昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

男前少年 と おんなせんせい

2022年07月26日 05時47分00秒 | 2 男前少年 1963年~

昭和38年 ( 1963年 ) に、大都会大阪に移住した。
その頃は未だ、国全体が貧しい時代でもあった。
とは雖も、
大都会 ・大阪と広島、それも片田舎とでは、その生活格差は大きかった。
広島に在た頃 気にも掛けなかった日常生活そのものが、
ここ大阪では貧しいものと、思い知らされ、
私は劣等感を持ってしまった。


昭和40年 ( 1965年 ) 四月
私は、小学5年生に成った。
新学年 恒例のクラス替え。 (  ・・二年毎に行われる  )
新しい クラスは、5年2組。 担任は、おんなせんせい、である。
これから 5年生、6年生の二年間、彼らと人生を共にするのだ。


担任の
おんなせんせい、
家庭訪問の際、私ら家族の住まいを見て貧しいと認定した。
学校から文房具、靴、日用品、等が支給されるようになった。
しかしそれは、私には至極迷惑な事であった。
秋の運動会に於て、5年生全員が行う演目はプロムナード ( 行進 )。
トラックを、周ったり、交叉したり、すれ違ったり、 ( ・・・適当な横文字が想い付かない)
先生も、児童生徒も一丸となって演習したのである。
演習を終えると、全員が集合した。
その場で 「 十河先生 」
「 誰々は、明日 ハンコ 持って職員室に来る事 」
私の名前も読み上げられた。
「 あれ貰うんやで、あのこら  」 ・・・と、囁く声。
私は恥ずかしかった。
「 何もこんなところで、しかも、皆の前で・・」
私は、心の中で そう呟いた。

国勢調査の一環に準じたものか、そんな類の家
庭環境調査があった。  (たぐい)
先生の問いかけに、吾々が席を立って応える形式を採った。
「 住いでいる家が、持家の人 」
「 ハイ 」 ・・・と、数人が立つ。
「 借家の人 」
「 ハイ 」 ・・・と、大勢が立った。
私も立った。 (  契約上は、一応、○○アパート であった から )
その時、当時はハイカラである公団住宅に住む 吉井と 偶々目が合った。
私は ニヤッ と 笑った。 吉井も ニヤッ と 笑った。
共に同じであることが なんとなく嬉しかったのだ。
そんな二人の遣り取り おかまいなく、
おんなせんせい、
「 花田君は 間借り だから 違う 、 座りなさい 」
・・・と、咎められてしまった。
私は、吉井の手前 頗るバツ が悪かった。
「 家賃を払っているのに 」
私は、心の中で そう呟いた。

男前少年
昭和41年 ( 1966年 ) 六年生になった私は、
一学期の学級委員に選ばれた。
 




男女一名ずつ 学期毎に投票で選ばれる。
立候補はしない。 が然し 概ね
成績の良い者が選ばれた。
学級委員は男子のみで、女子は副委員だった。

表を読み上げる おんなせんせい、
「 なんで、ハナダ君 こんなに多いの ・・?」
どういう 意味で云ったのだろうか。
「 学級委員になったら あかんのか 」
私は、ひねくれた。


昭和41年 ( 1966年 ) 7月、臨海学校は 「 天ノ橋立 」 へ   
旅館の窓から、水鏡に写った 「 天ノ橋立 」 が見えた。 
「 絵に為る風景やな 」
・・・と、綺麗な風景を見て嬉しくなった私が云うと

「 ほんまに、絵に為る風景やな 」
・・・と、傍に居た安宅が、応えた。

( 安宅・・びっくりしたなぁもう !! ・・学級委員選挙に登場 )
写真  私は中列女子の横  私の前が吉井 
麦わら帽子の男先生が寺島先生 ( 寺島先生・・ 「目にあたらんで、よかったなぁ」
「 学級委員 ! 報告せよ ! 」 と、寺島先生
先生の正面に一人立ち 頭中 敬礼の私
「 報告、2組全員無事に海から上がりました ! 」
「 良し ! 」
その後の集合写真である。

長時間バスでの往路は、
やっぱり、バスに酔った。
されど
翌日からは元気一杯の私。
バスでの移動時、
意気揚々とバスに乗り込んだ私に、
おんなせんせい、
「 学級委員、点呼したの ? 」
「 おーい、みんな居るやろ ? 」
「 遅い ! !  点呼は、バスに乗る前に行いなさい ! 」
「 それに、今のは点呼に成っていない ! 」
「 ハイ  ! 」
・・・と、明るく元気よく 応えた私である。
 
クリック
左から6人目が 荒井 ・・右から二人目が tei

さて
私の任期が終わり
二学期の学級委員が選ばれた。
温厚で優しいヤツであった。
「 そんな事で学級委員が務まるの 」
「 そんな事なら学級委員 辞めてしまえ 」
おんなせんせい、
クラスの皆の前で、彼を罵倒する。
ホームルームの司会は男、女は書記と決まっていたが、
気に入らないとその役割を平気で変えた。

当時はまだ、
『 男は男らしく 女は女らしく 』 ・・・と、そういった時代であった。
男は女より 偉くて、カッコいいもの
・・・と、私はそう想っていた。

前任の私は、
しょげている彼に頗る同情したのである。
義侠心が湧いた。
「 お前、あれだけ言われているんやから 学級委員やめろ 」
「 おれ やったら 先生の前で 証状 やぶいたるワ 」
私は男前であった。
これに、他の男子も同調したのである。

ところが これを
おんなせんせい、 に
『 告げ口 』 をした女子がいた。 ( ・・ それが彼女の正義だった )
私と学級委員を務めた女子である。

彼女は人気、実力ともに トップの優等生。
そして児童会の会長。
所謂  『 エエトコの子 』 でもあった。 ・・・リンク→学芸会 
おんなせんせい、からの信頼も 大に 厚かった。
しかし 自他共に認める 「 ナンバーワン 」 の彼女にとって私は、
日頃から 『 眼の上のコブ 』 の存在であったのだらう。
だから、他の男子を巻き込んで騒いでいる私が、気に入らなかったのである。

男気を出しすぎた。

放課後、
首魁三人 ( 私、tei 、荒井 ) 並んで、教師机の前に立たされた。
先生は椅子に腰かけている。
「 最近のあなた達、特に花田君の態度が目に余る、
一度こらしめてやって・・
と、女子が云っている 」 
女子がどんな風に告げ口したかは知らない。
しかし・・「 そんな言いぐさが あろうか 」  ・・・この時そう想った。

おんなせんせい、からすると
教師である自分への、 謂わば叛乱である。
おんなせんせい、メンツにかけて反省を求めてきた。

クラスの皆は教室の掃除をしながらこちらを伺っている。

当時の教師は権威があった。
「 先生は偉い人 」
児童生徒は、大人の教師に対して畏敬の念を懐いていた。

「 何処が悪い 」 ・・・そう想っていた。
他の二人も同じ想いであったらう。

ところが 斯の二人、
先生の怒りに怖れを為し 意気消沈、
素直に反省の意を表したのである。
最後に私、彼らに続き、
「 右に同じ 」
・・・と、そう告げた。
ところがこの文言が まずかった。
おんなせんせい、これを 「 反省していない 」 と 受取ったのだ。
「 他の二人に追随しただけ 」 ・・・と。 ( さもあらん )

従順した彼等は放免された。
私は依然として立たされたまま

クラスの皆の視線を背中 (せな) で感じた。

「 謝りなさい 」
怒りのこもった言葉であった。
「 そんなもん、
受容れられるものか 」
・・・そう想った。
だから私は、何も言わなかった。
次の瞬間、
往復ピンタをくらったのである。
こともあらうに、皆が見ている中だ。
「 如何して 殴られる 」
・・・そう想った。

私は不覚にも、泪してしまった。
この時、
「 一度こらしめてやって 」
・・・と、告げ口した女子は、
どんな想いで 私を見ていたのであらうや。
日頃、「 女の前で泣いた事は無い 」
・・・と、豪語していた私
「 負けた 」
・・・そう想った。

私の男前は飛ばされてしまった。




求められ、
反省文を提出して
一件、落着。



『 渥美清の 泣いてたまるか 』
この頃
視ていたテレビドラマである。


空がないたら 雨になる 
山が泣くときゃ 水が出る
俺が 泣いても 何にも出ない
意地が 涙を 泣いて 泣いて たまるかよ
通せんぼ ♪


『 一件、落着 』
・・・ ・・・
私の心懐に
そんなもの
あるものか


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7 コメント

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おおばかめぐみ様へ (唯我独尊)
2021-08-26 05:38:45
はじめまして。
コメントありがとうございます。

あなたのコメント知れば、彼女 喜ぶことでしょう。
「 あの人は今どこに ? 」 ・・・
今となっては、全員がマドンナです。
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Unknown (おおばかめぐみ)
2021-08-25 20:22:04
初めまして。

小学校時代の出来事は何年たっても忘れないですよね。

前列、男の子の左側の女の子可愛いですね。当時のマドンナ的存在ですかね(笑)
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Unknown (中本)
2016-02-29 14:42:14
今は三重県です!まあ近鉄で2時間で
鶴橋やから、2ヶ月に1回は毛馬に帰ってます
昨年大晦日に蕪村?商店街を 40年振りに歩いた
けど、同級生の洋服屋さんは健在でしたね!
大和製麺は残念ながら閉まってました(^_^;)
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中本君へ (唯我独尊)
2016-02-28 19:23:14
懐かしいですね
元気にして居ますか
クラスの皆は、どうしているのでしょうね
今や毛馬で
偶々に、顔を逢すのは、武林、橋の両君だけです
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淀川小学校 (中本)
2016-02-28 18:22:39
懐かしいなぁ~(^_^;)川中先生!写真みたら記憶が蘇りました(*^_^*)
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きみすけ 様 (Unknown)
2013-07-15 08:19:20
きみすけ 様
ありがとうございました
時代を読み取って戴ければ幸いです
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私小説読んでるみたいでたちまち引き込まれてしま... (きみすけ)
2013-07-12 19:17:29
私小説読んでるみたいでたちまち引き込まれてしまいました、おもしろかってです。
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