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ミュー ・ 百花春至為誰開

月山・葉山・野菜つくり・短歌・スケッチ   初夏の朝日連峰&果樹園 (寒河江市)

うたの旅人 

2008-04-28 | Weblog
「池上線」

古い電車のドアのそば
二人は黙って立っていた
話す言葉をさがしながら
すきま風に震えて
いくつ駅を過ぎたのか
忘れてあなたに聞いたのに
じっと私を見つめながら
ごめんねなんて言ったわ
泣いてはダメだと胸に聞かせて
白いハンカチを握りしめたの

池上線が走る町に
あなたは二度と来ないのね
池上線に揺られながら
今日も帰る私なの

終電時刻を確かめて
あなたは私と駅を出た
角のフルーツショップだけが
灯かりともす夜更けに
商店街を通り抜け
踏み切り渡った時だわね
待っていますとつぶやいたら
突然抱いてくれたわ
あとからあとから涙あふれて
後姿さえ見えなかったの

・・・・・・・・・・・・・


朝日新聞,先週の土曜版be「うたの旅人」の記事を読んで思ったこと・・・・・。


駅に残した切ない記憶・・・すきま風に揺れた黒い髪・・・

この歌は1975年(昭和50年)西島三重子が歌った歌(作曲も同じ)である。
70年代のフォークの定番でもある。

この曲の作詞者佐藤順英(55歳)は山形市出身だ。

中学を卒業してから1999年までのおよそ30年間東京で生活し、その後再び生まれ故郷の山形市に戻って暮らしている。

「池上線」の歌詞は実話だったとある。

A大学に通っていた彼女と交際していたB大学の佐藤さんは、将来国連職員を目指し、ハワイの大学に留学した。

しかしある日突然、「私だけ待っていることに疲れた」という彼女からの手紙を受け取った。

急きょ帰国し説得に努めたが、誤解もあり元には戻らなかった。

結局ハワイ大学には戻らず、親に「作詞家になる」といったら勘当された。

この歌は、はなれ離れになる直前、最後のデートで家まで送った夏の日の感傷を冬の別離の情景に移し、歌詞にしたものだ。

恋愛の顛末は、彼の将来像も大きく変え、その後佐藤さんは、音楽の道を歩いていくことになった。


27歳で結婚した彼女は、すでに2人の子供も社会に出ているという。

「普通すぎるほど普通に暮らしています・・・・」

「あの方もご結婚されていますよね?・・・・・」

と、彼女は戸惑いながらやさしい口調で話してくれた。

しかし、作詞をした佐藤さんは、「彼女が今はどこでどうしているのか、ぜんぜん知りません」と話した。

そして、佐藤さんは今でも独身を通している・・・・・・・・・。

          ・・・・・・・・・・ここまでが記事の大まかな抜粋

この記事を読んで、ユーチューブ(youtube-音楽)で「池上線」の歌を何度となく聞いた。

70年代のフォークは、やはり私たちの世代にとっては青春真っ只中、そのころはあまり深い意味を読み取れなかったが、この記事を読んで・・・・・・ナルホド・・・と、目から鱗が・・・・  しばし今の自分を振り返る・・・。

20代と50代の西島三重子の二重写しの映像、時の流れをいやおうなく感じる。

そして、この歌詞に現実味を帯びさせ、妙に痛々しく感じさせる。


私と妻、そして誰しもこの歌詞のストーリーのようであったなら・・・・・?

それぞれに、今とはまったく違った人生を歩んでいただろうと・・・・・・・・、

ふと、そう思わずにはおれなかった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

池上線 西島三重子