玉仏(禅)寺の歴史は中国にしては比較的新しく、1882年に遡ります。
浙江省にある普陀山は中国4大仏教名山の一つですが、そこの僧侶慧根法師が中国各地を巡礼し、西遊記と同じようにインドへ渡り、その後ミャンマーに辿り着きます。
当時、ミャンマーで良質の玉が産出されるのを知り、中国で寄付を募り再びミャンマーへ行き、ミャンマー国王の許可を得て大小5体の仏像を造らせました。
その5体の仏像の一部を上海に祀ったのが玉仏寺の始まりです。
数度の動乱の中を守りぬかれた仏像は、1918年から10年の歳月をかけて建立された現存の寺に安置してあります。
境内の奥の般若丈室の2階にその宝物は安置してあり、内部は写真撮影が禁止されています。
外国人観光客には、やはり高層ビルよりも仏教寺院の方がお気に入りのようです。
屋根の上の造形は慧根法師がインドへ旅した時の姿でしょうか。
日本のTVドラマに出てくる三蔵法師はひ弱なイメージですが、西安で見た三蔵法師の肖像は、背負子に沢山の経典を詰め夜道を急ぐ屈強な姿でした。
臥佛殿の涅槃仏ですが、玉仏はもっと透き通った色の石です。
白い千手観音。
こちらは男女の塑像ですが、幸福そうな笑顔は何を表しているのでしょうか。
年間100万人の参拝者があるそうですが、寺社全体が上海優秀歴史建築に指定されています。
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浙江省にある普陀山は中国4大仏教名山の一つですが、そこの僧侶慧根法師が中国各地を巡礼し、西遊記と同じようにインドへ渡り、その後ミャンマーに辿り着きます。
当時、ミャンマーで良質の玉が産出されるのを知り、中国で寄付を募り再びミャンマーへ行き、ミャンマー国王の許可を得て大小5体の仏像を造らせました。
その5体の仏像の一部を上海に祀ったのが玉仏寺の始まりです。
数度の動乱の中を守りぬかれた仏像は、1918年から10年の歳月をかけて建立された現存の寺に安置してあります。
境内の奥の般若丈室の2階にその宝物は安置してあり、内部は写真撮影が禁止されています。
外国人観光客には、やはり高層ビルよりも仏教寺院の方がお気に入りのようです。
屋根の上の造形は慧根法師がインドへ旅した時の姿でしょうか。
日本のTVドラマに出てくる三蔵法師はひ弱なイメージですが、西安で見た三蔵法師の肖像は、背負子に沢山の経典を詰め夜道を急ぐ屈強な姿でした。
臥佛殿の涅槃仏ですが、玉仏はもっと透き通った色の石です。
白い千手観音。
こちらは男女の塑像ですが、幸福そうな笑顔は何を表しているのでしょうか。
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日中の日差しはまだ強いですが、朝夕はずいぶんと涼しくなりました。
日本は連休ですが、好天で行楽日和のようです。
来週辺りからはまた一段と涼しくなるようですが、
日本は民主党総裁選挙後菅内閣の組閣や、中国漁船拿捕問題など、政治課題がマスコミを騒がせています。
中国外交は手強いようです。