昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い
生涯の記憶を切取らん

 

びっくりしたなぁもう !!

2017年04月18日 | 2 男前少年 1963年~

「都会のもん はなあ」
「体は大きいても、力はないんじゃ」
「田舎のもん はなあ」
「ちいちょうても、強いんじゃ!」
転校初日・始業式前夜、伯父の 励ましの詞 である
それまで 天真爛漫 に過ごした私
実に
素直な子であった
伯父の詞 を そのまま受け取ったのである
いよいよ 明日は新しい小学校に登校する

昭和38年(1963年)4月早々
心機一転
大阪に 腰を据えて働く事を決めた親父
一家を引き連れて伯父一家も住む、都島区に移って来たのである

「びっくりしたなぁ もう!」
4月8日 始業式の日
私は 母に連れられて登校した
10人程の転校生が同じ様に職員室に居た
朝礼が始まるからと
職員室から運動場へ出たのである
そして
アッ と 驚いた
ビックリした
度胆を抜かれた 

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運動場を覆い尽くす 
1800人の児童 を 目の当たりにして、
絶句したのである
その数の多さ たるや
つい先月までは 
全校児童数263名の中に居たのであるからして 何をか況や である
私は その光景に 「都会の子」 ならず
大都会・大阪 を 見たのである
大ショック だった
それは その日の それ以降の記憶を飛ばしてしまった
皆の前で
「広島から来た 花田幸徳」 と、自己紹介したこと
まるっきり 覚えていない 程に

高度成長時代に差掛かった頃の この時代
我家族同様
職を求めて、地方から都会へ出てくる者は多かった
生きていく為に
子供等に腹いっぱい飯を食わす為に
親達は 必至 だったのである
しかし、それは
元々 大阪に住んでいる者 からしたら
吾々は 田舎者 で よそ者  迷惑 な 存在だったのだらう

最初の朝礼
翌日も 朝礼が有った
私は、自分が何処に 並ぶのか 判らなかった
前日は 皆の端に 転校生だけで並んだのである
90列 ・・・
それはもう、
困った
私は、前日と同じ処あたりを ウロウロ していた
どうしよう・・心細く為っていく・・・
と、その時
「おーい」
同級生の4名が、私を迎えに来て呉れたのである
先頭の川上
「そことちがうで」
「こっちや、ついて来い」
3年5組の列へ
「来たもん順に並ぶんや」
「お前は 一番後ろへ 並べ」
私は 云われるまま 一番後ろに並んだのである
「一番ドンケツかぁ」
島に居た時 同級性に仕切られることなんか 一度も無かったのに
・・・
とは、想ったけれど
兎にも角にも、ちゃんと並べた と謂う 安堵感の方が大きかった
「助かった」 と、想った のである

学級委員選挙 
朝礼が終わって教室へ入った

小学三年生の新学期

皆はクラス替えこそすれども、誰も顔馴じみばかりなのである

「これから、選挙やなぁ」

「男は やっぱり アーちゃん やで」

「女は 誰や」

大阪弁で ワイワイ 言っている

「アーちゃん ・・だれじゃろ?」

私は、学級委員の選挙 そのものが 分からなかった

「学級委員て 何んなぁ?」 と、訪ねることも適わない

際立つ お喋り  ひとり 居た

彼の 喋ることを 頼りに

アーちゃん は タケバヤシ と 判った 

私は 竹林 と 書いた

次は 女子であるが これには困った

名前が聞こえてこないのだ

困った挙句

「あのこ 誰 ?」 

窓際の席の 可愛い女の子の名を尋ねたのである

「あれは 佐野 や」

学級担任が不在のまま、児童だけで 開票が進められていく

「誰や 竹林 と、間違えて書いたんは」

と、お喋り  云った

武林 だった

穴が有ったら入りたかった 私である

孤軍奮闘
クラスの皆が、私を 相手にして呉れない
私は、都会もんに対する コンプレックスを持ってしまった
言葉(方言)の違いだけではない
大都会大阪に対して委縮したと、自分では想っていたのである
その所為で 皆と馴染めない
私は、そう想っていた
しかし 私の想いは 見当違い 外れていたのである
皆は 私の態度が気に入らなかったらしい
「喧々している」
「生意気だった」
6年後の中学2年生で 再び同じクラスになった 塩田 に この頃の事 問うと
彼はそう 答えたのである
それが、私に対する クラス全体の空気だったのである
「こんな奴と、友達になるな」
クラスで初めて 友達に成った 下田 に
クラスの皆が云った詞である

しかし この事
何も 学校だけのことでは無かった
居住する地域の御近所も同じであったのだ
「よそもん と 付合うな」
・・と
なかなか 受け入れて呉れなかったのである

郷に入りては 郷に従え と 謂う
しかし よそ者が
郷に受入れて貰うまでには、時間が懸るものであると
身に沁みて想った 私である

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大阪で最初の夏 (7月)
淀川・城北公園付近で行われた、水都祭の花火
生まれて初めて見た 打上げ花火に、私は感動した 歓喜した
そして
クライマックス の 仕掛け花火 「ナイアガラの滝」
凄かった
驚いた
「こんな 凄いの初めてじゃあ!!」

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