明治以降の馬頭観音碑です。
見和共同墓地(見和36°22'28.6"N 140°25'27.2"Eあたり)
明治44年に個人が建てた碑のようです。馬頭尊という三文字ということもあるのでしょうか、大きな字で深く彫られているようです。
成就院共同墓地(大塚町36°23'12.8"N 140°23'31.5"Eあたり)
大正1年に個人が建てた碑のようですが、「奉供養」という文字が「馬頭観世音」の上に彫られています。石が硬いのでしょうか、風化があまり進んでいないようで、くっきりと文字が見えます。
見和共同墓地(見和36°22'28.6"N 140°25'27.2"Eあたり)
板碑型の、上が尖った形の碑です。大正9年の建立年が、向かって右横に刻まれています。
鯉淵町(36°20'30.2"N 140°23'11.6"Eあたり)
大正の最後の年である15年に、個人によって建てられた石碑のようです。観世音の「世」の字が、異体字で彫られているようです。
成就院共同墓地(大塚町36°23'12.8"N 140°23'31.5"Eあたり)
昭和5年と、2名の名前が刻まれています。なぜか上に小石がたくさん置かれています。
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