大足という地名(大足町(おおだらちょう))
天正9年(1581)の文書に「大足」とあるそうですので、かなり早い時期からこの書き方がなされていたようです。風土記にも出てくる、ダイダラボウという巨人伝説から付いた名前のようですが、読みにくさは相当なものです。写真は手前のコンクリート橋が大足橋で、後方にあるのが新しくつくられただいだらぼう橋です。
香炉の足(妙徳寺 加倉井町909)
かつては香炉を想像上の動物がささえていたのが、いつしか足だけになってしまったのではないかなどと想像していますがどんなものでしょうか。水戸の足(1)にある清巌寺の香炉は青銅製のようで、足に顔が付いていますが、この香炉は石製でいかにも獣っぽい足だけです。
向学立志像の足(偕楽園公園南崖下あたり)
これを建てた旧制水高のオールドボーイたちは、よれよれの帽子と学生服にマントをはおり、酒を飲んで高歌放吟しながら、朴歯(ほおば)の下駄で市内を闊歩していたのでしょう。全国から才能ある学生が集まったのでしょうか、県外出身の学生の方が多かったそうです。第一中学校にも展示してあります。
朱漆足付盥(六地蔵寺 六反田町767)
和歌山県の根来寺(ねごろじ)で作られた、根来塗りの盥で、六地蔵寺では儀式の際に使う手水盥(ちょうずだらい)として使われたそうです。六地蔵寺3世の恵範(えはん)という学僧が裏書きをしているので、作られた年代もだいたい特定できるという、国指定の文化財だそうです。
地蔵の足(東光寺 大場町1369)
文化9年(1812)、女人講中とある地蔵ですが、蓮華座を削って、左足をわざわざ出した、坐像の形になっています。女性が組織した地蔵講が建てたものなのでしょうが、普通、女人講は如意輪観音の石仏を建てるので、その片膝を立てて坐る姿を意識して、このように作ったのではないでしょうか。 後日 像は延命地蔵菩薩経に書かれた姿のようです。でも、水戸では立った姿が多いので、女人講が建てたことを考えると、多少は如意輪観音を意識したような気もします。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます