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どちらを選ぶかは自分次第

後藤健二さんと信仰の力

2015年02月13日 | 
続きの続きです。
この記事は、あえて当ブログカテゴリーの「魂」に入れます。m(_ _)m

東京新聞、2月6日の元外務官僚・佐藤優氏の本音のコラムより。佐藤氏がキリスト教徒だったと知らなかった。佐藤氏と後藤さんは同じ教団のプロテスタントであった。

キリスト教徒の死生観
佐藤 優

 過激組織「イスラム国」によって殺害されたジャーナリスト後藤健二氏は、日本基督教団に所属するプロテスタントのキリスト教徒だ。筆者もこの教団に所属するので後藤氏の心情がわかる。
 イエス・キリストは、99匹の羊を残してでも、迷った羊を探すべきだといった。「イスラム国」に湯川遥菜さんが捕らえられたとき、誰も本気で彼を助け出そうとしなかった。「誰もやらないことならば、君がやらなくてはならない」という神の声が後藤氏には聞こえたのだと思う。
 メルマガ「クリスチャントゥデイ」(昨年5月30日)のインタビューを読むと後藤氏の信仰がよくわかる。
 「もし取材先で命を落とすようなことがあったときに、誰にも看取られないで死ぬのは寂しいかなとも思いました。天国で父なる主イエス様が迎えてくださるのであれば、寂しくないかな・・・なんて、少々後ろ向きで受洗を決意したのは事実です」
 旧約聖書詩篇54篇の「神は私を助けてくださる」という言葉について、後藤氏は、「この言葉を、いつも心に刻みこんで、私は仕事をしています。多くの悲惨な現場、命の危険を脅かす現場もありますが、必ず、どんな方法かはわかりませんが、神様は私を助けてくださるのだと思います」と述べる。筆者も後藤氏の死生観から謙虚に学びたい。
(作家・元外務省主任分析官)


佐藤氏のこのコラムを読んで、後藤さんには、イエスキリストへの謙虚な信仰心があったのだと知って、私自身も少し救われた気がしたものだ。

誰が好き好んで、死と隣合わせの仕事をするのだろう。普通の人は、御免被りたいと思うだろう。戦争ごっこは楽しくても、現実の戦場は、ハリウッド映画とは違うのだから。
そのことを嫌というほど、身を持って知っている後藤さんが、この仕事を続けていたのは、苦しんでいる人たちの現実を知らせ、なんとか救済したいという使命感ばかりだったのだと思う。お母様が「幼い頃から優しい子だった」とおっしゃっていた通りの人だったのだと思う。

戦場では、心のなかが荒んで、声を上げて泣きたい時もあっただろう。今度のことだけでなくずっとずっと前から、折れそうになる心の葛藤と後藤さんは戦っていたんだと思う。
そのようなときに、「神は私を助けてくださる」そう思うことで、平常心と安らぎが得られるなら、信仰は後藤さんにとってかけがえのないものだったに違いない。





私は、自分の感覚から、肉体は消えても魂は決してなくならないと信じている。私を守ってくださる力があるということも、感じている。
人も動植物、鉱物すらも、自然の中にあるこの世のすべての存在は、神様あるいは宇宙の意志の力によって、生まれて存在しえていると感じている。
それらは、一般的には非科学的と言われることかも知れないが、むしろ現代科学がまだそれを解明できていないだけなのだと思っている。
だからこそ思う。後藤さんの肉体は失われても、魂はなくならない。また形を変え、成し得なかったことに挑戦するために、荒んだ世界を持ちながら、一方ではたとえようもなく美しい、私たちの地球に生まれてきてくださるに違いないと信じています。

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