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上海下町写真館2010

上海より半年ぶりに帰国しました。マイペースで故郷の風景や歴史などをご紹介します。

上海ライブ2013:虹口区「多倫路」

2013年11月23日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
1.優秀歴史建築の一つ、中国式建築のキリスト教会「鴻徳堂」。

2.四川北路から入り口門をくぐります。



3.すぐ左手に見えるのが珍しい中国式建築のキリスト教会「鴻徳堂」。



4.1928年竣工。上海で唯一の中国建築の教会で、鐘楼も備えています。



5.アメリカ北長老会の資金援助と中国の信徒の寄付により建築されたと在ります。



6.1階礼拝堂ではキリストの映画が上映されていました。



7.多倫路が西から北へ直角に曲がった先にある「永安里」、新式里弄住宅です。



8.「前半部分は1925年に建築、後半部分は1945年に増築された」と在りますが、恐らくプレートは東側の四川北路に掲示されていたものでしょう。



9.その北側に続くのは三階建ての「永安里二街」と「永安里三街」。


土産物屋が並んでおり、上海租界当時の雰囲気を醸し出しています。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4L

上海ライブ2013:徐匯区「上海理工大学」

2013年11月16日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
第一次世界大戦中に同済独文医学院はフランスに接収されます。



その後中国もドイツに宣戦布告して権利を主張し、中仏合弁の「中法国立工学院」となりました。



その後も校名の変遷を経て、1983年に現在の上海理工大学となりました。



煉瓦造の校舎が整然と並ぶ閑静なキャンパスです。



上海優秀歴史建築の指定では「図書館」となっていますが、建物のプレートには「工科講堂」となっていました。



1914年建築で、ドイツプロシア風とされています。



撮影:CANON PowershotS100

上海メモリアル:蘇州河河畔の製粉工場跡

2013年04月22日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
このレンガ造りの建物は1912年築の「福新製粉工場」でした。



家賃が安いのでしょう、最近付近には「SOHO」やギャラリーなどができています。



南側の建物は家具の展示場になっています。



裏側には若い人たちが生活しているようですが、どのような人達か分りません。


大都市の「谷間」ですね。

撮影:EOS5D3+EF24-105mmL IS


上海ストリート:龍柏飯店の「サスーン別荘」

2013年04月10日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
<龍柏飯店本館>


龍柏飯店は市西郊の動物園西に隣接しており、広い敷地を有したリゾートホテルですが、結婚式や虹橋飛行場が近いので飛行機搭乗員などの空港関係者の宿泊などに利用されているようです。

<2号楼>


入り口からホテル本館に向かう途中にある洋館の優秀歴史建築のパネルを見ると、これが2号楼で、入り口近くの建物が3号楼で、併せて歴史建築に指定されています。








<3号楼>


クリーム色の外壁を持った2階建ての別荘です。

現在どのように利用されているのか不明です。



入り口の形に住宅に対する遊び心が伺えます。



もう1棟、池のほとりに気持ちの良い別荘風建築があり、ホテルのガーデンパーティなどに利用されているようです。


ホテルの奥には古い高層マンションが何棟もありますが、車が無ければ住むには不便な場所で、どのような方々がお住まいになっているのか想像つきません。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4

上海ストリート:武康路のノルマンディー・アパートメント

2013年03月16日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
武康路が淮海中路から北東へ進む、ちょうど三角形の角地に建っています。

フランス租界の高級アパートを代表するようなフランス・ルネサンス風の重厚な外観は人目を引きます。


武康路側から建物を見ると、3棟の建物がガラス張りの外廊で繋がっているように見えます。



1994年に上海優秀歴史建築に指定されています。



租界時代は高級アパートとして、多くの外国人が住んでいました。


フランス租界時代、大型の建築物にはフランスの地名が名付けられました。

戦後、上海人民政府の管理となり、上海の文化芸能界の著名人が多く住んだそうです。



内部は1寝室、2寝室、3寝室、4寝室の4種類総計63戸があり、全て北側に浴室や台所を完備しています。


他に使用人室30戸があり、エレベーターも3基設置されているそうで、住宅としては今でも十分快適なようですね。

淮海中路側1階はアーケード式回廊となって、商店や企業の事務所となっています。



撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4

上海ストリート:東大名路の優秀歴史建築

2013年03月09日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
虹口区は蘇州川の北側ですが、3号線1本だった地下鉄路線が環状4号線、人民広場直通の8号線、楊浦区の奥へ続く10号線などの開通ラッシュで急速に再開発が進んでいます。

旅順路付近、国際客運中心の側にレンガ建ての古い建物が見えます。



現在、国際コンテナ貨物船運行会社の建物となっていますが、1908年竣工の旧耶松船廠の建物です。



1850年代にアメリカ資本でドックが造られましたが、1860年代に英国資本の耶松船廠となりました。



戦時中は日本の軍用倉庫として使われました。



とんがり屋根の塔とそりあがった青色瓦の軒は「ビルマ風建築」だそうです。



当時の港でもひときわ目立った建物だったでしょう。



撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4

上海ストリート:初詣は玉仏寺

2013年02月20日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
この龍の意匠は床に置かれた青銅の鐘の「釣り」部分です。

寺の創建は1882年。

浙江省の名刹「普陀山」の僧がビルマの華僑から五体の玉製の仏像を寄進されました。

船で普陀山へ持ち帰るはずが、船の荷役設備が不備で普陀山では降ろせず、上海へ仮安置したのが始まりだそうです。


辛亥革命で旧「麦根路」にあった古い寺は破壊され、ここに再建されました。
 

ビルマから持ち帰った「玉製の仏像」は玉仏楼に安置されていますが、それが寺の名前の由来でしょう。(写真撮影禁止)


大きな寺ではありませんが、共産革命時に台湾や香港へ逃避した熱心な信者も多いようです。


涅槃ですが、これも玉製のようです。


磁器製でしょうか、白い仏像は珍しいですね。

有り難い仏様に、今年も家内安全をお祈りしました。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4

上海ストリート:工芸博物館はフランス租界長官の邸宅だった。(2)

2013年02月11日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
2階は優秀作品の展示室になっています。



建物の室内装飾も素晴らしいですが、展示されている作品も素晴らしいものばかりです。



骨董品ではなく、作者がはっきりしている作品ばかりです。



このフロアの展示品は非売品です。



象牙の彫刻品。



3階は制作室になっており、それぞれの製作過程を参観できます。



廊下には歴代の作家の写真紹介があります。



1階は展示販売のフロアです。


中央の壷は約50万円。日本へ運ぶとなると、製品価格と同程度の運送費が必要でしょう。

こちらの絵は私にも買えそうです。



撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4

上海ストリート:工芸博物館はフランス租界長官の邸宅だった。(1)

2013年02月09日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築

18世紀ヨーロッパ城砦建築様式で、フランスのルネッサンス様式住宅の典型的な特徴を持っているそうです。



建築面積1,496m2、地上2.5階、下部に半地下を持っています。



1階南面にはライオンの口から流れる水盤があり、両側に半円形の階段が2階へと続きます。



1905年に建設されてから、歴代16人の長官がここに暮らしました。



1949年に人民解放軍の陳毅将軍が蒋介石の国民党を破って上海へ入城した後は、市長公邸として陳毅が暮らしました。


フランスに4年間留学し、フランスで中国共産党に入党した彼がどんな思いでここに暮らしたのか、外灘に立つ誇らしげな表情の彼の銅像に問いかけてみたいです。

その後、彼は毛沢東の文化大革命の粛清に反対し、迫害に遭いこの邸宅を離れ、1972年北京で病死しました。


彼が北京へ転居した後、一時中国・ソ連友好協会の事務所となりましたが、1963年に上海工芸美術研究所が入居しました。

1969年には「毛沢東」と伴に文革を進めた「林彪」の息子「林立果」がこの家に住みました。


「毛沢東」暗殺に失敗した林一家が逃亡中の飛行機事故で亡くなった後の1972年に、再び上海工芸美術研究所が入居しました。
この優美な邸宅を巡る覇権争いの歴史物語です。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4

復興中路は建築博覧会(3):伊麗莎白公寓

2013年02月06日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
旧「伊麗莎白公寓」は現代的な外観ですが、1930年に完成しています。



中央の三角形の出窓と、両側の円柱形の出窓が印象的です。



2005年に上海優秀歴史建築に指定されています。



入り口は質素デザインですね。



詳しい建物の由来を見つけることができません。



それぞれ印象の異なった歴史建築が三軒並んでいます。



撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4

復興中路は建築博覧会(2):黒石公寓

2013年02月04日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
克来門公寓の東隣が黒石公寓(Blackstone Apartments)です。



アメリカのキリスト教会が1924年に建築した、英国風鉄筋コンクリート造り6階建てです。



庭園・プール付きの高級アパートメント・ホテルでした。



2005年に上海優秀歴史建築の指定を受けています。



2階テラスへ昇る階段が両面有り、正面がアパート入り口になっています。



重厚ですが、テラスに曲面を使い優雅な印象もあります。



夏にプラタナスの葉が茂ると、テラスからの眺めが心地よいかもしれませんね。



撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4

復興中路は建築博覧会(1):克来門公寓

2013年02月02日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
淮海中路と復興中路が交わる付近は各国領事館も点在しており、閑静な住宅街となっています。

音楽学校が近いので、近所には楽器店が多いですね。

克来門(Clement Apartments)公寓は1929年にベルギー人が建てたアパートメント・ホテルでした。



敷地内には喫茶店やダンスホール、プールなどもあったそうです。



当時は外国人と裕福な中国人が住んでいました。



平面が「品」字形の4-5階建て5棟が、5弁の花のように配置されています。



直線と曲線と外壁のレンガが美しく左右対称に配されています。



全部で227戸の住宅があるそうです。


撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4

上海ストリート:音楽学院に残る優秀歴史建築

2013年01月30日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
入り口から右前方に進むと、洋館が1棟見えます。



アシュケナージ系ユダヤ人の音楽倶楽部として1910年代に建てられました。



2棟分の優秀歴史建築をまとめたパネルが表示してあります。



音楽家となったユダヤ人が、演奏会などに使用していたのでしょうか。



1棟目の洋館の南側を奥に進むと、もう1棟の洋館があります。



ドイツ様式の住宅です。



ドイツから迫害を受けたユダヤ人の音楽倶楽部の隣に、ドイツ式住宅があるのは謎です。



ベルギー領事館として使われていたそうです。



撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4

上海ストリート:人民広場のキリスト教会「沐恩堂」。

2013年01月23日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築

沐恩堂は1887年、清朝光緒13年に設立された米国南メソディスト教会(監理会)が1929年からこの地に教会を建築し、1931年に竣工しました。


西蔵南路からの撮影。

礼拝堂は1000人が一度に祈りを捧げることができるそうです。



南側の漢口路からの撮影。



人民広場の一等地にありながら、敷地面積は1,347m2、建築面積は3,138m2もある大きな教会です。



文革では被害を受け、一時宗教活動を休止していたようですが、80年代に再開し最近30周年を迎えたようです。



宗教活動は盛んで日曜日にはミサも行なわれ、信者以外も礼拝に入れるそうです。



撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4

上海ストリート:上海美術館は競馬場のクラブハウスだった。

2013年01月21日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築

これは「中華芸術宮」に展示してある租界当時の競馬場の賑わいを描いた絵です。


馬場の向こうに「国際飯店」や「金門大酒店」が画かれていますね。

1933年に竣工の競馬場クラブハウスは、1952年から1996年まで上海図書館として使用されていました。


五階建てで時計台を含めた高さは60m。

現在、新しく出来た「中華芸術宮」と所蔵品の入れ替えを行なっており、しばらく美術館としては休館の予定です。


現在、歩行者天国となっている南京東路は租界当時、外灘から競馬場へ行くための道で、上海人は「大馬路」と呼んでいました。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4