昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

白組優勝 「 こんなことが 親孝行になるのか 」

2021年09月11日 02時18分04秒 | 2 男前少年 1963年~


昭和41年 ( 1966年 ) 10月
わが 淀川小学校の 「 秋の大運動会 」 が行われた。
競技は
紅白に分かれて戦かった。
私は、白組であった。
そしてそれは亦、小学生最後の運動会でもあった。

何と謂っても、此年の目玉は
六年生男児・・吾々の行った
相撲体操
皆で、ふんどし締めて 四股を踏んだのである。 ( 褌は晒で拵えた )
そして、最後に形だけの取組みをした。
相撲の強かった私、小柄なれどクラスの横綱は周知の事実。
( 得意技は すくい投げ・・自慢であった )
・・・身長134cm ( 6年生時 )
だから、演武とは謂え、此は大に不満であった。
「 もっと相撲を取らせて欲しかった 」
・・・のである。


男は男らしく・・・女は女らしく
吾々の時代
質実剛健、優美髙妙、男女別ありて然り・・・・此が、信条であった。
騎馬戦、棒倒し は、男児の定番 その勇ましい姿を披露した。
そして女子は、踊り以て編む優雅な姿を見せた。
男と女の力の差
運動能力の差は歴然としていたのである。
( だからといって、此を差別と言うなよ。 区別と言えよ )

五年生男児の棒倒し              優美な姿の女子
( 六年生男児は騎馬戦 )


クライマックス は
楽しかった運動会も 愈々 ラストプログラム。
吾ら 六年生男子の組立体操で幕を閉じるのだ。
トンボ、サボテン、扇、タワー、・・・・
練習した成果を出し切ろうと、皆一丸となって頑張った。
クライマックスは、 5-3-2-1 のピラミッド 。  ( 私は、3の位置 )
組み上がったピラミッド。 どのピラミッドも それは堅固であった。
そして、
お立ち台の先生から号令がかかる。
「 ピーッ ! 」  ・・・『 頭、右 』
「 ピッ ! 」  ・・・『 頭、中 』
「 ピーッ ! 」  ・・・『 頭、左 』
「 ピッ ! 」  ・・・『 頭、中 』
そして、
「 ピーッ !!!
・・・と、一段と高い号令。
吾々は、
一斉に腹這いになって、ピラミッドを崩した。
巧くできた。
「 やったー 」・・・心でそう叫んだ。 
「 オオーッ 」 ・・・どよめきが起きた。
そしてそれは
「 よく やった 」 ・・・と、大歓声に変わったのである。
会場は もう ヤンヤ ヤンヤの 拍手大喝采。
「 してやったり !!
誰もが興奮の面持ちであった。
茲で吾々は、
大なる達成感を味わったのだ。
そして、意気揚々と引き揚げたのである。

興奮さめやらぬ
そんな中、
「 花田君  」
・・・と、おんなせんせい。
「 白組が勝ったら、あなたが優勝旗を取りに行きなさい 」
「 負けたら、準優勝楯は ○○さんが取りに行くことになってるから 」
・・・と、告げたのである。
○○さん・・とは、一学期 共に学級委員を担った女子のこと。
児童会会長でもある スーパーエリート。  ・・・リンク→おんな せんせい
然し 吾々の 斯の時代、
晴れの舞台は、やっぱり男児だったのである。

全てのプログラムを終えて、
全校生徒が運動場へ集合した。
愈々結果の発表が為される。
「 白組優勝 」
・・・と、アナウンスされたのである。
果して、白組が勝った。
私は徐に列を離れた。
そして 縦列の間を一人 小走り、前へ、前へ、進んだ。
皆が私を見つめていること、背中 せな で感じた。
そして、全校生徒の中央 ・一番前に立った。
私の正面には、お立ち台に立つ校長。
優勝旗を抱えて、私が来るのを待っていた。
私は校長の正面に進み出た。
全校生徒が見つめている。  父兄も見つめている。  全ての人が見つめている。

秋晴れの大運動会
私は、勝者白組代表として優勝旗を受けた
私の心は 天晴 日本晴れ

この後、( ↑ )
傍に付添う
6年6組の
鈴木百合子先生

「 泣いているの?」 ・・そう言った。
なんで泣くものか
私は
額の汗を拭っただけである。

親孝行とは
この瞬間を遠くで見ていた母は、息子の晴れ姿と慶んだ。
ご近所の多くの親達も見ていた。
そして、母共々、慶んで呉れたのである。
「 あんたとこの子、こんなに偉いんか
母は 鼻が高かった そうである。
「 こういう事が 親孝行になるのか 」
そう、想った私である。


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