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スクラッチ木造帆船製作日記と映画、スタトレなどあれこれです。

タイタニックではまだ新しい発見がある。

2008年04月15日 | 本日のあれこれ

 何度も映画化されたおかげもあるだろうが、タイタニックは、世界で最も有名な客船だろう。当時最大だった船の1.5倍もある巨大客船で、一番船はオリンピック。従って正確に言えばオリンピック級の客船なのだが、姉妹船のオリンピックもブリタニックも、タイタニックほど有名ではない。ブリタニックは、当初ジャイガンティックと命名される予定だったが、タイタニックの事故を受け、巨人を連想させる名前を避けてこの名前になった。この船は、第一次大戦中エーゲ海で病院船として活動中、触雷して沈没しているが、これには色々と謎が多く、映画化もされている。一番艦のオリンピックは、第一次大戦中は、兵員輸送船として、カナダやアメリカから多くの兵士を輸送し、無事天寿を全うして解体されている。戦時中はUボートの雷撃を受けたが回避し、逆に船首から体当たりしてUボートを沈めるという武勇伝を持っている。しかも、後に修理のために入梁した際、魚雷の命中した痕らしい凹みが船体中央部で見つかっており、不発のため無事だったと考えられている。不運な姉妹船に比べて、実に幸運な船であった。ニックネームはオールド・リアイアブル。頼りになるお婆ちゃんといったところか。
 タイタニックが二つに折れて沈没したと言う船客生存者の証言もあったが、生き残った乗務員が口を揃えて折れた事実は無いと証言したため、1985年にバラード博士が偶然、沈没したタイタニックを発見するまで、ずっとタイタニックは、原型を留めたまま4000メートルの深海に沈んでいると信じられていた。クライブ・カスラーは、これに基づいて、レイズ・ザ・タイタニックと言う小説を書き映画化もされている。キャメロン監督のタイタニックまで、全てのタイタニックの映画でも、タイタニックは船首から水没するように描かれている。
 沈没したタイタニックが発見されてからは、船首に水が溜まり、その重みで艦尾が約30度水上に持ち上がり、その重みに耐え切れず船体中央部で破断し、二つに分かれて沈没したと信じられてきた。キャメロンの映画もこの説に基づいて描かれており、船尾に追い詰められた船客が滑り落ちて行くシーンが描かれている。
 ところが2005年の周辺探査で、破断部分の船底部分が新たに東方向に離れたところで発見され、その破断面が、船底から上方向に折れ曲がっている事が確認されたため、従来のように、船尾が空中に30度くらい持ち上がって、船体上方から分断したという説が覆る事になった。
 船底側から千切れないと、破断部分が上側(つまり船体側)に曲がる事は無い。従来説のように折れれば、破断部分は、下側(つまり海底側)にめくれるはずである。また、ほとんどの破断部分はきれいに切断されており、潰れてはいない。
 長いものが折れる場合、くの字になって折れるわけだが、くの字の山側(字で言えば左側)には、両端に引っ張られる力がかかり、くの字の谷側(字で言えば右側)には、両端から圧縮される力がかかる。従って、引っ張られるほうは綺麗な破断面になり、圧縮される側は両側から押されて潰れる。
 比較的良く原型を留めている船体前部の後方(つまり破断部分)をみても、上部構造物側が崩れ、船底側は舷側を含め比較的良く原形を保っている。この事からも、従来説のように水面側(空側)を頂点とするくの字に折れたのではなく、最終的には、海底側を頂点とするくの字で折れた事を裏付けるらしい。
 新しい発見に基づく説では、まず、船首に発生した浸水で、船体が10度ほど前方に傾斜した時点で、エクスパンジョン・ジョイントという船体の撓みを吸収するための継ぎ手部分から破断が始まり、一旦、二重底の船底部分で、この破断が停止、この破断による亀裂から、一気に船体中央部への浸水が進んでその重量によって、かろうじて繋がっていた船底部分が海底側を頂点とするくの字に折れたというものだ。
 従来説との最大の相違点は、沈没の結果船体が折れたのではなく、船体が折れたこと自体によって沈没したと言うところだ。しかも調査を進めると、タイタニックのエクスパンジョン・ジョイントの先端部分は、尖っている設計になっている事がわかったらしい。
 飛行機の窓は、全て角が丸くなっているが、これは、最初のジェット旅客機のコメットが、窓を四角く設計していたため、ストレスが角の部分に強くかかり、そのため金属疲労が進行して空中分解の事故が発生した。これと同じ事で、開いたり閉じたりして、船体の撓みを吸収する隙間部分の先端が尖っていると、そこからひび割れが進行しやすいそうだ。実際、天寿を全うしたオリンピックでも、この部分のひび割れが見つかり補修をしている記録があるらしい。でも、何十年も航海した上にUボートに体当たりまでしながらも天寿を全うしているのだから、コメットのような設計上の欠陥とまでは言えないだろう。
 ただ、この部分が、もっと良好な設計であれば、2~3時間は浮いていられた可能性があり、そうすれば多少は状況が変わったのではないかと言う。でも、最初の救助船のカルパチア号が現場到着したのは、沈没後4時間だから、いずれにしても、あまり結果は変わらなかったかもしれない。

 最新説のような沈没状況だと、一旦沈み始めた船が、一度沈没が止まり、安定した後、沈没した事になる。10度の傾斜なので映画のように船尾を高く空中に持ち上げた形で沈没はしなかったというわけだ。            しかし、折れた後、ボイラーなど機関の重量と完全に折れた部分から大量の海水がどっと流れ込むのだから、船尾部分は、水没時には、やはりかなりな急角度で持ち上がったのかもしれない。海底には、船尾部分の手前1キロ強に渡って、搭載していた石炭が道のように続いており、何の影響も考慮しない乱暴な計算をすると、70度強の角度で沈んだことになる。まあ、乗っている身にとっては、空中か海面かが違うだけで、最後はやはり縦になった船尾にいた事になる。
 
 この設計上の問題は、設計したハーランド・アンド・ウルフ社も知っていて隠蔽したのではないかという説まで浮上し、沈没した姉妹船のブリタニックを調査したところ、設計と異なり、このエクスパンジョン・ジョイントの先端を丸くする改良が施されていたことが確認された。先端が丸いと先端部にかかるストレスが分散されるので、強度が向上する。タイタニックの事故当時建造初期段階だったブリタニックに、タイタニックの事故をもとに改良を加えたのだという推測だ。つまり、設計建造したハーランド・アンド・ウルフや運用していたホワイト・スター・ラインは、事故当時から、タイタニックが折れて沈んだ事を認識しており、乗務員には口止めし、姉妹船にはひそかに改良を施したというわけだ。まあ、今でも、このように、こっそり不具合を修正して知らん顔する事例はあとをたたないから、1912年当時ならこの規模での隠蔽もあながち暴論とも言えまい。


 現在の航空機事故と異なり、当時の海難事故は、会社の管理の及ばない出来事と認識されており、会社には保障責任が問われなかった。つまり死んだ人も財産を失った人も泣き寝入りなわけだ。
 タイタニックの沈没と言えば、最後の最後まで、乗客を落ち着かせるために演奏し続けたバンドの話は有名だが、ホワイトスター・ラインは、事故後、遺族に慰謝料を払うどころか、会社が支給したバンドのコスチュームの代金を請求したそうだ。実にひどい話である。当時既に、彼らの行動は世間に知られ、英雄的な行動として賞賛されていたにも関わらずにだ。ビクトリア朝は、もっと道徳観念や騎士道精神の強い時代だと思っていたが、いつの世にも人でなし野郎はいるものである。このバンドと言えば、実は、設計当初の企画では、オーケストリオン(自動演奏バンドで、当時はやった、種々の楽器をオルゴールのような仕掛けで自動演奏する装置)を搭載する予定だったのが、タイタニックの処女航海に間に合わなかったので、急遽乗り込む事になった。協会に届け出て乗り込ませると経費が嵩むので、二等船客と言うことで乗り込ませて、経費を浮かせている。まあ、このため、バンドのコスチュームは、客に貸し出したと見なして請求したわけだ。本当に気の毒な人たちである。
 豪華客船とうたいながら、同時に経費節減に必死である。一番艦のオリンピックの試験航海で種々の不具合が発見され、そのため、歪の出た部分の内外に補強板を取り付けたり、Aデッキのプロムナード前半に窓を取り付けるなど改善策や船体強化策を講じているが、この際にBデッキのプロムナードを廃止して一等船室を飛躍的に増加している。当時の試算では、三等船客(アメリカへの移民を中心とする)の運賃で運用費を賄い、一等と二等の運賃は丸ごと利益になる計算だから、一等船室の増加は利益増に直接結びつく。
 最新の調査から行われた欠陥隠蔽などの推論を受け入れるとすれば、社長のイズメイに天罰があたったと言おうか、三番艦のブリタニックに至っては、建造後客船として使用されること無く病院船として徴用され戦没していて、さっぱり儲けていない。イズメイは、タイタニック沈没から生き残り、救助された船から、自分の名前の綴りを逆さまにしたちゃちな偽装で電報を送り、救助船が、アメリカに到着次第、大至急、生き残った乗務員全員を英国に帰国させる船を手配している。この計画は、アメリカの上院議員に察知され、救助船がアメリカに入港するまでに、上院調査委員会の召喚状を持って待ち構えていたため頓挫する。タイタニックに最後まで残り、沈没時に投げ出されて助かったライトラー航海士に、事前の氷山の警告は一切受け取っていないと偽証までさせている。この証言も、この上院議員が、事前に入手していた記録を突きつけられて、あえなく事前に警告の電報を受け取っていた事を認める羽目になっている。
 タイタニック沈没の過程などは、新たな調査が進むに連れ、それまでの仮設が覆ったり新たな仮設が立てられたりしているが、イズメイ社長が姑息な人物であると言う見解は補強されるばかりである。イラク戦争をおっぱじめたどこぞの大統領のように、親父を超えたい欲のわりには、能力がさっぱり追いつかない二代目である。同じような資産家でも、救命ボートを他人に譲り船に残った人もいるから、金を儲ける人=悪人とは思わないが、彼の場合、死後は熱いところに行くチームのメンバーだろう。
 
 余談だが、運の良いというか悪いと言うか、タイタニックに乗って生き残り、ブリタニックに乗り込んでまた沈没の憂き目に会って生き残った人もいる。この人がオリンピックに乗ったかどうかは知らないが、この人の立場なら、私は、絶対乗りたくないと思うだろう。

 ところで、救命ボートが定員数に足りない数しか搭載されていなかったことは有名だが、タイタニックの登場した時期は、何千年も続いた木造船の時代が終わり(とはいえ、まだまだ帆船の数は多かったが)、鋼製の船体にかわって、船体がどんどん巨大化し蒸気機関もどんどん巨大化していた時代である。流石に現代の大型艦よりは遅いものの23ノットもの高速が出せた。この数十年前には考えられない高速かつ大型の船だ。船が沈む時にボートに乗って逃げ出そうと言う考え方自体が、まだ目新しい時代である。
 それまでは、船が沈むような状況で、ボートに乗って逃げたところで死ぬだけだと考えられていたし、嵐などの状況下では、そもそも搭載しているボート自体下ろす事もできなかった。帆船には、数隻のボートを搭載しているが、いまのような救命ボートとして使用する事は考慮されていない。錨を上げたり人や荷物を輸送するために積んでいる。19世紀に近づくにつれ、救命目的ですぐ下ろせるボート格納法が普及するが、この場合の救命は、船から落ちた人をボートで救出する救命であって、沈没する船からの脱出は目的としていない。甲板で覆われがっちりした船が沈むような状況で甲板もないボートが浮いていられるわけがないと考えられていた。この考え方は、多かれ少なかれタイタニック上でも存在し、衝突後脱出が命じられてもしばらくは、タイタニックに残って救助を待ったほうが賢明だと考えた人もいたと生存者が語っている。
 また、救命ボートを搭載する規定は、乗客乗員の数に対してではなく、一万総トン以上の船に対してボート数で規定されていた。それどころか、船には、定員すら規定されていなかった。乗客サービスの観点から定員はおのずと決まっていたが、あくまで運用側の決める定員であり、法的には何名以上載せてはいけないという規定が存在していないわけだ。当然の事ながら、定員分のボート数を法的に決めることができるわけがない。その上、外輪船が外洋航海にも向かず利点が少ない事が周知の事実になってから数十年たっても、郵便を運ぶ船は外輪船でなければならないという法律を変えなかったような、保守的なイギリスのことである。救命ボートを搭載することが規定されていただけましだったとも言える。しかも、ハーランド・アンド・ウルフ社は、法的な規定より多目の救命ボートを搭載しているだけ、良心的だったのかもしれない。タイタニック沈没の10年くらい前まで、無線を搭載している軍艦さえ少なかった。今のイージス艦ほど少なくはないが、同じ程度のハイテクだったわけだから、遭難したら、無線で呼んで誰かに助けてもらうという発想自体、目新しい時代である。現在よりは、ゆっくりと変化する時代とは言え、20世紀初頭は、それ以前の50年と比べると、目まぐるしく変化した時代だからあらゆる法律が追いついていなくてあたり前である。
 これまた余談で恐縮だが、ロンドンのタクシーは、屋根が高く独特の形をしているので有名だが、これは、自動車のタクシーが登場した時代に、トップハット(手品でウサギ出したりするいわゆるシルクハット)を被って乗車できるように定められた法律のためである。21世紀になってもカツラを被った裁判長や弁護士が裁判する国だけの事はある。世界中でヘラルドリー(紋章官)などという王家や貴族が戦ったり財産争いをした時代のシステムが、現存しているのも英国だけだ。つい先日(これを書いている数日前の事である)、英国保護領の人口600人ほどの島が、ようやく封建制をやめて領主がいなくなったような国である。スコットランドには、まだ、徴兵権をもつ領主が一人残っているし、先進国であること自体が大きな謎に思えるほど古いものが生きている。そんな国で、数十年前にできた法律が、大きな船ができたくらいでそうそう変わるものではないだろう。同じ古い歴史の島国でも、古い物はさっさと捨ててガンガン変化することが当たり前のうちの国とはえらい違いである。日本で言えば、どこかの離島で殿様が21世紀まで島を治めているようなものだ。想像さえできない。キリスト教に対抗して明治になてから行うようになった神社で行う日本式の神前結婚式でさえ、最近ではどんどん減っている。減っているどころか、大昔からやっている行事のように古いものに思われている。お祭りなど、こうした民間の風習には古く伝統のあるものも残っているが、流石に公的機関で江戸時代に遡るものは皆無に近い。宮内庁に僅かに見られるだけだ。天皇家にしても、時代に応じて劇的に変化する。食事に困ることがあるほど困窮したり、立憲君主になったり、象徴になったり目まぐるしい。朝廷の儀式にしても、江戸、明治、大正、昭和、平成と、即位の式典も大幅に姿を変えている。連合王国成立以来、儀式にほとんど変化のない英国とは大違いである。
 救命ボートの数が足りなかったという事象も、こうした変化好きの国に住む現代の視点から見るのと、当時の英国人の視点から見るのとでは、印象もかなり異なるだろう。
 
 世界最大(改造の結果、一番艦のオリンピックより1000トンばかり重かったので、実際唯一世界最大だった)のタイタニックには、強力な無線装置や、当時珍しかった防水隔壁、巨大船であったがゆえに発生する新たな撓みの問題(これ以前の船では、波頭と波頭の間に船が載り中央部の浮力が減少する状況など想定されておらず、一つの波頭に船体が乗って船体前後が下がったり、船体中央が上がったりするサッギングやホッギングしか問題にならず、これらは、鋼鉄製船体になって、実質上ほぼ解決していた)に対応するエクスパンジョン・ジョイント、二重の船底など、当時の最先端技術を採用し、安全面にも一応気を使っていた船であったし、実際、一番艦のオリンピックは、深刻な問題が多かったとはいえ、第一次大戦を含め24年も働いている。
 設計者が求められることは、コスト(製造運用あらゆるコスト)と性能(安全性なども含む)のバランスを決めることである。このバランスは、あくまで、設計者の想像できる範囲内でしか決定できない。タイタニックのような未知の領域に大胆に踏み込む(それまで最大のものより50パーセントも大きいのは未知の問題に遭遇することもかなり多いだろう)場合、想像を超える事態に直面しないわけがない。

 どんな事故でもそうだが、事故と言うものは、複数の要因の累積で発生するものであり、構造的な問題と運用上の問題、そして、一定の環境の複合である。氷山の警告を受けて、カリフォルニアン号のように停止していれば、いくら継ぎ手に問題を抱えていようと救命ボートが少なかろうと沈没しなかっただろうし、舷側も船底同様二重構造なら、沈没を免れたかもしれない。同じ構造でも、当初、主任設計技師が提案したように分厚い鋼板を使用していたら、衝突に耐えたかもしれない。三年前のグリーンランドの気温が例年通り低ければ、また事故当時の冬が例年のような温度であれば、氷山はあの緯度まで下りていなかったかもしれない。
 証拠が4000メートルの海底に沈んで、いわば言った者勝ちの状態であり、専門家の発言が、一般人より遥かに信用が厚かった当時のことだから、うまく言い逃れて、氷山のせいだけにできたわけだが、いまや、4000メートルの深海にもぐって、色々回収したり破壊したりすることが問題になるような時代である。どんどん物証が出てくるし、仮説もアップデートされている。いずれはタイタニックも真鍮部品や陶器、ガラス以外はすっかり姿を消すだろうが(あと90年ほどで鉄製部分は無くなる計算らしい)それまでには、色々な発見がまだまだあるかもしれないし、運用上や構造上の問題が、仮説の域を出て真実と呼んで差し支えないレベルに達することもあるだろう。

 100年近い昔の事故とはいえ、種々掘り下げて研究する事は、現在においても重大な示唆を得る事ができる。100年近くたった今でも新たな発見があり、その発見から様々な姿が浮かび上がってくる。得られた知識を活用し、今に応用することが肝要である。
 当時、タイタニックの犠牲で、救命ボートの搭載が重要視され、救助信号への応答と救助活動が義務とされるようになった。まさに安全への道は犠牲者の血で舗装されているわけだ。これは、残念ながら、現在でも変わるところがない。
 そうである以上、得られるものは、隅々までしっかりと考察し、生かしたいものである。


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