一宗教の枠を越え,人口に膾炙している証左と理解すべきなのか・・・。

'Tis the gift to be simple, 'tis the gift to be free,
'Tis the gift to come down where we ought to be,
And when we find ourselves in the place just right,
'Twill be in the valley of love and delight.

When true simplicity is gain'd,
To bow and to bend we shan't be asham'd,
To turn, turn will be our delight,
Till by turning, turning we come round right.


「The Gift to be Simple(慎ましくいられることは神の恩寵)」は,一切の虚飾を排除するというシェーカーの教えを端的に言い表した言葉。「Simple Gifts」を「粗品」とまで言うつもりはないが,この言い回しと「The Gift to be Simple」の間にある断層は決して小さくはない。この言い換えにはそれなりの理由があり,そこには深慮が働いている気もするのだが,その一方で,言霊を信じる身としては,この違い,無視できないとも思うのだ。やはり,『アパラチアの春』を聴くときは,「Simple Gifts」と呼びならわされているものが「The Gift to be Simple」に由来することを心に留めておきたい。演奏する側については何をか言わん,である。

 私が持っている『アパラチアの春』は,バーンスタイン/NYP(1961),ルイス・レーン/アトランタ響(1982),ドラティ/ロンドン響(1961)の3枚。
バーンスタイン盤は,レニーとコープランドとの関係からすれば,その解釈において作曲者直伝ともいえるもの。作曲者の自作自演盤が残されているとはいえ,これは貴重な録音だ。ただ,急速調の第2曲・第5曲の両「アレグロ」などで特に目立つのだが,重く引きずるようなNYPの弦は最高とは言いかねる。もちろん,全体としては,水準を上回る演奏だとは思うが。因みに,私の所有するCBSの輸入盤(MYK37257)には,「Doppio movimento (Shaker melody"The Gift to be Simple")」との記載がある。
レーン盤は,少し早めのテンポをとった演奏。第2曲「アレグロ」でトランペットがアーチをかけるように吹くところなど,新奇さもあり,聴いていてなかなかに楽しい。アトランタ響にも不安はない。ややこじんまりとまとまってしまった感はあるけれど,これはもっと聴かれてよい演奏だと思う。

 しんがりはドラティ盤。これは素晴らしい演奏だ。新築の農家の結婚式に参集する開拓者の紹介から始まり,彼らが引き上げた後,新婚夫婦が明るい将来を念じて敬虔な祈りをささげて終わるところまで,各曲の描きわけが実に見事。ドラティのリズム感の良さは,あらためて,この組曲がバレエ音楽から編まれたことを思い起こさせる。ロンドン響もドラティの棒に良く反応している。
それにしても,第6曲「メノ・モッソ」から第7曲「ドッピオ・モヴィメント」への移行部の素晴らしさはどうだろう。第7曲の冒頭,クラリネットが件のシェーカーの賛美歌のふしを吹き始めるのだが,一瞬,走り出しそうな気配を見せながら,そうはせず,まるで鼻歌でも歌うような調子で吹き続ける。この第7曲では,ほとんどの演奏が,曲中のクライマックスであることを意識し過ぎてか,熱くなり過ぎる弊に陥る。ドラティらは,第7曲の第5変奏,そして第8曲「モデラート」のコーダに至るまで,慌てず騒がず,落ち着いた足取りで淡々と進めていく。ドラティ,ウィルマ・コザート・ファインらは,第7曲が「The Gift to be Simple」に由来することの意味合いを完全に理解していた。凡百の演奏家らの及ばないところである。
この演奏,『アパラチアの春』がお好きな方には一聴をお奨めしたい。

コープランド:バレエ「アパラチアの春」組曲
ドラティ(アンタル)
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カール・リヒター/ミュンヘン・バッハ管弦楽団ほか J.S.バッハ『ミサ曲ロ短調』(東京ライヴ)

2010-04-30 18:29:26 | クラシック
Bach - B minor Mass - 11 - Quoniam tu solus sanctus


 表題は,1969年5月9日のカール・リヒター/ミュンヘン・バッハ管弦楽団らによる東京文化会館でのライヴを収録したARCHIV盤。
私が通して聴いたリヒター指揮の『ミサ曲ロ短調』はこれだけだが,彼の同曲には,ほかに,①1956年11月30日のルカ教会(ミュンヘン)でのライヴを収録したANDROMEDA盤,②1961年2月・4月録音のARCHIV盤,③1968年4月17日のモスクワ音楽院大ホールでのライヴを収録したArs Nova盤,④1969年9月にディーセン修道院付属教会(アンマーゼー)で録音した映像付きのUNITEL盤,などがある。

 通例,「リヒターの『ロ短調』」として先ずあげられるのは,正規のセッション録音である②のARCHIV盤。これがリヒターによる同曲の代表盤というのはおそらく異論はないと思われるが,東京でのライヴ,これも凄い。
第1曲「Kyrie eleison(主よ,憐れみたまえ)」の冒頭,オケのトゥッティとともに合唱団の口から「Kyrie」の言葉が発せられたその瞬間から,東京文化会館大ホールは典礼の場と化している。さしずめ,リヒターはそれを取り仕切る司祭という役回り。曲が曲だけに,普通のコンサートと違うのは当然としても,CDからはただならぬ気配が伝わってくる。この公演,当日東京文化会館に足を運んだ人にとっては「一生に何度あるか」という音楽体験となったに違いない。

 ライナーには,4月26日の日生劇場の公演をお聴きになった畑中良輔氏の朝日新聞掲載の評が載っている。畑中氏は,ウルズラ・ブッケル(ソプラノ),マルガ・ヘフゲン(アルト),エルンスト・ヘフリガー(テノール),エルンスト=ゲロルト・シュラム(バス)らの独唱陣を「これ以上の歌手をだれが望めるだろう」と述べ,ヘフゲンの第24曲「Agnus Dei(神の小羊)」については「不覚にも涙が流れた」と絶賛している。確かに,これは見事な詠唱。第14曲「Et in unum Dominum Jesum Christum(しかして信ず,一なる主イエス・キリストを)」でのブッケルとのカノンも素晴らしい。
ヘフリガーについても,畑中氏は,「Benedictus(祝福あれ)」を「絶唱」と評している。9日の公演は少しフラット気味だが,さらっとしながらも情感のこもった歌唱はさすがだ。

 さて,私がもし,「この日の最高のソリストは?」と問われたなら,「第11曲「Quoniam tu solus Sanctus(そはひとり汝のみ聖)」で非凡な演奏を聞かせるホルン奏者」と答えることになろうか。
第11曲は,バスが主なる神への信仰を歌うアリア。ゲロルト・シュラムの落ち着いた歌唱は実に見事。しかし,羽毛のように柔らかなホルンの響きのせいで,彼は完全に脇役にまわってしまった。ゲロルト・シュラムの歌が拙いわけでは全然ない。ホルン奏者が凄すぎるのだ。
このCD,はじめ,オケのメンバーは確認せず,車のCDプレーヤーにセットして流し聞きしたのだが,この第11曲で私は陶然としてしまった。ホルン奏者の名前を確認しようと家に帰ってからライナーを開くと,そこにあったのは馴染みの名前であった。「ヘルマン・バウマン(コルノ・ダ・カッチャ)」。なんだ,そういうことか。どうりで上手いはずだ。
彼は,翌年リヒターらがUNITELにいれた『ブランデンブルク協奏曲』にも参加している。彼がナチュラルホルンによるモーツァルトのホルン協奏曲全集を録音して世の中をアッといわせるのはこのライヴから4年後のこと。

 ところで,ライナーの第1頁には,左手のステージのきわから指揮者とオケを撮った写真が載っている。服装からしてリハーサルであるのは間違いないが,この写真,「カール・リヒター」との添え書きがあるだけで,誰が,何時撮影したのかといった説明は一切ない。
リヒターは,まるで正拳突きでもするかのように左腕を小脇に抱えている。面白いのは右手。こちらは5本の指が残像を伴う激しい動きとともにとらえられている。これを見たとき,自然と,テレビの変身物でヒーローが変身する画(え)を思い起こしてしまった。説明的で微笑ましくもあるこの写真は,日本人のカメラマンが来日時のリハーサルの一コマを切り取ったものではなかろうか。どこか漫画的であり,その一方で,超俗的な仏像をも想起させる美的感覚は,どう考えても日本人のもののような気がするのだ。いや,あくまで想像だけれど。
写真撮影の巧拙には不案内だが,この残像たっぷりの写真はもちろん失敗作などではない。この写真からは,カメラマンがリヒターの中に超人的なものを求めようとしているのがわかる。おそらくそれは,バッハの解釈者として尊敬をあつめていた彼に対する時代の評価と無関係ではあるまい。

 最後になったが,YouTube は,冒頭に記載した④のUNITEL盤の第11曲「Quoniam tu solus Sanctus(そはひとり汝のみ聖)」の映像。残念ながら,表題の東京ライヴではないが,コルノ・ダ・カッチャを吹いているのは同じヘルマン・バウマンである。
バスのアリアは,若き日のヘルマン・プライ。「パパゲーノの信仰の告白」と言うなかれ。後年の音程の不安定はなく,実に素晴らしい。が,プライもまた,バウマンの名演の前で少しばかり影が薄くなってしまった。彼もさぞかし歌いにくかったことだろう。
コメント欄に目をやると,どこの国の方かはわからないが,一言,「Hermann Baumann!!」と付けている。よくぞ,言ってくれた。それでは,私も言おう。よろしかったら,貴方もいっしょにどうぞ。

 ヘルマン・バウマン!!

バッハ:ミサ曲 ロ短調
リヒター(カール),ブッケル(ウルズラ),ヘフゲン(マルガ),シュラム(エルンスト=ゲロルト),ヘフリガー(エルンスト),ミュンヘン・バッハ合唱団
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バッハ:ロ短調ミサ曲
テッパー(ヘルタ) シュターダー(マリア),ミュンヘン・バッハ(合),シュターダー(マリア),テッパー(ヘルタ),ヘフリガー(エルンスト)
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J.S.バッハ ミサ曲 ロ短調 BWV232 [DVD]

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