昨日の「朝晴れエッセー」を読んで・・
約、35年前 新聞配達の若者が新聞をポストに投げ込み
傍らの車を数秒間、覗き込み ため息をついている
そして、気を取り直すように次の配達先へ向かう
ある朝、外にいると若者と目が合った
「毎朝、私の車を眺めているけど・・どうかしたの?」
・・と声を掛けると
「八戸ナンバーなので、どんな人が乗っているのがな、と思って」
・・と南部弁で答えてくれた
「三沢から越してきたんだよ、・・・
八戸の八食センターにはよく買い物に行ったよ」
・・と言うと、人懐っこい笑顔がかえってきた
幾つか言葉を交わすと
いつものように急いで次の配達先に向かった
当時は新幹線も青森まではなく
帰省も気軽には出来なかっただろう
青森と東京の距離間の現実をいやが上にも
思い知らされていたことだろう・・
・・と若者のおかれた現実に思いを馳せた
数か月後、若者の姿を見ることはなかった
若者のその後は知る由もないが
彼の郷里に対する深い郷愁と
あの時の笑顔は心に残った
*(原文のままでは無く、省略、追記しています)
作者は埼玉県所沢市 五反田一郎(67歳)さん
*
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現在は日本列島は近くなり狭くなった
九州から北海道まで新幹線で行けるのだから
高速道路は縦横無尽に走っている
それに、今や「オンライン」で海外でも交信可能だ
当時は故郷を遠く離れた地に暮らしていると
故郷の匂いに敏感になり郷愁をそそられた
この若者のように「ふる里ナンバー」に
心動かされる気持ちはとても理解できる
先日も県内を走っていると・・
春日部ナンバー
横浜、つくば、名古屋・・・
県外のナンバープレートを付けた車を見た
今は「ふるさとナンバー」に郷愁を感じる人は
殆どいないのではないか・・・
35年前の環境が懐かしくもあり
情緒豊かな時代であった、と感じさせられた
蓮池に「蝶トンボ」が翅をやすめていました
令和5年7月16日 県内にて撮影