昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

『 心を合わせる ということ 』 とは

2021年04月17日 04時39分00秒 | 3 青い鳥 1967年~

「 楽譜通りに歌おう 」
一人の男子生徒 が、そう発言した。
クラスの皆はうなづいた。
合唱コンクールの練習中のことである。


昭和43年 ( 1968年 ) 6月1日  石舞台古墳

昭和43年 ( 1968年 ) 6月19日に、
学年別・クラス対抗の合唱コンクールが行われることに成った。

課題は無く、曲目も 各ゝクラスの生徒の自主に任された。
吾々のクラス ( 2年4組 ) 、皆でワイワイ・・謂いながらも、
グループサウンズ 全盛の時。
ザ・テンプターズが歌う 『 神様おねがい 』 で、いこうと謂う事に成った。
「 ♪ アーアッアンアー、神様 おねがいだ・・僕のあの人にあいたいのさ  」
男子生徒は バス と テノール ( 私はテノール )
女子生徒は ソプラノ と アルト
普段から音楽の時間、このパーツに別れて歌っている。
音楽の先生が、一生懸命に教え込んだ成果だと想う。
吾々生徒も、素直に真面目に教えを受けた。
昭和43年 (1968年 ) の、中学2年生は純粋であった。
「 3度上げて歌えばエエンヤ 」
・・・そう言いながら、皆で歌ったのである。
しかし、合唱する程に、曲に違和感を感じたのである。

「 ちょっと、おかしいな 」
「 あかんで 」
「 この曲、合唱には向かんな 」

結局、思い切って、曲目を変えようと謂うことに成ったのである。
いろんな意見が出た。
そして、
「 野ばら 」  に、決まったのである。
これで、皆の気持が一つに成った。
誰もが、一生懸命に成ったのだ。


          ・・・・楽譜 イメージサンプル・・・ネット上から転載

そして、合唱した。
然し、唄ってみて つまらない
「 なんとなく ダラダラしてるぞ 」
「 何か、物足りんな 」
「 メリハリがないな 」
・・・と、そんな意見が出る中。

 

 


男子生徒・マヒ (山本)
「 ここは、< ( クレッシェンド )、だんだん大きく成る・・やで 」
「 楽譜通り に 歌おう 」

彼が、そう発言したのである。
皆はうなづいた。
そして、クレッシェンド してみた。
果たしてそれは、
私にでも、はっきり違いが分る程に、素晴らしかったのである。

この クレッシェンド が 決め手に成った。
7クラスある 学年対抗合唱コンクール、吾々は優勝したのである

「 優勝 」
クラスの全員で得た、勲章である。


フライング
音楽科研究指定校であった淀川中学校、
その最終研究発表会を開催することに成った。
吾々 ( 三年生全員 ) が、
大阪市立中学の音楽科教師全員の前で、合唱するのである。
それは、11月6日に催された。

錚々たる面々を前に
披露した曲は 「 五木の子守唄 」
女子生徒が先行しての歌い出し、男子生徒は後から混声して行く
そういう構成であった。

どんなに歌ったかは
記憶に残っていない・・が
こともあらうに
私一人
フライング してしまったのである。
誰もミスらなかったと言うのに。

 
小柄でポッチャリしも 
美人の松尾明子先生

合唱し終えた吾々を迎えた音楽の松尾先生。
ニコニコして
「 花田君、間違ったわね、でも、立派だったわよ 」
と、私の後の態度が善かったと誉めて呉れたのである。
そして
皆に
「 良かったわよ 」 
と、満足そうであった。

私のミスを咎める者ななぞ誰一人居なかった。
歌い終えたという満足感と安堵感が、優ったのかも知れない。
しかし、それだけではない
心を一にしたという連帯感が皆の心を大きくしたのだと想う。

心を合わせると謂うこと とは そう謂うことだと
私は想うのである。


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