青木文雄の 徒然なるままに

いつもの毎日面白く。ときどき映画。

ナイシチョットと話してみる

2011年09月21日 | 家族

 

19日、敬老の日、母に電話する。

母に電話する前に、私は、きまって鹿児島の方言をさがす。

「アイガトサゲモシタ」、

「ナイシチョット」

今回は、この言葉にしょうと決めて、母に話しかけた。

鹿児島言葉です。意味が解りますか。

 

耳が遠くなってきている母は、

自分が話すより、聞き手になりがちだ。

私は、ふるさとの鹿児島の言葉で話しかける。

あなた、よく、鹿児島の言葉を知っているわね。

笑いながら母は鹿児島なまりになり、声も高く、話し出す。

 

その日は、1956年に東京から鹿児島に、家族で帰ったときの話をしてくれた。

私が小学校3年のときで、入学前の従兄弟と話すが、

彼が何を話しているのか、さっぱり解らない。

小学校に行っているのに、何故僕の話が解らないんだ。と、従兄弟は言う。

そんなことを言っていることさえ意味不明の私。

傍にいた母は、従兄弟に、東京の小学校では、鹿児島の言葉は習わないのよ、と説明したと。

 

この話は何度もきいているのだが、私は、そうかそうかと聞いている。

母の話は、いまでもなく、これからでもなく、いままでの話が面白い。

 

 

 

 

 

 

 


父の書道

2011年06月11日 | 家族

私が小学生の頃から父の書道が始まった。

日曜日はきまって書道だ。机に向かい墨を

する。やがて部屋はかいた書で歩く隙間も

なくなる。

日曜日の書道はやがて教師の資格をとる

までになっていた。定年後はライフワークと

して、益々書道づけの生活になっていた。

そんな父に、ご近所の子供から書道を教え

て欲しいと相談があった。父は断っていた。

しかし、母は違った。「おとうさんに頼んで

あげる、とにかく家にいらっしゃい」

「おとうさん、〇〇ちゃんが来ましたよ…」

父と一緒に書道する子ができた。ご近所の

子供が一人習い事が始まれば、僕も私もと

なり断ることが出来ない。あっと言うまに書

道教室になっていた。

たまに私が家に帰ると、家の中は子供達で

一杯で、父も母も先生と呼ばれ忙しそうにし

ていた。

89歳の母に電話する。「晩年の父は書道の

先生で、子供達に囲まれ楽しそうだったね」

と話したら、「父は日曜日には書道していたし

料理も上手で、私にとって最高のおとうさん

だったわ。あなたは遊ぶだけで…、今から

何かなさい」と言われてしまった。

外は雨、散歩に行く気にはならない。さて、何

をしますか。JOHN COLTRANEを聞きなが

ら考える。

 

 


雪の中、こまばアゴラ劇場に

2011年02月11日 | 家族

2月11日三連休初日。

雪の中を、駒場東大前駅まで出かけた。

風も冷たく寒いが、

渋谷は今日も活気にあふれ、

若者たちがにぎわう。

久しぶりに、京王、井の頭線吉祥寺行に乗る。

東大駒場キャンパスをぶらりと散歩した。

雪で思うように撮れません。

 

さて、今日の目的、

雪の中、こまばアゴラ劇場に行く。

東口から、歩いて3分。

 

ロロ  「グレート、ワンダフル、ファンタスティック」

2011年 2月9日ー13日

公演を観るために

 

息子が役者をしてる。

息子のプロフィールを見ると、いろいろ出演

しているようだが、私が観るのは、2回目。

映像には出ていないので、まだ無名だが、

役者のエネルギーは、伝わってくる。

 

息子ではあるが、一人のファンとして、

今日も楽しく演技を見た。

 

 

 

 

 

  

 


これを、見ると思い出す。

2011年02月05日 | 家族

 

イラストは、昭和55年9月、社内通信誌

に記載されたものです。

父親から、子供に対する思いを、

まとめたもので、文章の中から

社内の大先輩がイラストにしてくれた

ものです。

いまでは、私の宝物です。

 

仕事から帰り、玄関に入った。玄関

で、よちよち歩きを始めた、子供の

靴を見つけた。

私の靴の隣に、小さな子供靴

部屋の方には行かず、じっと眺めていた。

わが家にも、家族が出来たんだ……

 

子供から親は、沢山の「おくりもの」、

至福の時間をもらう。

子供が成長していく中でみられる

一瞬のしぐさ、あくび、遊ぶ、寝顔、

などの「かわいさ」に、おもわず

微笑んでしまう。

 

子供から沢山の「おくりもの」の

中で、私にとって、永久保存の記憶

となったのがこのイラストなのです。

 

 


ちょっと、早いけど。

2011年01月23日 | 家族

 

部屋に、息子が来て 

ちょっと早いけど

誕生日のプレゼント。

飲んでくれよ。

 

 

ヤッホ~。

どうもどうも、

いいんです。

早くても。

 

創業天保五年(1834)

京屋酒造

甕雫  かめしずく

ひしゃくも付いてきた。

 

フルーティーな香りをオンザロックで

お楽しみください。

 

とある。

なるほど、なるほど

いつ、開封するか。

ヤッホ~。

 

 

 

 

 

 

 


父の定年

2011年01月18日 | 家族

母から連絡があり、父の定年を知

った。父が定年を迎える。

私が社会人になって、何年目の頃

だったのだろうか。

その日、私は休暇をとり父の職場

に、車で迎えに行った。

父の職場を見た。父は挨拶をした。

職場の皆さんは、玄関まで見送り

に出てきてくださり、花束を持っ

た父を送っていただいた。

父が職場を去った。

私の車の中では無言であったが、

「寄りたいとこがある」と父の言葉

にその店に行った。

今思うと、店は父のために、用意

してるわけで、父と二人で飲んだ。

その店が何処にあったのか、記憶

をたどるのだが解らない。いまは

その店に感謝している。

父と何を飲んだのか、なにを、話

したのだろうか。覚えている父の

言葉は、「母さんが心配してる帰

ろうか」である。

 

父が亡くなったある日、母から、

あなたが父の定年の日、迎え

に来てくれ一緒に飲んだと、父

がとても喜んでいたと、聞いた。

あれから、何年がすぎたのだろ

うか。

あの頃の父と同じ歳になり…。

父を思う。

 

 


29分の会話

2011年01月17日 | 家族

 「キクばあちゃんは、畑仕事に行く

 時でも、焼酎を飲んでから出かけ

 たのよ」

 「焼酎はもういいよ、と言ってか

 ら四年後94歳で亡くなったの」

 何度か聞いたような、聞いていな

 いような、気がする。

 ようするに、母は折に触れて話し

 ているのだろが、息子は、関心が

 うすいので、記憶に残らないのだ

 ろう。

 そうか、そう言うことか。母が何時

 も繰り返し、「お酒が美味しいよ、

 毎晩楽しみだよ」と、この言葉が

 会話に出てくるのは、キクばあちゃ

 んと比べて、まだ元気よ。ぼけて

 ないから心配いらないよ。と伝え

 ているんだ。

 「はい。解りました。焼酎美味い

 だね。この話は長くなりそうだか

 ら、またにしよう。じゃあね。」

 

 母はキクばあちゃんを超える。

 そうさ。ゆっくり、長く飲もうよ。

 母は、まもなく89歳。母と息子

 の会話、本日、29分。

 

 

 


記念日です。

2010年10月10日 | 家族

10月10日、今日は結婚記念日。

20代で出会った。あの頃は、かわいかったな。

本当にかわいかった。



え? 写真が見たい? 見せちゃおうかな。

え? どこで出会ったて? 地雷踏んだね。その質問。

いまから話すけど、1時間や2時間では終わらないよ。

今日は、帰れなくなるけどいいかな…


あれから、何年の時が過ぎたのだろうか。

出会ったあの頃といまも変わらない。


母の愛と、老いをみた。

2010年10月05日 | 家族

「あなたを信用しないでごめんなさい。」

沈んだ声で母は言った。

母と振込み詐欺とのやり取り。

 ○ 携帯の番号を変えた。
 ○ 女性問題で相手の両親と示談中
 ○ 示談金100万が必要
 ○ 妹には内緒にして欲しい
 ○ 至急送金して欲しい

母の異常に気がついた妹が、

母に代わり振込み詐欺と対応し、未然防止となった。

あれから何日か過ぎたが、母は一時、自分の不覚に沈んでいた。

お母さんにハグ。