もう一年半前のことであるが、近所のコンビニに注文していた北杜夫著『楡家の人々』が届いた。
早速受け取りに行き読み始めたのだが、何か読みづらくてなかなかページが捗らなかった。
そのうち眠くて堪らなくなった。
僕は寝室で横になり、2、3時間昼寝をした。
起きて居間に行くと、古本屋に注文していた高橋源一郎著『さようなら、ギャングたち』が届いていた。
ちょっと読んでみると、僕はたちまちその独特の世界に魅了された。
結局『楡家の人々』をほっぽりだし、一気に『さようなら、ギャングたち』を読了した。
現代文学もやっとここまで来たか、という感じだ。
僕は評論家のようなことを言うことには興味はないし、その能力もない。
ただただ、スラスラと読めるか否かしか僕の読書基準はない。
すぐに、同じく高橋の手になる『ジョン・レノン対火星人』も古本屋に注文した。
『楡家の人々』は、結局読了したのだが、さすが三島由紀夫が絶賛しただけあって、優れた作品だとは思った。
だが・・・きわめてオーソドックスな小説で、ちょっと退屈な面もあった。
やはり僕は前衛芸術が好きだ。
だが僕は、オーソドックスなものを軽侮はしない。
むしろ、きわめて斬新奇異な作品にオーソドックスな要素を認めるとき、いちばん感動したと言えるのである。
早速受け取りに行き読み始めたのだが、何か読みづらくてなかなかページが捗らなかった。
そのうち眠くて堪らなくなった。
僕は寝室で横になり、2、3時間昼寝をした。
起きて居間に行くと、古本屋に注文していた高橋源一郎著『さようなら、ギャングたち』が届いていた。
ちょっと読んでみると、僕はたちまちその独特の世界に魅了された。
結局『楡家の人々』をほっぽりだし、一気に『さようなら、ギャングたち』を読了した。
現代文学もやっとここまで来たか、という感じだ。
僕は評論家のようなことを言うことには興味はないし、その能力もない。
ただただ、スラスラと読めるか否かしか僕の読書基準はない。
すぐに、同じく高橋の手になる『ジョン・レノン対火星人』も古本屋に注文した。
『楡家の人々』は、結局読了したのだが、さすが三島由紀夫が絶賛しただけあって、優れた作品だとは思った。
だが・・・きわめてオーソドックスな小説で、ちょっと退屈な面もあった。
やはり僕は前衛芸術が好きだ。
だが僕は、オーソドックスなものを軽侮はしない。
むしろ、きわめて斬新奇異な作品にオーソドックスな要素を認めるとき、いちばん感動したと言えるのである。
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