kouheiのへそ曲がり日記

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表現の自由

2012-02-27 09:43:57 | 日記
アメリカ合衆国憲法では表現の自由が保障されている。
アメリカの国旗である星条旗を損壊する権利も認められているが、それは表現の自由を保障したアメリカ合衆国を象徴する星条旗を損壊することを禁止するのは、当の表現の自由を制限することになるからである。

僕は日の丸にも君が代にも興味がなく、斉唱の際起立しろと言われれば立つし歌いもする。
そんなことどうでもいいことだからであり、わざわざ反抗する意味もないと考えるからである。

だが僕は、卒業式で起立しなかった大阪府立高校の教師の方々を好ましく思う。
なぜなら彼らには信念を貫こうとする覇気が感ぜられるからだ。

僕は教師の適格性として、反権力志向のようなものが必要不可欠であると考える。
この資質が欠如した者が教師になると、教室や研究室はおべっか使いの天下になってしまうからである。

橋下さんよ、内田樹氏も言っておられたが、査定や格付け、あるいは恫喝などによる管理では先生方のオーバーアチーブは導出されないのだよ。
兵庫県が長年、「教師のストライキをどう思いますか?」、「ストライキの趣旨に十分納得ができ、あなた以外の先生方が全員ストライキに参加するとなった場合、あなたはどうしますか?」などという面接試験をやって、最後まで「いかなる理由があろうとも私は絶対ストライキはしません」と言い切った者だけを採用し続けた結果が、あの校門圧死事件だ。

無思想かつ権力追随型の人間は、規則絶対主義者になる。
時間がきたら、生徒が走りこんでこようがなんであろうが、230キロの鉄製門扉を勢いよく閉めるのだ。

橋下さんは「教師がルールを守らなくてどうする」と言っているが、セクハラや窃盗のようなルール違反と、君が代・日の丸に敬意を示さないこととは同列に論じられるものではない。
なぜ自国の国旗や国歌に敬意をもてない人々がいるのか真摯に反省しないでいきなり職務命令違反で処罰などというのは、まさに独裁であり、このような政治家を少なくとも僕は支持できない。

子供たちを自分とは価値観の違う者ともコミュニケートできる人間に養育するのが教育の目的である。
全員に同じ価値観をもたせるようにするというのは、ファシストの論理なのである(合掌)
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