私はすごいテレビっ子(ドラマが好きでした)でしたが
近年、ネットで無料の映画やドラマを見るようになってから
テレビを見なくなりました
今年は安曇野が舞台の「おひさま」だけ見ていたのですが
それが終わってからは、全くと言っていい程テレビを見ていません
そんな私が今、喜んで見ているのが、GyaO! の無料動画で見る、韓流ドラマと日本のアニメ
その中で、最近気に入っているのが ⇒ 夏目友人帳 & 続 夏目友人帳 です
このブログを「は行の日記」と名付けたのも
普通の毎日、はははと笑ったり、ふぅ~っと肩の力が抜けたり、時にはほろっとしたり・・・・・・
そんな日々を綴っていきたかったから
このアニメ「夏目友人帳」は 以下解説より ↓
妖を見ることができる少年・夏目貴志と、招き猫の姿をした妖・ニャンコ先生とが繰り広げる、妖しく、切なく、懐かしい 感涙のあやかし譚。『夏目友人帳 肆』
↑ にある通り、懐かしく、切なく、そしてとっても優しい
フフッッと笑っていたかと思うと最後にホロッとさせられたり・・・・・・
私は、どちらかと言うと目に見えるモノしか信じない人間でした
だから子供のころから、お化けも怖くなかったし
UFOとか恐竜とかツチノコとか信じません(笑)
宗教も無信心です
そういうものを頑なに受け付けませんでした
でも、この頃、ようやく
自分には見えなくても、そういうこともあるかな・・・・と考えられるようになりました
このアニメの主人公の夏目君には妖が見えます
一人の人にずっと寄り添っている妖を見ていると
このお話は人間と妖怪のお話だけれど
妖と亡くなった人がダブって見えるときがあります
もしかしたら、ドラマの妖のように、母はずっと私の傍にいるのかもしれない・・・・・
年末に来て、この頃よく母を思い出します
生きているようないないような、、、、、、で、そう悲しくなかった母の死ですが
最近、無性にさみしいです
昔だったら、死んだらそれっきり、死後の世界なんて絶対ないと思っていました
今は・・・・・・・・・・そんなのがあってもいいなと思います あったらいいなとも思います
好きな本、梨木果歩さんの「家守奇譚」
この本の解説にも書いてありましたが
>私たちはイスラームの人たちの内界を本当には知らない。
分かってあげられない。しかし分かっていないことは分かっている。<
>理解はできないが受け入れる。ということを、観念上だけのものにしない、ということ。<
梨木さんの小説やエッセイを読んでいると、よく感じることです
若い頃、現実主義で何事にも硬かったkikiが、年をとると共に、考えも言動も軟らかくなって来ました
最近、梨木さんの「からくりからくさ」を読んでいて
やはり、解説の中に答えを見つけました
>晩年の柳宋悦(宗教哲学者、民芸運動家)は、モノと心との区別なく、語りかけた。
モノを作った人への敬意、美しいモノへの敬意が、彼のくらしの中心にあった。
モノは心の延長というのは、生まれてしばらくの子どものというより日常であり、
老年になると、モノと心の区別がふたたび失われて、子どもの心に似た安らかな心境に帰って行く・・・・<
そうか、私もそういう年になったんだ・・・・・・・
だから今までだったら、許せないと思っていたことでも
そういうこともあるかなと、感じられるようになったし
私には見えない、聞こえない世界も、もしかしたら他の人の中では存在しているのかも・・・・とも思う
介護の仕事をしていると、そういう場面に接することが多々あります
>理解はできないけれど、受け入れる<
むずかしいことだけれど、なんだか出来るような気がしています
あっ、また横道に逸れてしまいましたね
アニメ「夏目友人帳」のお話でしたね (^_-)
今日は、続の方の第五話「約束の木」を見ました
とってもいいお話です
やはり最後に、ほろっと泣いてしまいました