上海下町写真館2010

上海より半年ぶりに帰国しました。マイペースで故郷の風景や歴史などをご紹介します。

上海ライブ2014:「四明村」は文化人が多く住む里弄だった

2014年05月03日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
1.「四明村」の北側入り口。
南北の中央の通りから両側に魚の骨のように行き止まりの路地が東西に並び、南側は「巨鹿路」へ出られます。

2.優秀歴史建築のパネル


入口前には誇らしげに優秀歴史建築のパネルが掲示されています。

3.文化名人の名簿


入口を入った右側にこの村に住んでいた文化人の名前が掲示されています。

中央2行目「徐 志摩」現代詩人。21歳で米国留学、24歳で英国留学。
作品を発表しながらいくつもの大学で教鞭をとりますが、34歳の時北京へ向かう途中飛行機事故でドラマチックな一生を終えます。
生涯3人の女性と結婚・2度の離婚をします。

18歳で最初の妻を娶ります。妻は名家の出自で夫に尽し子供を養育しますが「愛のない結婚」と離婚。
2回目の結婚。英国留学中にやはり名家出身容姿端麗、才女との誉れ高い17歳の女性と再婚。
しかし29歳で2番目の妻とも別れ、3回目の結婚をします。

相手は夫のある有名な女流画家(中央4行目の「陸小曼」)、当時は新聞紙上を沸騰させたそうです。
女流画家はアヘン常習者で浪費家。妻を愛する徐志摩は已む無くいくつもの大学を掛け持ちで働かなくてはいけませんでしたが、
その事が彼の死期を早めました。

北京へ重要な学術報告のために向かった徐志摩、旅費の節約のため搭乗した郵便飛行機が濃霧のため済南の山に接触墜落、短い生涯でした。
芸術家は自分に妥協することなく、真実の愛を追い求めたのでしょうか。

後日談。
1番目の妻は才覚があり、離婚後ビジネスで成功し銀行なども創設、56歳で再婚し天寿を全うします。
2番目の妻は別れた夫の飛行機事故の破片を一生手元に置き、文学青年のための「徐志摩基金」を創設しました。
3番目の妻は夫の「全集」出版をライフワークとし62歳まで生きました。

「詩人を愛した3人の妻」、ドラマのストーリーになりそうな話ですね。

4.少区に入れば静かな家並み。



5.10年前と違うのは自家用車の駐車が増えたことですね。



6.行き止まりの路地


一戸の入口は一つで、奥に小さな庭と水回りがあります。典型的な長屋(テラスハウス)形式ですね。

7.住宅脇の小さな緑地に植えられた樹木も枝を広げています。



8.ミシン掛け


天気の良い日は表で家事。

9.地元の診療所


地区の小さな診療所があります。

10.巨鹿路の入口


入口には一応警備員がいますが、通り抜けは自由です。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4L IS


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4 コメント

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haichaoluさんへ (上海・東京ベイビーのパパ)
2014-05-03 17:11:23
優秀歴史建築らしい、
とても落ち着いた雰囲気ですね。
延安路の高架工事で、
取り壊された建物はもったいないですね。
多くの文化人が住むのも納得です。
徐志摩は、惜しい人生でしたね。

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Unknown (ごーさん)
2014-05-04 10:47:39
表に出てミシンかけはいかにも中国らしい風景ですね。
5月連休は3日間でしたがあっという間に終わってしまいました。
写真を撮りに生きたかっらのですがゴルフ仲間に強引に誘われて3連荘でゴルフをやっていました。
この2,3日風が強く寒かったです。
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上海・東京ベイビーのパパさん (haichaolu)
2014-05-04 13:46:40

昔の高級住宅ですが、今の人気はどうなんでしょうか。
しない中心部ですから、恐らく下水道は改善されたかもしれません。
交通だけは一等地ですので、所有者であれば
、再開発で現金が入ってきたほうが嬉しいかもしれませんね。
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ごーさん (haichaolu)
2014-05-04 13:52:14
3日連荘のゴルフとは体力的にお若いですね。
当方も連休はどこも混雑なので出かけませんでした。
そろそろ、帰国の準備をしなければなりません。
今回のブログシリーズでは建物の歴史などを中国の文献から少しピックアップしてお届けました。
写真は今一だったかも知れません。
帰国するとブログの更新も不定期になるかもしれません。
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