昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

「 なんやお前、教科書忘れたんと違うんか 」

2021年08月19日 05時13分41秒 | 3 青い鳥 1967年~

「 柿、うまそうやな 」
「 ん・・・ 」

授業中
二人して窓の外に目を遣れば
朱く熟した実をつける柿木が見える
秋・・哉

・・・・と
肩を並べて二人、良い雰囲気であった。


   昭和43年 ( 1968年 ) 10月9 日 京都国際会議場

大阪市立淀川中学校二年四組
男女相互に仲好く、私には、小・中を通じて一番のクラスであった。    
中学生の生活にも慣れたし
未だ未だ、高校入試にも間がある。
そんな雰囲気の中で誰もが、思春期の中学生を謳歌していたのである。
リンク→心を合わせるということ とは

昭和43年 ( 1968年 ) 二学期
くじ引きで決める席替え
偶々
○○○と、机を並べた私
暫らくの間、共に機嫌よう過ごしていた。

ある日突然 二人黙る・・

「あいつ、なに怒ってるんやろ」
ある日を境に
○○○が、くちをきかなくなった
今の詞で謂うと、「 シカト 」          ( シカト・・不愉快なる単語である、使いたくも無い )
「 無視 」・・される覚えは全く無かった。
ましてや、喧嘩をした訳でもない。
然し其の仕打ちは、理不尽であらう。
男のメンツまる潰れである。 ( ・・・男ごころが傷ついた )
理由を訊ねれば良かろうに然し、そこは たかが14才中学生。
それなら俺も、くちをきくまい ・・・と、
其れが相乗して、互いが意地を張り合う羽目に為ったのである。
然し、心底腹が立った訳では無い。
「 あいつ 如何して機嫌が悪いんやろ、つい昨日まではあんなに良かったのに 」
「 暫らくの間、辛抱我慢や 」 ・・と、そんな想いでいたのである。

何してんやろ、 こいつ
相も変わらずくちをきかない。
いい加減にせいよ。
もう、堪忍袋の緒も切れるぞ。 ・・・と、そんなある日
昼の休憩時間も終り、5時間目の授業がもう直ぐ始まる、
私は準備を済ませ、英語の森先生の到着するのを待っていた。
その時、左席から
「 アッ・・・、忘れた 」 
・・・の声
○○○、机の中を覗いて、何やら探している。
・・・
見つからないようである。
「 教科書を忘れたな 」・・私は、そう想った。
見ない振りをしてはいても、私の視界の端にその様子が入ってくる。
然し、ちゃんとは見えなかった。
知らん振りはしていても、やっぱり、気にかかる。
「 お前、忘れたんか 」
そう云へば、簡単だった。
然し、互いに意地を張っていた。
それが為、云えなかったのだ。
「 困るだらうに・・・」
そこで私は、
二人で教科書が見えるように、
ページをひらいて教科書を机の真ん中に、そっとつき出した。
・・・
ところが、○○○ の、反応が無い。
ン・・?
左席に目を遣れば、
「 ワオー、なんてこったい 」 ( ・・・ポパイ なら、きっとそう云うであらう )
○○○ の机には、教科書がチャンと置かれてあったのだ。
「 なんやお前、教科書忘れたんと違うんか 」
一人芝居の、一人大相撲。
トンダ三枚目・喜劇を演じた私。
頗るバツが悪かった。

○○○からすれば、
忘れたと想った教科書は、カバンの中にはいっていた。
只、それだけのこと。

ところが、
右席の私が 教科書をそっとつき出して来る。

「 何してんやろ、こいつ 」
そう想って、見ていたんだと。

「俺の気持も知らんで」
何をかいわんや・・である。
然し
『 女心と秋の空 』
此のことが素で、○○○の機嫌が元に戻って一件落着した。
やっぱり、女心は分らない。

硬派な女のポリシー
休み時間
列違いの女子と、私が喋っている。
然も、嬉しそうに ( ・・・○○○には、そう見えた )
「 男が、チャラチャラするな 」
「 男が、ニヤケたりするな 」
そういう男はキライ 」
それが○○○のポリシー・・・と、
不機嫌の因は其処にあった。 ・・・のである。

・・ 是
結局のところ
やきもちを焼いた
只、それだけのことであらう

「 ○○○ そうやろ 」


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