昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

調子にのって、叱られて

2020年08月18日 16時04分56秒 | 5 青春のひとこま 1973年~


落水荘
建築家・フランク・ロイド・ライト の 設計
中学三年時、美術教科書の中で 『芸術』 としてこれを見た。


高校三年生時、住宅の設計課題で提出したもの。
「 俺は、フランク・ロイド・ライト を、研究している 」 
と、ばかりに皆に披露してみせたのである。
是を見た 担任の木全先生、
私の意 を 知ってか知らぬか 
皆の前で発した言葉が
「きみは 都工のライトだ !」
・・・リンク→君は都工 ( ミヤコー ) のライトだ!

昭和48年 ( 1973年 ) 赤崎建築事務所に入社した私は、
書棚に 『 ライトの遺言 』 という書籍と、『 ライトのパース集 』 が有るのを知った。
特に、『 ライトのパース集 』 ( 仮名 ) は、感動ものであった。
写真全紙サイズ ( 560 × 457 ) くらいの大きさだったろうか?
15作品以上はあったこと、定価は確か・・10万円 ( 以上 ) くらいだったと想う。
それが購入された頃は、当時の高校新卒者の半年分の収入に値するであろう高価なもの。
「 退職金の替わりに貰いたかった 」
後年、事務所の先輩・東氏が、そう述懐したくらいの貴重なものである。
然り、同感である。
『 都工のライト 』 の私、関心を持ったは謂うまでもない。
 
斯の三冊
2020年の今、私の手許にある至極の宝物である。
ところが、このブログを書くに当って46年振りに開いてみると、
『  ライトの遺言 』 の 最後の頁に、赤崎建築事務所の捺印があるのに気がついた。
調べてみると、『 ライトの住宅 』 は、1974.3.15、『 ライトの住宅建築論 』 は、1974.5.10 に、
それぞれ、旭屋書店で購入との記録がある。
が然し、『  ライトの遺言 』 だけは 購入したとの記録がない。
個人用として 購入したものを、手許に置いているものとばかり思っていた。

調子に乗って、叱られて

同窓・中前
応援団では 土方歳三格の剛者
高校三年間 同じクラスであった。
あの  「先生、そんなん言うたらあきませんわ」 の 中前である。
彼とは、グループの違いはあったが、
個人的には仲が良かったのである。

高校二年の秋 (1971年 )
一日遠足は河内長野

この日は
写真白文字の仲間達と行動を共にした。


( 旭屋書店  2011年 )
旭屋書店は待合せ場所
昭和49年 ( 1974年 ) 春、
高校の同窓・中前と 会うことになった。
落合う場所は旭屋書店玄関前、互いの都合が合致したのである。
彼は左肩に画板の入った大きなバッグを担いで現れた。
「 京都の美術大学へ 通っている 」
京都市立美術大学のことを言っているのだろう。
書店に入り、彼の美術専門書から私の建築専門書等を共に見て周った。

フランク ロイド ライト の 『 有機建築とは何か 』 を、勉強していると彼に告げると。
彼は何を想ったか、『 有機 』 という理屈をたれだした。
さすが大学生である
・・と、私は感心して彼の講義を聞いた。

梅田界隈を闊歩することに青春を感じていた
梅田画廊
意気揚々、なおも続く彼の講義に耳を傾けながら、梅田地下街を歩き、ナビオ阪急で地上に出ると、
隣の建物の二階に、『 梅田画廊 』 の 銘を見つけた。
「 一流になりなさい 」
との
、赤崎先生の訓えもあって、私も偶に 画廊に足を運ぶこともあったのである。
「 画廊があるぞ、見に行こうか 」
彼の後から階段を上った。
室へ入ると、周りに人影はなかった。
そして、絵画が数点 ( 5、6 点 ) 展示されてあった。
「 ・・・・ 」
「 ・・・・ 」
お互い、顔を見合せた。
どうやら、同じ感想を懐いたようだ。
「 なーんや、この絵。 下手くそ やなあ。こんな絵やから、客誰も居らへんのんや 」
と、一気に捲し立てたのである。
もちろんそれは、周りには一人も存しない・・・・そう みこしての暴言だった。
しかし、想ったことをストレートに云う彼の性格、ちっとも変っちゃいない。
私がその暴言に応えよう前に、一人の中年の画家 ( 男性 ) が 飛出して来た。
彼は衝立の陰に腰掛けて居たのだ。そして、暴言を確と聴いた。
これをなんで 黙って居られよか。
「 なんだ 君は、失礼だろうが。君も同じなら、分るだろう 」
と、画板を入れたバッグを指さした。
どんな作品にも作者の意図があり、結果に至る事情もある。
誰も、それはもう必至の想いで描いているのだ。それを安易に批評するな。
君も同じ道を志す者なら、そのくらいのこと判るだろう。
マナーをわきまえ、人として礼を忘れずに、同業への仁義も怠らない。
此が道理というもの。
画家のそういう想いが、そう発言させたにちがいない。
「 君も同じなら 」 という言葉が 中前の胸に突き刺さった。 マイッタ。血の気が退いた。
「 そうや、俺は単なる無恥のギャラリーではなかったんや 」
冷静に戻った彼は、自分の否を素直に詫びた。
「 すみません 」・・と。
そして吾々は、逃げる様に階段を駆け下りたのである。
この間の時間は、五分とかかっていないだろう。
「 なんや、怒られるために行ったようなもんやな 」

「 おまえら、帰れ !!
画家の先生、そう呶鳴れべばよかったのに。


コメント    この記事についてブログを書く
« 旭屋書店の帰り、宝くじ を買... | トップ | ミニサイクル と交通ゼネスト »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。