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上海下町写真館2010

上海より半年ぶりに帰国しました。マイペースで故郷の風景や歴史などをご紹介します。

上海ストリート:外灘源「圓明園酒家」が開いた。

2013年01月19日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
外灘の北、中山東一路から北京東路へ入ります。



私が上海へ赴任した2002年頃から既に外装は綺麗になっていましたが、内部は利用されず閉じられていました。



南京東路のちょうどペニンシュラーホテルの正面(南側)になります。



西側入り口。1994年に上海優秀歴史建築に指定されましたが、登録「現名」も「益豊洋行」になっています。



館内は海外の有名ブランド店が入居しています。



北側入り口ホールのシャンデリアが豪華です。



各ショップも開店したばかりのようです。



東側には「上海外貿大楼(旧怡和洋行)」の中庭が見えます。



撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4




上海ストリート:「モラーヴィラホテル」はやっぱり夢のお城だった。(2)

2013年01月18日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
玄関を入って入り口を見たところ。

正面の受付。


大理石の柱がふんだんに使われています。

レストランは入り口を入って左手になります。


海運国だったスエーデンの船大工が内装を担当したのでしょうか。

レストランからは緑の庭が見渡せます。


船の内装にも使われる、強くて腐りにくいスエーデン産の木材がふんだんに使われているそうです。



手洗いに行くにも道に迷ってしまいます。



南側には庭を見渡せる、気持ちの良いサンルームがありました。



サンルーム上部のステンドグラス。



伝説の「娘が見た夢に出てきたお伽のお城をデザインした」そのDidoと愛馬。


彼らは6人兄弟だったそうです。

当主のEric Mollerの持ち馬が勝利を収めた写真。

日本が英米仏に宣戦布告をし、第二次世界大戦が始まり、上海の外国人移民(ユダヤ人)は強制収容所へ送られることになり、新築間もない城を後に家族は上海を離れざるを得ませんでした。

その後、城は日本軍将校倶楽部となり、戦後は国民党に受け継がれ、中国解放後は共産主義青年団上海委員会本部として半世紀使用されました。

家族は中華人民共和国成立後、英国に戻りましたが、1952年にEricはシンガポール空港の飛行機事故で亡くなりました。
子孫は英国で父親の事業を引き継ぎ成功したそうです。

撮影:CANON PowerShot S100

上海ストリート:「モラーヴィラホテル」はやっぱり夢のお城だった。(1)

2013年01月16日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
延安中路に架かる歩道橋からは、魔法の帽子のようなとんがり屋根のお城全体がよく見渡せます。

1936年に完成した北欧建築様式の建物の当主はユダヤ系スエーデン人(英国籍)のEric Mollerで、彼は海運界の大物で、香港で成功した父親の事業を引き継ぎ1913年に上海へ来て海運業、保険、不動産、投資などで一族の事業を発展させました。

北欧風と中国風の折衷のような敷地入り口の門。



一号館は中華レストランを営業しています。


中華風の獅子像と当主が愛した馬の銅像が玄関先を飾っています。

先ず、玄関前から左手に南側の庭を拝見してみましょう。



小さなせせらぎが造ってあり、緋鯉が泳いでいます。



2000m2の英国式庭園を持つ建物は、都心にありながら森の中の城ような雰囲気ですね。



サンルーム前のテラスでは結婚記念写真が撮影されていました。



お城は床面積3000m2で部屋数は106室あるそうです。



内部はクルーズ船をイメージした豪華な装飾で、訪れた人は必ず迷ってしまう複雑な構造を持っているとか。


これもまた、夢のある話ですね。

北側の二号館はホテルのフロントになっているようです。

撮影:CANON Powershot S100

上海ストリート:陜南村にはフランス租界の香りが残る。

2013年01月09日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
陜西南路側にアパートの入り口があります。


1930年の竣工で、敷地内に全部で16棟建っています。


1994年に上海市優秀歴史建築の指定を受けています。


フランス様式の4階建てアパートで、1階に2戸あり、各戸3部屋あるようです。


各戸には門庁(玄関)もあると特筆されています。


チャンスがあれば内部も是非拝見したい物です。


残念ながらエレベータが無いと、日常生活にはちょっときついかもしれませんね。


撮影:CANON PowershotS100

「上海ドリーム」の夢の跡:瑞金賓館

2013年01月05日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
瑞金二路側の敷地入り口。右手に門番小屋があります。

門を入ると小さな噴水の左手に一号館があります。



1号館は二代目ヘンリー・モーリスが住んだフランス田園風の住宅です。

今はレストランとなっており、予約がないと入れてくれません。

南には広い芝生の庭園があり、結婚式などのガーデンパーティなども開けるようになっています。

国民党政権時代は蒋介石夫妻も一号館を気に入り愛用していたとか。

噴水の右手は二号館で、ホテルのフロントがあります。


二号館の入り口正面。


ホールには広大な施設の模型が展示されています。


一号館と二号館の間は車庫と厩でした。


馬に乗ったまま通り抜けられるようになっていたようですが、今は車に乗ったまま通り抜けることができます。


通り抜けた右手に三号館があり、最近まで中華レストランが営業していました。

三号館と四号館が上海市優秀歴史建築の指定を受けています。

西の四号館は1924年に日本の三井洋行が一部土地を買取、支店長宅を建てました。

第二次世界大戦中はイタリア領事館としても使用されていました。

中華人民共和国成立後、邸宅は迎賓館として使用されました。

広大な邸宅の持ち主だった三代目ゴールドン・モーリスは、瑞金二路側の門番小屋に住まわされ、1952年にその生涯を終えました。

撮影:CANON PowershotS100

上海ストリート:徐家匯公園の洋館は録音スタジオだった。

2013年01月04日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
久しぶりに来ると、案内板が新しくなっていて日本語表記もありました。



日本語も完璧ではありませんが、だいぶ上手になりましたね。


「徐光啓」が翻訳した西洋の数学用語は「幾何学」など、日本でも使われています。

中央に空中歩道があり、公園全体を見渡せます。



天気の良い日は水辺で日向ぼっこが気持ちいい。



マンション住まいの住民にはありがたい公園です。



この洋館は、今ではミシュラン三つ星シェフによるスペイン料理店となっています。



1921年建築のフランス風洋館。



中国レコード会社の建物でした。



玄関前には当時の録音機が展示されています。



1935年に製作された抗日映画「風雲儿女」の主題歌「義勇軍進行曲」がここで録音されました。



「義勇軍進行曲」は映画と伴に大ヒットし、1949年に正式に中国国歌となりました。




撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4

上海ストリート:ピアスアパートの扉は開いていた。「虹口区」

2012年12月31日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
租界当時は7階建ての高級アパートで、全て外国人が入居していたそうです。

南側の狭い通りに入り口があります。



中を覗くと、入り口が開いていました。


失礼して、中庭から建物の吹き抜けになった部分を初めて撮影。



1977年に上部に2階増築され9階建てとなりました。


住宅が不足していたのでしょう、他の大型建築物にも増築した物がありますが、当時の建物は丈夫だったのですね。


撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4

虹口区「19参III老場坊」(2):宇宙銀行に預金しよう

2012年11月05日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築

中心部の円筒形5階建て建物が、そのコンセプト「宇宙」を表しています。



天井部分は透明になっており、歩く人や椅子の影が見え不思議な感覚です。



当時のままでしょう、狭い直線や螺旋の階段が上階に続いています。



手前側は吹き抜けになっていますが、洗面台のようなものはいったい何を表現しているのでしょうか。



天井に歩いている人の靴裏が見えます。



装飾品店でしょうか、鳳凰がアート風に描かれています。



上海では有名な中華料理店の装飾も、館内のイメージに統一しているようです。



次回は料理を味わってみましょう。



古い大きな煙突のある建物は、当時の廃棄物焼却場だったそうです。


1933老場坊の1階ホールでは赤い絨毯が敷かれ、Windows8の発表会を開催していました。

撮影:CANON EOS5D3 + EF24-105mmL




虹口区「19参III老場坊」(1):世界に3箇所しかない食肉工場だった

2012年11月03日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
外観は簡素ですが、内側の5階建て円柱状建築物を外側の4角な建物が取り囲んでいます。



虹口区の歴史遺跡記念地に指定されています。



上海市優秀歴史建築にも指定されています



この坂道は食肉となる家畜が自力で歩く道で、床には滑り止めの加工がされています。



2階では、中国人カメラ女子が作品の確認を行なっています。



中央の独立した円形建地区物と、周りを取り囲む4角形の建築物が空中廊下で繋がっています。



2階の空中廊下の間から1階フロアが見えます。



3階の外周建築物から見た複雑な空中廊下。



テナントの一部店舗がまだ開店準備をしており、全体像はどうなるのかこれからが楽しみです。


中央の円形建築物の内部はもっと複雑な構造をしています。

撮影:CANON EOS5DIII+ EF24-105mmL





董家渡天主堂:教堂には壮麗な賛美歌が響いていた

2012年10月31日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
教会はスペイン人建築家の設計により1853年に竣工した上海では最も古い教会で、来年でちょうど160年になります。



庭にはキリストや聖母マリアの像があります。



文化大革命時は、紅衛兵の破壊を恐れ、前に建物を建て教会全体を覆い隠してあったようです。



上海優秀歴史建築に指定されています。



内部は思いの他広く感じます。



内装も5年ほど前に見た時よりも祭壇の装飾が増え、豪華になっているようです。



賛美歌の歌声はまるで天国から聞こえてくるような錯覚に陥ります。



2階の聖歌隊の場所へも上がらせて戴き、撮影することができました。



信者でしょうか、天国へ召された方の遺影が飾ってあります。


質素な教会ですが、下町に溶け込んでいるような印象です。

撮影:CANON EOS5D3 + EF24-105mmL

2012年冬上海(17):南蘇州路

2012年02月13日 06時19分47秒 | 上海優秀歴史建築
虹口区側の河畔に建つ1933年築の「河濱大楼」です。


上海の不動産王サッスーン商会が建てた、当時上海最大の外国人向け商店兼住宅でした。エレベーターも9台あり、当時は水深2.1mのプールも併設してあったそうです。

建設当時は8階建てでしたが、1978年に上部3階が増設されました。


現在も住宅として使用されていますが、700戸、約2000人が居住できるそうです。

さらに東側に建つのが1924年完成の「郵政大楼」。



中国の郵便制度は1896年に開始されましたが、租界では1861年から英国が始めています。


今でも2階で郵便窓口業務を行っていますが、郵便博物館も併設されており、中庭には郵便飛行機や列車・馬車などが展示されており、子供連れでも楽しむことができます。

復興中路を歩く:フランス租界の高級住宅街

2011年03月23日 06時41分20秒 | 上海優秀歴史建築
復興中路を西に少し歩くと、淡水路との交差点東に赤レンガの教会が見えます。

現在は幼稚園も併設されているようですが、1925年竣工の諸聖堂で、優秀歴史建築の指定を受けています。

淡水路の西側のマンションは1926年建築の「パーク公寓」。


これも優秀歴史建築の指定を受けています。

その西隣の住宅は「花園住宅」。 



1920-1936年に建てられた大型の戸建住宅です。



重慶南路との交差点東南に建つのが1931年竣工の「重慶公寓」。


米国の女性記者で作家、社会活動家のアグネス・スメドレーの寓居として知られています。

重慶路を渡ると目指す復興公園(旧フランス公園)です。


復興中路にも沢山の優秀歴史建築が保存されています。


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上海の宗教建築(10):徐家匯天主堂

2011年02月24日 06時50分48秒 | 上海優秀歴史建築
1910年に竣工した上海最大のカソリック教会は高さ60mの尖塔を持ち、周りの高層建築に引けを取りません。



この日は「世界遺産の日」のため上海の歴史遺産が一部開放され、スタンプ・ラリーのように巡ることができました。



2500人を収容できる礼拝堂は奥行き79m、幅28mあるそうです。



尖塔は文革時に破壊されましたが、1985年に修復されました。



文革当時様子を書いた文献によると、教会内部の文物は広場で燃やされ、その火は3日間も燃え続けたとか。


貴重な歴史的文物の多くが灰となってしまったのかもしれません。

2008年6月15日撮影

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上海の宗教建築(9):聖ヨゼフ教会堂

2011年02月23日 06時41分15秒 | 上海優秀歴史建築

聖ヨゼフ教会堂は1861年、最初のフランス領事館があった場所に建設されました。



この土地は清国政府がアヘン戦争の賠償としてイエズス会へ提供したものでした。



現在は小学校として利用されているようですが、少し古い資料では文革時に中段されていたものが、1981年より宗教活動を再開したとあります。



生徒達にとっては学校の講堂が「教会建築」というのも自慢でしょうね。



優秀歴史建築に指定されています。



2008年3月18日撮影

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上海の宗教建築(7):ユダヤ教会-西摩路会堂

2011年02月21日 06時05分53秒 | 上海優秀歴史建築
1920年、サッスーンの3代目ジェイコブ(ヤコブ)・サッスーンが亡き妻・レイチェルのために建設しました。


エルサレムに向けて建てられた会堂には、当時上海に住んでいた700人のユダヤ人達が一同に会せたとか。

会堂が完成する直前にジェイコブ・サッスーンは上海で没したそうです。


1932年からは上海ユダヤ人小学校として利用されました。

以上2008年2月21日撮影

虹橋路の宋慶麗公園には、彼の一族の質素な墓が今でも残っています。


2007年12月25日撮影

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