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「戦場に残された兵士の思い」91歳元従軍看護婦さんの話 (再掲載)

2007年05月27日 | パワーかフォースか

私は以前、第二次世界大戦中に従軍看護婦として、満州ハルピンの陸軍病院で働いていた、河野ヤエさんについて、書いたことがあります。
といっても、ルポルタージュしたわけではなくて、ラジオで聞いた彼女の談話を、まとめて記事にしてネットに発表したんですが、今はその記事は消してしまいました。しかし、激戦の戦場に近いところにいた女性の話というのは、大変貴重だと思いますので、記録のために再度この場に載せておきたいと思います。
ちなみに、国民を戦場に召集するために使われた赤紙、従軍看護婦さんも、赤紙1枚で呼ばれていったそうです。
以下、線内です。

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「戦場に残された兵士の思い」91歳元従軍看護婦さんの話

夕べ、偶然なんだけど、NHKラジオ「列島インタビュー」という番組の中で、元従軍看護婦さんで現在91歳の現役在宅保健師さんである河野ヤエさんとおっしゃる方の話を聴きました。

彼女は、第二次世界大戦中、満州ハルピンの陸軍病院で、看護婦として働いていました。このときの経験を、今まで公けに話したことがなかったけれど、「はじめて言います」と話されました。

看護婦として、彼女はそこでたくさんの兵士の死を看取ったけれど、「おかあちゃん・・・」といいながら亡くなった人はいても、誰も「天皇陛下バンザイ」なんていって死んだものは、いなかったといっていました。
傷病兵となって、軍隊を離れ洗脳状態がとけて素に戻るのでしょう。看護婦さん相手だったからか、どんな人も将校でさえ「こんな戦争、何でしてるのかわからない」と言っていたそうです。
戦争ほどばかばかしいことはない、上官の命令は絶対で、どんな理不尽なことを言う相手でも、言うことを聞かなければならない、嫌になって脱走すれば追いかけられて、銃殺されるのだと。赤紙1枚でこんなところへ連れてこられて、こんな目にあってなんとひどい仕事なのかと。
そんな傷病兵の愚痴を聞きながら、「その話、私には言ってもいいけど、他人には絶対話しちゃだめよ」と彼女は言い含めたそうです。
なぜって、こんなことを言っているのがわかったら、軍は彼らを許すはずがないからです。

そんななか、彼らを治しても、また人殺しの現場に送り出さねばならないから、矛盾していた、つらかったそうです・・・そうですよね。命を助けた人が、またすぐに命のやり取りの現場に行くわけですから、何のために命を助けたのかわからないですよね。
もし、こんなところにつれてこられないで、ふるさとで全うな仕事をしていたら、この人たちはどれだけ国のためになったか、と河野さんは何度も繰り返し言っていました。人殺しに適性のある人なんかいないのだ、そういう人は犯罪者です。

また、彼女が働いていたのは、野戦病院なんかじゃなくて、満州のちゃんとした施設のある、立派な病院だったのに、あるとき誰も行かない部屋の扉をうっかり開けてしまったら、そこで見たのは・・・

コレラや象皮病の兵隊が、床に直接わらを敷き、その上に寝かせられていたのだそうです。
彼らはなんの治療も施されないで、汚物垂れ流し、ただただ死を待つだけの人たちでした。
彼女は、この部屋を見たことは、誰にも話せませんでした。話せば罰せられることがわかっていたからです。
こんな見捨てられたような死に方をさせておいて、死んだら靖国に祀られる。それで帳尻を合わせられる、とも。隔離するのは仕方ないとしても、末期の水を飲ませたかったと、それすら許されなかったのだそうです。

それから、ハルピンから南方に行く航空兵がいたのですが、彼らはみな南方に行くことは、帰って来れないこと、死にに行くことと、暗黙の了解でわかっていたのだそうです。でも彼らは、ただ黙って出発していきました。17、8の少年航空兵を見送るのは、本当にかわいそうだったとおっしゃってました。

河野さんは続けて言います。今でも、ニュースを見ると戦争があり、人を殺したり、無実の人が殺されたりしてる現実があり、何で、今だこんなことをやっているのかわからない、戦争は何があってもしてはならないのだと。
平和が一番大切でお互い平和的に折り合いをつけて解決するのが一番の方法なのだとおっしゃっていました。


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戦前の人間は日本を守るために、日本人として誇りをもって死んでいったのでしょうか。根っからの軍人さんの中には、そういう方もいらっしゃったと思います。
でも、戦前の日本人だってたいていの人は、私たちと同じ、普通に暮らしていた普通の庶民だったのです。英霊として奉られることなんかちっとも望んでなかった、「死ぬのは嫌だ」と思っていただろうし、戦争なんかしないで家族といっしょに暮らしていたかった、それが本音じゃないでしょうか。
日本人は、心ならずも他国の人間を殺してしまった加害者であると同時に、お国の偉い人が勝手に始めた戦争に巻き込まれたみんな被害者であったのです。
パワーかフォースか」313ページによれば、負け戦であっても、戦争が終わったとき、戦後の日本人の意識レベルは高く上がったのだそうです。
おそらくもう、明日の命の心配をすることがなくなった、戦争をもう2度としない国になったという、安心と喜びが日本人の意識レベル改革をしたんだと思います。


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2 コメント

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戦争は2度としたくない! (非戦)
2007-05-28 22:04:03
兵士の面倒をみて その様子を語ってくださった看護婦さんの話を読ませていただくと、兵士さんたちの本音が垣間見えて、本当に気の毒になります。戦争は戦闘で死ぬ他に、戦病死、餓死などいずれにしても悲惨な死に方をして、決して美しくもかっこいいものでもありません。そして、これから未来のある若者が死んでいくのですね。
戦争が終わって喜んだ人々は、新しい憲法を手に入れて、これで2度と戦争にならなくてすむと喜んだのですから、その憲法を捨てて、戦争のできる国にするなどしたら、戦争で死んだ人たちに申し分けなくてしかたがないです。
この看護婦さんのお話は、何度でもじっくり読みたいし、他の人にも伝えたいですね。
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ありがとうございます (金木犀)
2007-05-29 08:33:00
>戦争は戦闘で死ぬ他に、戦病死、餓死などいずれにしても悲惨な死に方をして、決して美しくもかっこいいものでもありません。

非戦さん、ありがとうございます。侍だとか、英霊だとか、誰の話?って思います。そんな言葉で、彼らの死を正当化して欲しくないですよね。
パワーは、よいか悪いか説明なんかいりません。パワーだから。
フォースは、言葉で無理やりこじつけてねじ伏せようとします。靖国というツールや英霊という言葉は、フォースの言い訳に過ぎないのです。

>戦争が終わって喜んだ人々は、新しい憲法を手に入れて、これで2度と戦争にならなくてすむと喜んだのですから、その憲法を捨てて、戦争のできる国にするなどしたら、戦争で死んだ人たちに申し分けなくてしかたがないです。

同感です。
しかし、松岡大臣の自殺の衝撃。現政権は、もうどうしようもなくなってますね。
フォースは自らの弱さゆえ落ち滅んでいく・・・ということです。変化へのスイッチは入っていますよ。
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