杏(アンズ)は、日本では昔、カラモモ(唐桃)といっていたそうです。桃は中国から、遅くとも弥生時代には入ってきたそうなので、杏はそれ以後に入ってきたのでしょうか。中国の三国時代に生きた、董奉(とうほう 220年生まれ)という医者が、治療代を受けとらず、病気の治った患者に杏の苗を植えさせたそうです。いつしかその杏は、大きな林となったそうです。そうしたことから、名医のことを杏林(きょうりん)というようになったそうで、杏林大学の名前の由来でもあるようです。
杏の花(成就院池公園脇 大塚町)
桜などとともに、梅に続いて咲く杏の花です。どれもバラ科のようです。杏は、枝にびっしり並んで咲くというイメージくらいしか私にはありません。この木は最近植えられた新しいもののようで、畑の奥には古い杏の木があるようです。
杏(茨城県メディカルサンター 笠原町489)
「五車韻瑞」に「董奉(とうほう)廬山(ろざん)に居り、病を治し輒(すなわ)ち癒ゆれば、重き者は杏五株を植え、軽き者は一株、遂に林を成す。董仙杏林と号す」と立札に書かれています。写真は今日撮りましたが、すでに花は散っていました。
杏性(あんずしょう)
写真は江南所無(こうなんしょむ)です。梅には野梅性、紅梅性、豊後性と杏性があるそうで、杏性は、枝はやや細く、葉はやや小さく、杏に似た淡い紅色が多いそうです。代表的なものの一つに、江南所無があるそうです。
旧町名 銀杏町碑(宮町 36°22'19.9"N 140°28'27.9"Eあたり)
銀杏は「ぎんなん」と読みますが、イチョウの漢字でもあります。ぎんなんは、銀色をした、杏の実ということだそうです。「ぎん」「あん」がつながって「ぎんなん」になったそうです。
立原杏所(六地蔵寺 六反田町767)
立原杏所は、水戸の文人を代表する翠軒の子で、父の役割を受け継ぎながら、渡辺崋山・椿椿山などとも交流のあった画人だそうです。杏所の号は、横竹隈の自宅の庭にあった杏の木からとったといわれているそうです。写真は六地蔵寺にある立原杏所の墓です。
あんず薬局(見和1-336-2)
ひたちなか市のベルクラン薬学社が展開している薬局名のようです。これもたぶん、董奉の故事からつけられた名前なのでしょう。
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