昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

満天の空に 星は 星の数ほどあった

2021年07月07日 17時53分33秒 | 1 想い出る故郷 ~1962年

昭和36年 ( 1961年 ) 夏の夜
親父と二人 チヌ 釣り をすることになった。
 イメージ
「 餌を捕っちょけ 」
・・と、親父
引き潮を待って、
水の退いた波止場の床 ( 底 ) に降りて、
波止の脚下に敷かれた波消し岩 ( 基礎 ) の間を掘った。
チヌは 『 虫 』 ・ゴカイの餌だと、食いが悪い。
食いの良い 『 オオ虫 』 ・イソメ を捕る為である。
然し、
『 オオ虫 』 は そう簡単に捕れない。
限られた場所にしか生殖せず、以て ただでも数が少ない。
にもかかわらず、皆が挙って捕るものだから 既に捕り尽くされていたのである。
それだけではない。
五歳の頃 指先を噛まれたこともあって、
『 虫 』  には平気な私でも、『 オオ虫 』 は苦手だったのだ。
『 虫 』 を捕るときのように ホイホイ 手を出せなかった。
そんなことが相俟って、やっぱり 捕れなかった。 
だから、結局この日も 砂浜にいる 『 虫 』 を捕って、此を餌にすることにしたのである。
そして、
いつもの通り
チヌばりに 一度に数匹引掛けて、
これを 『 オオ虫 』 一匹の代用とすることにしたのである。
 
『 オオ虫 』 ・イソメ                   『 虫 』 ・ゴカイ

「 イザ 行かん 」
・・・意気揚々、目指すは丸谷の波止場。
波止場に、灯りなぞあるものか。
だから、提灯を提げて波止路を歩く。・・もう、お手のものである。
そして、波止の先端に陣取ったのである。

「 さあ、釣るどー 」
親父は波止の延長線上に天神鼻に向かって 真直ぐ 仕掛けを投げた。
私は波止に直角に入江側に向かって仕掛けを投げた。
釣り竿なんかは持たない。
 テグス
餌を付ける時だけ提灯を燈す
糸をほどいて、左手にテグスを掴み、右手で仕掛けを投げた。
これが、普段の釣り方 ・・・船で漁師がする釣り方と同じ


真っ暗の中、頼りは星明りだけである。
べた凪の入江の水面に、対岸の家々の灯りが揺らめいている。
私は、この景色が堪らなく好きであった。

コンクリートの波止に直接坐って、
仕掛けのテグスを人差し指の先に掛け、 チヌの当りを待った。
・・・・
が 然し
チヌ が そう簡単に釣れるものか。
・・・・
どのくらい、時間が経ったであろう。
当りなぞあるものか。
退屈の極である。
いつもなら、とっくに眠っている時刻なのである。 況してや星明りの下、さすがに眠たい。
それでも 吾は男の児・・・茲は辛抱我慢と、閉じようとする眼をひっしに堪えていたのである。
が 然し、もう・・眠たくて 眠たくて
ウトウト・・と、していた
・・・将にその時

!!!
猛烈に 糸を引っ張った。
「 スワッ 釣れた 」
と 勇んで糸を引く。 でも、チヌではなさそうな。
引き揚げて見ると、なんと アナゴ であった。

「 アナゴかぁ ほれに飲み込まれちょる 」

満天の星空
波止場の先端に座って
眠たい目を擦りながら、夜空を見あげると そこには、
「 ぶつからないのか 」
と、想うほどの星空があった。
そして いつもの様に、
天の川 を はっきりと、確認したのである。

幼き頃、当然の如く見上げていた夜空
そこに
星は 「 星の数ほど あった 」
しかし、それは 今や
記憶の中にしか 存在しない のである。
叶うものなら
あの頃の私にもどって
もう一度
親父と共に
星空を 眺めてみたい
・・・そう想う私である


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