昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

「 チャン、チャン、チャ・チャ・チャ、チャ・チャ・チャ・チャ 」

2021年04月07日 17時19分29秒 | 4 力みちてり 1970年~

昭和45年 ( 1970年 )、高校1年生
課外授業として、吾々総勢80名は中之島公園に集合した
目的の一は、
小堀住建のプレファブ住宅を見学することにあった。
 集合位置
我々のOBには立身出世し、建築家や工務店の社長に成上った人物が大勢いた。
「 さすが、天下の都工 」 ・・・と、これも亦 誇りの一であった。
小堀住建の社長もその一人だった。

さらに、案内役の社員、彼も亦、吾わが 都工の OB だと云う。
ところが 斯の先輩、何を如何想ったか 妙な事を云い出したのである。
「 知っているとおり、小堀住建の社長は君等の先輩である。
会社を起して社長に成った。 所謂 『 立身出世 』。 成功した。
然し、君等はそんなことを考えてはならない、今や そんな時代ではない 」 ・・と、そう云ったのである。
「 君等は若い、希望を持って頑張るように 」 が、普通であらう。
それを、「 時代が違う、そして分を知れ 」 ・・・と、そう云うのだ。 
先輩だからこそ謂える アドバイスの つもりなのであらう。 ・・・が然し。
先輩の折角のアドバイスなれど、
「 夢くらい懐いてもよからうに。 而も、何も今、此場で以てする訓示でもなからうに 」
・・・と、そう想った。

  イメージ画像は昭和49年 ( 1974年 ) 8月
次の目的地は、靭ウツボ 公園の科学技術センター。
センターでは、
前年 ( 昭和44年 ) 完成したホテルプラザの着工から竣工までのドキュメント映画を観賞する。
スーパーゼネコン・大成建設のプレゼント である。

靭公園までは、徒歩で20分程度。
吾々は小グループに分かれて向かった。

私は、初めて中之島を歩いた。
見るもの全てが新鮮だった。
大阪市の中心とあって、
街並みも、建築物も、亦 そこを歩く人も、皆 スマートに見えた。

道すがら、目に入る女性が 誰も美人に見えた。
吾々はそんな彼女らに、もう 興味津々。

「 さすが中之島、女性も美人ばかりやな 」
・・・と、彼女らに目を配りながら歩いたのである。
肥後橋まで もうすぐ。
 白が小林 
・・・と
同級生・小林
「 オーッ 」
傍のサラリーマンと顔を見合わせ
「 いいもん見せてもろたな 」
「 ハイッ 」
サラリーマン共々声が弾んでいる。


ベンチに腰掛けた ミニスカートの女性。
彼女が 足を組み替えるその瞬間に偶々通り合わせたのだ。
そして・・・・
その次は語るまい。

級友・小林
「 今日の俺は、ついとる 」
何という幸運を授かったのかと、

もう、幸せいっぱい胸一杯 の表情で語った。


「 チャン、チャン、チャ・チャ・チャ、チャ・チャ・チャ・チャ 」
建築科学生歌の締めの手拍子である。
「 何処へ行っても、コレをヤル、昔から変らない 」
と、担任教師・木全 が呟いた。 

リンク→パトカー に乗って帰宅する

建築科学生歌
一、

神代の古き森かげを  白馬に銀の鞍おいて
久遠の理想を辿りゆく  勇士が夢のあで姿
ああ桃源の夢の夜に  思い果さん時ぞ待つ
二、
ああ我如何に腰間の  剣は鳴るを忍ぶとも
神のみわざか千里ゆく  駒たてがみを打ち振い
天に嘶くさま見ては  若き血潮ぞ湧きかえる        ( いななく )

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『 建築科学生歌 』 を合唱する 建築科科の全生徒
応援団 ( 三年生 )
副団 ・寺内・・・安藤・・・団長 ・藤山・・・中前・・・宮田

昭和47年 ( 1972年 ) の都工際・体育祭
中央で指揮するは、建築科・応援団長の藤山。
『 建築家学生歌 』 を合唱した後、
「 チャ・チャ・チャ・チャ 」 ・・・之を遣って締めるのである


映画観賞を終えて、靭公園 ( うつぼこうえん ) で 小休止。
吾々は、テニス・センターコート、空っぽの観覧席で昼食を取った。
観覧席、それはもう、絶好のシチュエーションである。
皆の心中に、自然と茶目ッ気が 湧いた。
そして、促された訳でもなく 『 阿吽 』 。新米応援団・藤山が皆の前に立った。
「 建築科学生歌 !! アインツ ・ツヴァイ ・ドライ ・それ! 」
♪ 神代の古き森かげを  白馬に銀の鞍おいて
久遠の理想を辿りゆく  勇士が夢のあで姿
ああ桃源の夢の夜に  思い果さん時ぞ待つ ♪
そして、
「 チャン、チャン、チャ・チャ・チャ、チャ・チャ・チャ・チャ 」
「 チャン、チャン、チャ・チャ・チャ、チャ・チャ・チャ・チャ 」

吾々が学校の外で行った最初の 「 チャ・チャ・チャ・チャ 」 である。


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