1947年にロス・アンゼルスで発生した女性の殺人事件を扱ったドキュメンタリーです。
この事件は、被害者が、上下に切断されていたこと、子宮が摘出されていたこと、口が耳まで切り裂かれていたこと、住宅街の空き地にポーズをつけて放置されていたこと、完全に放血されていたことなど、非常に残虐な殺人事件であり、更に、犯行後、新聞社や警察に、犯人から何度も手紙が送られたりするなど、切り裂きジャック以来の、いわゆる猟奇殺人事件の典型のような要素に加え、被害者が、美人で、しかも、いつも黒ずくめの服装で、生前知人達から、当時ヒットしていた映画、ブルー・ダリアに引っ掛けて、ブラック・ダリアと呼ばれていたところから、新聞がブラック・ダリア殺人事件として、非常に大きく扱ったため、大きな話題になりました。
残虐な事件であり、犯人からのメッセージも多数送られたにもかかわらず、結局迷宮入りした事件なので、切り裂きジャック同様、その後、何年経ってもさまざまな研究者が、犯人探しをしていて、その結果が出版されるということが続いています。
ジャックの方が、さまざまな研究でいろいろな説が出ているにもかかわらず、有力な説といわれる幾つかの説、いずれにもそれなりの説得力とそれなりの疑問点が残り、評価が分かれるのに対して、こちらの事件は、どうやら、この本で、述べられている説が、真犯人と考えて間違いなさそうです。
この本の初版の段階では、幾つかある説の有力な一つといった感じでしたが、その後、ロス・アンゼルス地方検察局の調書が公開されたり、新たに発見された検死写真などから、説が補強されましたし、なぜ、そこまで調べがついていて迷宮入りになったのかなどにも、説得力があります。
この翻訳版は、初版以降の調査結果や経緯が記されており、今のところ、最新バージョンですので、このあたりの経緯も詳しくわかります。
この著者は、ロス市警で永年、殺人課の刑事として奉職し、その後も調査員としてのキャリアを積んだベテランですが、この事件印興味を持ったのは、1999年に父が死亡してからで、その後3年の調査を経て結論に達し、本書の出版に至りました。実に事件後52年を経て捜査を始めて3年で、今まで、公にされていなかった事件の核心に迫れたのは、実は、彼が、この犯人の実の息子であるという、小説でも書かないような立場にあったからです。
しかし、内部情報で犯人だと知ったわけではなく、当時の新聞報道を丹念に洗いながら、この結論に達してゆきます。
本書以前の、別の著者によるブラック・ダリア事件に関する書籍の一番新しいものである1995年に出版された「切断」では、ダリアの行動や、失踪直前の目撃者などへのインタビューの比重が大きく、犯人の核心に迫るあたりの著者の結論の部分は別にして、事実関係を語っている部分は、本書より詳しいかもしれません。
本書は、もっと物証に寄った記述が中心で、目撃証言などは、調書か新聞記事になっているもの以上には触れていません。
犯人は複数犯なのですが、驚くほどの天才で非常な文化人であり、かつ、公的機関に所属する医師という立場にありながら、自宅での乱交パーティーや、サディズムへの傾倒など、乱れきった生活をしています。このあたりは、具体的な物証を見せながら、淡々と語られています。乱交パーティーにまつわる部分は、州の裁判になっているので、聞き語りのような、あやふやな根拠ではありません。
またこの犯人と極めて親しい関係にある人の中には、高名なシュールレアリずむの芸術家や、あの映画監督ジョン・ヒューストンなども含まれており、ヒューストンに至っては、はじめ犯人と交際していた女性と結婚し、その後離婚したその女性が今度は犯人と結婚するわ、はじめにヒューストンと付き合っていた女性は、その後犯人と付き合って別れたりと、かなり近い間柄にあり、犯人と結婚した元妻の産んだ子供が、自分の子供ではないかと思って、足しげく通ったりしています。問題のパーティーに参加したという記述はありませんが、インタビューなどのエピソードからも、嗜好的には犯人に近い部分があったようです。
上下二冊のしかもかなりの厚さの文庫ですので、文章の分量は相当ありますが、次々明かされる、想像の一歩上を行くさまざまな意外な展開に驚かされ、一日で読み終えてしまいました。
このブラック・ダリア事件は、L.A.コンフィデンシャルを書いた小説家エルロイによって、小説が描かれ、その映画がもうすぐ公開されますが、実は、この作家は、10歳のころ母が殺害され、その事件も迷宮入りになっているという経緯があります。その犯人が、どうやら、この犯人グループの一人であるようなのです。この事件に関しては、ダリア事件ほど報道もされていないので、立証が可能なレベルではないのですが、かなり濃厚であるといえそうです。
本書の著者は、自分の推論を、証拠を添えて、刑事時代から付き合いのある現在もロスで検事として活躍している検事に、実際の事件を立件する時と同様の基準で検討してもらい、起訴に足る水準にあるかを検証してもらったり、いろいろな角度から、客観的な目で証拠の検討をしてもらっています。
初版の段階では、あくまで状況証拠だけではありますが、起訴に足るだろうし自分なら起訴するであろうという検事の話だけなのですが、その後明らかになる当時の捜査資料には、驚くべき内容が記されており、この話は、一気に具体性を増します。
ほぼ同時期、日本で起こった有名な迷宮入り事件に下山事件というのがあります。こちらも、最近、犯人あるいは犯人グループの孫が、本を出版しています。動機も目的も全く異なる事件ではありますが、被害者が、切断されたり、迷宮入りになた背景に、組織的な力がかかわっていたり、新聞が様々な説を報道して大きな話題になったりと、なんだか妙に似ているところに驚かされます。時代的ななにか特徴のようなものなのでしょうか。大きな戦争の直後で、社会の変革期、大きな重圧から開放された反面、死が割りと身近に感じられるというところが、残虐なものに対する麻痺感を犯人に与えたり、一方で報道も、まだ放送メディアは弱く新聞のみというあたりが、組織的な隠蔽がしやすい要因となったのかもしれません。
切り裂きジャックの最新の研究では、高名な画家のシッカートが犯人であるという説ですが、こちらもジャックの手紙の筆跡鑑定や、シッカートの手紙の切手とジャックの手紙の切手に付着したミトコンドリアDNAが一致するなど、かなり、確実性が高いような雰囲気です。
このシッカートも、相当高齢まで生存していますし、芸術家です。ダリアの犯人もシュールレアリズムに傾倒しているのみならず、9歳のころからLAオーディトリアムでコンサートを開くなど、高い芸術性を持っており、90代まで生きて天寿を全うしています。
ここ数十年の連続殺人事件の研究などでも、犯人は、高いIQを持つ場合が多意ですし、証拠から追い詰められて逮捕されることは少なく、偶然のアクシデントで逮捕されるというケースが多いのも事実です。
そうしたことから考えると、捕まりもせず、それどころか、死体さえも発見されていないため事件として認識さえされていない連続殺人犯が、今現在、何人も活動してるかもしれないわけで、ゾッとします。
ジャックも、ダリア事件の犯人も、犯行を公けにしたいという動機があったにもかかわらず逃げおおせているわけですから、公けにしたいという趣味がない殺人犯なら、十分にありえます。
事実、麻薬がらみの3件の殺人で起訴され、終身刑で服役中の犯人が、死刑囚監房にいる死刑囚を爆殺して死刑が確定し、執行を待つ間に回顧録を書いて、仕事絡みの殺人と、趣味で家出人を引っ掛けていたぶって殺すという二種類の殺人を犯しており、後者は、ほぼ1~2週間おきに100人以上殺したと記しています。その数が正確かどうかはわかりませんが、彼の書いた死体を処分した場所から複数の人骨が発見されているところから、完全な法螺ではないと考えられています。
日本では、あまり多くない連続殺人事件ではありますが、秋田の娘殺し事件のような、警察の杜撰な捜査が明るみに出るたびに、実は、知られていない連続殺人犯が活動しているのではないかと、空恐ろしい気分になります。組織的な隠蔽はなくとも、あのような杜撰な捜査が日常ならば、殺されたことさえ知られないのは十分に考えられます。
本書の映画化権がニューラインシネマに売れたというニュースが著者のHPに掲載されていましたので、いずれ日本のレンタル店の片隅に置かれることもあるかもしれませんが、できれば、本書を一読されることをお勧めします。
こうした事件自体に何の興味もない方も、人間とは何なのか、色々なことを考えさせてくれるきっかけになる本です。
ちなみに、増補の一部分を除いて、悲惨な被害者の姿は収録されていませんし、悲惨な描写も慎重に表現を考えて書かれていますので、正視に耐えない部分はありませんから、事件やそれにかかわる人々について俯瞰的に眺めることができます。
著者のHPはこちら
この事件は、被害者が、上下に切断されていたこと、子宮が摘出されていたこと、口が耳まで切り裂かれていたこと、住宅街の空き地にポーズをつけて放置されていたこと、完全に放血されていたことなど、非常に残虐な殺人事件であり、更に、犯行後、新聞社や警察に、犯人から何度も手紙が送られたりするなど、切り裂きジャック以来の、いわゆる猟奇殺人事件の典型のような要素に加え、被害者が、美人で、しかも、いつも黒ずくめの服装で、生前知人達から、当時ヒットしていた映画、ブルー・ダリアに引っ掛けて、ブラック・ダリアと呼ばれていたところから、新聞がブラック・ダリア殺人事件として、非常に大きく扱ったため、大きな話題になりました。
残虐な事件であり、犯人からのメッセージも多数送られたにもかかわらず、結局迷宮入りした事件なので、切り裂きジャック同様、その後、何年経ってもさまざまな研究者が、犯人探しをしていて、その結果が出版されるということが続いています。
ジャックの方が、さまざまな研究でいろいろな説が出ているにもかかわらず、有力な説といわれる幾つかの説、いずれにもそれなりの説得力とそれなりの疑問点が残り、評価が分かれるのに対して、こちらの事件は、どうやら、この本で、述べられている説が、真犯人と考えて間違いなさそうです。
この本の初版の段階では、幾つかある説の有力な一つといった感じでしたが、その後、ロス・アンゼルス地方検察局の調書が公開されたり、新たに発見された検死写真などから、説が補強されましたし、なぜ、そこまで調べがついていて迷宮入りになったのかなどにも、説得力があります。
この翻訳版は、初版以降の調査結果や経緯が記されており、今のところ、最新バージョンですので、このあたりの経緯も詳しくわかります。
この著者は、ロス市警で永年、殺人課の刑事として奉職し、その後も調査員としてのキャリアを積んだベテランですが、この事件印興味を持ったのは、1999年に父が死亡してからで、その後3年の調査を経て結論に達し、本書の出版に至りました。実に事件後52年を経て捜査を始めて3年で、今まで、公にされていなかった事件の核心に迫れたのは、実は、彼が、この犯人の実の息子であるという、小説でも書かないような立場にあったからです。
しかし、内部情報で犯人だと知ったわけではなく、当時の新聞報道を丹念に洗いながら、この結論に達してゆきます。
本書以前の、別の著者によるブラック・ダリア事件に関する書籍の一番新しいものである1995年に出版された「切断」では、ダリアの行動や、失踪直前の目撃者などへのインタビューの比重が大きく、犯人の核心に迫るあたりの著者の結論の部分は別にして、事実関係を語っている部分は、本書より詳しいかもしれません。
本書は、もっと物証に寄った記述が中心で、目撃証言などは、調書か新聞記事になっているもの以上には触れていません。
犯人は複数犯なのですが、驚くほどの天才で非常な文化人であり、かつ、公的機関に所属する医師という立場にありながら、自宅での乱交パーティーや、サディズムへの傾倒など、乱れきった生活をしています。このあたりは、具体的な物証を見せながら、淡々と語られています。乱交パーティーにまつわる部分は、州の裁判になっているので、聞き語りのような、あやふやな根拠ではありません。
またこの犯人と極めて親しい関係にある人の中には、高名なシュールレアリずむの芸術家や、あの映画監督ジョン・ヒューストンなども含まれており、ヒューストンに至っては、はじめ犯人と交際していた女性と結婚し、その後離婚したその女性が今度は犯人と結婚するわ、はじめにヒューストンと付き合っていた女性は、その後犯人と付き合って別れたりと、かなり近い間柄にあり、犯人と結婚した元妻の産んだ子供が、自分の子供ではないかと思って、足しげく通ったりしています。問題のパーティーに参加したという記述はありませんが、インタビューなどのエピソードからも、嗜好的には犯人に近い部分があったようです。
上下二冊のしかもかなりの厚さの文庫ですので、文章の分量は相当ありますが、次々明かされる、想像の一歩上を行くさまざまな意外な展開に驚かされ、一日で読み終えてしまいました。
このブラック・ダリア事件は、L.A.コンフィデンシャルを書いた小説家エルロイによって、小説が描かれ、その映画がもうすぐ公開されますが、実は、この作家は、10歳のころ母が殺害され、その事件も迷宮入りになっているという経緯があります。その犯人が、どうやら、この犯人グループの一人であるようなのです。この事件に関しては、ダリア事件ほど報道もされていないので、立証が可能なレベルではないのですが、かなり濃厚であるといえそうです。
本書の著者は、自分の推論を、証拠を添えて、刑事時代から付き合いのある現在もロスで検事として活躍している検事に、実際の事件を立件する時と同様の基準で検討してもらい、起訴に足る水準にあるかを検証してもらったり、いろいろな角度から、客観的な目で証拠の検討をしてもらっています。
初版の段階では、あくまで状況証拠だけではありますが、起訴に足るだろうし自分なら起訴するであろうという検事の話だけなのですが、その後明らかになる当時の捜査資料には、驚くべき内容が記されており、この話は、一気に具体性を増します。
ほぼ同時期、日本で起こった有名な迷宮入り事件に下山事件というのがあります。こちらも、最近、犯人あるいは犯人グループの孫が、本を出版しています。動機も目的も全く異なる事件ではありますが、被害者が、切断されたり、迷宮入りになた背景に、組織的な力がかかわっていたり、新聞が様々な説を報道して大きな話題になったりと、なんだか妙に似ているところに驚かされます。時代的ななにか特徴のようなものなのでしょうか。大きな戦争の直後で、社会の変革期、大きな重圧から開放された反面、死が割りと身近に感じられるというところが、残虐なものに対する麻痺感を犯人に与えたり、一方で報道も、まだ放送メディアは弱く新聞のみというあたりが、組織的な隠蔽がしやすい要因となったのかもしれません。
切り裂きジャックの最新の研究では、高名な画家のシッカートが犯人であるという説ですが、こちらもジャックの手紙の筆跡鑑定や、シッカートの手紙の切手とジャックの手紙の切手に付着したミトコンドリアDNAが一致するなど、かなり、確実性が高いような雰囲気です。
このシッカートも、相当高齢まで生存していますし、芸術家です。ダリアの犯人もシュールレアリズムに傾倒しているのみならず、9歳のころからLAオーディトリアムでコンサートを開くなど、高い芸術性を持っており、90代まで生きて天寿を全うしています。
ここ数十年の連続殺人事件の研究などでも、犯人は、高いIQを持つ場合が多意ですし、証拠から追い詰められて逮捕されることは少なく、偶然のアクシデントで逮捕されるというケースが多いのも事実です。
そうしたことから考えると、捕まりもせず、それどころか、死体さえも発見されていないため事件として認識さえされていない連続殺人犯が、今現在、何人も活動してるかもしれないわけで、ゾッとします。
ジャックも、ダリア事件の犯人も、犯行を公けにしたいという動機があったにもかかわらず逃げおおせているわけですから、公けにしたいという趣味がない殺人犯なら、十分にありえます。
事実、麻薬がらみの3件の殺人で起訴され、終身刑で服役中の犯人が、死刑囚監房にいる死刑囚を爆殺して死刑が確定し、執行を待つ間に回顧録を書いて、仕事絡みの殺人と、趣味で家出人を引っ掛けていたぶって殺すという二種類の殺人を犯しており、後者は、ほぼ1~2週間おきに100人以上殺したと記しています。その数が正確かどうかはわかりませんが、彼の書いた死体を処分した場所から複数の人骨が発見されているところから、完全な法螺ではないと考えられています。
日本では、あまり多くない連続殺人事件ではありますが、秋田の娘殺し事件のような、警察の杜撰な捜査が明るみに出るたびに、実は、知られていない連続殺人犯が活動しているのではないかと、空恐ろしい気分になります。組織的な隠蔽はなくとも、あのような杜撰な捜査が日常ならば、殺されたことさえ知られないのは十分に考えられます。
本書の映画化権がニューラインシネマに売れたというニュースが著者のHPに掲載されていましたので、いずれ日本のレンタル店の片隅に置かれることもあるかもしれませんが、できれば、本書を一読されることをお勧めします。
こうした事件自体に何の興味もない方も、人間とは何なのか、色々なことを考えさせてくれるきっかけになる本です。
ちなみに、増補の一部分を除いて、悲惨な被害者の姿は収録されていませんし、悲惨な描写も慎重に表現を考えて書かれていますので、正視に耐えない部分はありませんから、事件やそれにかかわる人々について俯瞰的に眺めることができます。
著者のHPはこちら