昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

修学旅行 2 ・ 希望号 「カーディガン の 想い出 」

2021年06月25日 04時34分03秒 | 3 青い鳥 1967年~

旅行中の 6月12日、二泊目の富士ハイランドホステルでのこと。
就寝まで自由時間、
皆 それぞれ ゲームしたり お喋りしたり と、愉しんでいた。
私は他の男子数人と一緒に、ラジオのプロ野球 ・巨人戦を聞いていた。
そこには、女子の姿もあった。
斯の 『 別品 』 女子である。   (  ・・・リンク→リーダーは、別品 )
『 アタックNO1 鮎原こずえ 』  (  ・・・リンク→東洋の魔女  )
・・・ くらいなら 知っているであろう
と、
そのくらいしか想っていなかった  彼女が、

何と、吾々と伴に プロ野球の実況放送に耳を傾けている。
「 お前、プロ野球 知ってんのんか?」
「 お父さんが、いつも プロ野球 観ているから 」
・・・なんとなく観ているうちに 野球ファンに為ったと云う。
彼女の その 詞 ことば 意外であった。

そして、
長島のファン だと云う。
「 長島少年 」 の私
それはもう、 感動するほど嬉しかった のである。
・・・
修学旅行 1 ・ 消えた記憶 「 観音様です、おっ母さん」
の 続き


復路

昭和44年 ( 1969年 ) 6月 14日 (土)、
3日間の全ての日程を終えた。
復路、大阪へ
吾々を乗せて、修学旅行列車 「 希望号 」
夜の静寂の中を、
つきぬけて
走り抜ける

 類似イメージ
修学旅行列車 「 希望号 」

カーディガン
の 想い出
希望号の車内
三日間を共に過ごした事は、吾々の緊張を解ほぐした。
あっち こっち から、
元気な声 楽しい 笑い声 が聞こえてくる。
吾々は解放感の中に居た。
各々 自由行動を取って 修学旅行を漫喫している。
私は 一人の女子 と 差向い。
気分は 二人の世界 で あった。
彼女のカーディガン を着て すっかりご満悦、淡い雰囲気に浸っていた のである。
ところ そこへ、
車内巡回 の おんなせんせい が 通りがかり    ( ・・・岩崎先生 )
私を見るや
もう、・・・そんなことして 」
と、折角のところ  水をさされてしまった。

夏のこととて、
防寒なぞ考えも及ばなかった。
「 武士は食わねど高楊枝 」 ・・・旅行中ずっと半袖で徹してきた。
富士山五合目でも、夜間でも、肌寒いところ、ずっと辛抱してきた。
然し 帰りの列車
緊張が解れ、亦、開放感も相まって
、つい シャレっ気をおこしたのだ。
「 カーディガン やり過ぎかなぁ 」 とは、想っていた、
されど、これも 修学旅行の想い出 哉。
・・・と、つい ちょっと 羽目を外した のである。
『 別品 』 の、彼女も 同じ想いであったらう。

もうせっかくのところを・・・邪魔をして


「 カーディガン 」
の 想い出
私の 宝 である。
これからの吾が生涯
幾度も 幾度も
くり返しては 想い出すことであらう。

昭和44年 ( 1969年 ) は、遥か遠き日・・なれど
想いは つい昨日の様である。
おんなせんせい
もう、・・・そんなことをして 」
の後に
「 でも、良い想い出になるわね 」
の、もう 一言有らば
もっと 素晴らしい想い出に なったらうに。

もうひとつ
当時、耳にした
「 愛のさざ波 」
・・島倉千代子 (昭和43年)
♪♪
どんなに遠くに 離れていたって
あなたのふるさとは 私ひとりなの
ああ湖に 小舟がただひとつ
いつでもいつでも 思い出してね
くり返すくり返す さざ波のように
さざ波のように
♪♪

聞かば
なぜかしらん
カーディガンの想い出 」
・・・を、想い出す。


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