天気 晴のち曇
行く春や鳥啼き魚の目は泪 芭蕉
言わずと知れた奥の細道の、旅立つ芭蕉の句。もう、明日は立夏。
写真は忍冬(スイカズラ)の花。午前中、日光浴の散歩に出たら、香りが・・こんなところに咲くの?と知らない場所だった。
以前の住まいのマンションにえごの花の咲くところがあり、毎年楽しみにしていた。昨日の写真の花もここの木だった。ちょっと眺めに行ってみよう・・歩いていて、ご近所のMさんに会えるかな、と電話してみた。私と同年のご夫婦、元気だがお籠り暮らしをしているから在宅しない訳はない。
本当は人に会う、なんて言ったら施設の玄関突破なぞ出来ないのだが、外のベンチでマスクしたバアサン二人が離れて座り、話し込んでも危険はないでしょ。えごの花の下で待ち合わせ。
ちなみに、スイカズラもえごの花も夏の季語。
ちょっと暑くなった日差しを浴びながら、とりとめのない今の暮らしの愚痴など話して。色々気を遣う入所者との会話よりも、やはり昔からのご近所さんとの会話は気持が休まる。
周りの人に気を遣う一つは、耳の遠い人が多いことだろう。補聴器は不要の、ちょっと遠い、という人がとても多い。耳の遠くない人は認知症。耳が遠くて認知症、という人も居るから疲れるのだ。突然声が出なくなった「事件」以来、怖いので大声は出さないようにしている。
認知症だけなら私はお付き合いに疲れない。相手は話したことをすぐ忘れてしまうので、かえって気楽というもの。
同じ階の空室に数日前、入居した人が居る。まだ会話を交わしていないのだが、食事の席が近いので話は聞こえてくる。
今日は朝食に、冬のコートを着てバッグを抱えて来たので、早い時間から何処へ行くのだろう?通院、といっても祝日だし・・
と思っていたら、どうも「家に帰る」つもりだったらしい。
昼食は、ハンストに及んでいた。周りの人が「食べないと体に悪いわよ」と言っても「家に帰ってから好きなものを食べる」と。ニコニコしていて、あまり悲壮感がない。もっとも、夕食は何も言わずに完食していたので、どう説得したのやら。
入居時にちら、と見たが家族が何人も付いてきていた。「ここなら安心して暮らせるわね」という声が聞こえた。家族は、ほとほと認知症に困り果てていたのだろう。これからどうなるのかな?歩行にほぼ問題がなくて同じような人は、女性だけでも、他に2人居る。共通しているのは、ここに入居している意味が全く解っていないこと。一泊だけ、と思い込んで毎朝「もう帰るわ。どこから出られるの」と玄関でごねる人が居る。
「今夜もここに泊まるのよ」と職員。
「私、お金持ってないわよ、財布を盗まれたみたいで」
「大丈夫、娘さんに前払いで貰っているから」
「しょうがないわね、じゃ、明日の朝までね」
「そうしましょ、さあさあ3階にお仲間が居るわよ」
・・・毎朝の儀式のようなもの。私は何度か「どこから出られるの」と訊かれたことがある。
新規入所の彼女も、同じようになるのかしらん?
彼女たちはコロナのことなぞ全く悩んでいないだろうし、それを思うと羨ましいような。
忍冬(にんどう)の花青空へ香を放ち KUMI